五ヶ所城(三重県度会郡南伊勢町)

五ヶ所城(三重県度会郡南伊勢町)
所在地 〒516-0101 三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦
公式サイト https://www.town.minamiise.lg.jp/admin/shoshiki/kyouikuiinkai/bunkazai/584.html

五ヶ所城(三重県度会郡南伊勢町)の歴史・見所・アクセス完全ガイド

五ヶ所城とは

五ヶ所城(ごかしょじょう)は、三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦字城山に所在する中世山城です。別名を愛洲城(あいすじょう)、五箇所城とも呼ばれ、南北朝時代から戦国時代にかけて伊勢南部で勢力を誇った愛洲氏の居城として知られています。

五ヶ所川が北から西を流れる断崖上の丘陵に築かれたこの城は、標高約41メートル、比高約40メートルの自然地形を巧みに利用した堅固な山城でした。城跡は現在、三重県指定史跡となっており、曲輪、土塁、横堀(空堀)、石垣などの遺構が良好な状態で残されています。

五ヶ所城は単なる軍事拠点としてだけでなく、日本剣術史上重要な人物である愛洲移香斎久忠(あいすいこうさいひさただ)の生誕地としても歴史的価値を持ちます。移香斎は陰流の祖として知られ、後の剣術流派に多大な影響を与えた元祖剣豪とされています。

五ヶ所城の歴史

愛洲氏の台頭と五ヶ所城の築城

愛洲氏は南北朝時代に南朝方として活躍した伊勢国の土豪です。康永年間(1342年~1345年)には既にこの地域で勢力を持っていたとされ、五ヶ所浦一帯を支配していました。愛洲氏の出自については諸説ありますが、伊勢国度会郡を本拠とする在地領主として成長したと考えられています。

五ヶ所城の築城時期については明確な記録が残されていませんが、南北朝期に愛洲氏が勢力を確立する過程で築かれたと推定されています。室町時代中期には、愛洲氏は一之瀬城から五ヶ所城へと居城を移しており、この時期に城郭としての整備が進んだと考えられます。

南朝方としての活動

南北朝の動乱期において、愛洲氏は一貫して南朝方に属し、伊勢南部における南朝勢力の重要な拠点となりました。北畠氏との関係も深く、伊勢国司であった北畠氏の影響下で活動していたとされています。

五ヶ所城は五ヶ所川という天然の要害に守られた位置にあり、海上交通の要衝でもある五ヶ所浦を押さえる戦略的拠点でした。愛洲氏はこの地の利を活かして勢力を維持し、周辺の土豪との関係を築いていきました。

愛洲移香斎久忠と剣術の発展

愛洲氏の中で最も著名な人物が、陰流の祖として知られる愛洲移香斎久忠です。移香斎は五ヶ所城で生まれ、若くして剣術の修行に励みました。鹿島神宮での千日籠もりの修行を経て独自の剣術を編み出し、陰流を創始したとされています。

移香斎の剣術は後の多くの流派に影響を与え、新陰流の開祖・上泉信綱も陰流の影響を受けたとされています。五ヶ所城は日本剣術史において重要な聖地の一つと言えるでしょう。

織田信雄による攻撃と愛洲氏の滅亡

五ヶ所城の歴史は天正4年(1576年)に大きな転換点を迎えます。織田信長の次男で北畠氏の養子となった織田信雄(北畠信意)が、伊勢国の統一を図る過程で五ヶ所城を攻撃したのです。

この攻撃は北畠氏による伊勢南部の支配強化の一環として行われました。織田信雄は田丸城を拠点として勢力を拡大しており、独自性を保っていた愛洲氏は標的となりました。激しい攻防の末、五ヶ所城は落城し、城主の愛洲重明(あいすしげあき)は志摩国迫子(はさこ)まで逃れた後、自害したと伝えられています。

これにより、南北朝時代から続いた愛洲氏の勢力は滅亡し、五ヶ所城も廃城となりました。天正4年という時期は、織田信長が天下統一を進める中で各地の在地勢力が淘汰されていった時代であり、愛洲氏の滅亡もその流れの一つでした。

廃城後の五ヶ所城

廃城後の五ヶ所城は、その後再び軍事拠点として利用されることはありませんでした。城跡は長い間放置されていましたが、近年になって歴史的価値が再認識され、三重県指定史跡として保護されるようになりました。

