天筒山城(福井県敦賀市)

天筒山城(福井県敦賀市)
所在地 〒914-0071 福井県敦賀市泉

天筒山城(福井県敦賀市)完全ガイド|金ヶ崎城を支えた朝倉氏の重要拠点

天筒山城の概要

天筒山城(てづつやまじょう)は、福井県敦賀市の標高171.3メートルの天筒山に築かれた戦国時代の山城です。別名を手筒城、天筒城、手筒山城とも呼ばれ、金ヶ崎城の枝城(支城)として機能していました。

天筒山は金ヶ崎城と稜線で繋がっており、両城は一体の防御システムとして運用されていたと考えられています。城の立地は非常に戦略的で、山頂からは敦賀湾、敦賀市内、旧北陸道、そして金ヶ崎城の全容まで見渡すことができます。この優れた視界から、天筒山城は見張り台や監視拠点としての役割が特に重視されていたと推測されます。

現在では金ヶ崎公園の一部として整備され、展望台が設置されており、敦賀市街地や敦賀湾を一望できる景勝地として多くの観光客やハイキング愛好者に親しまれています。

天筒山城の歴史

朝倉氏による築城と支配

天筒山城は、越前国を支配していた朝倉氏によって金ヶ崎城の支城として築かれました。金ヶ崎城が敦賀の要衝を守る本城であったのに対し、天筒山城はその南側を固める重要な防衛拠点として機能していました。

朝倉氏は越前国を統治する戦国大名として、若狭湾に面した敦賀を重要な港湾都市と位置づけており、金ヶ崎城と天筒山城の二城体制によって敦賀の防衛を強化していました。天筒山城の築城時期については明確な記録が残っていませんが、金ヶ崎城の防衛体制強化に伴い、後世に追加修築された可能性が指摘されています。

元亀元年(1570年)の金ヶ崎の戦い

天筒山城が歴史の表舞台に登場するのは、元亀元年(1570年)4月に起きた金ヶ崎の戦いです。この戦いは、織田信長による越前侵攻の一環として行われました。

織田信長は約10万の大軍を率いて越前国に侵攻し、金ヶ崎城と天筒山城を攻撃しました。この時、天筒山城の守将は寺田采女丞(てらだうねめのじょう)で、朝倉景恒(かげつね)が金ヶ崎城を守っていました。

4月25日、織田軍の猛攻により天筒山城は陥落しました。この戦いでは双方合わせて数千人の戦死者が出る激戦となりました。天筒山城が落城したことで、朝倉景恒は金ヶ崎城に防衛線を引き下げざるを得なくなりました。

この戦いには、織田信長だけでなく、後に天下人となる徳川家康や豊臣秀吉(当時は木下秀吉)も参戦しており、戦国史上重要な戦いの一つとなっています。特に織田軍は、浅井長政の裏切りにより挟撃される危機に陥り、信長が「金ヶ崎の退き口」として知られる困難な撤退を強いられることになります。この退却戦で、木下秀吉が殿軍(しんがり)を務めて名を上げたことは有名です。

戦後の天筒山城

金ヶ崎の戦い以降、天筒山城の詳細な歴史は記録に乏しくなります。朝倉氏は天正元年(1573年)に織田信長によって滅ぼされ、越前国は織田家の支配下に入りました。その後、豊臣政権、江戸時代へと時代が移る中で、天筒山城は軍事拠点としての役割を終え、廃城となったと考えられています。

天筒山城の構造と縄張り

城郭の配置

天筒山城は、敦賀市天筒町、泉町、舞崎町にまたがる長大な規模の山城です。金ヶ崎城と尾根続きになっており、両城は一体の防御システムとして設計されていた可能性が高いとされています。

主郭(本丸)は天筒山の山頂部に置かれており、ここからの眺望は極めて優れています。敦賀湾、敦賀市内、旧北陸道、金ヶ崎城の全容が見渡せることから、監視・見張り機能を重視した設計であったことがわかります。実際、金ヶ崎城よりも標高が高いため、「こちらが本城と言ってもいいくらい」と評されることもあります。

遺構の現状

現在、天筒山城の遺構は明確には残っていません。長年の風化や後世の開発により、堀切、土塁、曲輪などの城郭遺構は不明瞭になっています。しかし、山頂部の地形や尾根の形状から、かつての城域を推測することは可能です。

山頂付近には案内板が設置されており、天筒山城の歴史や金ヶ崎城との関係について説明されています。遺構そのものは判別しづらいものの、戦国時代の雰囲気を感じながら歴史に思いを馳せることができます。

