常山城跡

常山城跡
所在地 〒706-0132 岡山県玉野市用吉 常山

常山城跡完全ガイド|岡山市・玉野市にまたがる戦国の山城と常山女軍の伝説

常山城とは|岡山県屈指の戦国山城の概要

常山城(つねやまじょう)は、岡山県岡山市南区迫川と玉野市宇藤木・用吉・木目にまたがる標高約300メートルの常山山頂に築かれた日本の城(山城)です。岡山市指定史跡および玉野市指定史跡として保護されており、戦国時代の備前国における重要な軍事拠点として機能していました。

常山城跡は、戦国時代に築城された城で、十四の曲輪からなる「連郭式山城跡」として知られています。県下有数の山城として、城主としては上野氏・戸川氏・伊岐氏などが知られており、特に天正3年(1575年)に起きた「常山女軍の戦い」の舞台として全国的に有名です。

現在、城址は「常山公園」として整備されており、登山道が設けられているため、比較的容易に訪れることができます。山頂付近には空堀、土塁、石垣などの遺構が良好に残されており、戦国時代の山城の構造を実際に体感できる貴重な史跡となっています。

常山城の立地と戦略的重要性

常山は児島半島の付け根に位置し、備前国と備中国の境界に近い要衝の地にあります。この立地は、瀬戸内海を見渡すことができ、陸路・海路の両方を監視できる戦略的に極めて重要な場所でした。山頂からは現在でも岡山平野や瀬戸内海、さらには讃岐の山々まで一望することができます。

標高300メートルという高さは、当時の山城としては中規模ですが、急峻な地形を活かした防御力の高い縄張りが特徴です。尾根筋に築かれた全長約200メートルの郭式山城として、自然の地形を巧みに利用した築城技術が見られます。

常山城の歴史|築城から廃城まで

上野氏による築城(15世紀末)

常山城を最初に築いたのは、備中国下道郡付近を拠点としていた上野氏です。延徳2年(1490年)頃、上野氏が備前国児島郡の熊野社領を奪い、この地域の支配を確立する過程で築城されたと考えられています。

上野氏は備中国の有力国人領主であり、常山城は備前国への進出拠点として機能しました。当初の城は比較的小規模だったと推測されますが、その後の戦国時代の動乱の中で段階的に拡張・強化されていったと考えられています。

戦国時代の城主の変遷

常山城の城主は、戦国時代の情勢変化に伴って何度か交代しています。主な城主としては以下の人物が知られています:

  • 上野氏: 築城者であり、長期にわたって城を支配
  • 戸川氏: 宇喜多氏の家臣として一時期城主を務めた
  • 伊岐氏: 備前国の有力国人として関与

特に上野肥前守隆徳(高徳)の時代には、城は最も整備され、十四の曲輪を持つ大規模な山城へと発展しました。この時期の常山城は、備前国屈指の堅城として知られるようになります。

天正3年(1575年)常山合戦と常山女軍の戦い

常山城の歴史において最も有名な出来事が、天正3年(1575年)に起きた「常山合戦」です。この戦いは、毛利氏の備前国侵攻の一環として行われました。

小早川隆景率いる毛利軍が備中平定の余勢をかって常山城を攻撃しました。城主の上野肥前守隆徳は激しく抵抗しましたが、圧倒的な兵力差の前に敗北し、自害して果てました。

この時、隆徳の妻である鶴姫は、夫の死後も降伏を拒否し、侍女や城内の女性たち三十余名を率いて毛利軍の将・乃美宗勝に一騎討ちを挑んだと伝えられています。鶴姫率いる女軍は勇敢に戦いましたが、最終的には全員が討ち死にし、華々しくも悲劇的な最期を遂げました。

この「常山女軍の戦い」は、戦国時代における女性の武勇伝として全国的に知られるようになり、後世に多くの物語や伝承を生み出しました。

毛利氏支配下での改修

常山合戦後、常山城は毛利氏の支配下に入りました。毛利氏は備前国支配の拠点として常山城を重視し、城の改修・強化を行いました。

穂田元清文書には「不日常山普請可申付存候(間もなく常山の普請を申し付けるつもりである)」という記述があり、毛利氏が城の修築を計画していたことが確認できます。この時期に、石垣の構築や曲輪の拡張などが行われたと考えられています。