現在では城跡の整備が進められ、登城路も整備されています。地元の南伊勢町では愛洲氏と五ヶ所城の歴史を地域の誇りとして、観光資源としての活用も図られています。

五ヶ所城の構造と縄張り

全体の縄張り構成

五ヶ所城は五ヶ所川に面した丘陵上に築かれた典型的な中世山城です。標高約41メートル、比高約40メートルという規模は、地方土豪の居城としては標準的なものですが、その縄張りは非常に技巧的で防御性の高い設計となっています。

城は主郭を中心に、複数の曲輪が階段状に配置された連郭式の構造を持ちます。北側と西側を五ヶ所川の断崖が守り、南側と東側には人工的な防御施設が集中的に配置されています。この配置は自然地形を最大限に活用した合理的な設計と言えます。

主郭とその特徴

城の中心となる主郭は、城跡の最高所に位置しています。主郭の規模は東西約30メートル、南北約25メートルほどで、周囲を土塁が取り囲んでいます。この土塁は高さ1~2メートル程度で、一部には石垣の痕跡も確認できます。

主郭の虎口(出入口)は南側に設けられており、食い違い虎口の形態を取っています。これは敵の侵入を防ぐための工夫で、直進できない構造になっています。主郭からは五ヶ所浦の集落や海を一望でき、監視機能も果たしていたことがわかります。

主郭内には現在「五箇所城址」の石碑が立てられており、竹林と雑木に囲まれた静かな空間となっています。発掘調査では建物の礎石や柱穴の跡が確認されており、城主の居館や倉庫などの建物があったと推定されています。

二重の曲輪と防御ライン

主郭の周囲には二重の曲輪が配置されています。第一曲輪は主郭の東側と南側を取り囲むように設けられており、幅10~15メートルほどの帯曲輪となっています。この曲輪には土塁が築かれ、主郭への接近を防ぐ第一の防御ラインとなっていました。

第二曲輪はさらにその外側、特に南側に広く展開しています。ここは兵士の駐屯地や物資の集積所として使われたと考えられます。曲輪間の高低差は3~5メートル程度あり、敵が登攀するには困難な構造になっています。

横堀と土塁による防御システム

五ヶ所城の特徴的な遺構の一つが、南側に設けられた横堀(空堀)です。この横堀は幅5~8メートル、深さ3~4メートルほどで、東西方向に長く延びています。横堀の外側(南側)には高さ2~3メートルの土塁が築かれており、二重の防御ラインを形成しています。

この横堀と土塁のシステムは、南側からの攻撃に対する主要な防御施設でした。横堀は完全に城を一周するものではなく、地形的に防御が必要な部分に集中的に配置されています。これは効率的な築城技術の表れと言えます。

土塁の一部には石垣が用いられており、特に虎口周辺では石材を積み上げた痕跡が確認できます。これらの石垣は野面積みの技法で築かれており、戦国時代の石垣技術の発展段階を示す貴重な遺構です。

居館跡と城下の構造

城山の麓、五ヶ所川沿いには愛洲氏の居館跡があります。現在「愛洲の館」として展示施設が建てられているこの場所は、愛洲氏の日常的な居住空間であったと考えられています。戦時には山上の五ヶ所城に籠城し、平時には麓の居館で政務を執るという、典型的な中世城郭の使い分けがなされていました。

居館跡からは礎石や井戸跡、土塁の痕跡などが発見されており、かなり規模の大きな屋敷があったことがわかります。居館跡と墳墓を含めて三重県指定文化財となっており、城跡とともに重要な史跡として保護されています。

五ヶ所城の見所

保存状態の良い曲輪と土塁

五ヶ所城の最大の見所は、保存状態の良い曲輪と土塁の遺構です。主郭を取り囲む土塁は、450年以上の時を経た現在でも明瞭に確認することができます。特に主郭南側の土塁は高さが保たれており、当時の城郭構造を実感できます。

曲輪の段差も明確に残っており、城郭の立体的な構造を理解するには最適です。各曲輪を歩いてみると、防御のための工夫や動線の設計が体感できるでしょう。

横堀と二重防御ライン

南側に設けられた横堀は、五ヶ所城の防御システムの核心部分です。堀の底に立って見上げると、両側の土塁の高さに圧倒されます。この横堀を越えて攻め込むことがいかに困難であったか、実際に現地を訪れることで理解できます。

