鳥羽城完全ガイド|九鬼水軍の海城の歴史・見どころ・アクセス情報
鳥羽城とは|日本唯一の「浮城」の特徴
鳥羽城(とばじょう)は、三重県鳥羽市鳥羽三丁目にあった日本の城で、かつて鳥羽藩の藩庁が置かれていました。最大の特徴は、大手門が海側へ突出して築かれた全国でも極めて珍しい構造です。この独特の縄張りから「鳥羽の浮城」と呼ばれ、また城の海側が黒色、山側が白色に塗られていたことから「二色城」「錦城」の別名でも知られています。
現在は三重県指定史跡となっており、本丸周辺の石垣や天守台跡が往時の面影を残しています。鳥羽湾を一望できる景観の美しさと、海城としての歴史的価値から、城郭ファンだけでなく観光客にも人気のスポットとなっています。
海城としての独自性
鳥羽城は妙慶川河口に位置する標高約40メートルの段丘上に築かれました。四方を海に囲まれた立地は、水軍を率いた九鬼嘉隆にとって理想的な本拠地でした。大手門が海に面し、船で直接城内に入れる構造は、他の日本の城には見られない特徴です。この大手波戸水門が主要な出入口となっており、海からの物資輸送や軍船の出入りを容易にしていました。
城の海側は黒く、山側は白く塗り分けられていたという記録があり、海上から見た際の威容と、陸地から見た際の優美さを両立させる意匠が施されていました。この独特の外観も「二色城」と呼ばれる所以です。
鳥羽城の歴史|九鬼嘉隆と九鬼水軍の軌跡
築城以前の鳥羽
鳥羽城が築かれる以前、この地には保元年間(1156〜1159年)に橘氏の居館があり、「鳥羽殿」と称されていました。永禄11年(1568年)、九鬼嘉隆は当時の鳥羽城主であった橘宗忠を降伏させ、宗忠の娘を妻に迎えることで鳥羽の地を手に入れました。
九鬼嘉隆はもともと波切城(現在の志摩市大王町)を本拠としていましたが、伊勢国司北畠氏の助けを得た志摩七党に攻められ、海路で伊勢の安濃津へ逃れた経緯があります。そこで滝川一益を介して織田信長に接近し、信長を後ろ盾として志摩の平定に乗り出しました。小浜城主小浜久太郎、浦城主浦豊後守を攻め落とした後、橘宗忠も降伏したのです。
文禄3年(1594年)の築城
九鬼嘉隆が現在の形の鳥羽城を築城したのは文禄3年(1594年)のことです。嘉隆は織田信長のもとで第一次・第二次木津川口の戦いにおいて鉄甲船を用いて毛利水軍を破るなど、水軍の将として名を馳せていました。その功績により、志摩国を与えられ、水軍の本拠地として鳥羽城を大規模に整備したのです。
築城にあたっては、海城としての機能を最大限に活かすため、大手門を海側に設け、船での出入りを可能にしました。天守閣も築かれ、鳥羽湾を見渡す海上交通の要衝として機能しました。
関ヶ原の戦いと九鬼氏の分裂
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、九鬼嘉隆は西軍に、嫡男の九鬼守隆は東軍に分かれて参戦しました。これは九鬼氏の家名存続を図った苦渋の選択でした。西軍敗北後、嘉隆は答志島(鳥羽港から定期船で約30分)に逃れ、そこで自害しました。現在も答志島には九鬼嘉隆の墓が残されています。
守隆は徳川方についた功績により鳥羽城主として認められ、5万6千石を領しました。その後、九鬼氏は寛永10年(1633年)に摂津三田へ転封となり、鳥羽城には内藤忠重が入城しました。
江戸時代の鳥羽城と歴代藩主
内藤氏の後、鳥羽城には土井氏、大給松平氏、板倉氏、戸田氏、松平氏(大河内)、稲垣氏など、多くの譜代大名が入れ替わり城主を務めました。鳥羽藩は伊勢湾の海上交通を監視する重要な役割を担っており、徳川幕府にとって戦略上重要な拠点でした。
明治維新後、明治4年(1871年)の廃藩置県により鳥羽城は廃城となりました。その後、城の建造物は次々と取り壊され、石垣の一部を残すのみとなりました。
鳥羽城の縄張りと構造
本丸・二の丸・三の丸の配置
鳥羽城は段丘の頂上部に本丸を配置し、その周囲に二の丸、三の丸を配した梯郭式の縄張りでした。本丸には天守閣が築かれ、鳥羽湾全体を見渡すことができました。現在、本丸跡はかつて旧鳥羽小学校のグラウンドとして利用されており、天守台の石垣が往時の姿をわずかに残しています。