廃城とその後

関ヶ原の戦い(1600年)後、毛利氏が西国へ転封されると、常山城もその役割を終えました。江戸時代初期には既に廃城となっており、城としての機能は失われました。

しかし、常山女軍の伝説は地域の人々の間で語り継がれ、江戸時代を通じて鶴姫らを偲ぶ信仰が続きました。明治時代以降も、地域の重要な歴史遺産として保存されてきました。

常山城の縄張りと遺構|連郭式山城の構造

十四の曲輪からなる連郭式山城

常山城は「連郭式山城」として分類される城郭です。連郭式とは、主郭を中心に複数の曲輪(郭)を直線的に連ねた縄張り形式で、山城の尾根筋を活かした典型的な配置となっています。

常山城は十四の曲輪で構成されており、これは岡山県内の山城としても大規模な部類に入ります。各曲輪は標高差を利用して段築状に配置され、相互に防御し合う構造となっています。

主郭(本丸)の構造

主郭と思われる中央の曲輪は、城の最高所に位置しています。周囲は急峻な切岸(人工的に削られた崖)を伴う堀切によって遮断されており、最大2メートルの土塁で防御が固められています。

主郭の規模は東西約40メートル、南北約30メートル程度と推定され、城主の居館や指揮所が置かれていたと考えられます。現在でも平坦な地形が残されており、当時の様子を想像することができます。

堀切と土塁

常山城の防御施設として特筆すべきは、複数の堀切と土塁です。堀切は尾根筋を断ち切るように掘られた空堀で、敵の侵入を防ぐ重要な防御ラインとなっていました。

主郭周辺には少なくとも3箇所以上の堀切が確認されており、一部は深さ3メートル以上に達します。これらの堀切は現在も良好に残されており、戦国時代の築城技術を示す貴重な遺構となっています。

土塁は曲輪の縁に沿って築かれた土の壁で、防御力を高めるとともに、建物の基礎としても機能していました。高さは1〜2メートル程度のものが各所に残されています。

石垣の遺構

常山城には石垣の遺構も確認されています。これは毛利氏支配下での改修時に構築されたと考えられており、戦国末期から近世城郭への過渡期の様相を示す重要な遺構です。

石垣は主郭周辺や一部の曲輪に見られ、野面積み(自然石をそのまま積み上げる工法)の技法で築かれています。規模は小さいものの、山城に石垣が用いられた例として貴重です。

登城道と出丸

現在、県道からの登城道が整備されており、登ること約5分で出丸に到達します。出丸は城の前衛拠点として機能した曲輪で、ここには現在鉄塔が建っています。

出丸から主郭までは、さらに尾根伝いに登る必要があり、途中には複数の曲輪跡を確認することができます。登城道は戦国時代の大手道(正面入口の道)をほぼ踏襲していると考えられています。

常山女軍墓碑|鶴姫と34柱の石碑

女軍の墓の由来

常山城跡の山頂付近には、「女軍の墓」と呼ばれる墓所があります。これは天正3年の常山合戦で討ち死にした鶴姫とその侍女たち34人を祀るものです。

鶴姫その他34人の女軍がこれに応戦し、華々しくも最期をとげたという伝承に基づき、34柱の石碑が今も深い草露の中に静かに佇んでいます。これらの石碑は江戸時代に地域の人々によって建立されたと伝えられています。

鶴姫の伝説

鶴姫は上野隆徳の妻として、夫とともに常山城に暮らしていました。隆徳が討ち死にした後、鶴姫は「女の身でありながら城を守る」という決意のもと、城内の女性たちを集めて武装させました。

伝承によれば、鶴姫は薙刀を手に先頭に立ち、毛利方の武将・乃美宗勝に一騎討ちを挑んだとされています。最終的には多勢に無勢で討たれましたが、その勇敢さは敵方の武将たちにも深い感銘を与えたと言われています。

墓所の現状と参拝

現在、女軍の墓は常山城跡の重要な見所の一つとなっています。34基の石碑は風化が進んでいますが、地域の人々によって大切に守られています。

毎年、地域の有志によって慰霊祭が行われており、鶴姫と女軍の勇気を偲ぶ行事が続けられています。墓所周辺は整備されており、訪れる人が静かに参拝できるようになっています。

石碑には個々の名前は刻まれていませんが、それぞれが鶴姫とともに戦った女性たちを象徴しており、戦国時代の悲劇を今に伝える貴重な史跡となっています。

常山城跡の発掘調査と出土品

岡山県教育委員会による発掘調査

常山城跡では、昭和55年(1980年)に岡山県教育委員会による本格的な発掘調査が実施されました。この調査結果は『岡山県埋蔵文化財報告』第10集として刊行されており、常山城の構造や年代を知る上で重要な資料となっています。

