且山城(山口県下関市):大内氏重臣の居城と大内義長終焉の地を徹底解説
且山城とは
且山城(かつやまじょう)は、山口県下関市田倉にある戦国時代の山城です。勝山城とも表記され、標高361メートルの勝山山頂に築かれた連郭式の山城として知られています。比高は約320メートルに及び、長門国(現在の山口県北西部)における大内氏の重要な拠点として機能しました。
城の歴史は古く、永和4年(1378年)に大内氏の家臣である永富上総介嗣光が在城したのが始まりとされています。その後、相良民部少輔、内藤興盛、内藤隆世、南条宗勝、山田重直といった歴代城主が居城としました。特に内藤氏の居城として知られ、弘治3年(1557年)には毛利元就に追われた大内義長がこの城に逃れて籠城するという、大内氏滅亡に関わる重要な歴史的舞台となりました。
現在も山頂部には土塁、曲輪、堀切、竪堀、石積などの遺構が良好に残されており、中世山城の構造を知る上で貴重な史跡となっています。文化財指定は受けていないものの、城郭ファンや歴史愛好家から注目される城跡です。
且山城の歴史
大内氏時代の且山城
且山城の築城年代は正確には不明ですが、永和4年(1378年)に大内氏の家臣である永富嗣光が在城したという記録が残されています。この時期、大内氏は周防・長門を本拠地として勢力を拡大しており、且山城は長門国における防衛拠点の一つとして重要な役割を果たしていました。
内藤氏の居城時代
戦国時代に入ると、且山城は大内氏の重臣である内藤興盛の居城となりました。内藤氏は大内氏に仕える有力な家臣団の一つで、長門国における大内氏の支配を支える重要な存在でした。内藤興盛は且山城を拠点として周辺地域の統治にあたり、城の整備を進めたと考えられています。
興盛の孫である内藤隆世の代になると、且山城は大内氏滅亡という歴史的事件の舞台となります。
大内義長の籠城と大内氏の滅亡
弘治3年(1557年)、且山城は大内氏滅亡の最終章を迎える重要な舞台となりました。毛利元就の攻撃を受けた大内義長は、居城である山口を追われ、且山城に逃れて籠城しました。義長は大内氏最後の当主であり、この籠城は大内氏の命運を賭けた最後の抵抗でした。
しかし、毛利氏の圧倒的な軍事力の前に且山城での籠城は長く続かず、義長は最終的に下関の功山寺に移り、そこで自害して果てました。この出来事により、周防・長門を中心に勢力を誇った大内氏は完全に滅亡し、毛利氏が中国地方の覇者として台頭することになります。
毛利氏時代以降
大内氏滅亡後、且山城は毛利氏の支配下に入りました。しかし、毛利氏は広島を本拠地としたため、且山城の戦略的重要性は低下していきました。その後、長府毛利家の支配下に入り、江戸時代には山麓に勝山御殿が築かれました。
元治元年(1864年)、長府藩主の毛利元周によって勝山御殿が築かれました。これは文久3年にフランス軍艦の報復攻撃を受けた長府藩が、防衛上の理由から山に囲まれた谷間の奥地に新たな御殿を築いたものです。勝山御殿は北に且山城、西に青山城、北東には四王司山城という中世城郭に囲まれた地に位置しており、且山城はその背後の守りとして機能しました。
且山城の構造と縄張り
基本構造
且山城は標高361メートルの勝山山頂に築かれた連郭式の山城です。比高は約320メートルあり、麓から山頂までの急峻な地形を利用した防御性の高い構造となっています。
連郭式とは、主郭を中心に複数の曲輪を直線的に配置する城郭形式で、尾根続きの地形に適した構造です。且山城では山頂部の主郭から尾根伝いに複数の曲輪が配置され、各曲輪は堀切によって区画されています。
主要な遺構
且山城には以下のような遺構が現存しています:
曲輪(くるわ):複数の曲輪が尾根続きに配置されており、主郭を中心とした防御システムを形成しています。各曲輪は削平が比較的良好に残されており、当時の城郭構造を理解することができます。
土塁(どるい):曲輪の周囲には土塁が築かれており、防御力を高めています。土塁は土を盛り上げて作られた土の壁で、敵の侵入を防ぐとともに、曲輪内部を外部から見えにくくする役割も果たしていました。
堀切(ほりきり):尾根を断ち切るように掘られた堀で、敵の侵入を阻む重要な防御施設です。且山城では複数の堀切が確認されており、各曲輪を区画するとともに、尾根伝いの攻撃を防ぐ役割を果たしていました。
