竹ヶ鼻城(岐阜県)

竹ヶ鼻城(岐阜県)
所在地 〒501-6241 岐阜県羽島市竹鼻町2624−2624−12
公式サイト https://hashimakanko.jp/store/takegahanajoato/

竹ヶ鼻城(岐阜県)完全ガイド|歴史・水攻め・現在の遺構まで徹底解説

竹ヶ鼻城(たけがはなじょう)は、岐阜県羽島市竹鼻町に存在した平城です。応仁年間(1467~1469年)に築かれ、戦国時代には豊臣秀吉による水攻めを受けたことで知られています。現在は遺構が消滅していますが、その歴史的価値は高く、美濃国の要衝として重要な役割を果たした城郭でした。本記事では、竹ヶ鼻城の築城から廃城までの歴史、著名な戦い、現在の状況まで詳しく解説します。

竹ヶ鼻城の基本情報

城郭の概要

竹ヶ鼻城は美濃国羽栗郡(現在の岐阜県羽島市竹鼻町)に位置していた平城です。もともとは尾張国葉栗郡に属していましたが、天正14年(1586年)の木曽川大氾濫により流路が南遷したことで、美濃国に編入されました。

基本データ

  • 所在地:岐阜県羽島市竹鼻町丸の内
  • 城郭構造:平城
  • 築城年:応仁年間(1467~1469年)
  • 築城主:竹腰尚隆(武腰伊豆守)
  • 主な城主:竹腰氏、長井氏、不破氏、一柳氏、杉浦氏
  • 廃城年:慶長5年(1600年)以降
  • 遺構:消滅(石碑・説明板のみ現存)
  • 指定:羽島市指定史跡

立地と地理的特徴

竹ヶ鼻城は木曽川と長良川に挟まれた低湿地帯に位置していました。この地形的特徴が、後の豊臣秀吉による水攻めを可能にした要因となっています。平城という性質上、天然の要害である山城とは異なり、周辺の河川や堀を利用した防御システムが構築されていたと考えられています。

現在の羽島市竹鼻町は、名鉄竹鼻線竹鼻駅から徒歩圏内にあり、かつての城下町の面影を残す町並みが一部に見られます。

竹ヶ鼻城の歴史

築城から戦国時代初期まで

竹ヶ鼻城は応仁年間(1467~1469年)に竹腰尚隆(武腰伊豆守尚隆)によって築城されたとされています。応仁の乱の時代、各地で武士たちが自らの勢力を拡大していく中、この地域においても防衛拠点としての城郭が必要とされました。

文明年間(1469~1487年)頃には、長井利隆が城主となりました。長井氏は美濃国の有力国人であり、竹ヶ鼻城を拠点として勢力を築きました。しかし明応6年(1497年)、長井利隆は加納城へと移り、竹ヶ鼻城の支配者は変遷していくことになります。

不破広綱の時代と城の整備

戦国時代中期には、不破源六広綱(不破広綱)が城主となりました。不破氏は美濃国の有力武将であり、織田信長の美濃侵攻以前から、この地域で勢力を保持していました。不破広綱の時代に、竹ヶ鼻城は大規模な改修が行われたとされています。

不破氏が城主を務めた時期、竹ヶ鼻城は美濃と尾張の境界に位置する重要な軍事拠点として機能していました。織田信長が美濃攻略を進める中、この城の戦略的価値はさらに高まっていきました。

豊臣秀吉による水攻め

小牧・長久手の戦いと竹ヶ鼻城

竹ヶ鼻城が歴史の表舞台に立ったのは、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにおいてでした。この戦いは、豊臣秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍との間で繰り広げられた大規模な軍事衝突です。

当時、竹ヶ鼻城には不破広綱が籠城していました。不破氏は織田信雄方に属しており、秀吉にとって竹ヶ鼻城は美濃・尾張方面の戦略上、制圧すべき重要拠点でした。

水攻めの実施とその手法

天正14年(1586年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)は竹ヶ鼻城に対して水攻めを実施しました。この水攻めは、秀吉が得意とした攻城戦術の一つで、備中高松城の水攻めに次ぐ著名な事例として知られています。