調査では、曲輪の配置、堀切の構造、石垣の築造方法などが明らかにされました。また、複数の時期にわたって城が改修・拡張されてきたことも確認されています。

主な出土品

発掘調査では、戦国時代の生活を物語る様々な遺物が出土しています:

  • : 建物に使用されていた瓦の破片が出土しており、一部の建物には瓦葺きの屋根が用いられていたことが分かります
  • 備前焼: 日常生活に使われた備前焼の甕や壺、皿などが多数出土しています
  • 鉄製品: 刀剣の破片、鏃(やじり)、釘などの鉄製品が確認されています
  • 陶磁器: 中国製の青磁や白磁の破片も出土しており、城主の経済力の高さを示しています

これらの出土品は、岡山県古代吉備文化財センターおよび玉野市教育委員会で保管されており、一部は展示公開されています。

調査で明らかになった城の変遷

発掘調査により、常山城は少なくとも3つの時期に分けられることが明らかになりました:

  1. 第1期(15世紀末〜16世紀前半): 上野氏による初期の築城期。比較的小規模な山城
  2. 第2期(16世紀中頃〜1575年): 上野氏による拡張期。十四の曲輪を持つ大規模城郭へ発展
  3. 第3期(1575年以降): 毛利氏による改修期。石垣の構築など近世的要素の導入

この変遷は、戦国時代の山城が時代とともに大規模化・複雑化していく過程を示す好例となっています。

アクセス情報|常山城跡への行き方

所在地

岡山県岡山市南区迫川および玉野市宇藤木・用吉・木目

常山城跡は岡山市と玉野市の市境に位置しているため、両市にまたがっています。主な登山口は岡山市側にあります。

公共交通機関でのアクセス

JR宇野線「常山駅」から:

  • 常山駅から徒歩約40分(登山口まで)
  • 登山口から山頂まで徒歩約20〜30分

公共交通機関を利用する場合、常山駅が最寄駅となります。ただし、駅から登山口までやや距離があるため、タクシーの利用も検討すると良いでしょう。

自動車でのアクセス

岡山市街地から:

  • 国道30号線を南下し、県道21号線(岡山児島線)経由で約30分
  • カーナビ設定: 「常山城跡」または「岡山市南区迫川」で検索

瀬戸中央自動車道から:

  • 児島ICから県道21号線経由で約15分

駐車場

登山口付近に数台分の駐車スペースがあります。ただし、舗装されていない場所もあるため、注意が必要です。休日や見学者が多い時期は満車になることもあるため、早めの到着をおすすめします。

登山時の注意事項

  • 所要時間: 登山口から山頂まで片道約20〜30分、往復で1時間程度を見込んでください
  • 服装: 山道を歩くため、運動靴やトレッキングシューズが推奨されます
  • 持ち物: 飲み物、タオル、虫除けスプレー(夏季)を持参すると良いでしょう
  • 季節: 春と秋が登山に適しています。夏は暑さ対策、冬は防寒対策が必要です
  • 営業時間: 特に制限はありませんが、日没前の下山を心がけてください

登山道は比較的整備されていますが、急な坂道や滑りやすい箇所もあるため、注意して登ってください。

常山城跡の見学ポイント

主郭(本丸)跡

山頂の主郭跡は、常山城跡で最も重要な見学ポイントです。平坦に整地された曲輪の跡が明瞭に残っており、周囲の土塁や切岸も確認できます。ここに立つと、城主が眺めたであろう360度のパノラマが広がります。

堀切と土塁

主郭の前後に設けられた堀切は、戦国時代の防御施設を実感できる遺構です。深さ3メートル以上の空堀が尾根を断ち切っており、当時の築城技術の高さを物語っています。土塁とセットで観察すると、城の防御システムがよく理解できます。

女軍の墓

34基の石碑が並ぶ女軍の墓は、常山城の歴史を象徴する場所です。静かな森の中に佇む石碑群は、戦国の悲劇を今に伝えています。鶴姫と侍女たちの勇気を偲びながら、ゆっくりと参拝してください。

眺望

山頂からの眺望は素晴らしく、晴れた日には岡山平野、瀬戸内海、四国の讃岐山脈まで見渡すことができます。この眺望こそが、常山が軍事拠点として選ばれた理由を物語っています。

