額田城(茨城県那珂市)

額田城(茨城県那珂市)
所在地 〒311-0107 茨城県那珂市額田南郷103
公式サイト http://www.city.naka.lg.jp/page/page000640.html

額田城(茨城県那珂市)完全ガイド:戦国時代の巨大城郭の歴史と見どころを徹底解説

茨城県那珂市に位置する額田城(ぬかだじょう)は、県内でも屈指の規模を誇る中世城郭です。東京ドーム約22個分という広大な城域と、深く長い空堀が特徴的なこの城跡は、戦国時代の地方豪族の勢力を今に伝える貴重な史跡として注目されています。本記事では、額田城の歴史、構造、見どころ、アクセス方法まで、城郭ファンはもちろん歴史愛好家にも役立つ情報を網羅的にお届けします。

額田城の歴史:鎌倉時代から戦国時代まで

額田城の築城と額田氏の成立

額田城の歴史は鎌倉時代に遡ります。建長年間(1249~1256年)、常陸国の有力武士であった佐竹氏5代当主・佐竹義重の次男である義直がこの額田の地に入り、額田氏を名乗ったことが始まりとされています。義直は額田の地に城を築き、以後、額田氏は代々この地を本拠として勢力を拡大していきました。

額田氏は佐竹氏の一門として、常陸国北部における佐竹氏の勢力拡大に重要な役割を果たしました。鎌倉時代から南北朝時代にかけて、額田城は段階的に拡張され、地方豪族の居城としては異例の規模へと発展していきます。

室町時代の額田城と佐竹氏との対立

室町時代に入ると、額田氏と本家である佐竹氏との関係に変化が生じます。応永30年(1423年)、額田義亮の時代に額田氏は佐竹氏と対立し、「額田城の戦い」が勃発しました。この戦いでは、足利持氏が二階堂信濃守、宍戸備前守らを援軍として額田氏に送り、一方の佐竹義憲は鳥名木国義、烟田軒幹らを総動員して額田城を攻めました。

同年3月31日、激しい攻防の末、額田城は落城し、城主の額田義亮は討死しました。しかし、この後も額田氏は存続し、額田城は再び額田氏の居城として機能することになります。この時期の戦いを経て、額田城の防御施設はさらに強化されたと考えられています。

戦国時代の額田城:拡張と最盛期

戦国時代に入ると、額田城は現在見られる規模にまで拡張されました。この時期、額田氏は再び佐竹氏の家臣団に組み込まれ、常陸国における佐竹氏の勢力維持に貢献していました。城域内には主郭を中心に複数の郭が構築され、東西約600メートル、南北約400メートルという広大な城郭となりました。

戦国時代後期には、額田氏に代わって佐竹氏の重臣である小野崎氏が城主を務めた時期もあったとされています。小野崎昭通が城主であった時期もあり、佐竹氏の北方防衛の要として重要な役割を担っていました。

額田照通と額田城の落城

額田城の歴史において最も劇的な出来事は、天正19年(1591年)の落城です。当時の城主であった額田照通(小野崎照通とも)は、奥州の覇者である伊達政宗と通じたとして、佐竹義宣の怒りを買いました。

佐竹義宣は大軍を率いて額田城を攻撃し、激しい攻防戦の末、額田城は落城しました。照通は城を脱出し、頼みとしていた伊達政宗のもとへ落ち延びました。この落城により、中世城郭としての額田城の歴史は事実上終わりを迎えることになります。

江戸時代以降:額田照通の帰国と城跡の変遷

慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦い後の論功行賞により、佐竹義宣は常陸国から秋田へ転封となりました。この機会に、額田照通は常陸国へ帰国を果たします。照通は「額田久兵衛」と名を改め、新たに水戸藩主となった徳川頼房に仕えることになりました。

江戸時代に入ると、額田城は廃城となり、城跡は農地や山林として利用されるようになりました。しかし、その巨大な土木遺構は破壊されることなく、現代まで良好な状態で保存されることとなります。

