北方城(岐阜県)

北方城(岐阜県)
所在地 〒501-0431 岐阜県本巣郡北方町北方249

北方城(岐阜県)完全ガイド:西美濃三人衆・安藤守就の居城の歴史と見どころ

北方城(きたがたじょう)は、岐阜県本巣郡北方町に存在した戦国時代の平城です。西美濃三人衆の一人として織田信長に仕えた安藤守就の居城として知られ、美濃国の政治・軍事の要衝として重要な役割を果たしました。現在は岐阜県指定史跡となっており、大井神社周辺にその痕跡を残しています。

北方城の歴史

築城と伊賀氏の時代

北方城は明応年間(1492年~1501年)に伊賀太郎左衛門光就によって築城されたと伝えられています。当時の美濃国は守護職である土岐氏の支配下にあり、北方城は美濃国席田郡の重要拠点として機能しました。

伊賀氏は代々この地を治め、地域の豪族として勢力を拡大していきました。平城という形態は、この地域が平野部に位置し、交通の要衝であったことを示しています。揖斐川と根尾川に挟まれた地形は、水運を利用した物資輸送や防御に適していました。

安藤守就と西美濃三人衆

北方城が歴史の表舞台に登場するのは、安藤守就(もりなり、1513年~1582年)が城主となってからです。伊賀氏の4代後の当主が安藤氏に改姓し、守就は美濃守護職土岐氏の重臣として活躍しました。

守就は稲葉良通(一鉄)、氏家直元(卜全)とともに「西美濃三人衆」と呼ばれ、美濃国西部の実力者として知られました。この三人衆は美濃国の政治情勢を左右する存在であり、特に斎藤道三とその子・斎藤義龍の時代には重要な役割を果たしました。

織田信長への臣従

1567年(永禄10年)、織田信長が美濃国を攻略すると、安藤守就をはじめとする西美濃三人衆は信長に臣従しました。守就は信長の家臣として各地を転戦し、その武功により所領を安堵されました。

北方城は信長の美濃支配における重要拠点の一つとして位置づけられ、守就は岐阜城(当時は稲葉山城)を本拠とする信長の西美濃における代理人的な役割を担いました。

武田勝頼への内通と追放

天正3年(1575年)、安藤守就の運命は大きく変わります。長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田勝頼を破った後、守就は武田勝頼への内通を疑われました。この疑惑により、守就は織田信長から追放され、北方城を追われることになります。

内通の真偽については諸説ありますが、西美濃三人衆の一人として大きな勢力を持っていた守就を、信長が警戒した可能性も指摘されています。追放後の守就は各地を転々とし、再起の機会を窺うことになります。

本能寺の変後の挙兵と北方合戦

天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれると、安藤守就は再起のチャンスと捉え挙兵しました。守就は北方城へ戻り、旧領の回復を図ります。

しかし、同じ西美濃三人衆であった稲葉一鉄(良通)とその子・稲葉貞通は、守就の挙兵を許しませんでした。稲葉父子は北方城を攻撃し、激しい戦闘が展開されます。この戦いは「北方合戦」として知られています。

結果的に北方城は落城し、安藤守就は討死しました。享年70歳でした。この北方合戦により、北方城は廃城となり、戦国時代の城としての役割を終えることになります。

江戸時代の北方陣屋

江戸時代に入ると、この地には北方陣屋が設置されました。寛文9年(1669年)、戸田光賢によって陣屋が築かれ、旗本領の拠点として機能しました。北方陣屋は戦国時代の北方城とは異なる性格の施設でしたが、同じ場所に設けられたことで、この地の重要性が継続していたことがわかります。

北方城の構造と規模

城郭の配置

北方城は典型的な平城として築かれました。現在の大井神社東側を西北の隅として、東西約160メートル、南北約340メートルの範囲が北方城址と推定されています。

城の中心部である本丸は、現在の北方城跡の石碑と説明板がある場所の周辺にあったと考えられています。この本丸を中心に、二の丸、三の丸などが配置されていたと推測されますが、現在では詳細な遺構は失われています。

平城としての特徴

北方城が平城として築かれた理由は、この地域の地形と戦略的位置にあります。揖斐川と根尾川に挟まれた平野部に位置し、水堀を巡らせることで防御力を高めることができました。

平城は山城に比べて防御力では劣りますが、領地経営や物資の集積、交通の要衝としての機能では優れています。安藤氏が西美濃の実力者として活動するには、このような平城が適していました。

堀と土塁

戦国時代の北方城には、複数の堀が巡らされていたと考えられています。揖斐川や根尾川の水を引き込んだ水堀が城を囲み、敵の侵入を防いでいました。また、土塁も築かれており、堀と土塁の組み合わせで防御ラインを形成していました。