常山城跡周辺の観光スポット

岡山市南区の見所

児島湾締切堤防: 明治時代の大規模土木工事の遺産で、常山城跡から車で約15分の距離にあります。

灘崎町の海岸: 瀬戸内海の美しい景色を楽しめるエリアで、海水浴や釣りも楽しめます。

玉野市の観光地

渋川海岸: 「日本の渚百選」にも選ばれた美しい海岸で、常山城跡から車で約20分です。

王子が岳: 瀬戸内海国立公園の一部で、奇岩と絶景が楽しめる観光地です。

深山公園: 四季折々の花が楽しめる広大な公園で、家族連れにも人気のスポットです。

常山城跡の文化財指定と保存活動

史跡指定の経緯

常山城跡は、平成22年(2010年)7月27日に岡山市指定史跡として正式に指定されました。また、玉野市側の部分も玉野市指定史跡となっており、両市による保護が行われています。

指定理由としては、以下の点が評価されています:

  • 「常山合戦」の舞台として歴史的価値が高い
  • 曲輪の段築構造や石垣などの遺構が良好に残されている
  • この地域の戦国史を考える上で重要な遺跡である
  • 近世城郭への変遷過程を示す貴重な事例である

保存活動と整備

地域の有志や歴史愛好家による保存活動が続けられており、定期的な草刈りや登山道の整備が行われています。また、案内看板の設置や説明板の更新など、訪問者への情報提供も充実してきています。

岡山市教育委員会と玉野市教育委員会は連携して、城跡の保存管理計画を策定しており、将来的にはさらなる整備や活用が計画されています。

今後の課題

常山城跡の保存と活用には、いくつかの課題も残されています:

  • 遺構の風化・崩落への対策
  • 樹木の成長による遺構への影響
  • 見学者の安全確保
  • 観光資源としての効果的な活用

これらの課題に対して、行政と地域が協力しながら取り組んでいく必要があります。

常山城を訪れる前に知っておきたい基本情報

見学時の基本情報

  • 入場料: 無料
  • 見学時間: 制限なし(ただし日没前の下山推奨)
  • 休業日: なし
  • 所要時間: 登山と見学で約1.5〜2時間
  • トイレ: 登山口付近にはありません。事前に済ませておくことをおすすめします
  • 売店: ありません。飲み物等は事前に用意してください

問い合わせ先

岡山市教育委員会文化財課

  • 電話: 086-803-1611

玉野市教育委員会社会教育課

  • 電話: 0863-32-5577

城跡の現状や見学に関する詳細は、上記へお問い合わせください。

参考文献

常山城についてさらに詳しく知りたい方は、以下の文献を参照してください:

  1. 岡山県教育委員会『常山城跡発掘調査報告』『岡山県埋蔵文化財報告』第10集、1980年
  2. 岡山市教育委員会『岡山市の文化財』
  3. 玉野市史編さん委員会『玉野市史』
  4. 『日本城郭大系』第13巻(広島・岡山)
  5. 平井上総『戦国の山城を極める』

これらの文献は、岡山県立図書館や岡山市立図書館、玉野市立図書館などで閲覧することができます。

まとめ|常山城跡の魅力と価値

常山城跡は、岡山県を代表する戦国時代の山城として、多くの魅力を持つ史跡です。十四の曲輪からなる連郭式山城としての構造、良好に残された堀切や土塁などの遺構、そして何より「常山女軍の戦い」という歴史的ドラマが、この城跡の価値を高めています。

標高300メートルの山頂から望む瀬戸内海の絶景は、戦国時代の城主たちが見た景色を追体験させてくれます。鶴姫と34人の女軍が最期を遂げた地に立つと、戦国時代の緊迫した空気を感じることができるでしょう。

岡山市と玉野市にまたがるこの史跡は、両市の貴重な文化遺産として、また地域の歴史を学ぶ教材として、今後も大切に保存されていくべき場所です。歴史愛好家だけでなく、ハイキングや自然散策を楽しむ人々にとっても、訪れる価値のある場所と言えるでしょう。

戦国時代の息吹を感じながら、美しい瀬戸内の景色を楽しむ——常山城跡は、そんな贅沢な時間を過ごせる特別な場所です。ぜひ一度、この歴史ロマンあふれる山城を訪れてみてください。

地図

Google マップで開く

Google マップで開く

近隣の城郭