東林寺城(茨城県牛久市)

東林寺城(茨城県牛久市)
所在地 〒300-1225 茨城県牛久市新地町300 1225

東林寺城(茨城県牛久市)完全ガイド:岡見氏の平山城の歴史と遺構を徹底解説

東林寺城とは

東林寺城(とうりんじじょう)は、茨城県牛久市新地町149に所在する戦国時代の平山城です。牛久城を本拠地として勢力を張った岡見氏によって築かれた城で、牛久城の支城として重要な役割を果たしました。城の規模は南北約150メートル、東西約70メートルに及び、牛久沼周辺の城郭群の中でも特に保存状態の良い遺構を残しています。

現在も城内最大規模の堀や土塁、曲輪などの遺構が良好に残されており、戦国時代の城郭構造を学ぶ上で貴重な史跡となっています。茨城県内の中世城郭の典型例として、城郭研究者からも注目される存在です。

東林寺城の基本情報

所在地
茨城県牛久市新地町149

旧国名
常陸国

分類・構造
平山城

築城主
岡見氏

築城年代
永禄年間(1558年~1570年)頃と推定

主な城主
岡見氏、後に近藤氏

遺構
空堀、土塁、曲輪、馬出

アクセス
JR常磐線牛久駅からコミュニティバスで「三日月橋生涯学習センター」下車、徒歩約5分

概要

東林寺城は、牛久沼の南岸に位置する台地上に築かれた平山城です。牛久城を拠点とした岡見氏が、勢力拡大と防衛強化のために築いたと考えられています。城の立地は、牛久沼という天然の要害を背後に控え、周辺の平野部を見渡せる戦略的要衝でした。

城郭の地積は大きく、南北150メートル、東西70メートルの規模を有しており、複数の曲輪と深い空堀で構成される堅固な防御システムを備えていました。特に三ノ曲輪の手前には城内最大規模の堀が設けられており、その深さと幅は訪れる者を圧倒します。

岡見氏は牛久城を中心に、東林寺城、小坂城などの支城網を形成し、常陸国南部における勢力基盤を固めました。東林寺城はその支城網の中でも重要な位置を占め、後北条氏との同盟関係においても拠点として機能したと推定されています。

歴史・沿革

築城の背景

東林寺城の築城年代は明確な史料が残されていませんが、永禄年間(1558年~1570年)頃に岡見氏によって築かれたと考えられています。この時期は戦国時代の真っ只中で、常陸国では佐竹氏が勢力を拡大しつつあり、南部の豪族たちは生き残りをかけた抗争を繰り広げていました。

岡見氏は牛久沼周辺を本拠地とする在地豪族で、牛久城を中心に複数の支城を築いて勢力圏を形成していました。東林寺城はその支城網の一角として、牛久城の防衛と周辺地域の支配を強化する目的で築城されたと推測されます。

岡見氏の時代

岡見氏は常陸国南部の有力豪族として、牛久城を本拠地に勢力を張っていました。戦国時代中期から後期にかけて、岡見氏は後北条氏と同盟関係を結び、北関東における後北条氏の勢力拡大に協力しました。

東林寺城は牛久城同様、岡見氏及び後北条氏方の拠点として用いられたものと考えられています。後北条氏の関東支配戦略において、常陸国南部は重要な位置を占めており、岡見氏の城郭群はその最前線基地としての役割を担いました。

天正年間(1573年~1592年)に入ると、豊臣秀吉による天下統一の動きが加速します。天正18年(1590年)の小田原征伐において後北条氏が滅亡すると、岡見氏もその影響を受けることになります。

近藤氏の時代と廃城

後北条氏滅亡後、この地域は徳川家康の支配下に入りました。東林寺城は近藤氏の所領となったとされていますが、詳細な経緯は不明な点が多く残されています。

江戸時代に入ると、東林寺城は軍事拠点としての役割を失い、廃城となったと考えられます。平和な時代において、山城や平山城は維持管理が困難であり、多くの中世城郭が同様の運命をたどりました。

構造

縄張りの特徴

東林寺城は台地の地形を巧みに利用した平山城で、複数の曲輪を配置した連郭式の縄張りを持っています。城域は南北約150メートル、東西約70メートルの長方形に近い形状で、主郭を中心に二ノ曲輪、三ノ曲輪が連なる構造となっています。

城の防御は深い空堀と高い土塁によって強化されており、特に三ノ曲輪の手前に設けられた堀は城内最大規模を誇ります。この堀の深さは現在でも5メートル以上あり、築城当時はさらに深かったと推定されます。

主要な遺構

主郭(本曲輪)
城の中心部に位置する主郭は、最も標高の高い場所に設けられています。周囲を土塁で囲まれており、城主の居館や重要施設が置かれていたと考えられます。現在も土塁の一部が良好に残されています。

二ノ曲輪
主郭に隣接する二ノ曲輪は、主郭を防御する役割を担っていました。主郭との間には堀切が設けられ、敵の侵入を阻む構造となっています。

三ノ曲輪
城の外郭部分を構成する三ノ曲輪は、最も広い面積を持つ曲輪です。この曲輪の手前には城内最大規模の空堀が設けられており、東林寺城の見どころの一つとなっています。