金ヶ崎城との関係

天筒山城と金ヶ崎城は稜線で繋がっており、両城間は徒歩で約20分程度の距離です。現在ではハイキングコースとして整備されており、金ヶ崎城の一の木戸から登山道を尾根づたいに進むと天筒山の展望台に到達できます。

この地理的な近接性から、天筒山城は金ヶ崎城の前衛拠点、あるいは監視所として機能していたと考えられます。敵の動きを天筒山城で察知し、金ヶ崎城に伝達するという連携体制が取られていた可能性が高いでしょう。

天筒山城の見どころ

山頂展望台からの絶景

天筒山城最大の見どころは、山頂に設置された展望台からの眺望です。標高171.3メートルという比較的低い山ながら、周囲に視界を遮るものがないため、360度のパノラマビューを楽しむことができます。

北側には敦賀湾が広がり、天気の良い日には対岸の山々まで見渡せます。東側には敦賀市街地が一望でき、現代の敦賀の街並みを眺めることができます。西側には金ヶ崎城や金ヶ崎宮が見え、両城の位置関係を実感できます。南側には敦賀の山々が連なり、旧北陸道の道筋を想像することができます。

この眺望の良さから、戦国時代には見張り台として極めて重要な役割を果たしていたことが実感できます。

金ヶ崎城への縦走路

天筒山城から金ヶ崎城へと続く尾根道は、現在ハイキングコースとして整備されています。このルートを歩くことで、両城の位置関係や防衛ラインを体感することができます。

道中は自然豊かな森林の中を進むことになり、四季折々の景色を楽しめます。春には桜、初夏には新緑、秋には紅葉が美しく、歴史散策と自然観察を同時に楽しめるコースとなっています。

金ヶ崎公園の施設

天筒山は金ヶ崎公園の一部として整備されており、周辺には様々な施設があります。金ヶ崎宮、金崎宮、花換の小道など、歴史的・文化的な見どころが点在しています。

特に春には桜の名所として知られ、多くの花見客で賑わいます。城跡巡りと合わせて、敦賀の歴史文化を総合的に楽しむことができるエリアとなっています。

アクセスと登城ルート

公共交通機関でのアクセス

JR敦賀駅から

  • コミュニティバス「ぐるっと敦賀周遊バス」観光ルートで「金崎宮」バス停下車、徒歩約5分で登山口
  • タクシー利用の場合、敦賀駅から約10分
  • 徒歩の場合、敦賀駅から約30~40分

北陸新幹線の開業により、敦賀駅へのアクセスは大幅に向上しました。東京方面からも日帰りでの訪問が可能になっています。

自動車でのアクセス

高速道路利用

  • 北陸自動車道「敦賀IC」から約10分
  • 金ヶ崎宮周辺に無料駐車場あり(約50台収容可能)

駐車場から登山口までは徒歩数分で、アクセスは良好です。ただし、桜の季節や週末は混雑することがあるため、早めの到着がおすすめです。

登城ルート

金ヶ崎宮経由ルート(推奨)

  1. 金ヶ崎宮の駐車場に車を停める
  2. 金ヶ崎宮に参拝
  3. 金ヶ崎城の一の木戸から登山道へ
  4. 尾根道を約20分歩いて天筒山山頂へ

このルートは整備された階段や遊歩道が続き、比較的歩きやすいコースです。ただし、階段が多いため、適度な運動靴での訪問をおすすめします。

天筒山登山口から直登ルート

金ヶ崎宮とは別に、天筒山への直接の登山口もあります。こちらのルートは坂道が中心で、金ヶ崎宮経由よりもやや急な登りとなりますが、所要時間は短くなります。

所要時間の目安

  • 登山口から山頂まで:約15~25分
  • 山頂での見学・休憩:約20~30分
  • 金ヶ崎城との縦走を含める場合:プラス40~60分
  • 全体の所要時間:1.5~3時間程度

体力や見学の詳しさによって所要時間は変わりますが、半日あれば十分に楽しめます。

訪問時の注意点とアドバイス

服装と装備

  • :運動靴またはトレッキングシューズ推奨。階段が多いためサンダルは避けましょう
  • 服装:動きやすい服装。季節に応じた防寒・暑さ対策を
  • 持ち物:飲み物、タオル、虫除けスプレー(夏季)、雨具

標高は低いですが、山道を歩くため、軽登山の装備で臨むのが安全です。

訪問に適した季節

  • 春(3月下旬~4月):桜が美しく、最も人気のシーズン。ただし混雑します
  • 初夏(5月~6月):新緑が美しく、気候も穏やか。比較的空いています
  • 秋(10月~11月):紅葉が見事で、気温も快適
  • 冬(12月~2月):雪が積もることもあり、足元に注意が必要。訪問者は少なめ

