亀ヶ城(兵庫県・豊岡市)

亀ヶ城(兵庫県・豊岡市)
所在地 〒668-0332 兵庫県豊岡市但東町畑山
公式サイト https://www.tajima.or.jp/furusato/traditional_history_estate/121907/

亀ヶ城(兵庫県・豊岡市)完全ガイド|歴史・遺構・アクセス情報

亀ヶ城とは

亀ヶ城(かめがじょう)は、兵庫県豊岡市但東町太田に位置する中世山城で、豊岡市指定史跡として保存されています。標高172メートル、比高約150メートルの山稜に築かれたこの城は、但馬地方における戦国時代の山城遺構を最も良好な状態で残す城郭の一つとして、城郭研究者や山城ファンから高い評価を受けています。

国道482号線沿いの太田集落背後にそびえる城山に築かれた亀ヶ城は、鎌倉時代から戦国時代にかけて太田氏の居城として機能し、但馬守護の拠点として重要な役割を果たしました。現在でも畝状竪堀群、二重堀切、巨大な土塁など、戦国期の防御施設が驚くほど良好に保存されており、当時の築城技術の高さを今に伝えています。

亀ヶ城の基本情報

通称・別名

亀ヶ城は「亀ケ城」「亀城」とも表記されます。地元では「城山(じょうやま)」とも呼ばれており、太田地区のシンボル的存在として親しまれています。

所在地

住所: 兵庫県豊岡市但東町太田字城山
旧国名: 但馬国
地理的位置: 太田川北岸、出石から宮津へ向かう街道を見下ろす要衝

分類・構造

城郭分類: 山城
築城様式: 連郭式山城
縄張り構造: 東西約300メートルにわたる東西二つのゾーンで構成され、7つの主要曲輪を配置。東ゾーンと西ゾーンを巨大な二重堀切で区画する独特の構造を持ちます。

天守構造

中世山城のため天守は存在しませんでした。主郭には館が建てられていたと推定されますが、詳細な建築物の構造は不明です。

築城主・築城年

築城主: 太田昌明
築城年: 承久3年(1221年)
改修者: 太田氏歴代当主(戦国時代後期まで改修が加えられた)
城主: 太田氏(代々)
廃城年: 天正8年(1580年)、羽柴秀吉の但馬攻めにより落城後廃城

亀ヶ城の歴史

鎌倉時代:築城と太田氏の台頭

亀ヶ城の歴史は承久3年(1221年)、承久の乱の後に遡ります。この年、太田昌明が但馬守護職に任じられ、この地に城を築いたと伝えられています。太田氏は鎌倉幕府の御家人として但馬国の統治を任され、亀ヶ城を拠点として勢力を拡大していきました。

太田昌明が選んだこの地は、出石から京都府北部の宮津へと続く街道を押さえる戦略的要衝でした。太田川の北岸に位置し、周辺の平野部を一望できるこの山は、軍事的にも経済的にも重要な拠点となりました。

南北朝時代:動乱の中の亀ヶ城

南北朝時代に入ると、但馬国も全国的な動乱に巻き込まれます。太田氏は基本的に北朝方として活動しましたが、但馬国内では南朝方の勢力も強く、激しい攻防が繰り広げられました。この時期、亀ヶ城は何度か戦火に見舞われたと考えられますが、太田氏はその都度城を守り抜きました。

戦国時代:城郭の拡張と改修

戦国時代に入ると、亀ヶ城は大規模な改修が行われました。現在見られる畝状竪堀群や二重堀切などの遺構は、この時期に構築されたものと考えられています。これらは織豊期(織田信長・豊臣秀吉の時代)の築城技術を取り入れたもので、亀ヶ城が単なる地方豪族の城から、戦国大名クラスに匹敵する規模の城郭へと発展したことを示しています。

戦国時代の但馬国は、山名氏の支配下にありましたが、実際には国人領主たちが半独立的な勢力を保っていました。太田氏もその一つであり、亀ヶ城を中心に但東地域の支配を維持していました。

天正8年(1580年):羽柴秀吉の但馬攻め

亀ヶ城の歴史に終止符を打ったのは、天正8年(1580年)の羽柴秀吉による第二次但馬進攻でした。織田信長の命を受けた秀吉は、但馬国の平定を目指して大軍を率いて侵攻。山名氏の本拠地である此隅山城(有子山城)をはじめ、但馬国内の諸城を次々と攻略していきました。

亀ヶ城もこの侵攻の対象となり、秀吉軍の攻撃を受けて落城しました。詳細な攻防の記録は残されていませんが、この落城をもって亀ヶ城は廃城となり、約360年にわたる太田氏の支配も終わりを告げました。

江戸時代以降:忘れられた城から史跡へ

廃城後の亀ヶ城は長い間忘れ去られた存在でしたが、近年になって城郭研究が進み、その価値が再認識されるようになりました。地元の保存会や豊岡市の尽力により、遺構の整備と保存活動が進められ、現在では豊岡市指定史跡として大切に守られています。

亀ヶ城の見どころ

畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)