秀吉軍は木曽川と長良川の水を利用し、竹ヶ鼻城周辺に堤防を築いて城を水没させる作戦を展開しました。平城である竹ヶ鼻城は、この水攻めに対して脆弱であり、城内への補給路も断たれました。

水攻めの詳細な記録は限られていますが、秀吉軍は短期間で城を孤立させ、不破広綱は開城を余儀なくされました。この水攻めにより、竹ヶ鼻城は一時的に秀吉の支配下に入ることになります。

水攻め後の城主変遷

水攻め後、竹ヶ鼻城には豊臣政権下の武将が配置されました。一柳直末(一柳監物直末)が城主となり、城の再建と統治が行われました。一柳氏は秀吉の信任厚い家臣であり、美濃国内の重要拠点の管理を任されていました。

その後、伊木忠次、森寺清右衛門、杉浦重勝といった武将が城主を務めました。これらの城主たちは、豊臣政権下での地域支配と軍事的役割を担っていました。

関ヶ原の戦いと竹ヶ鼻城の落城

関ヶ原前哨戦における攻防

慶長5年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の戦いが勃発しました。この戦いに先立ち、美濃国各地では東軍(徳川方)と西軍(石田方)による激しい攻防が繰り広げられました。

竹ヶ鼻城は西軍方の拠点となっており、杉浦重勝が城を守備していました。これに対し、東軍は福島正則を中心とする大軍を派遣し、竹ヶ鼻城の攻略を開始しました。

東軍による総攻撃と炎上

福島正則率いる東軍は、圧倒的な兵力で竹ヶ鼻城を包囲しました。東軍には池田輝政、浅野幸長、黒田長政など、徳川家康の有力家臣たちが参加していました。

竹ヶ鼻城は激しい攻撃を受け、最終的に炎上して落城しました。この戦いにより、城は大きな被害を受け、防衛施設としての機能を喪失しました。城主であった杉浦重勝の消息については、諸説ありますが、城の陥落後、竹ヶ鼻城は事実上の廃城となりました。

廃城とその後

関ヶ原の戦い後、徳川家康が天下を掌握すると、竹ヶ鼻城は正式に廃城となりました。慶長5年(1600年)以降、城としての機能は完全に失われ、江戸時代初期には既に開墾が進んでいたとされています。

廃城後の土地は農地として利用され、城の遺構は急速に失われていきました。本丸や堀などの痕跡も時間とともに消滅し、現在では正確な城の位置すら特定が困難な状況となっています。

竹ヶ鼻城の構造と縄張り

推定される城郭構造

竹ヶ鼻城の詳細な縄張り図は現存していませんが、平城としての基本的な構造を持っていたと考えられています。中心には本丸が置かれ、その周囲を二の丸、三の丸が取り囲む同心円状の配置だったと推測されます。

城の防御は主に堀と土塁によって構成されていました。石垣の使用については明確な記録がなく、土造りの城郭であった可能性が高いとされています。水堀は木曽川や長良川の水を引き込んで形成されており、これが豊臣秀吉の水攻めを容易にした要因でもありました。

城下町の形成

竹ヶ鼻城の周辺には城下町が形成されていました。現在の羽島市竹鼻町には、かつての町割りの痕跡が一部残っており、碁盤目状の街路配置が見られます。

城下町には商人や職人が居住し、経済活動の中心地として機能していました。特に竹鼻は木曽川水運の要衝でもあり、物資の集散地として栄えました。この経済的繁栄は、城が廃城となった後も続き、江戸時代を通じて竹鼻は商業の町として発展していきました。

現在の竹ヶ鼻城跡

遺構の現状

現在、竹ヶ鼻城の遺構はほぼ完全に消滅しています。市街地化が進み、かつて城があった場所は住宅や商業施設が立ち並んでいます。堀や土塁といった防御施設の痕跡も地上からは確認できません。

