久能山城の歴史と見どころ完全ガイド|武田信玄が築いた駿河湾の要塞
久能山城(くのうざんじょう)は、静岡県静岡市駿河区根古屋にかつて存在した山城で、現在は久能山東照宮として多くの参拝者が訪れる場所となっています。駿河湾を一望できる標高216メートルの断崖絶壁に築かれたこの城は、戦国時代における駿河国の重要な軍事拠点として機能しました。
久能山城の立地と地理的特徴
久能山城は、静岡平野に独立してそびえる有度山(日本平)の南東部、駿河湾に面した急峻な支尾根上に位置しています。標高約216メートル(一説には210メートル)の山頂部から駿河湾を見下ろす絶好の位置にあり、三方を断崖に囲まれた天然の要害です。
眼下には駿河湾が広がり、晴れた日には伊豆半島や富士山を望むことができる景勝地でもあります。この地理的特性が、戦国時代において重要な戦略拠点として選ばれた理由でした。現在でも日本平ロープウェイや表参道の1159段の石段からその険しさを体感することができます。
久能山城以前の歴史|久能寺の時代
久能山城が築かれる以前、この地には推古天皇の時代(7世紀初頭)に建立されたとされる久能寺という古刹がありました。久能寺は補陀落山久能寺と称し、奈良時代には行基が訪れたとも伝えられる由緒ある寺院でした。
平安時代から戦国時代まで、久能寺は駿河国における重要な仏教施設として栄えました。今川氏の時代には今川家の庇護を受け、駿河国の宗教的中心地の一つとして機能していたと考えられています。一部の研究では、今川氏時代にすでに久能山が軍事的に利用されていた可能性も指摘されています。
武田信玄による久能山城の築城
永禄11年(1568年)の駿河侵攻
永禄11年(1568年)12月、甲斐国の戦国大名・武田信玄は駿河国への侵攻を開始しました。今川氏真を駿府から追い出した武田信玄は、駿河湾の海上交通を監視し、駿河国支配を確実にするため、久能山の戦略的価値に着目しました。
信玄は久能寺を北矢部(現在の静岡市清水区、現在の鉄舟寺の地)に移転させ、久能山を城塞化する大規模な工事に着手しました。この決断は、海からの物資輸送ルートを掌握し、駿河湾を通じた今川氏や北条氏の動きを監視するという明確な戦略に基づいていました。
「武田の三名城」としての評価
甲州流軍学書『甲陽軍鑑』には、久能山城が「駿河に久能、甲州に岩殿、上州に岩櫃(吾妻)」と並んで「武田の三名城」の一つに数えられたことが記されています。これは武田氏が支配した領国内で最も堅固な城として認識されていたことを示しています。
武田信玄は久能山城の築城にあたり、山頂部から中腹にかけて複数の曲輪(くるわ)を段状に配置し、急峻な地形を最大限に活用した縄張りを施しました。石垣や土塁を巧みに組み合わせ、わずかな兵力でも守り抜ける堅固な要塞を完成させたのです。
徳川家康と久能山城
天正10年(1582年)徳川氏の領有
天正10年(1582年)3月、織田信長・徳川家康連合軍による甲州征伐により武田氏が滅亡すると、駿河国は徳川家康の領有するところとなりました。久能山城も自然と徳川氏の支配下に入り、家康の異父弟である松平勝俊が城主に任命されました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐後、家康が関東に移封されると、駿府城主となった中村一氏の家臣・松下吉綱が久能山城の城主となりました。松下吉綱は家康の幼少期に仕えた人物であり、信頼できる人物を配置したことがうかがえます。
家康の久能山への思い入れ
慶長12年(1607年)、大御所として駿府城に隠居した徳川家康は、「久能城は駿府城の本丸と思う」と語ったと伝えられています。これは久能山城が駿府の防衛において極めて重要な位置を占めていたことを示す言葉です。
元和2年(1616年)4月17日、75歳で駿府城において死去した家康は、その遺命により久能山に埋葬されることとなりました。これは家康自身が久能山の地を特別視していたことの証であり、日本の歴史において重要な意味を持つ決断でした。
久能山東照宮の造営と城の終焉