現在ではこれらの遺構はほとんど残っていませんが、周辺の地形や古地図から当時の城の姿を想像することができます。

北方城跡の現状と見どころ

岐阜県指定史跡

北方城跡は昭和48年(1973年)に岐阜県指定史跡に指定されました。これは北方城が岐阜県の歴史において重要な位置を占めていることを示しています。

現在、城跡には石碑と説明板が設置されており、訪問者に北方城の歴史を伝えています。説明板には城の歴史や安藤守就についての情報が記載されており、戦国時代の北方城の姿を知ることができます。

大井神社周辺

北方城の中心部は、現在の大井神社南東一帯に所在していました。大井神社は北方町の氏神として地域の人々に親しまれており、神社の境内や周辺を歩くことで、かつての城の雰囲気を感じることができます。

大井神社の東側を西北の隅として城域が広がっていたとされ、神社周辺を散策することで、当時の城の規模を実感できます。

安藤守就戦死の地

北方城跡とは別に、安藤守就が戦死した場所も伝承として残されています。名鉄揖斐線(現在は廃線)の北方東口駅から西へ線路に沿って徒歩5分の場所にあるとされ、守就最期の地として地元では語り継がれています。

守就は北方合戦で稲葉軍と戦い、70歳という高齢ながら最後まで戦い抜いたと伝えられています。この戦死の地は、守就の武人としての生き様を今に伝える場所となっています。

城メモ(見どころポイント)

北方城跡を訪れる際の見どころポイントをまとめます:

  1. 石碑と説明板:本丸の一部と考えられる場所に設置されており、北方城の歴史を詳しく知ることができます。
  1. 大井神社:城域の西北隅に位置し、かつての城の雰囲気を感じられる場所です。
  1. 周辺の地形:揖斐川と根尾川に挟まれた平野部という地形を観察することで、平城としての北方城の立地条件を理解できます。
  1. 北方町の街並み:城下町として発展した北方町の街並みは、当時の面影を部分的に残しています。

アクセスと訪問情報

公共交通機関でのアクセス

北方城跡へは公共交通機関を利用してアクセスできます。かつては名鉄揖斐線の北方東口駅が最寄り駅でしたが、現在は廃線となっています。

現在は以下の方法でアクセスできます:

  • JR岐阜駅または名鉄岐阜駅から岐阜バスを利用し、「北方町役場前」または「北方バスターミナル」下車、徒歩約5分
  • JR穂積駅からタクシーで約10分

自動車でのアクセス

自動車でのアクセスも便利です:

  • 東海環状自動車道・大野神戸ICから約15分
  • 名神高速道路・岐阜羽島ICから約25分

駐車場は大井神社の参拝者用駐車場を利用できますが、台数に限りがあるため、公共交通機関の利用も検討してください。

見学時間と料金

北方城跡は屋外の史跡であり、見学は自由です。料金はかかりません。見学時間は平均で15~20分程度ですが、周辺の史跡や北方町の街並みを含めて散策すると、1時間程度の滞在がおすすめです。

訪問時の注意点

  • 城跡は住宅地の中にあるため、周辺住民の迷惑にならないよう配慮してください
  • 説明板や石碑の撮影は可能ですが、私有地への立ち入りは避けてください
  • 夏季は日差しが強いため、帽子や日傘の持参をおすすめします
  • 雨天時は足元が滑りやすくなる場所もあるため、注意が必要です

周辺の観光スポット

岐阜城(稲葉山城)

北方城から南東約8キロメートルの位置にある岐阜城は、織田信長が美濃国を支配した際の本拠地です。安藤守就が信長に臣従した後、この岐阜城を中心とした信長の支配体制に組み込まれました。

金華山山頂に築かれた山城で、現在は復元天守があり、展望台からは濃尾平野を一望できます。北方城との関係性を理解する上でも、ぜひ訪れたい場所です。

墨俣一夜城(墨俣城)

北方城から南西約6キロメートルの位置にある墨俣城は、織田信長が美濃攻略の拠点として築いたとされる城です。豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)が一夜で築いたという伝説で知られています。

現在は歴史資料館として整備されており、美濃国の戦国時代について学ぶことができます。

大垣城

北方城から西約10キロメートルの位置にある大垣城は、関ヶ原の戦いで西軍の拠点となった城です。西美濃の中心的な城郭として、北方城とも深い関わりがありました。

現在は復元天守があり、大垣市の歴史や関ヶ原の戦いについての展示が充実しています。

北方町歴史民俗資料館

北方城跡から徒歩圏内にある北方町歴史民俗資料館では、北方町の歴史や文化について学ぶことができます。北方城や安藤守就に関する資料も展示されており、城跡訪問の前後に立ち寄ることで、より深い理解が得られます。

西美濃三人衆と北方城

西美濃三人衆とは

西美濃三人衆は、美濃国西部で勢力を持った三人の武将、安藤守就、稲葉良通(一鉄)、氏家直元(卜全)を指します。この三人は美濃守護職土岐氏の重臣として活動し、後に斎藤道三、斎藤義龍に仕えました。