城跡の正確な位置については、現在も研究者の間で議論が続いています。複数の候補地が提案されていますが、決定的な証拠が見つかっていないため、確証は得られていません。発掘調査も限定的にしか行われておらず、今後の研究の進展が期待されています。

羽島市歴史民俗資料館と石碑

竹ヶ鼻城跡を訪れる際の主要なポイントは、羽島市歴史民俗資料館です。資料館の敷地内には「竹ヶ鼻城跡」の石碑が建てられており、城の歴史を伝える説明板が設置されています。

羽島市歴史民俗資料館では、竹ヶ鼻城に関する資料や、羽島市の歴史を学ぶことができます。展示内容には、城の想像復元図、出土遺物、歴史文献などが含まれており、竹ヶ鼻城の全体像を理解する上で貴重な情報源となっています。

羽島市歴史民俗資料館

  • 所在地:岐阜県羽島市竹鼻町
  • アクセス:名鉄竹鼻線竹鼻駅から徒歩約10分
  • 開館時間:要確認(事前に確認することをおすすめします)

御城印の販売情報

竹ヶ鼻城では御城印が販売されています。御城印は城郭ファンの間で人気の記念品であり、城跡訪問の記録として収集する愛好家が増えています。

竹ヶ鼻城の御城印は1種類が確認されており、羽島市内の指定された場所で購入可能です。デザインには城の歴史や特徴が反映されており、訪問の記念として最適です。購入場所や販売時間については、事前に羽島市観光協会や関連施設に問い合わせることをおすすめします。

竹ヶ鼻城へのアクセス

公共交通機関でのアクセス

電車利用

  • 名鉄竹鼻線「竹鼻駅」下車、徒歩約10分で羽島市歴史民俗資料館へ
  • 名古屋駅から名鉄名古屋本線で新羽島駅経由、竹鼻線に乗り換え
  • 所要時間:名古屋から約40~50分

自動車でのアクセス

高速道路利用

  • 東海北陸自動車道「岐阜羽島IC」から約10分
  • 名神高速道路「岐阜羽島IC」から約10分
  • 駐車場:羽島市歴史民俗資料館に駐車スペースあり(台数限定)

周辺の観光スポット

竹ヶ鼻城跡を訪れる際には、周辺の歴史的スポットも合わせて巡ることをおすすめします。

主な周辺スポット

  • 羽島市歴史民俗資料館:竹ヶ鼻城の歴史を学べる施設
  • 竹鼻別院:浄土真宗の寺院で、歴史ある建造物
  • 円鏡寺:竹鼻の古刹、美しい庭園が見どころ
  • 木曽川河川敷:かつて秀吉が水攻めに利用した木曽川の景観を楽しめる

竹ヶ鼻城の歴史的意義

美濃・尾張国境の要衝

竹ヶ鼻城は美濃国と尾張国の境界に位置し、両国を結ぶ交通の要衝でした。木曽川の渡河点に近く、軍事的にも経済的にも重要な拠点として機能していました。

戦国時代、この地域は織田氏、斎藤氏、豊臣氏、徳川氏といった有力大名の勢力争いの舞台となりました。竹ヶ鼻城はその最前線に位置し、時代の変遷とともに支配者が変わっていきました。

水攻めの歴史的価値

豊臣秀吉による竹ヶ鼻城の水攻めは、日本の城郭史において重要な事例として記録されています。備中高松城の水攻めほど有名ではありませんが、秀吉の戦術的才能を示す事例として研究されています。

平城に対する水攻めの実施は、地形と水利を最大限に活用した攻城戦術の典型例です。この戦いは、城郭の立地選定の重要性と、平城の脆弱性を示す教訓となりました。

関ヶ原前哨戦の舞台

関ヶ原の戦いにおける前哨戦として、竹ヶ鼻城の攻防は美濃国内の戦局を左右する重要な戦いでした。東軍による迅速な攻略は、その後の岐阜城攻めや関ヶ原本戦への道を開きました。