額田城の構造と縄張り:巨大城郭の特徴

立地と地形の活用

額田城は、茨城県那珂市額田地区の台地南端に位置しています。標高約30メートルの額田台地の端部を巧みに利用した連郭式平山城で、南側の低湿地との比高差は約15メートルあります。この地形的優位性を最大限に活用した縄張りが、額田城の最大の特徴です。

台地の縁辺部に主要な防御施設を集中させることで、自然の地形と人工の土木工事を組み合わせた堅固な防御体系を構築しています。特に南側と東側は急峻な斜面となっており、敵の接近を困難にしています。

主郭と曲輪の配置

額田城の中心部は主郭(本丸)を核として、複数の曲輪が連続的に配置された連郭式の構造をとっています。主郭は城域の中央やや北寄りに位置し、東西約100メートル、南北約80メートルの広さを持つ方形の平場となっています。

主郭の周囲には二の郭、三の郭、四の郭などが配置され、それぞれが深い空堀によって区画されています。これらの曲輪は、主郭を防御するための多重の防御線を形成しており、敵が主郭に到達するまでに何段階もの防御施設を突破しなければならない構造となっています。

現在明瞭な遺構が残るのは主郭を中心とした主要部ですが、それだけでもかなりの広さがあり、往時の城域全体の規模の大きさを実感することができます。

空堀の規模と特徴

額田城の最大の見どころは、主郭周囲を巡る深く長い空堀です。この空堀は深さが10メートル以上に達する箇所もあり、幅も広く、その規模は茨城県内の城郭の中でも屈指のものです。

空堀は単なる防御施設としてだけでなく、曲輪間の明確な区画線としても機能していました。堀底は現在でも明瞭に確認でき、歩いて巡ることができます。堀の壁面は急峻で、敵兵が這い上がることは極めて困難であったことが想像できます。

特に主郭の東側と南側の空堀は保存状態が良好で、戦国時代の土木技術の高さを今に伝えています。堀の形状は箱堀(断面が箱型)となっており、底部は平坦に整地されています。

土塁と虎口

空堀とともに重要な防御施設が土塁です。各曲輪の周囲には土塁が築かれており、特に主郭の土塁は高さ3~4メートルに達する部分もあります。土塁の上には柵や塀が設けられていたと考えられ、敵の侵入をさらに困難にしていました。

虎口(出入口)は各曲輪に設けられており、直線的ではなく屈曲した構造となっています。これは敵の侵入を遅らせ、防御側が有利に戦えるようにするための工夫です。主郭への虎口は特に厳重に防御されており、複数の防御施設を組み合わせた複雑な構造となっていたことが地形から読み取れます。

城域の広がりと外郭施設

主要部以外にも、額田城には広大な外郭が存在していました。城域全体は東京ドーム約22個分(約100ヘクタール)に及ぶとされ、一地方豪族の城としては異例の規模です。

外郭部には家臣団の屋敷や倉庫、厩などが配置されていたと考えられています。また、城下町的な集落も形成されており、額田氏の支配の中心地として機能していました。現在は多くが宅地や農地となっていますが、地名や微地形にその痕跡を見ることができます。

額田城の見どころ:現地で体験する戦国の遺構

主郭の広大な平場

額田城を訪れてまず圧倒されるのが、主郭の広大な平場です。現在は平坦な広場となっており、往時の建物跡などは確認できませんが、その広さから城主の居館や重要施設がここに集中していたことが想像できます。

主郭からは周囲の景色を見渡すことができ、城の立地の良さを実感できます。晴れた日には遠くの山並みまで見渡せ、戦国時代の城主たちもこの景色を眺めていたのだろうと思いを馳せることができます。

迫力満点の大空堀

額田城最大の見どころは、やはり主郭周囲の大空堀です。特に東側の空堀は深さ・幅ともに圧倒的で、堀底に降りて見上げると、その迫力に圧倒されます。

空堀は現在も良好に保存されており、堀底を歩いて巡ることができます。堀の壁面は垂直に近い急斜面となっており、戦国時代の防御施設としての機能を肌で感じることができます。写真撮影のスポットとしても人気があり、城郭ファンの間では「茨城県内でも最高レベルの空堀」として高く評価されています。