空堀
東林寺城の最大の特徴は、深く大規模な空堀です。特に三ノ曲輪の手前の堀は、幅約10メートル、深さ5メートル以上の規模を持ち、訪れる者を圧倒します。堀の底から土塁の上までの高低差は10メートル近くに達する箇所もあり、戦国時代の城郭技術の高さを示しています。

空堀は単なる溝ではなく、敵の進軍を遅らせ、弓矢や鉄砲での攻撃を容易にするための軍事施設でした。堀の形状は箱堀と呼ばれるタイプで、底が平らになっており、敵が堀の中で身動きが取れなくなるよう設計されています。

土塁
曲輪の周囲には土塁が巡らされており、現在も高さ2~3メートルの土塁が各所に残されています。土塁の上には柵や塀が設けられていたと推定され、城の防御力を高めていました。

馬出
城の出入口には馬出と呼ばれる防御施設が設けられていた痕跡があります。馬出は城門の前に設けられた小さな曲輪で、敵の直接攻撃を防ぎ、味方の出撃を容易にする役割を果たしました。

防御システム

東林寺城の防御システムは、深い空堀と高い土塁の組み合わせを基本としています。曲輪間は堀切で区切られ、各曲輪が独立した防御拠点として機能する構造になっています。

城への進入路は限定されており、敵は必ず深い堀を越えなければなりませんでした。堀を越えようとする敵に対しては、土塁の上から弓矢や石、鉄砲で攻撃することができ、効果的な防御が可能でした。

また、曲輪の配置は連郭式となっており、一つの曲輪が突破されても次の曲輪で防御できる多重防御の思想が取り入れられています。この構造は戦国時代後期の城郭に見られる特徴で、東林寺城が比較的新しい時期に築かれたことを示唆しています。

遺構

現存する遺構

東林寺城の遺構は、茨城県内の中世城郭の中でも保存状態が良好です。主な遺構として以下のものが現存しています。

空堀
城内最大規模の空堀は、三ノ曲輪の手前に位置し、現在も深さ5メートル以上、幅約10メートルの規模を保っています。堀の法面(斜面)は急勾配で、登ることが困難な構造となっています。この堀は城跡を訪れる際の最大の見どころで、戦国時代の城郭技術を体感できる貴重な遺構です。

その他にも、曲輪間を区切る堀切や、城の周囲を巡る空堀の痕跡が複数確認できます。これらの堀は一部が埋まっているものの、その規模と配置から城の防御システムを理解することができます。

土塁
各曲輪の周囲には土塁が巡らされており、高さ2~3メートルの土塁が良好に残されています。土塁の上を歩くことで、城の構造や周囲の地形を把握することができます。

主郭の土塁は特に保存状態が良く、築城当時の姿をよく留めています。土塁の断面を観察すると、版築(はんちく)と呼ばれる技法で土を固めて築かれていることがわかります。

曲輪
主郭、二ノ曲輪、三ノ曲輪の各曲輪は、現在も平坦面として明瞭に確認できます。曲輪の広さや配置から、城の規模と構造を理解することができます。

主郭は約30メートル四方の広さがあり、城主の居館や重要施設が置かれていたと推定されます。二ノ曲輪と三ノ曲輪は主郭を守る防御施設としての役割を担っていました。

馬出の痕跡
城の出入口付近には、馬出と思われる小規模な曲輪の痕跡が確認できます。馬出は戦国時代後期の城郭に特徴的な防御施設で、東林寺城が比較的新しい時期の築城技術を取り入れていたことを示しています。

遺構の保存状態

東林寺城の遺構は、廃城後も大規模な開発を免れたため、比較的良好な状態で保存されています。特に空堀と土塁は明瞭に残されており、城郭研究の貴重な資料となっています。

一部の曲輪は畑地や山林として利用されており、地形の改変も見られますが、城の基本的な構造は損なわれていません。近年は地元の保存会による整備活動も行われており、見学しやすい環境が整えられつつあります。

考古資料

発掘調査と出土品

東林寺城では、これまでに本格的な発掘調査は実施されていませんが、表面採集や小規模な調査により、いくつかの遺物が確認されています。

出土した遺物には、戦国時代の陶磁器片、土器片、瓦片などがあります。これらの遺物から、城が16世紀後半から17世紀初頭にかけて使用されていたことが裏付けられています。

特に注目されるのは、常滑焼や瀬戸焼などの陶器片です。これらは当時の高級品であり、城主の経済力や交易ネットワークを示す貴重な資料となっています。

文献史料

東林寺城に関する文献史料は限られていますが、岡見氏や牛久城に関する史料から、間接的に城の歴史を知ることができます。

「関八州古戦録」や「常陸誌料」などの地誌には、岡見氏の勢力範囲や後北条氏との関係について記述があり、東林寺城の歴史的背景を理解する上で重要な情報を提供しています。