見学時間

天筒山城跡自体には開門・閉門時間はありませんが、明るい時間帯の訪問をおすすめします。特に冬季は日没が早いため、午後早めの訪問が安全です。

周辺の観光スポット

金ヶ崎城跡

天筒山城と稜線で繋がる金ヶ崎城は、天筒山城と合わせて訪れたい必見スポットです。金ヶ崎の戦いの主戦場となった場所で、より多くの遺構が残っています。

金ヶ崎宮・金崎宮

金ヶ崎城跡に建つ神社で、南北朝時代の戦いで亡くなった恒良親王、尊良親王を祀っています。縁結びの神様としても知られ、「花換まつり」が有名です。

敦賀赤レンガ倉庫

明治時代に建てられた赤レンガ倉庫を改装した観光施設。敦賀の港町としての歴史を学べるジオラマ館やレストランがあります。

氣比神宮

敦賀市の中心部にある越前国一宮。大鳥居は日本三大木造鳥居の一つで、国の重要文化財に指定されています。

人道の港 敦賀ムゼウム

第二次世界大戦中、ユダヤ難民を受け入れた敦賀の歴史を紹介する資料館。人道と平和について考えさせられる施設です。

天筒山城を楽しむためのポイント

歴史的背景を予習する

天筒山城の遺構は明確ではないため、訪問前に金ヶ崎の戦いや朝倉氏、織田信長について学んでおくと、より深く楽しめます。特に「金ヶ崎の退き口」のエピソードを知っておくと、現地での感動が増します。

金ヶ崎城とセットで訪問

天筒山城単独では見どころが限られるため、金ヶ崎城や金ヶ崎宮と合わせて訪れることで、より充実した歴史散策になります。両城の位置関係を実際に歩いて体感することで、戦国時代の防衛体制を理解できます。

展望台からの眺めを堪能

遺構は少なくても、展望台からの眺望は素晴らしいものがあります。敦賀湾や市街地を見渡しながら、戦国時代の武将たちがこの地から何を見ていたのか想像してみましょう。

写真撮影のベストスポット

  • 山頂展望台からの敦賀湾の眺め
  • 金ヶ崎城方面への尾根道
  • 春の桜と敦賀市街のコラボレーション
  • 秋の紅葉に包まれた登山道

天筒山城の歴史的意義

天筒山城は、単独で見ると小規模な支城に過ぎませんが、金ヶ崎城と一体となった防衛システムの一部として捉えることで、その重要性が理解できます。

戦国時代、港湾都市として重要だった敦賀を守るため、朝倉氏は金ヶ崎城と天筒山城の二城体制を構築しました。特に天筒山城は、その優れた視界から監視・見張り機能を担い、敵の動きを早期に察知する役割を果たしていたと考えられます。

元亀元年の金ヶ崎の戦いでは、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉という後の天下人たちが参戦し、激しい攻防戦が繰り広げられました。この戦いは織田信長にとって数少ない苦戦の一つとなり、「金ヶ崎の退き口」として戦国史に名を残しています。

現在では遺構は少ないものの、天筒山城は敦賀の歴史を物語る重要な歴史遺産として、金ヶ崎城とともに後世に伝えられるべき場所です。

まとめ

天筒山城は、福井県敦賀市にある標高171.3メートルの山城で、金ヶ崎城の支城として朝倉氏によって築かれました。元亀元年(1570年)の金ヶ崎の戦いでは、織田信長率いる大軍に攻められ、激戦の末に陥落した歴史を持ちます。

現在では遺構は明確ではありませんが、山頂の展望台からは敦賀湾や市街地を一望でき、戦国時代の見張り台としての役割を実感できます。金ヶ崎城とは稜線で繋がっており、ハイキングコースとして両城を巡ることができます。

アクセスは良好で、JR敦賀駅からバスやタクシーで約10分、徒歩でも40分程度です。登山口から山頂までは15~25分程度で、適度な運動靴があれば気軽に訪れることができます。

天筒山城単独では見どころが限られますが、金ヶ崎城や金ヶ崎宮、敦賀市内の他の観光スポットと合わせて訪れることで、敦賀の豊かな歴史文化を総合的に楽しむことができます。戦国時代の歴史に興味がある方、城跡巡りが好きな方、軽いハイキングを楽しみたい方におすすめのスポットです。

地図

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