元和3年(1617年)東照社の創建
家康の死後、2代将軍・徳川秀忠の命により、元和3年(1617年)12月に久能山に東照社(後の久能山東照宮)が造営されました。この造営工事は江戸幕府の威信をかけた一大プロジェクトで、全国の大名が動員され、わずか1年7ヶ月という短期間で完成しました。
東照宮の造営に伴い、久能山城は廃城となりました。かつての愛宕曲輪には家康の墓所が設けられ、城の遺構の多くは東照宮の境内として改変されることとなりました。しかし、現在でも石段や石垣、曲輪の配置など、城郭としての面影を随所に見ることができます。
久能山東照宮の建築的価値
久能山東照宮の社殿は、権現造の様式を完成させた建築として国宝に指定されています。極彩色の彫刻や漆塗り、金箔を多用した豪華絢爛な装飾は、江戸時代初期の建築技術の粋を集めたものです。日光東照宮よりも早く完成したこの社殿が、後の東照宮建築の原型となりました。
久能山城の構造と遺構
城郭の縄張りと曲輪配置
久能山城は山頂部の本丸を中心に、斜面に沿って段状に曲輪が配置された典型的な山城です。主要な曲輪としては、本丸(愛宕曲輪)、二の曲輪、三の曲輪などが確認されており、各曲輪は石垣や切岸で区画されていました。
現在の久能山東照宮の境内は、かつての城郭の遺構を基盤として造営されているため、社殿の配置からも当時の縄張りを推測することができます。特に表参道の石段は、城の大手道の名残を留めており、防御のために急峻に設計された当時の様子を今に伝えています。
現存する遺構と見どころ
久能山東照宮として改変を受けたものの、城郭遺構として以下のような見どころが残されています。
石垣と切岸: 東照宮の境内各所に、武田氏時代や徳川氏時代の石垣が残されています。特に野面積みの石垣は戦国時代の技術を示す貴重な遺構です。
曲輪の段差: 社殿が建つ平坦地は、かつての曲輪の跡です。標高差を利用した防御的な配置が今も確認できます。
一の門: 東照宮の楼門は、城の虎口(出入口)の機能を持っていた場所に建てられており、城郭建築の名残を感じることができます。
表参道の石段: 1159段の石段は、城の大手道として機能していた登城路の名残です。急峻な石段を登ることで、攻城の困難さを体感できます。
久能山城の歴史的意義
駿河支配の要としての役割
久能山城は、駿河湾の海上交通を監視・統制する上で極めて重要な位置にありました。武田信玄が駿河侵攻後、真っ先にこの地を城塞化したのは、駿河国支配を確実にするための戦略的判断でした。
海からの物資輸送ルートを掌握することは、戦国時代の領国経営において死活的に重要でした。久能山城からは駿河湾全域を見渡すことができ、船の動きを監視し、必要に応じて海上交通を遮断することも可能でした。
徳川家康終焉の地としての意味
家康が自らの埋葬地として久能山を選んだことは、この地が持つ精神的・戦略的重要性を物語っています。久能山は駿府を守る要衝であると同時に、富士山を望む霊験あらたかな地でもありました。
家康の墓所が設けられたことで、久能山は江戸幕府の精神的支柱の一つとなり、歴代将軍や大名たちが参拝する聖地となりました。軍事拠点から霊廟へと性格を変えながらも、久能山は江戸時代を通じて重要な場所であり続けたのです。
久能山城と周辺の史跡
駿府城との関係
久能山城は駿府城の「本丸」と家康が評したように、駿府の防衛体制において重要な役割を担っていました。駿府城から南東約10キロメートルの位置にあり、駿河湾からの脅威に対する最前線の砦として機能しました。
駿府城と久能山城を結ぶ街道は、軍事的にも経済的にも重要なルートでした。現在でも静岡市内から久能山へ向かう道筋には、当時の面影を残す史跡が点在しています。
日本平との関係
久能山の背後にそびえる日本平(標高307メートル)は、有度山とも呼ばれ、久能山城の後背地として重要な位置にありました。現在は日本平ロープウェイで久能山東照宮と日本平が結ばれており、観光ルートとして多くの人々に利用されています。
