守谷城(茨城県)

守谷城(茨城県)
所在地 〒302-0109 茨城県守谷市本町932−49

守谷城(茨城県)完全ガイド|平将門伝説と相馬氏居城の歴史・遺構・アクセス情報

茨城県守谷市に位置する守谷城は、中世から近世初頭にかけて下総国の要衝として機能した城郭です。つくばエクスプレス守谷駅から徒歩20分という好立地にありながら、良好な遺構が残る守谷城址公園として整備され、歴史愛好家や城郭ファンに親しまれています。

本記事では、守谷城の築城から廃城に至る歴史、現存する遺構の詳細、アクセス方法、周辺の見どころまで、守谷城の魅力を余すところなくお伝えします。

守谷城の概要と立地

守谷城は茨城県守谷市本町に所在し、利根川の支流である鬼怒川と小貝川に挟まれた台地上に築かれた平山城です。標高約30メートルの台地を利用し、周囲の低湿地を天然の堀として活用した堅固な城郭でした。

現在の守谷城址公園を中心とする城山地区が城の中枢部にあたり、周辺には複数の曲輪が配置されていました。城域の多くは市街地化が進んでいますが、中心部は良好な保存状態を保っており、空堀や土塁などの遺構を実際に確認することができます。

守谷城は茨城百景の一つに選出されており、守谷市の史跡にも指定されています。都心からのアクセスも良好で、つくばエクスプレスを利用すれば秋葉原から最速32分で守谷駅に到着できます。

守谷城の歴史

平将門伝説と築城の謎

守谷城には平将門が築城したという伝承が残されています。明治時代には「平将門城址」と記した石碑が建立され、地域の人々に親しまれてきました。しかし、この伝承を裏付ける確実な史料は存在せず、歴史学的には後世の付会と考えられています。

実際の築城者や築城時期については確定的な史料が残されていませんが、現在最も有力とされているのは、鎌倉時代初期に千葉常胤の次男・相馬師常が相馬氏を継承し、この地に城を築いたという説です。

相馬氏は千葉氏の一族として、下総国相馬郡を本拠地としました。守谷の地には相馬御厨(そうまみくりや)と呼ばれる伊勢神宮の荘園が存在しており、相馬氏はこの地域の支配権を確立していきました。

戦国時代の守谷城と相馬氏

守谷城が史料に明確に登場するのは戦国時代、16世紀前半のことです。当時の城主は相馬氏で、「相馬要害」と記される堅固な城郭として知られていました。

戦国時代の関東地方は、古河公方足利氏、関東管領上杉氏、新興勢力の後北条氏などが覇権を争う複雑な情勢にありました。相馬氏は古河公方に従属しながら、周辺勢力との抗争を繰り返していました。

特に重要な転機となったのが、相馬治胤(はるたね)の時代です。治胤は当初、後北条氏の勢力拡大に抵抗していましたが、永禄10年(1567年)に後北条氏と和睦し、守谷城を明け渡しました。この和睦により、相馬氏は後北条氏の傘下に入ることとなります。

後北条氏による改修

後北条氏が守谷城を手に入れた後、城郭は大規模な改修を受けました。後北条氏は関東地方で多くの城を支配下に置き、独自の築城技術を発展させていたことで知られています。

守谷城に見られる横矢掛かりを意識した複雑な空堀の配置や、曲輪の構造などには、後北条氏の築城技術の影響が認められます。特に本丸周辺の防御施設は、この時期の改修によって強化されたと考えられています。

相馬氏は後北条氏の家臣として存続しましたが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、相馬氏も領地を没収されることとなりました。

江戸時代の守谷藩と廃城

江戸時代初期、守谷には守谷藩が立藩されました。慶長14年(1609年)、徳川家康の側近であった土岐定政が1万石で守谷藩主となり、守谷城が藩庁として使用されました。

しかし、守谷藩は短命に終わります。土岐氏は寛永7年(1630年)に転封となり、その後も藩主が何度か交代しましたが、元禄15年(1702年)頃には守谷藩自体が廃藩となりました。これに伴い、守谷城も廃城となり、その後は城として機能することはありませんでした。

江戸時代中期以降、城域は農地や宅地として利用され、徐々に遺構が失われていきましたが、中枢部は比較的良好な状態で保存されることとなりました。

守谷城の縄張りと構造

本丸の構造

守谷城の中心をなす本丸は、台地の最も高い部分に位置しています。現在の守谷城址公園の中核部分にあたり、周囲を深い空堀で囲まれた独立性の高い曲輪でした。

本丸の規模は東西約100メートル、南北約80メートルで、中世城郭としては中規模の広さです。往時には城主の居館や重要な建物が建ち並んでいたと推定されています。

本丸を囲む空堀は深さ5~8メートル、幅10~15メートルに達する大規模なもので、現在でもその迫力ある姿を確認できます。堀底は複雑に屈曲しており、横矢掛かりを意識した設計となっています。