二の丸跡には旧鳥羽小学校の校舎が建てられていましたが、現在は移転し、城跡としての整備が進められています。三の丸は山麓部分に広がっており、現在は三ノ丸広場として整備され、市民の憩いの場となっています。
大手波戸水門の独特な構造
鳥羽城最大の特徴である大手波戸水門は、海に向かって突き出した石垣で囲まれた船着場でした。満潮時には船が直接城内に入ることができ、物資の搬入や軍船の出入りが容易でした。この構造により、陸路からの攻撃に対しては堅固な防御を保ちながら、海路での補給や退却路を確保できるという、水軍の城ならではの利点がありました。
現在、大手波戸水門の遺構は埋め立てにより失われていますが、本丸周辺の石垣からその規模と構造を推測することができます。
石垣の特徴と技術
鳥羽城の石垣は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての築城技術を示す貴重な遺構です。本丸の天守台周辺には野面積みと打込接ぎの技法が見られ、時代による積み方の変化を観察することができます。
特に本丸石垣下西方には記念碑が立てられており、石垣の保存状態も良好です。石材は地元で採れた花崗岩が主に使用され、海風による風化に強い特性が活かされています。
鳥羽城の見どころ|現存遺構と復元整備
本丸跡と天守台石垣
鳥羽城跡で最も見応えがあるのが、本丸跡に残る天守台の石垣です。高さ数メートルに及ぶ石垣は、当時の築城技術の高さを物語っています。天守台からは鳥羽湾の美しい景色を一望でき、かつて九鬼水軍が活躍した海域を眺めることができます。
本丸跡には案内板が設置されており、往時の建物配置や城の歴史について学ぶことができます。石垣に使われた石材一つ一つを観察すると、刻印や加工の痕跡を見つけることもでき、城郭ファンには見逃せないポイントです。
三ノ丸広場の整備状況
山麓の三ノ丸跡は現在、三ノ丸広場として整備されています。ここには鳥羽城の歴史を解説する案内板や、縄張り図が設置されており、城全体の構造を理解するのに役立ちます。広場は駐車スペースもあり、城跡散策の起点として便利です。
広場からは本丸へ続く登城路が整備されており、往時の城兵たちが通った道を辿りながら本丸を目指すことができます。
周辺の関連史跡
鳥羽城本丸石垣下西方には九鬼嘉隆を顕彰する記念碑が建てられています。また、鳥羽港から定期船で約30分の答志島には九鬼嘉隆の墓があり、城跡とあわせて訪れることで、九鬼水軍の歴史をより深く理解することができます。
答志島は現在も漁業が盛んな島で、九鬼嘉隆が最期を遂げた地として歴史的な雰囲気が残されています。島内には嘉隆の首塚と胴塚があり、地元の人々により大切に守られています。
鳥羽湾の眺望
鳥羽城跡からの鳥羽湾の眺望は格別です。真珠養殖で有名な鳥羽湾には多くの島々が浮かび、リアス式海岸特有の複雑な海岸線が美しい景観を作り出しています。晴れた日には遠く太平洋まで見渡すことができ、かつて九鬼水軍が制海権を握っていた海域を一望できます。
夕暮れ時には湾に沈む夕日が美しく、写真撮影スポットとしても人気があります。
九鬼水軍と九鬼嘉隆の功績
九鬼水軍の歴史と組織
九鬼水軍は、志摩国を本拠とした戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した水軍です。九鬼氏はもともと紀伊国の出身で、海賊衆として勢力を拡大しました。九鬼嘉隆の時代に最盛期を迎え、織田信長、豊臣秀吉に仕えて数々の海戦で功績を挙げました。
九鬼水軍の特徴は、大型の軍船を多数保有していたことです。特に鉄甲船と呼ばれる装甲船は、毛利水軍の焙烙火矢攻撃を防ぐために開発され、木津川口の戦いで大きな戦果を挙げました。
木津川口の戦いと鉄甲船
天正4年(1576年)の第一次木津川口の戦いでは、九鬼水軍は毛利水軍に敗北しました。この敗戦を教訓に、九鬼嘉隆は織田信長の命により鉄甲船を開発しました。船体を鉄板で覆い、焙烙火矢による火攻めを防ぐ構造でした。