竪堀(たてぼり):斜面に沿って縦方向に掘られた堀で、敵が斜面を登攀するのを妨げる役割を果たします。且山城では複数の竪堀が確認されており、側面からの攻撃に対する防御を強化しています。
石積(いしづみ):一部に石積の遺構が残されています。中世山城では完全な石垣は少なく、部分的な石積が用いられることが多く、且山城でもそうした石積を確認することができます。
周辺の城郭との関係
且山城の周辺には青山城、櫛崎城、四王司山城など、複数の中世城郭が存在します。これらの城は相互に連携して長門国の防衛網を形成していたと考えられています。特に青山城とは尾根続きの関係にあり、一体的な防御システムを構築していた可能性があります。
江戸時代に築かれた勝山御殿は、これらの中世城郭に囲まれた谷間に位置しており、中世の防衛システムを近世においても活用しようとした意図が窺えます。
且山城の見どころ
主郭からの眺望
標高361メートルの山頂に位置する主郭からは、下関市街地や周辺の山々を一望することができます。晴れた日には関門海峡や九州方面まで見渡すことができ、且山城が長門国における重要な監視拠点であったことが実感できます。
良好に残る遺構
且山城は整備が進んでいない未整備の城跡ですが、それゆえに中世山城の雰囲気をそのまま残しています。土塁、曲輪、堀切、竪堀といった遺構が良好に残されており、城郭構造を学ぶ上で貴重な史跡となっています。
特に堀切は複数箇所で明瞭に確認でき、当時の防御技術の高さを物語っています。また、石積の遺構も一部に残されており、中世山城における石の使用方法を知る上で興味深い資料となっています。
歴史ロマンを感じる場所
且山城は大内義長が最後の籠城を行った場所として、大内氏滅亡という歴史的事件の舞台となりました。城跡を訪れることで、戦国時代の激動の歴史に思いを馳せることができます。功山寺で自害した義長がこの城でどのような思いで最後の時を過ごしたのか、想像力をかき立てられる場所です。
山城登山の醍醐味
比高約320メートルの山城登山は、適度な運動量があり、山城ファンにとっては登りがいのあるコースです。登山道は整備されていない部分もありますが、それがかえって中世の山城を攻める気分を味わえる要素となっています。
且山城へのアクセス
所在地
山口県下関市田倉
交通アクセス
自動車でのアクセス:中国自動車道下関ICから車で約15分。勝山御殿跡周辺に駐車スペースがありますが、明確な駐車場ではないため、路上駐車には注意が必要です。
公共交通機関でのアクセス:JR山陽本線長府駅からタクシーで約10分。バスの便は限られているため、公共交通機関を利用する場合はタクシーの利用が便利です。
登城ルート
勝山御殿跡付近から登山道が始まります。登山道は明確ではない部分もあるため、事前に縄張図などで位置を確認しておくことをおすすめします。登城時間は片道30分から1時間程度を見込んでおくとよいでしょう。
山道は急峻な箇所もあるため、登山に適した服装と靴を着用し、飲料水を持参することをおすすめします。また、単独での登城は避け、複数人で訪れるか、登城前に家族などに行き先を伝えておくことが安全です。
見学時の注意点
且山城は未整備の山城であり、整備された観光施設ではありません。以下の点に注意して見学してください:
- 登山道は明確でない部分があるため、地図やGPSアプリを活用する
- 山道は急峻で滑りやすい箇所があるため、登山靴など適切な装備を用意する
- 夏場は草木が茂るため、長袖長ズボンを着用し、虫除け対策をする
- 冬場は日没が早いため、時間に余裕を持って登城する
- ゴミは必ず持ち帰る
- 遺構を傷つけないよう注意する
周辺の見どころ
勝山御殿跡
且山城の山麓には、元治元年(1864年)に長府藩主の毛利元周が築いた勝山御殿の跡があります。南を除く三方を山に囲まれた谷間の奥地に築かれており、且山城、青山城、四王司山城という中世城郭に囲まれた地に位置しています。現在は遺構の一部が残されており、案内板も設置されています。
功山寺
下関市長府にある功山寺は、大内義長が自害した場所として知られています。且山城での籠城後、義長はこの寺に移り、そこで最期を迎えました。国宝の仏殿や美しい庭園があり、歴史散策の拠点として最適です。
長府城下町
