甲府城

所在地 〒400-0031 山梨県甲府市丸の内1丁目5−4
公式サイト https://www.city.kofu.yamanashi.jp/welcome/rekishi/kofujyou.html

甲府城完全ガイド:舞鶴城の歴史と見どころ、アクセス情報まで徹底解説

山梨県甲府市の中心部に位置する甲府城は、豊臣秀吉の命により築城された平山城です。別名「舞鶴城」とも呼ばれ、白壁が鶴が羽根を広げたように美しいことからこの名が付けられました。現在は舞鶴城公園と甲府市歴史公園として整備され、国の史跡に指定されています。本記事では、甲府城の歴史から見どころ、実用的なアクセス情報まで、訪問前に知っておきたい情報を網羅的に解説します。

甲府城とは:基本情報と概要

甲府城は、甲府盆地北部の一条小山と呼ばれる丘陵地に築かれた平山城です。かつては約20ヘクタール以上の広大な城郭を誇り、本丸・天守曲輪・稲荷曲輪・数寄屋曲輪・鍛冶曲輪など複数の曲輪で構成されていました。

舞鶴城の別名の由来

甲府城が「舞鶴城」と呼ばれる理由は、その優雅な城郭の姿にあります。白壁が重なり合い、まるで鶴が羽を広げているように見えたことから、この雅号が付けられました。この美しい姿は、戦国時代の末期から江戸時代にかけて、甲府のシンボルとして親しまれてきました。

現在の甲府城跡

現在、城跡の一部は舞鶴城公園として、また南側の鍛冶曲輪は甲府市歴史公園として開放されています。JR甲府駅から徒歩約3分という好立地にあり、天守台からは甲府盆地を一望できる絶景スポットとして、多くの観光客や市民に親しまれています。

甲府城の歴史:築城から現代まで

武田氏滅亡後の甲斐国

天正10年(1582年)、織田信長による武田征伐により武田氏が滅亡すると、甲斐国は織田家の支配下に入りました。その後、本能寺の変を経て徳川家康の領国となりますが、天正18年(1590年)の小田原征伐後、豊臣秀吉による国替えにより、甲斐国は豊臣政権の直轄地となります。

築城の経緯と目的

武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により甲府城の築城が開始されました。築城の目的は、関東に配置された徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点を確保することでした。当初は豊臣秀吉の甥である豊臣秀勝が城主となり、その後、浅野長政・幸長親子が城主を務め、本格的な築城が進められました。

天正年間から慶長年間にかけて段階的に築城が進められ、一条小山の丘陵を利用した壮大な平山城が完成しました。この城は、江戸城・名古屋城・大坂城に匹敵する規模の天守台を持つなど、豊臣政権の威信をかけた大規模な城郭でした。

江戸時代の甲府城

関ヶ原の戦い後、徳川体制が確立すると、甲府城は西側への備えとしての重要性を保ち続けました。徳川家康の重臣である平岩親吉が城主となり、その後も徳川家に近い親藩や譜代大名が城主を務めました。

特に注目すべきは、元禄年間に5代将軍・徳川綱吉の側用人として権勢を誇った柳沢吉保が城主となったことです。柳沢吉保は甲府城と城下町の整備に力を入れ、城郭の完成度を高めました。しかし享保9年(1724年)、柳沢吉保の子である柳沢吉里が大和郡山へ転封されると、甲府城は城主不在の「甲府勤番支配」となり、幕府直轄地として管理されるようになります。

近代以降の変遷

享保12年(1727年)には城内で大火が発生し、多くの建物が焼失しました。その後も部分的な再建は行われましたが、江戸時代を通じて完全な復旧には至りませんでした。

明治時代に入ると、廃城令により甲府城は解体が進み、城内の土地は民間に払い下げられたり、学校などの公共施設の敷地として利用されるようになりました。石垣や一部の曲輪は残されましたが、建物のほとんどは失われてしまいます。

昭和43年(1968年)、甲府城跡は国の史跡に指定され、以降、山梨県と甲府市による復元・整備事業が進められています。平成16年(2004年)には稲荷櫓が復元され、平成25年(2013年)には山手御門が復元されるなど、往時の姿を取り戻す取り組みが続いています。