横堀の外側に築かれた土塁も見応えがあります。土塁の上に登れば、攻撃側と防御側の視点の違いを体験できます。

虎口の構造

主郭への入口である虎口は、食い違い構造になっており、中世城郭の防御技術を学ぶ上で重要な遺構です。直進できない構造により、敵の侵入速度を遅らせ、側面から攻撃できる仕組みになっています。

虎口周辺には石垣の痕跡も残っており、特に重要な防御ポイントであったことがわかります。

眺望と立地の妙

主郭からの眺望も五ヶ所城の魅力の一つです。五ヶ所浦の集落、五ヶ所湾、そして天気が良ければ熊野灘まで見渡すことができます。この眺望から、五ヶ所城が海上交通の監視拠点としても機能していたことが実感できます。

五ヶ所川による天然の要害も、現地を訪れることで理解できます。川に面した断崖は攻めるのが極めて困難であり、自然地形を巧みに利用した築城技術の高さがわかります。

愛洲の館(居館跡)

城山の麓にある「愛洲の館」は、愛洲氏の居館跡に建てられた展示施設です。ここでは愛洲氏の歴史や愛洲移香斎久忠の剣術、五ヶ所城の変遷などが展示されています。城跡を訪れる前後に立ち寄ることで、より深く歴史を理解できるでしょう。

居館跡周辺には土塁や井戸跡なども残されており、中世武家屋敷の構造を学ぶことができます。

縄張図で学ぶ城郭構造

現地には縄張図を示した案内板が設置されており、城の全体構造を理解するのに役立ちます。縄張図を手に城跡を歩けば、各遺構の位置関係や防御システムの全体像が把握できます。

城郭に興味のある方は、事前に縄張図を入手して予習してから訪れることをお勧めします。

五ヶ所城へのアクセス

車でのアクセス

五ヶ所城へは車でのアクセスが最も便利です。

伊勢自動車道から:

  • 玉城ICから国道42号線、県道169号線、国道260号線経由で約50分
  • 伊勢西ICから国道23号線、国道260号線経由で約60分

国道260号線からのルート:
国道260号線の五ヶ所川に架かる橋の西側の交差点を北上し、県道12号線沿いに北上すると「愛洲の館」の案内看板があります。愛洲の館に駐車場があり、そこから城跡への登城路が整備されています。

駐車場は無料で、普通車10台程度が駐車可能です。

公共交通機関でのアクセス

公共交通機関を利用する場合は、以下のルートになります。

電車・バス:

  • JR・近鉄「伊勢市駅」から三重交通バス「南伊勢町方面行き」で約80分、「五ヶ所」バス停下車、徒歩約15分

ただし、バスの本数が限られているため、事前に時刻表を確認することをお勧めします。観光で訪れる場合は、レンタカーの利用が便利です。

登城路と所要時間

愛洲の館から城跡までは、整備された登城路を徒歩で約10~15分です。道は比較的緩やかですが、一部急な箇所もあるため、歩きやすい靴での訪問をお勧めします。

城跡内の見学には30分~1時間程度を見込むと良いでしょう。じっくりと遺構を観察したい方は、1時間以上の時間を確保することをお勧めします。

訪問時の注意点

  • 城跡は山林の中にあるため、夏季は虫除けスプレー、冬季でも長袖・長ズボンの着用を推奨します
  • 雨天時や雨上がりは足元が滑りやすくなるため注意が必要です
  • トイレは愛洲の館にあるので、登城前に利用しておきましょう
  • 飲み物は事前に用意しておくことをお勧めします
  • 城跡内には案内板がありますが、縄張図を持参するとより理解が深まります

周辺の観光スポット

愛洲の館

五ヶ所城の麓にある展示施設で、愛洲氏の歴史や愛洲移香斎久忠の剣術について学ぶことができます。五ヶ所城訪問の際は必ず立ち寄りたいスポットです。

南伊勢町の海岸線

南伊勢町は美しいリアス式海岸で知られています。五ヶ所湾をはじめ、透明度の高い海と複雑な海岸線が織りなす景観は見事です。ドライブコースとしても人気があります。

田丸城跡

織田信雄が拠点とした田丸城跡は、五ヶ所城から車で約40分の距離にあります。こちらも三重県指定史跡で、石垣や天守台が残る見応えのある城跡です。五ヶ所城と合わせて訪れることで、攻める側と守る側の城郭を比較できます。