亀ヶ城最大の見どころは、極めて良好な保存状態を誇る畝状竪堀群です。城の斜面に刻まれたこれらの竪堀は、敵の側面攻撃を防ぐために設けられた防御施設で、戦国時代後期の高度な築城技術を示しています。

畝状竪堀とは、山の斜面に畝(うね)のように連続して掘られた堀のことで、敵兵が斜面を登ってくるのを妨げ、また横方向への移動を困難にする効果がありました。亀ヶ城の畝状竪堀群は数条が明瞭に残っており、その規模と保存状態は但馬地方でも屈指のものです。

二重堀切と巨大土塁

東ゾーンと西ゾーンを区画する二重堀切は、亀ヶ城のもう一つの圧巻の遺構です。二本の堀切の間に巨大な土塁を挟むという構造は、防御力を極限まで高めた設計といえます。

堀切の深さは最大で7~8メートルに達し、その規模は訪れる者を圧倒します。この二重堀切を越えて敵が侵入することは極めて困難であり、城の防御の要として機能していたことがわかります。土塁の高さも5メートル以上あり、当時の土木技術の高さを物語っています。

七つの曲輪(くるわ)

亀ヶ城には主要な曲輪がⅠからⅦまで7つ確認されています。最も広い主郭(曲輪Ⅰ)は東西約40メートル、南北約20メートルの規模を持ち、城主の居館があったと推定されます。

各曲輪は起伏の激しい地形を巧みに利用して配置されており、それぞれが独立した防御拠点として機能するよう設計されています。曲輪間を移動する際には切岸(きりぎし)と呼ばれる人工的な急斜面を登り降りする必要があり、防御性の高さを実感できます。

虎口(こぐち)

城への出入口である虎口も複数確認されています。特に主郭への虎口は、横矢掛かりの技法を用いた複雑な構造となっており、敵の侵入を困難にする工夫が凝らされています。虎口の前面には土塁や堀が配置され、多重の防御ラインが形成されていました。

切岸

曲輪の周囲には鋭い切岸が巡らされています。自然の地形を削って造られたこれらの人工的な急斜面は、高さ3~5メートルに達する箇所もあり、敵の登攀を困難にする重要な防御施設でした。現在でもその鋭さは失われておらず、戦国時代の緊張感を感じることができます。

整備された見学路

地元保存会の尽力により、城内には見学路が整備されています。主要な遺構を効率よく巡ることができるよう配慮されており、説明板も各所に設置されています。ただし、山城特有の急斜面や起伏があるため、歩きやすい靴と服装での訪問が推奨されます。

アクセス情報

車でのアクセス

最寄りIC: 京都縦貫自動車道「京丹後大宮IC」から約30分、または北近畿豊岡自動車道「八鹿氷ノ山IC」から約40分

国道482号線沿いに「亀ヶ城跡」の案内看板があり、その付近に駐車スペースが設けられています。駐車場から登城口までは徒歩すぐです。

公共交通機関でのアクセス

公共交通機関でのアクセスは困難です。最寄りのJR山陰本線「豊岡駅」からバスで但東方面へ向かうことは可能ですが、本数が限られているため、車での訪問を推奨します。

駐車場情報

国道482号線沿いに無料の駐車スペースがあります(普通車3~4台程度)。舗装はされていませんが、平坦で駐車しやすい場所です。

登城口と所要時間

駐車場から登城口まで徒歩約1分。登城口には獣避けの金網扉(柵)がありますが、開閉可能です(通過後は必ず閉めてください)。主郭までは徒歩約15~20分、城内全体をじっくり見学する場合は1時間~1時間30分程度を見込んでください。

見学時の注意事項

服装と装備

  • : トレッキングシューズや運動靴など、滑りにくく歩きやすい靴を着用してください
  • 服装: 長袖・長ズボンを推奨(藪や枝から肌を守るため)
  • 持ち物: 飲料水、タオル、虫除けスプレー(夏季)、熊鈴(念のため)

安全上の注意

  • 雨天時や雨上がりは斜面が滑りやすいため、訪問を控えることを推奨します
  • 一人での登城は避け、複数人での訪問が安全です
  • 携帯電話の電波状況を事前に確認してください
  • 堀切や切岸など、急斜面での転落に注意してください

マナー

  • 獣避け柵は必ず閉めてください(農作物被害防止のため)
  • ゴミは必ず持ち帰ってください
  • 遺構を傷つけたり、土塁を登ったりしないでください
  • 私有地も含まれる可能性があるため、見学路以外への立ち入りは控えてください

周辺の城郭・観光スポット

出石城(豊岡市出石町)

亀ヶ城から車で約30分の距離にある出石城は、但馬の小京都と呼ばれる出石の町のシンボルです。江戸時代の城下町の雰囲気が色濃く残る出石の町並みと合わせて訪れるのがおすすめです。出石そばも名物として有名です。

有子山城(豊岡市出石町)

出石城の背後にそびえる有子山城は、山名氏の本拠地として栄えた山城で、標高321メートルの山頂に築かれています。亀ヶ城と同様に戦国時代の遺構が良好に残っており、山城ファンには外せないスポットです。

金蔵寺城(京都府京丹後市)