甲府城の見どころ:必見スポット詳細

天守台:甲府盆地を一望する絶景スポット

甲府城最大の見どころは、城の最高所に位置する天守台です。この天守台は、江戸城・名古屋城・会津若松城に次ぐ規模を誇る巨大なもので、かつては五層の天守が建っていたと考えられています。

天守台からは、甲府盆地を360度パノラマで見渡すことができます。晴れた日には富士山や南アルプス、八ヶ岳などの山々を一望でき、県内屈指の眺望スポットとなっています。特に夕暮れ時の景色は格別で、甲府市街に灯りが灯り始める様子は幻想的です。

天守台の石垣は、野面積という古い積み方で築かれており、自然石をそのまま積み上げた力強い姿が特徴です。この石垣は築城当時の技術を今に伝える貴重な遺構です。

石垣:築城技術の粋を集めた遺構

甲府城の石垣は、城内各所に残る最も重要な遺構の一つです。本丸や稲荷曲輪、数寄屋曲輪には野面積の石垣が多く残り、築城当時の姿を今に伝えています。

石垣に使用された石材には、甲府周辺から運ばれた花崗岩や安山岩が使われており、一部の石には矢穴と呼ばれる石割りの跡が残っています。矢穴は、石を割るために楔を打ち込んだ穴で、当時の石工技術を知る上で貴重な痕跡です。

また、石垣の中には線刻画が刻まれた石も発見されています。これらは築城に携わった人々が残した落書きや目印と考えられており、当時の人々の息吹を感じられる興味深い遺構です。

稲荷櫓(いなりやぐら):平成の復元建築

稲荷櫓は、平成16年(2004年)に復元された二層二階の櫓です。発掘調査や江戸時代の絵図などを基に、できる限り忠実に再現されました。

櫓内部は見学可能で、甲府城の歴史や築城技術に関する展示が行われています。また、櫓からは舞鶴城公園内を見下ろすことができ、城郭の構造を理解する上で役立ちます。白壁と黒い瓦のコントラストが美しく、往時の舞鶴城の優雅な姿を偲ばせます。

鉄門(くろがねもん):本丸への正門

鉄門は、本丸への正門として機能していた重要な門です。平成25年(2013年)に復元され、高麗門と櫓門からなる枡形門の構造を持っています。

門の名前は、扉に鉄板が張られていたことに由来します。復元にあたっては、発掘調査で出土した礎石や、江戸時代の絵図、古写真などを参考に、当時の姿が再現されました。鉄門を通って本丸へ向かう道筋は、かつての登城路を体験できる貴重なルートです。

山手御門(やまのてごもん):甲府市歴史公園の見どころ

甲府城の南側、鍛冶曲輪に位置する山手御門は、平成25年(2013年)に復元された城の正門の一つです。この門は、甲州街道に面した重要な出入口で、江戸と甲府を結ぶ交通の要所でした。

山手御門は、甲府市歴史公園の中核施設として整備されており、門の内部は資料館となっています。甲府城の歴史や城下町の様子、発掘調査の成果などが展示されており、甲府城を理解する上で欠かせない施設です。

門の周辺には、石垣や堀の遺構も残されており、往時の城郭の雰囲気を感じることができます。また、門前には甲州街道の道筋が再現されており、江戸時代の旅人気分を味わえます。

内松陰門・稲荷曲輪門:復元された各曲輪の門

甲府城には、本丸から順に複数の門が配置されていました。内松陰門稲荷曲輪門も復元され、城内を巡る際の見どころとなっています。

これらの門は、城郭の防御構造を理解する上で重要な遺構です。曲輪と曲輪を結ぶ動線上に配置され、敵の侵入を防ぐための工夫が随所に見られます。

数寄屋曲輪・鍛冶曲輪:城郭の構造を知る

甲府城は、複数の曲輪で構成された複雑な城郭です。数寄屋曲輪は茶室などが置かれた文化的な空間で、鍛冶曲輪は鍛冶職人の作業場があった場所とされています。

現在、鍛冶曲輪は甲府市歴史公園として整備され、山手御門や石垣、堀の遺構を見学できます。南側に位置するため、甲府駅からのアクセスも良好です。

甲府城年表:主要な出来事

  • 天正10年(1582年):武田氏滅亡
  • 天正18年(1590年):豊臣秀吉の命により築城開始
  • 慶長5年(1600年):関ヶ原の戦い後、徳川家の支配下に
  • 元禄3年(1690年):柳沢吉保が城主となる
  • 享保9年(1724年):柳沢吉里が大和郡山へ転封、甲府勤番支配となる
  • 享保12年(1727年):城内で大火、多くの建物が焼失
  • 明治維新後:廃城令により解体が進む
  • 昭和43年(1968年):国の史跡に指定
  • 平成16年(2004年):稲荷櫓復元完成
  • 平成25年(2013年):鉄門・山手御門復元完成