日本平山頂からは駿河湾、富士山、南アルプスを一望でき、久能山城がいかに優れた眺望を持つ場所に築かれたかを実感できます。
訪問ガイド|久能山城(久能山東照宮)の見学方法
開館時間と拝観料
久能山東照宮の拝観時間は、4月1日から10月31日までが午前9時から午後5時まで、11月1日から3月31日までが午前9時から午後4時までです(最終入場は閉門30分前)。年中無休で拝観可能です。
拝観料は大人500円、小中学生200円です。博物館との共通券もあり、大人800円、小中学生300円となっています。久能山東照宮博物館では、家康の遺品や武具、刀剣類など貴重な文化財が展示されています。
アクセス方法
久能山東照宮(久能山城跡)へのアクセスには、主に3つのルートがあります。
表参道ルート(石段): 最も歴史的な登城路です。久能山下バス停から1159段の石段を登ります。所要時間は約20分ですが、かなりの体力を要します。しかし、この石段こそが城の大手道の名残であり、城郭ファンには最もおすすめのルートです。
日本平ロープウェイ: 日本平山頂から久能山東照宮までロープウェイで約5分です。体力に自信がない方や、時間を節約したい方におすすめです。ロープウェイからは駿河湾の絶景を楽しめます。往復1250円、片道600円です。
裏参道ルート: 久能山下の駐車場から比較的緩やかな坂道を登るルートです。表参道よりは楽ですが、それでも相応の体力が必要です。
車でのアクセス: 東名高速道路静岡ICまたは清水ICから約30分です。久能山下に有料駐車場(普通車500円)があります。日本平にも駐車場があり、そこからロープウェイを利用できます。
公共交通機関: JR静岡駅からしずてつジャストライン「久能山下」行きバスで約40分、終点下車です。または、静岡駅から日本平行きバスで日本平まで行き、ロープウェイを利用する方法もあります。
見学のポイントと所要時間
久能山東照宮の境内をじっくり見学する場合、1時間半から2時間程度を見込むとよいでしょう。博物館も見学する場合は、さらに30分から1時間追加してください。
城郭遺構を意識しながら見学する際は、以下のポイントに注目してください。
- 石段を登りながら、防御のための急峻な設計を体感する
- 各曲輪の段差と配置を確認する
- 石垣の積み方(野面積み、打込接など)の違いを観察する
- 社殿の配置と、かつての曲輪の関係を想像する
- 境内から駿河湾を見下ろし、海上監視の要としての立地を実感する
周辺の観光スポット
久能山東照宮周辺には、いちご狩りができる観光農園が多数あり、特に冬から春にかけては「石垣いちご」として有名です。また、駿河湾沿いには新鮮な海鮮料理を楽しめる飲食店も多くあります。
日本平山頂には日本平夢テラスという展望施設があり、360度のパノラマビューを楽しめます。久能山城の立地を俯瞰的に理解するには最適の場所です。
久能山城の御城印と関連グッズ
久能山東照宮では、久能山城の御城印が頒布されています。武田氏時代の城としての歴史を記念したデザインで、城郭ファンや御城印コレクターに人気です。
御城印は社務所で購入でき、価格は300円です。訪問記念として、また城郭巡りの証として入手してみてはいかがでしょうか。
まとめ|久能山城の魅力
久能山城は、武田信玄が築いた「武田の三名城」の一つとして、戦国時代の駿河国において重要な役割を果たしました。駿河湾を見下ろす絶好の立地は、海上交通の監視という戦略的価値を持ち、徳川家康も「駿府城の本丸」と評したほどの要衝でした。
現在は久能山東照宮として、家康終焉の地、そして国宝建築として多くの人々を魅了していますが、その基盤には戦国時代の堅固な山城の歴史があります。1159段の石段を登り、曲輪の配置を確認し、駿河湾を見下ろす眺望を楽しむことで、武田信玄や徳川家康が見た景色を追体験することができるでしょう。
静岡県を訪れる際には、ぜひ久能山城跡(久能山東照宮)を訪れ、戦国時代から江戸時代へと続く日本の歴史の重層性を体感してください。城郭としての遺構と、霊廟としての荘厳さが融合した、他に類を見ない史跡があなたを待っています。