天正6年(1578年)の第二次木津川口の戦いでは、この鉄甲船6隻を投入し、毛利水軍を撃破しました。この勝利により、織田信長は大坂本願寺への海上補給路を遮断することに成功し、石山合戦を有利に進めることができました。九鬼嘉隆の名は、この戦いにより天下に轟きました。
朝鮮出兵での活躍
文禄・慶長の役(朝鮮出兵)においても、九鬼水軍は重要な役割を果たしました。文禄元年(1592年)の文禄の役では、九鬼嘉隆は水軍を率いて朝鮮半島へ渡海し、補給路の確保や沿岸部の制圧に貢献しました。
慶長の役でも引き続き水軍を指揮し、豊臣政権下での九鬼氏の地位を確固たるものにしました。これらの功績により、鳥羽城を本拠地として志摩国を領することが認められたのです。
鳥羽城へのアクセス方法
電車でのアクセス
鳥羽城跡へは、JR・近鉄鳥羽駅から徒歩でアクセスできます。駅から城跡までは約10〜15分の距離です。鳥羽駅は近鉄特急やJR快速みえが停車する主要駅で、名古屋方面、大阪方面からのアクセスも良好です。
名古屋方面から:
- 近鉄特急で約1時間40分
- JR快速みえで約2時間
大阪・京都方面から:
- 近鉄特急で約2時間30分〜3時間
鳥羽駅から城跡へは、駅前の案内板に従って徒歩で向かいます。道中には鳥羽水族館もあり、観光と合わせて訪れることができます。
車でのアクセスと駐車場
車でのアクセスも便利です。伊勢自動車道・伊勢ICから伊勢二見鳥羽ライン(無料区間)経由で約15分です。駐車場は三ノ丸広場に数台分のスペースがあるほか、鳥羽駅周辺には複数の有料駐車場があります。
鳥羽駅西駐車場:
- 鳥羽駅から徒歩約3分
- 城跡へも徒歩圏内
- 料金:1日500円程度(時期により変動)
観光シーズンや週末は駐車場が混雑することがあるため、公共交通機関の利用もおすすめです。
フェリーでのアクセス
愛知県の伊良湖港から伊勢湾フェリーで鳥羽港へアクセスすることもできます。所要時間は約55分で、船旅を楽しみながら鳥羽へ向かうことができます。鳥羽港から城跡までは徒歩約15分です。
フェリーからは伊勢湾の美しい景色を楽しむことができ、特に天気の良い日は富士山が見えることもあります。
鳥羽城周辺の観光スポット
鳥羽水族館
鳥羽城跡のすぐそばにある鳥羽水族館は、日本最大級の水族館です。飼育種類数日本一を誇り、ジュゴンやラッコなど珍しい海洋生物を見ることができます。城跡散策とあわせて訪れるのに最適なスポットです。
館内は12のゾーンに分かれており、自由な順路で見学できます。所要時間は2〜3時間程度です。
ミキモト真珠島
鳥羽港から遊覧船で約5分の距離にあるミキモト真珠島は、世界で初めて真珠の養殖に成功した御木本幸吉を記念した島です。真珠博物館や海女の実演ショーなど、鳥羽の海の文化を体験できます。
島からは鳥羽湾を一望でき、かつて鳥羽城があった場所を海上から眺めることができます。
答志島
前述の通り、九鬼嘉隆の墓がある答志島は、鳥羽港から定期船で約30分です。島内には嘉隆ゆかりの史跡のほか、美しい海岸や新鮮な海の幸を楽しめる民宿があります。
島独特の「寝屋子制度」という伝統文化も残されており、歴史と文化に触れることができます。
伊勢神宮
鳥羽から車で約30分、電車で約40分の距離にある伊勢神宮は、日本を代表する神社です。内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)を中心に、多くの別宮や摂社・末社があります。
鳥羽城跡と伊勢神宮を組み合わせた1泊2日の旅行プランが人気です。
鳥羽城の四季と訪問のベストシーズン
春(3月〜5月)
春は城跡周辺の桜が美しい季節です。三ノ丸広場や本丸跡周辺には桜の木があり、3月下旬から4月上旬にかけて見頃を迎えます。桜と石垣のコントラストが美しく、写真撮影にも最適です。
また、春は気候も穏やかで散策に適しています。鳥羽湾の景色も春霞の中で幻想的な雰囲気を醸し出します。
夏(6月〜8月)
夏は鳥羽湾の青い海が最も美しい季節です。城跡からの眺望は格別で、真珠養殖の筏が浮かぶ湾内の景色を楽しめます。ただし、日差しが強いため、帽子や日焼け止めなどの対策が必要です。
夏休み期間は鳥羽水族館も混雑するため、早朝の訪問がおすすめです。