二の曲輪の防御機能

本丸の周囲には複数の曲輪が配置されていましたが、特に重要なのが二の曲輪です。二の曲輪は本丸の西側から南側にかけて配置され、本丸への接近を防ぐ重要な防御拠点でした。

二の曲輪と本丸の間には深い空堀が掘られており、敵の侵入を阻む構造となっています。また、二の曲輪自体も土塁で囲まれ、独立した防御施設として機能していました。

現在、二の曲輪の一部は守谷城址公園として整備されており、当時の土塁や空堀の様子を観察することができます。特に南側の空堀は保存状態が良好で、深さや規模を実感できる貴重な遺構となっています。

西側の防御ライン

守谷城の西側には、御馬家台曲輪(おまがだいくるわ)と呼ばれる曲輪が配置されていました。この曲輪は城の西側からの攻撃に備える重要な防御拠点でした。

西側は比較的地形が緩やかで、敵の侵入経路として警戒が必要な方向でした。そのため、複数の曲輪と空堀を組み合わせた多重の防御ラインが構築されていました。

御馬家台曲輪は細長い形状をしており、横矢掛かりを効果的に行える構造となっています。敵が堀を越えて侵入しようとすると、側面から攻撃を受ける仕組みです。

東側の曲輪配置

城の東側にも複数の曲輪が配されていました。東側は台地の縁に近く、自然の地形を活用した防御が可能でした。

東側の曲輪群は、城下町や街道方面からの接近に対する防御を担っていたと考えられます。現在は市街地化が進んでおり、往時の姿を確認することは困難ですが、一部に土塁の痕跡が残されています。

楯型曲輪の特徴

守谷城の縄張りの中で特徴的なのが、楯型曲輪と呼ばれる細長い形状の曲輪です。この曲輪は本丸の南側に位置し、南方向からの攻撃に対する前衛陣地として機能していました。

楯型という名称は、その細長い形状が盾を立てたように見えることに由来します。この曲輪は幅が狭く、長さが長い特徴的な形状をしており、横矢掛かりを最大限に活用した設計となっています。

敵が楯型曲輪に侵入すると、両側の高い位置から集中的な攻撃を受ける構造で、少ない兵力でも効果的な防御が可能でした。このような工夫は、後北条氏の築城技術の影響を示すものと考えられています。

現存する遺構の見どころ

空堀の迫力

守谷城址公園で最も印象的な遺構が、良好に残された空堀です。本丸周辺の空堀は深さ5~8メートルに達し、中世城郭の防御施設の迫力を体感できます。

特に本丸南側の空堀は保存状態が極めて良好で、堀底まで降りることができます。堀底から見上げる土塁の高さは圧巻で、当時の守りの堅固さを実感できるでしょう。

空堀は直線的ではなく、複雑に屈曲しています。これは横矢掛かりと呼ばれる防御技術で、敵が堀を進む際に側面から攻撃できるよう設計されています。堀底を歩きながら、この工夫を確認することができます。

土塁の保存状態

曲輪を囲む土塁も良好に保存されています。本丸や二の曲輪の周囲には高さ2~4メートルの土塁が築かれており、往時の姿を今に伝えています。

土塁の上部は平坦になっており、かつては柵や塀が設置されていたと推定されます。土塁の上を歩くことで、城内を見渡す視界の良さや、防御上の優位性を体感できます。

一部の土塁には、後世の改変や風化による損傷も見られますが、守谷市観光協会などによる保存活動により、主要な部分は良好な状態が維持されています。

曲輪の配置と地形利用

守谷城址公園内を歩くと、複数の曲輪が巧みに配置されていることがわかります。それぞれの曲輪は空堀や土塁で区切られ、独立した防御単位として機能していました。

台地の地形を最大限に活用し、高低差を利用した防御ラインが構築されています。曲輪間の移動経路も限定されており、敵の侵入を効果的に阻止する設計となっています。

公園内には案内板が設置されており、各曲輪の位置や役割を理解しながら見学することができます。守谷市観光協会による整備により、藪の伐採も進み、遺構の確認がしやすくなっています。