伊勢神宮

日本を代表する神社である伊勢神宮は、五ヶ所城から車で約1時間の距離です。南伊勢観光と合わせて参拝するのも良いでしょう。

鵜倉園地

南伊勢町の景勝地で、ハートの入り江として知られる「ハートの湾」があります。展望台からの眺望は絶景で、写真スポットとしても人気です。

五ヶ所城の歴史的意義

五ヶ所城は、単なる地方豪族の城跡という以上の歴史的意義を持っています。

南北朝時代の南朝方拠点

南北朝の動乱期において、伊勢南部における南朝方の重要拠点であった五ヶ所城は、この地域の政治・軍事史を理解する上で欠かせない存在です。北畠氏との関係、周辺土豪との連携など、中世伊勢国の地域社会を知る手がかりとなっています。

日本剣術史における重要性

愛洲移香斎久忠という日本剣術史上の重要人物を輩出した五ヶ所城は、武術史の聖地としての価値も持ちます。陰流から派生した多くの剣術流派を考えると、五ヶ所城は日本の武道文化の源流の一つと言えるでしょう。

織田政権による地方統一の過程

天正4年の五ヶ所城攻めは、織田政権が伊勢国を完全に掌握する過程を示す事例です。在地勢力がどのように淘汰されていったかを具体的に示す史料として、戦国史研究においても重要な位置を占めています。

中世城郭の典型例

五ヶ所城の縄張りは、中世山城の典型的な構造を持ちながら、地域的特色も備えています。自然地形を活用した防御システム、曲輪の配置、土塁と横堀の組み合わせなど、中世城郭研究の好資料となっています。

五ヶ所城を訪れる際のポイント

歴史を学んでから訪問する

五ヶ所城を訪れる前に、愛洲氏の歴史や南北朝時代の伊勢国について基礎知識を得ておくと、現地での理解が深まります。愛洲の館で展示を見てから登城するのも良い方法です。

縄張図を活用する

城跡を訪れる際は、縄張図を持参することを強くお勧めします。現地の案内板だけでなく、詳細な縄張図があれば、各遺構の位置関係や防御システムの全体像を理解しやすくなります。

時間に余裕を持つ

五ヶ所城は規模としては中規模の城跡ですが、じっくり見学すると1時間以上かかります。遺構を丁寧に観察し、写真を撮り、景色を楽しむためには、時間に余裕を持って訪れることが大切です。

季節を考慮する

城跡は山林の中にあるため、訪問する季節によって見え方が異なります。新緑の季節や紅葉の時期は景観が美しく、冬季は木々の葉が落ちて遺構が見やすくなります。ただし、夏季は草木が茂って遺構が見にくくなる場合もあります。

写真撮影のポイント

五ヶ所城では以下のポイントで写真を撮ることをお勧めします:

  • 主郭の土塁
  • 南側の横堀と土塁
  • 虎口の構造
  • 主郭からの眺望
  • 五箇所城址の石碑
  • 曲輪の段差

まとめ

三重県度会郡南伊勢町の五ヶ所城は、南北朝時代から戦国時代にかけて伊勢南部で活躍した愛洲氏の居城であり、日本剣術史に名を残す愛洲移香斎久忠の生誕地としても知られる重要な史跡です。

標高41メートルの丘陵上に築かれたこの城は、五ヶ所川という天然の要害を活かしながら、曲輪、土塁、横堀、石垣などを巧みに配置した堅固な山城でした。天正4年(1576年)に織田信雄の攻撃を受けて落城し、愛洲氏は滅亡しましたが、その遺構は現在も良好な状態で保存されています。

三重県指定史跡として保護されている五ヶ所城跡は、中世城郭の構造を学ぶ上でも、南北朝時代の地域史を理解する上でも、日本剣術の源流を辿る上でも、非常に価値のある場所です。南伊勢の美しい自然の中で、450年以上前の歴史に思いを馳せながら城跡を巡る体験は、歴史ファンにとって忘れられない思い出となるでしょう。

伊勢方面を訪れる際は、ぜひ五ヶ所城跡に足を運んでみてください。愛洲氏の栄華と滅亡、そして日本剣術の源流に触れることができる貴重な機会となるはずです。

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