また、江戸時代の地誌である「新編常陸国誌」には、牛久周辺の城郭について記述があり、東林寺城の存在も言及されています。

通称・別名

東林寺城は、正式名称以外に特定の別名は確認されていません。地元では単に「城跡」や「東林寺の城」と呼ばれることもあります。

城名の由来は、近くに東林寺という寺院があったことに因むと考えられていますが、この寺院の詳細や城との関係については不明な点が多く残されています。

周辺の城郭と関連史跡

牛久城

東林寺城から北東約1.4キロメートルの位置にある牛久城は、岡見氏の本拠地でした。牛久城は牛久沼に突き出た台地上に築かれた大規模な平山城で、東林寺城とは密接な関係にありました。

牛久城も良好な遺構を残しており、東林寺城とセットで訪れることで、岡見氏の城郭ネットワークを理解することができます。

小坂城

東林寺城から南西約7.0キロメートルの位置にある小坂城も、岡見氏の支城の一つと考えられています。小坂城は規模こそ小さいものの、戦略的要地に位置しており、岡見氏の勢力圏を示す重要な城郭です。

馴馬城

東林寺城から南東約6.8キロメートルの位置にある馴馬城(なれうまじょう)は、龍ケ崎市に所在する中世城郭です。この城も牛久沼周辺の城郭ネットワークの一角を占めており、地域の歴史を理解する上で重要です。

観音寺館・久野城・正直城・遠山城

牛久市内には、東林寺城以外にも観音寺館、久野城、正直城、遠山城など、多くの中世城郭が存在しています。これらの城郭は、戦国時代の常陸国南部における複雑な勢力関係を物語っています。

東林寺城の見どころと訪問ガイド

城内最大規模の堀

東林寺城を訪れたら、必ず見ておきたいのが三ノ曲輪の手前にある城内最大規模の堀です。深さ5メートル以上、幅約10メートルのこの堀は、戦国時代の城郭技術の高さを実感できる圧巻の遺構です。

堀の底に降りて見上げると、土塁の高さと堀の深さの組み合わせによる防御力の高さを体感できます。堀の法面は急勾配で、敵兵が登ることの困難さが理解できます。

土塁の上からの眺望

主郭の土塁の上に立つと、周囲の地形を見渡すことができます。牛久沼方面や周辺の平野部を眺めることで、城の立地の戦略性を理解することができます。

晴れた日には、遠くの山々まで見渡せ、城主がこの場所から領地を見守っていた様子を想像することができます。

曲輪の構造

主郭、二ノ曲輪、三ノ曲輪と連なる曲輪の配置を観察することで、連郭式城郭の構造を学ぶことができます。各曲輪間の堀切や土塁の配置から、多重防御の思想を読み取ることができます。

アクセスと見学の注意点

JR常磐線牛久駅からコミュニティバスで「三日月橋生涯学習センター」下車、徒歩約5分でアクセスできます。車の場合は、近隣の公共施設の駐車場を利用することになります。

城跡は基本的に自由に見学できますが、一部は私有地となっているため、立ち入り禁止の場所には入らないよう注意が必要です。また、堀は深く、足を滑らせると危険なため、見学の際は十分注意してください。

歩きやすい靴と、夏場は虫除けスプレーを持参することをおすすめします。雨天時や雨上がりは足元が滑りやすくなるため、避けた方が無難です。

東林寺城の歴史的価値

東林寺城は、茨城県内の中世城郭の中でも特に保存状態の良い遺構を残す重要な史跡です。城内最大規模の堀や土塁、曲輪などの遺構は、戦国時代の城郭技術を今に伝える貴重な資料となっています。

岡見氏の勢力圏を示す城郭として、また後北条氏の関東支配戦略における拠点として、東林寺城は地域史研究において重要な位置を占めています。牛久城を中心とした城郭ネットワークの一角として、戦国時代の常陸国南部の政治・軍事状況を理解する上で欠かせない存在です。

今後、本格的な発掘調査が実施されれば、さらに多くの歴史的事実が明らかになる可能性があります。地元の保存会による整備活動も進められており、歴史遺産としての価値がより広く認識されることが期待されます。

まとめ

東林寺城は、茨城県牛久市新地町に所在する岡見氏が築いた平山城です。南北150メートル、東西70メートルの規模を持ち、城内最大規模の堀や土塁、曲輪などの遺構が良好に保存されています。

永禄年間頃に築かれたと推定されるこの城は、牛久城の支城として岡見氏の勢力基盤を支え、後北条氏との同盟関係においても重要な拠点として機能しました。天正18年の後北条氏滅亡後は近藤氏の所領となり、江戸時代に入って廃城となったと考えられています。

現在も深い空堀と高い土塁が明瞭に残されており、戦国時代の城郭技術を体感できる貴重な史跡となっています。牛久駅からアクセスしやすく、城郭ファンや歴史愛好家にとって訪れる価値のある場所です。

牛久城や小坂城など周辺の城郭とともに訪れることで、戦国時代の常陸国南部における岡見氏の勢力と、複雑な地域情勢をより深く理解することができるでしょう。

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