守谷小学校周辺の遺構

守谷城址公園以外にも、周辺に遺構が残されています。特に守谷小学校の正門前や外周には、城郭の一部であった土塁や説明板が設置されています。

守谷小学校の敷地は、かつての城域の一部にあたります。学校の周辺を歩くと、わずかに残る土塁の痕跡や地形の起伏から、往時の城域の広がりを想像することができます。

これらの遺構は住宅街の中に点在しているため、見学の際は周辺住民の生活に配慮する必要があります。

守谷城址公園の整備状況

公園としての機能

守谷城址公園は、史跡としての価値を保ちながら、市民の憩いの場としても機能しています。公園内には遊歩道が整備され、散策を楽しむことができます。

公園の南側には公衆トイレが設置されており、無料駐車場も完備されています。駐車場からは徒歩数分で主要な遺構にアクセスでき、利便性が高い施設となっています。

公園内は適度に木々が残され、自然環境も保たれています。春には桜が咲き、秋には紅葉が楽しめるなど、四季折々の景観を味わえます。

案内板と説明設備

守谷市観光協会などの努力により、公園内には充実した案内板が設置されています。城の歴史、縄張り図、各遺構の説明など、詳細な情報が提供されています。

主要な遺構の近くには個別の説明板もあり、初めて訪れる人でも理解しやすい環境が整っています。案内板には写真や図面も掲載されており、視覚的にも分かりやすい内容となっています。

公園入口には全体の案内図があり、見学ルートを計画する際に役立ちます。所要時間は1時間から1時間半程度で、じっくりと遺構を観察できます。

保存活動と整備の取り組み

守谷市と守谷市観光協会は、守谷城址の保存と活用に積極的に取り組んでいます。定期的な藪の伐採により、遺構の視認性が向上し、見学環境が改善されています。

近年では、遺構の測量調査や学術的な研究も進められており、守谷城の歴史的価値がより明確になってきています。これらの成果は案内板の更新などに反映され、来訪者に最新の情報が提供されています。

地域住民によるボランティア活動も行われており、清掃や環境整備に貢献しています。このような取り組みにより、史跡としての価値と公園としての機能が両立されています。

アクセス方法と周辺情報

電車でのアクセス

守谷城址公園へのアクセスは、つくばエクスプレスまたは関東鉄道常総線の守谷駅が最寄りです。

つくばエクスプレス利用の場合:

  • 秋葉原駅から守谷駅まで最速32分(快速利用)
  • 守谷駅東口から徒歩約20分で守谷城址公園に到着

関東鉄道常総線利用の場合:

  • 取手駅から守谷駅まで約10分
  • 守谷駅から徒歩約20分

守谷駅東口からはバスも運行されています。「城址公園入口」バス停で下車すれば、徒歩数分で公園に到着できます。バスの本数は限られているため、事前に時刻表を確認することをおすすめします。

車でのアクセス

自動車を利用する場合は、常磐自動車道の谷和原インターチェンジが便利です。

  • 常磐自動車道・谷和原ICから約10分
  • 守谷城址公園には無料駐車場あり(公園南側)
  • 駐車可能台数は約20台

駐車場は公園の南側、公衆トイレの近くに位置しています。土日祝日や桜の季節などは混雑する可能性があるため、時間に余裕を持って訪問することをおすすめします。

見学の所要時間

守谷城址公園の見学所要時間は、以下を目安にしてください。

  • 主要遺構のみの見学:30~40分
  • 公園内をじっくり散策:1~1.5時間
  • 周辺の遺構も含めた見学:2時間程度

空堀や土塁などの遺構をじっくり観察し、写真撮影なども楽しむ場合は、1時間以上の時間を確保することをおすすめします。

周辺の見どころ

守谷城址公園の周辺には、他にも歴史的な見どころがあります。

周辺の城跡:

  • 高井城(茨城県取手市):守谷城から約3.8km
  • 布施城(千葉県柏市):守谷城から約6.2km
  • 我孫子城(千葉県我孫子市):守谷城から約8.2km

これらの城跡を組み合わせて巡ることで、この地域の中世城郭の特徴をより深く理解できます。

守谷市内の観光スポット:

  • 守谷駅周辺の商業施設
  • 四季の里公園
  • 守谷市郷土資料館(守谷城の資料も展示)

守谷市郷土資料館では、守谷城や相馬氏に関する資料が展示されており、城址見学の前後に訪れると理解が深まります。

守谷城の見学ポイントと注意事項

見学のベストシーズン

守谷城址公園は通年見学可能ですが、季節によって異なる魅力があります。

春(3月下旬~4月):
桜が咲き、公園が華やかな雰囲気に包まれます。花見客も多く訪れる時期です。

秋(11月):
紅葉が美しく、遺構と自然の調和を楽しめます。気候も穏やかで散策に最適です。

夏(6月~8月):
緑が濃く、城郭の雰囲気を味わえますが、暑さ対策が必要です。虫除けスプレーもあると便利です。

冬(12月~2月):
落葉により遺構の全体像が把握しやすくなります。空気が澄んで写真撮影にも適していますが、防寒対策が必要です。

見学時の服装と持ち物

守谷城址公園を見学する際は、以下の準備をおすすめします。

服装:

  • 歩きやすい靴(スニーカーやトレッキングシューズ)
  • 動きやすい服装
  • 帽子(日差し対策)
  • 季節に応じた防寒・暑さ対策

持ち物:

  • 飲み物(特に夏季)
  • カメラ(遺構の撮影用)
  • 虫除けスプレー(夏季)
  • タオル
  • 雨具(天候に応じて)

空堀の底まで降りる場合は、滑りやすい箇所もあるため、グリップの良い靴を選ぶことが重要です。

見学時のマナー

守谷城址公園は市民の憩いの場でもあるため、以下のマナーを守って見学しましょう。

  • 遺構を傷つけない(土塁や空堀の壁面に登らない)
  • ゴミは必ず持ち帰る
  • 大声を出さない
  • 植物を採取しない
  • 周辺住宅地では静かに行動する
  • 駐車場は譲り合って利用する

特に守谷小学校周辺の遺構を見学する際は、学校の教育活動や周辺住民の生活に配慮し、静かに見学することが大切です。

守谷城の歴史的価値と文化財指定

茨城百景と市指定史跡

守谷城址は茨城百景の一つに選出されており、茨城県を代表する景勝地・史跡として認識されています。茨城百景は昭和25年(1950年)に選定されたもので、県内の優れた自然景観や歴史的景観が選ばれています。

また、守谷城址は守谷市の史跡に指定されており、地域の重要な文化財として保護されています。この指定により、遺構の保存と活用が法的に担保され、適切な管理が行われています。

中世城郭研究における意義

守谷城は、中世から近世初頭にかけての城郭の変遷を示す重要な事例です。相馬氏時代の中世城郭から、後北条氏による改修、さらに江戸初期の近世城郭への変化という、複数の時代の特徴が重層的に残されています。

特に後北条氏の築城技術の影響を示す遺構は、関東地方の戦国期城郭を研究する上で貴重な資料となっています。横矢掛かりを意識した空堀の配置や、効率的な曲輪配置などは、後北条氏の軍事技術の高さを示すものです。

地域史における重要性

守谷城は、下総国の中世史を理解する上で欠かせない史跡です。相馬氏という千葉氏一族の動向、古河公方と関東の武士団との関係、後北条氏の勢力拡大など、関東地方の複雑な政治状況を反映しています。

江戸時代初期の守谷藩の存在も、徳川政権下での小藩の実態を知る手がかりとなります。短期間で廃藩となった経緯は、江戸幕府の大名統制政策の一端を示すものです。

守谷城を訪れた人々の評価

城郭愛好家からの評価

守谷城は城郭愛好家の間で高い評価を得ています。攻城団などの城郭情報サイトでは、平均評価が★★★★☆(3.86)と高評価で、多くの訪問者が満足していることがうかがえます。

特に評価されているポイントは以下の通りです。

  • 都心からのアクセスの良さ
  • 遺構の保存状態の良好さ
  • 空堀の迫力
  • 整備された見学環境
  • 案内板の充実

一方で、「城域の多くが市街地化している」「建造物が残っていない」といった点を惜しむ声もありますが、土の城郭としての価値は十分に認められています。

一般観光客の感想

城郭に特別な興味がない一般観光客からも、「散歩に最適」「歴史を感じられる」「自然が豊か」といった好意的な感想が寄せられています。

公園としての機能が充実しているため、家族連れや散歩を楽しむ地域住民にも親しまれています。歴史学習の場としても活用されており、地元の小学校の郷土学習などでも利用されています。

まとめ

守谷城は、茨城県守谷市に残る中世から近世初頭の城郭跡です。平将門の伝承に彩られながらも、実際には相馬氏の居城として発展し、戦国時代には後北条氏の改修を受けて堅固な要塞となりました。

現在は守谷城址公園として整備され、深い空堀や高い土塁などの遺構が良好に保存されています。つくばエクスプレス守谷駅から徒歩20分というアクセスの良さも魅力で、都心から気軽に訪れることができる貴重な史跡です。

中世城郭の構造を実際に体感でき、戦国時代の武士たちの知恵と工夫を学べる守谷城址公園。歴史愛好家はもちろん、散策を楽しみたい方、地域の歴史に触れたい方にもおすすめのスポットです。

守谷市観光協会による継続的な整備活動により、今後もさらに見学環境が向上していくことが期待されます。関東地方の中世史に興味がある方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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