保存状態の良い土塁

各曲輪を区画する土塁も見どころの一つです。主郭の土塁は特に高く、往時の姿をよく留めています。土塁の上を歩くことができる箇所もあり、そこからは空堀を見下ろすことができます。

土塁の形状や高さの変化から、防御上重要な箇所とそうでない箇所の違いを読み取ることもでき、城郭研究の面白さを体験できます。

案内板と整備状況

額田城跡は地元の保存会によって整備が進められており、主要な見どころには案内板が設置されています。案内板には城の歴史や構造についての説明があり、初めて訪れる人でも理解しやすくなっています。

遊歩道も整備されており、主要な遺構を巡るルートが設定されています。ただし、一部には足場の悪い箇所もあるため、訪問の際は歩きやすい靴を着用することをおすすめします。

周辺の関連史跡

額田城跡の周辺には、額田氏や額田城に関連する史跡が点在しています。

阿弥陀寺は額田氏の菩提寺として知られ、境内には額田氏に関する史料や墓所があります。春には枝垂れ桜が美しく咲き誇り、歴史散策と花見を同時に楽しむことができます。

毘盧遮那寺も額田地区の古刹で、額田氏との関わりが深い寺院です。境内には古い石造物が残されており、中世の雰囲気を感じることができます。

これらの寺院を含めた歴史散策コースを巡ることで、額田城と額田氏の歴史をより深く理解することができます。

額田城へのアクセスと訪問情報

所在地と基本情報

所在地: 茨城県那珂市額田

城郭分類: 平山城(連郭式)

築城年: 建長年間(1249~1256年)

築城者: 額田義直(佐竹義重の次男)

主要城主: 額田氏、小野崎氏

廃城年: 天正19年(1591年)

遺構: 曲輪、空堀、土塁

指定文化財: 那珂市指定史跡

車でのアクセス

常磐自動車道を利用する場合:

  • 那珂ICから約10分
  • 東水戸道路・那珂ICからも約10分

城跡付近には専用の駐車場が整備されており、無料で利用できます。駐車場から主郭までは徒歩約5分程度です。カーナビで「額田城跡」または「茨城県那珂市額田」と入力すれば、概ね正確に案内されます。

公共交通機関でのアクセス

JR水郡線を利用する場合:

  • 上菅谷駅から徒歩約25分、またはタクシー約5分
  • 額田駅からも徒歩約25分

公共交通機関でのアクセスはやや不便ですが、歴史散策を兼ねて駅から歩くのも一興です。道中には額田地区の古い街並みや史跡を見ることができます。

見学時の注意事項

  • 見学時間: 特に制限はありませんが、日中の明るい時間帯の訪問を推奨します
  • 見学料: 無料
  • 所要時間: 主要部の見学で約30分~1時間、周辺史跡を含めると2~3時間
  • 服装: 歩きやすい靴、長袖長ズボンを推奨(夏季は虫除け対策も)
  • 設備: トイレは駐車場付近にあります
  • その他: 雨天時や雨上がりは足場が滑りやすくなるため注意が必要です

訪問に適した季節

額田城跡は四季を通じて訪問できますが、それぞれの季節に特徴があります。

春(3月下旬~5月): 周辺の桜が美しく、特に阿弥陀寺の枝垂れ桜は必見です。新緑も美しく、散策に最適な季節です。

夏(6月~8月): 緑が濃く、遺構がやや見にくくなりますが、涼しい朝の時間帯は快適です。虫除け対策は必須です。

秋(9月~11月): 紅葉が美しく、空気も澄んでいるため、城跡散策に最も適した季節です。

冬(12月~2月): 草木が枯れて遺構が最も見やすくなります。城郭研究目的の訪問には最適ですが、防寒対策が必要です。

額田城の評価と他の茨城県の城郭との比較

茨城県内での位置づけ

額田城は、茨城県内の中世城郭の中でも最高ランクの遺構を誇る城跡の一つです。同じく那珂市にある小幡城、石神城と並んで「那珂市三大城郭」とも呼ばれ、城郭ファンの間では高く評価されています。