長府は長府毛利家の城下町として栄えた地域で、現在も古い町並みが残されています。武家屋敷や寺社が点在し、歴史的雰囲気を楽しむことができます。且山城と合わせて訪れることで、より深く地域の歴史を理解することができます。
青山城
且山城の西に位置する青山城も中世山城で、且山城と連携して防衛網を形成していたと考えられています。時間に余裕があれば、こちらも訪れてみるとよいでしょう。
櫛崎城
長門国における大内氏の重要拠点の一つで、且山城と同様に大内氏家臣が在城していました。周辺の城郭を巡ることで、当時の防衛システムを理解することができます。
且山城を訪れる際のポイント
最適な訪問時期
且山城は未整備の山城であるため、訪問時期によって難易度が変わります。
春(3月~5月):気候が穏やかで登城に適しています。新緑が美しく、気持ちの良い山城散策ができます。
夏(6月~8月):草木が茂り、登山道が不明瞭になることがあります。また、虫も多いため、十分な対策が必要です。熱中症にも注意が必要です。
秋(9月~11月):最も訪問に適した時期です。気候が安定しており、紅葉も楽しめます。草木も夏ほど茂っていないため、遺構の観察もしやすくなります。
冬(12月~2月):草木が枯れて遺構が観察しやすくなりますが、日没が早いため時間に余裕を持つ必要があります。また、凍結や積雪の可能性もあるため、天候に注意が必要です。
所要時間
且山城の見学には以下の時間を目安にしてください:
- 登城時間:片道30分~1時間
- 城内見学:30分~1時間
- 下山時間:30分~45分
合計で2~3時間程度を見込んでおくとよいでしょう。周辺の勝山御殿跡や功山寺なども訪れる場合は、半日程度の時間を確保することをおすすめします。
持参すると便利なもの
- 登山靴または滑りにくい靴
- 飲料水
- タオル
- 虫除けスプレー(夏場)
- 地図またはGPSアプリ
- カメラ
- 縄張図(事前にインターネットで入手可能)
- 軍手(藪漕ぎが必要な場合)
且山城の評価
且山城は城郭愛好家の間で一定の評価を得ています。攻城団(城郭情報サイト)では平均評価★★★☆☆(3.00)、攻城人数28人(データ時点)となっており、知る人ぞ知る山城として認識されています。
評価のポイントとしては:
高評価の点:
- 遺構が良好に残されている
- 大内義長籠城という歴史的価値がある
- 山頂からの眺望が素晴らしい
- 中世山城の雰囲気をそのまま味わえる
改善が望まれる点:
- 整備がされておらず、登城難易度が高い
- 案内板や説明板が少ない
- アクセスが不便
- 駐車場が明確でない
未整備であることは、一方で中世山城の本来の姿を残しているという魅力でもあり、城郭ファンにとっては探索の楽しみがある城跡と言えます。
まとめ
且山城(勝山城)は、山口県下関市にある戦国時代の山城で、大内氏の重臣である内藤氏の居城として知られています。標高361メートル、比高約320メートルの山頂に築かれた連郭式の山城で、土塁、曲輪、堀切、竪堀、石積などの遺構が良好に残されています。
永和4年(1378年)に永富嗣光が在城したのが始まりとされ、その後内藤興盛、内藤隆世らが居城としました。弘治3年(1557年)には毛利元就に追われた大内義長がこの城に逃れて籠城し、大内氏滅亡の最終章を迎える歴史的舞台となりました。
現在は未整備の山城として、中世山城の雰囲気をそのまま残しています。登城には適切な装備と準備が必要ですが、城郭ファンや歴史愛好家にとっては訪れる価値のある史跡です。周辺には勝山御殿跡、功山寺、長府城下町などの見どころもあり、歴史散策の拠点として最適です。
大内氏の栄枯盛衰を物語る且山城を訪れ、戦国時代の歴史ロマンに触れてみてはいかがでしょうか。
参考情報
- 所在地:山口県下関市田倉
- 城郭構造:山城(連郭式)
- 標高:361メートル
- 比高:約320メートル
- 築城年代:不明(永和4年・1378年説あり)
- 築城者:永富嗣光(伝)
- 主な城主:永富嗣光、相良民部少輔、内藤興盛、内藤隆世、南条宗勝、山田重直
- 廃城年代:不明
- 遺構:土塁、曲輪、堀切、竪堀、石積
- 文化財指定:なし
- 別名:勝山城
- 見学時間:30分~1時間(登城時間除く)
※訪問前には最新の情報を確認し、安全に配慮して見学してください。