この戦いにより、美濃国内の西軍拠点が次々と陥落し、徳川家康の天下統一への道が確実なものとなっていきました。竹ヶ鼻城の落城は、戦国時代の終焉を象徴する出来事の一つと言えます。

竹ヶ鼻城の研究と今後の課題

考古学的研究の現状

竹ヶ鼻城に関する考古学的研究は、遺構の消滅により大きく制限されています。しかし、近年では文献史学と考古学を組み合わせた総合的研究が進められています。

発掘調査は限定的ですが、周辺地域での調査により、中世から近世初期の遺物が発見されることがあります。これらの発見は、城下町の範囲や当時の生活様式を解明する手がかりとなっています。

史料の分析

竹ヶ鼻城に関する史料は、『信長公記』『太閤記』などの軍記物や、各種の古文書に散見されます。これらの史料を丹念に分析することで、城の歴史や構造、戦闘の詳細が徐々に明らかになってきています。

特に関ヶ原の戦いに関する史料は比較的豊富であり、東軍による攻撃の経過や、城の陥落状況について詳細な記録が残されています。

今後の研究課題

竹ヶ鼻城研究における最大の課題は、城の正確な位置と規模の特定です。市街地化が進んだ現在、大規模な発掘調査は困難ですが、地中レーダー探査などの非破壊調査技術の活用が期待されています。

また、水攻めの具体的な手法や、城の防御システムについても、さらなる研究が必要です。他の水攻め事例との比較研究により、秀吉の攻城戦術の特徴がより明確になる可能性があります。

竹ヶ鼻城を訪れる際のポイント

見学の所要時間

竹ヶ鼻城跡の見学には、平均して約20分程度の時間を見込むとよいでしょう。主な見どころは羽島市歴史民俗資料館の敷地内にある石碑と説明板です。

資料館内の展示をじっくり見学する場合は、さらに30分~1時間程度を追加することをおすすめします。周辺の寺社や旧市街地を散策する場合は、半日程度の時間を確保すると充実した訪問になります。

訪問時の注意点

竹ヶ鼻城跡は市街地内にあり、遺構はほとんど残っていません。城跡を訪れる際は、以下の点に注意してください。

  • 石碑と説明板以外の明確な遺構はありません
  • 私有地に立ち入らないよう注意が必要です
  • 資料館の開館日・開館時間を事前に確認してください
  • 御城印の購入を希望する場合は、販売場所と時間を確認してください
  • 写真撮影は周辺住民の迷惑にならないよう配慮してください

おすすめの訪問時期

竹ヶ鼻城跡は年間を通じて訪問可能ですが、特におすすめの時期は以下の通りです。

春(3月~5月)

  • 気候が穏やかで散策に最適
  • 周辺の桜や新緑が美しい季節

秋(10月~11月)

  • 涼しく歩きやすい気候
  • 紅葉の季節で景観が美しい

イベント時期

  • 羽島市で開催される歴史関連イベントの際には、特別展示やガイドツアーが実施されることがあります

まとめ

竹ヶ鼻城(岐阜県羽島市)は、応仁年間に築城され、戦国時代を通じて美濃・尾張国境の重要拠点として機能した平城です。豊臣秀吉による水攻め、関ヶ原前哨戦での落城という二度の大きな戦いを経験し、慶長5年(1600年)以降に廃城となりました。

現在、城の遺構はほぼ完全に消滅していますが、羽島市歴史民俗資料館の敷地内に石碑と説明板が設置されており、その歴史を今に伝えています。御城印も販売されており、城郭ファンの訪問先として知られています。

竹ヶ鼻城の歴史は、戦国時代から江戸時代初期にかけての激動の時代を象徴しています。遺構は失われていますが、その歴史的意義は大きく、日本の城郭史において重要な位置を占めています。岐阜県を訪れる際には、ぜひ竹ヶ鼻城跡に足を運び、この地に刻まれた歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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