特に空堀の規模と保存状態においては県内屈指であり、「茨城県の城を見るなら必ず訪れるべき城跡」として推奨されることが多い城です。

佐竹氏関連城郭としての重要性

常陸国の戦国大名であった佐竹氏の一門である額田氏の本拠地として、額田城は佐竹氏の勢力圏を理解する上で重要な城郭です。佐竹氏本拠の太田城(常陸太田市)や、支城である小場城、石神城などと合わせて見学することで、佐竹氏の城郭ネットワークと支配体制を総合的に理解することができます。

関東地方の中世城郭としての特徴

額田城は、関東地方に多く見られる「土の城」の典型例です。石垣を用いず、土塁と空堀のみで構築された城郭ですが、その規模と技術レベルの高さは、戦国時代の関東における築城技術の到達点を示しています。

同時代の関東の城郭、例えば埼玉県の杉山城や群馬県の箕輪城などと比較しても、遜色ない規模と構造を持っており、関東の戦国史を学ぶ上で重要な史跡といえます。

額田城跡保存会の活動と地域の取り組み

額田城跡は、地元の「額田城跡保存会」によって保存・活用活動が行われています。保存会は定期的な草刈りや清掃活動を実施し、遺構の保存に努めています。

また、案内板の設置や見学路の整備、地元小学校での歴史学習支援なども行っており、地域の歴史遺産として額田城跡を次世代に継承する活動を続けています。

那珂市も額田城跡を重要な観光資源として位置づけており、市の観光パンフレットやウェブサイトで積極的に紹介しています。今後、さらなる整備や活用が期待される史跡です。

周辺の観光スポットと合わせて楽しむ

那珂市の他の史跡

那珂市には額田城以外にも多くの史跡があります。

那珂市歴史民俗資料館では、額田城を含む市内の歴史に関する展示が行われており、訪問前の予習や訪問後の復習に最適です。

静神社は常陸国二宮として知られる古社で、歴史的価値の高い神社です。額田城から車で約15分の距離にあります。

桜の名所巡り

那珂市は桜の名所としても知られています。額田地区では、前述の阿弥陀寺の枝垂れ桜のほか、毘盧遮那寺の桜も美しく、春の訪問では城跡散策と花見を同時に楽しむことができます。

また、那珂市総合運動公園には早咲きの河津桜があり、3月上旬から楽しむことができます。

水戸方面への周遊

額田城から水戸市中心部までは車で約30分です。水戸の偕楽園や弘道館などの観光名所と組み合わせた周遊観光も可能です。特に徳川頼房に仕えた額田照通の歴史を踏まえると、水戸徳川家の史跡との関連も興味深いものがあります。

まとめ:額田城の魅力と訪問の価値

額田城(茨城県那珂市)は、戦国時代の地方豪族の居城として、県内最高レベルの遺構を今に伝える貴重な史跡です。東京ドーム22個分という広大な城域、深く長い空堀、保存状態の良い土塁など、見どころは豊富で、城郭ファンはもちろん、歴史に興味のある方なら誰でも楽しめる場所です。

鎌倉時代から戦国時代まで続いた額田氏の歴史、佐竹氏との複雑な関係、伊達政宗との密通による落城、そして江戸時代の額田照通の帰国と徳川氏への仕官という波乱に満ちた歴史は、中世から近世への転換期における地方武士の生き様を象徴しています。

現地を訪れることで、文献だけでは得られない臨場感と、戦国時代の息吹を感じることができるでしょう。茨城県を訪れる際には、ぜひ額田城跡に足を運び、その壮大なスケールと歴史の重みを体感してください。

地元の保存会や那珂市の努力により、遺構は良好に保存され、見学環境も整備されています。無料で気軽に訪問できる点も魅力の一つです。歴史散策の目的地として、また茨城県の隠れた名所として、額田城は訪れる価値のある素晴らしい史跡です。

地図

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