秋(9月〜11月)
秋は鳥羽城跡訪問のベストシーズンです。気候が安定し、散策に最適な気温となります。秋晴れの日には、城跡からの眺望が一層美しく、遠くの山々まで見渡すことができます。
11月には紅葉も楽しめ、石垣と紅葉のコントラストが見事です。
冬(12月〜2月)
冬は観光客が少なく、静かに城跡を散策できる季節です。空気が澄んでいるため、鳥羽湾の眺望が最もクリアに見えます。晴れた日には遠く富士山が見えることもあります。
ただし、海風が冷たいため、防寒対策は必須です。
鳥羽城跡の保存と今後の整備計画
三重県指定史跡としての保存
鳥羽城跡は三重県指定史跡として保護されています。石垣の崩落防止や樹木の管理など、定期的な保存活動が行われています。特に本丸の天守台石垣は重点的に保存されており、専門家による調査と補修が継続的に実施されています。
地元の歴史愛好家や市民ボランティアによる清掃活動も定期的に行われ、城跡の環境維持に貢献しています。
今後の整備構想
鳥羽市では、鳥羽城跡を重要な観光資源として位置づけ、整備計画を進めています。旧鳥羽小学校の移転により、本丸・二の丸エリアの本格的な発掘調査と整備が可能になりました。
今後は、遺構の保存を最優先としながら、案内板の充実、見学路の整備、休憩施設の設置などが計画されています。また、デジタル技術を活用した往時の城郭の復元映像なども検討されています。
鳥羽城を訪れる際の注意点とマナー
服装と持ち物
城跡は起伏のある地形のため、歩きやすい靴での訪問をおすすめします。特に本丸へ続く登城路は石段や坂道があるため、スニーカーやトレッキングシューズが適しています。
夏季は日差しが強いため、帽子、日焼け止め、飲料水を持参しましょう。冬季は海風が冷たいため、防風性のある上着が必要です。
見学時のマナー
城跡は史跡であり、石垣への登攀や遺構の損傷につながる行為は厳禁です。案内板や柵の内側には入らないようにしましょう。また、ゴミは必ず持ち帰り、自然環境の保護にご協力ください。
写真撮影は自由ですが、他の見学者への配慮を忘れずに。ドローンの使用は事前に鳥羽市教育委員会への確認が必要です。
所要時間の目安
鳥羽城跡の見学所要時間は、三ノ丸広場から本丸跡まで一通り見て回る場合、約40分〜1時間が目安です。じっくりと石垣を観察したり、写真撮影を楽しんだりする場合は1時間半〜2時間を見込むと良いでしょう。
鳥羽水族館や答志島と組み合わせる場合は、半日〜1日のスケジュールを組むことをおすすめします。
鳥羽城の基本情報
住所: 三重県鳥羽市鳥羽三丁目
アクセス:
- JR・近鉄鳥羽駅から徒歩約10〜15分
- 伊勢自動車道・伊勢ICから車で約15分
駐車場: 三ノ丸広場に数台分あり(無料)、鳥羽駅周辺に有料駐車場複数あり
見学時間: 終日開放(夜間の見学は推奨しません)
入場料: 無料
問い合わせ先: 鳥羽市教育委員会生涯学習課
トイレ: 三ノ丸広場付近にあり
バリアフリー情報: 三ノ丸広場まではバリアフリー対応。本丸跡へは階段や坂道があり、車椅子での移動は困難
まとめ|鳥羽城の魅力と訪問の意義
鳥羽城は、九鬼嘉隆が築いた日本唯一の海城として、城郭史上極めて重要な位置を占めています。大手門が海側に突出するという独特の構造は、水軍の城ならではの特徴であり、他の城では見ることのできない貴重な遺構です。
現在は天守などの建造物は失われていますが、本丸の石垣や縄張りの痕跡から、往時の姿を偲ぶことができます。鳥羽湾を一望する眺望の美しさも大きな魅力で、かつて九鬼水軍が制海権を握っていた海域を眺めながら、戦国時代の歴史に思いを馳せることができます。
鳥羽水族館やミキモト真珠島、答志島など周辺の観光スポットも充実しており、歴史探訪と観光を組み合わせた旅行プランを楽しめます。伊勢神宮参拝と合わせて訪れるのもおすすめです。
鳥羽城跡を訪れることで、九鬼水軍の歴史、海城の独特な構造、そして美しい鳥羽湾の景観を体験できます。歴史好きの方はもちろん、美しい景色を求める方にも満足いただける場所です。ぜひ鳥羽を訪れた際には、この貴重な史跡に足を運んでみてください。