三人衆は単独でも強力な勢力でしたが、協力することで美濃国西部の政治・軍事を左右する存在となりました。織田信長の美濃攻略においても、この三人衆の動向が重要な鍵を握っていました。

安藤守就の人物像

安藤守就は1513年に生まれ、1582年に69歳(または70歳)で戦死しました。西美濃三人衆の中でも特に武勇に優れ、数々の戦いで功績を上げました。

守就の性格については、忠義心が強い一方で、時に独断的な行動を取ることもあったと伝えられています。武田勝頼への内通疑惑についても、実際には内通していなかったという説もあり、信長の誤解または政治的な判断により追放されたとする見方もあります。

本能寺の変後の挙兵は、守就にとって名誉回復の最後のチャンスでした。しかし、かつての同僚であった稲葉一鉄・貞通父子との戦いで敗れ、70歳という高齢で戦死したことは、武人としての生き様を示すものとして語り継がれています。

稲葉良通(一鉄)との関係

稲葉良通(一鉄)は西美濃三人衆の一人として、安藤守就とは長年の同僚関係にありました。しかし、守就が武田勝頼への内通疑惑で追放された後、両者の関係は決定的に悪化しました。

本能寺の変後の北方合戦では、一鉄とその子・貞通が守就を攻撃し、最終的に守就を討ち取りました。この戦いは、かつての同僚同士が敵味方に分かれて戦うという、戦国時代の悲劇的な側面を象徴する出来事となりました。

北方城の歴史的意義

美濃国における位置づけ

北方城は美濃国西部の重要拠点として、戦国時代を通じて重要な役割を果たしました。揖斐川と根尾川に挟まれた交通の要衝に位置し、物資の集積地としても機能していました。

西美濃三人衆の一人である安藤守就の居城として、この城は美濃国の政治・軍事情勢に大きな影響を与えました。織田信長の美濃支配においても、北方城は西美濃統治の重要拠点の一つでした。

平城研究における価値

北方城は戦国時代の平城として、城郭研究においても重要な位置を占めています。山城が主流であった戦国時代において、平城は領地経営と防御のバランスを取った城郭形態であり、北方城はその典型例の一つです。

水堀を利用した防御システムや、城下町との一体的な構造など、平城特有の特徴を持っていたと考えられており、今後の発掘調査や研究によって、さらに詳しい城の姿が明らかになることが期待されています。

地域史における重要性

北方町にとって、北方城は地域のアイデンティティを形成する重要な歴史遺産です。安藤守就という著名な武将の居城であったことは、町の誇りとして受け継がれています。

岐阜県指定史跡としての保存・活用は、地域の歴史教育や観光振興にも貢献しており、北方町の歴史を語る上で欠かせない要素となっています。

北方城を訪れる際のモデルコース

半日コース(約3時間)

  1. 北方町役場前バス停到着(9:00)
  2. 北方城跡見学(9:10~9:40)- 石碑、説明板、周辺散策
  3. 大井神社参拝(9:40~10:00)
  4. 安藤守就戦死の地訪問(10:10~10:30)
  5. 北方町歴史民俗資料館見学(10:40~11:40)
  6. 北方町内で昼食(11:50~)

一日コース(周辺の城郭も含む)

  1. 北方城跡見学(9:00~10:00)
  2. 北方町歴史民俗資料館(10:10~11:10)
  3. 昼食(11:30~12:30)
  4. 墨俣一夜城へ移動・見学(13:00~14:30)
  5. 岐阜城へ移動・見学(15:00~17:00)

このコースでは、北方城を起点に美濃国の主要な城郭を巡ることができ、織田信長の美濃攻略と支配の歴史を体感できます。

まとめ

北方城は、西美濃三人衆の一人・安藤守就の居城として、戦国時代の美濃国で重要な役割を果たした平城です。明応年間の築城から天正10年の落城まで、約90年間にわたって美濃国西部の政治・軍事の中心地の一つでした。

現在は岐阜県指定史跡として保存されており、大井神社周辺に石碑と説明板が設置されています。遺構はほとんど残っていませんが、周辺の地形や歴史的背景を知ることで、当時の城の姿を想像することができます。

織田信長の美濃支配、本能寺の変後の混乱、そして北方合戦での落城という劇的な歴史を持つ北方城は、戦国時代の美濃国を理解する上で欠かせない史跡です。岐阜県を訪れる際には、ぜひ北方城跡に足を運び、安藤守就と西美濃三人衆の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

岐阜城や墨俣城などの周辺の城郭と合わせて訪問することで、織田信長の美濃攻略の全体像をより深く理解することができるでしょう。北方城跡は規模こそ小さいですが、戦国時代の歴史を肌で感じられる貴重な場所として、城郭ファンや歴史愛好家に訪れていただきたい史跡です。

地図

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