国道482号線を京都府側へ進むと、京丹後市にある金蔵寺城があります。こちらも中世山城の遺構が残る城郭で、亀ヶ城と合わせて訪問する城郭ファンも多いです。

但東温泉たんたん温泉

登城後の疲れを癒すなら、車で約15分の場所にある但東温泉たんたん温泉がおすすめです。地元の温泉施設で、食事処も併設されています。

亀ヶ城の評価と魅力

城郭研究者からの評価

亀ヶ城は城郭研究者の間で非常に高い評価を受けています。その理由は以下の点にあります:

  1. 遺構の保存状態: 畝状竪堀群、二重堀切、土塁など、主要な遺構がほぼ完全な形で残されている
  2. 築城技術の高さ: 戦国時代後期の高度な築城技術を示す遺構が豊富
  3. 規模の大きさ: 地方豪族の城としては異例の大規模な縄張りを持つ
  4. 整備状況: 地元保存会による適切な整備により、見学しやすい環境が整っている

山城ファンにとっての魅力

山城ファンの間では「感涙を呼ぶ遺構」として知られる亀ヶ城。その魅力は以下の点にあります:

  • 視覚的インパクト: 巨大な堀切や明瞭な畝状竪堀群は、写真や図面では伝わらない迫力がある
  • 体感できる防御力: 実際に城内を歩くことで、戦国時代の防御システムを体感できる
  • アクセスの良さ: 国道沿いで駐車場も整備されており、訪問しやすい
  • 地元の熱意: 保存会の方々の熱心な整備活動により、常に良好な状態が保たれている

亀ヶ城訪問記(おすすめ見学ルート)

推奨見学ルート

  1. 駐車場・登城口(0分)

国道482号線沿いの駐車スペースに車を停め、案内看板を確認します。獣避け柵を開けて(必ず閉める)登城開始。

  1. 西ゾーン曲輪群(5~10分)

まず西ゾーンの曲輪群を見学。起伏の激しい地形と切岸の鋭さを確認できます。

  1. 二重堀切(15分)

亀ヶ城最大の見どころ。巨大な土塁を挟んだ二本の堀切の迫力を体感してください。堀底に降りることも可能です。

  1. 東ゾーン・主郭(20分)

二重堀切を越えて東ゾーンへ。主郭は城内で最も広い曲輪で、周囲の土塁も確認できます。

  1. 畝状竪堀群(30分)

東ゾーンの斜面に残る畝状竪堀群を見学。数条の竪堀が明瞭に残っており、写真撮影のベストスポットです。

  1. その他の曲輪(45分~)

時間に余裕があれば、曲輪Ⅱ~Ⅶも巡ってみましょう。それぞれに特徴的な遺構があります。

撮影ポイント

  • 二重堀切: 土塁上から両側の堀切を見下ろすアングル
  • 畝状竪堀群: 斜面を横から捉えることで、竪堀の連続性が際立ちます
  • 主郭の土塁: 土塁の高さと規模がわかるよう、人物を入れて撮影するのがおすすめ

太田氏と但馬の歴史

太田氏の系譜

太田氏は藤原北家の流れを汲むとされ、鎌倉時代に但馬守護に任じられて以来、この地に勢力を築きました。太田昌明を初代として、代々亀ヶ城を本拠地として但東地域を支配しました。

戦国時代には山名氏の配下として活動しましたが、一定の独自性を保ち続けました。しかし天正8年の秀吉の但馬攻めにより、太田氏の勢力は終焉を迎えます。

但馬国の中世史における亀ヶ城の位置づけ

但馬国は京都と山陰地方を結ぶ交通の要衝であり、常に戦略的重要性を持っていました。亀ヶ城は出石から宮津へ向かう街道を押さえる位置にあり、但馬東部の防衛拠点として機能していました。

鎌倉時代から戦国時代まで、約360年にわたって太田氏が支配を維持できたことは、この城の堅固さと立地の重要性を物語っています。

まとめ:亀ヶ城を訪れる価値

亀ヶ城は、但馬地方における中世山城の傑作として、訪れる価値のある城郭です。畝状竪堀群や二重堀切などの遺構は、教科書や資料では得られない実物の迫力と美しさを持っています。

地元保存会の方々の献身的な整備により、見学環境も良好に保たれており、山城初心者から上級者まで楽しめる城郭となっています。豊岡市や但東地域を訪れる際には、ぜひ足を運んでいただきたい史跡です。

戦国時代の息吹を今に伝える亀ヶ城。その雄大な遺構は、訪れる者に深い感動を与えてくれることでしょう。適切な装備と準備をして、この素晴らしい山城の魅力を存分に味わってください。

訪問の際のチェックポイント

  • 駐車場の場所を事前に確認(国道482号線沿い)
  • 歩きやすい靴と服装を準備
  • 獣避け柵は必ず閉める
  • 見学時間は1~1.5時間を確保
  • 雨天時は避ける
  • 周辺の城郭や温泉施設と組み合わせた観光プランを立てる

亀ヶ城は、但馬の歴史と文化を体感できる貴重な史跡です。ぜひ一度、その壮大な遺構を自分の目で確かめてみてください。

地図

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