甲府城(舞鶴城公園)マップと園内の配置

甲府城跡は、大きく分けて舞鶴城公園(北側)と甲府市歴史公園(南側)の2つのエリアに分かれています。

舞鶴城公園エリア

  • 天守台(最高所)
  • 本丸跡
  • 稲荷櫓
  • 鉄門
  • 稲荷曲輪
  • 数寄屋曲輪
  • 内松陰門
  • 石垣群

甲府市歴史公園エリア

  • 山手御門
  • 鍛冶曲輪
  • 石垣・堀の遺構
  • 資料展示室

両エリアは徒歩で行き来でき、全体を見学するには1時間半から2時間程度が目安です。天守台への登城路は階段が多いため、歩きやすい靴での訪問をおすすめします。

温泉のはなし:甲府城と温泉文化

甲府城の城下町には、江戸時代から温泉文化が根付いていました。特に湯村温泉は、甲府の奥座敷として城主や家臣たちにも利用され、武田信玄の時代から続く歴史ある温泉地です。

現在も甲府市内には複数の温泉施設があり、甲府城見学の後に温泉でゆっくりと疲れを癒すことができます。城跡散策と温泉を組み合わせた観光プランは、甲府ならではの楽しみ方です。

訪問に役立つ実用情報

開館時間

舞鶴城公園

  • 公園自体は24時間開放
  • 稲荷櫓:9:00~16:30(最終入館16:00)

甲府市歴史公園(山手御門)

  • 9:00~17:00(最終入館16:30)

休館日

稲荷櫓・山手御門共通

  • 毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌平日)
  • 年末年始(12月29日~1月3日)
  • その他、臨時休館の場合あり

※公園自体は年中無休で散策可能です。

入館料

舞鶴城公園・甲府市歴史公園ともに無料

公園の散策、稲荷櫓・山手御門の見学、いずれも入館料は無料です。気軽に訪問できるのが甲府城の魅力の一つです。

アクセス方法

電車でのアクセス

  • JR中央本線「甲府駅」南口から徒歩約3分(舞鶴城公園)
  • JR中央本線「甲府駅」南口から徒歩約5分(甲府市歴史公園・山手御門)

車でのアクセス

  • 中央自動車道「甲府昭和IC」から約20分
  • 中央自動車道「一宮御坂IC」から約25分

駐車場

  • 甲府市営駐車場(有料)が周辺に複数あり
  • 舞鶴城公園専用の無料駐車場はありませんが、周辺のコインパーキング利用が便利です

観光ボランティアガイド

山梨県では、平成16年の稲荷櫓復元を契機に、甲府城の観光ボランティアガイドを募集し、現在も活動が続いています。ガイドの案内を希望する場合は、事前に問い合わせることをおすすめします。専門知識を持ったガイドの説明により、甲府城の歴史や見どころをより深く理解できます。

周辺観光スポット

武田神社(躑躅ヶ崎館跡)

武田氏の居館であった躑躅ヶ崎館跡に建つ神社です。武田信玄を祀っており、甲府城以前の甲斐国の中心地でした。甲府駅からバスで約10分の距離にあり、甲府城とセットで訪問する観光客が多い人気スポットです。

甲府市藤村記念館

舞鶴城公園内に移築された明治時代の洋風建築です。山梨県初の本格的な洋風建築として貴重な文化財で、内部見学も可能です。

甲州夢小路

甲府駅北口にある、明治・大正・昭和の甲府城下町を再現した商業施設です。レストランやカフェ、土産物店が並び、散策や食事を楽しめます。

甲府城を最大限に楽しむためのポイント

おすすめの訪問時期

甲府城は四季折々の美しさがありますが、特におすすめなのは以下の時期です。

  • 春(3月下旬~4月上旬):桜の名所として知られ、約160本のソメイヨシノが咲き誇ります。夜間はライトアップも実施され、幻想的な夜桜を楽しめます。
  • 秋(11月):紅葉が美しく、石垣と紅葉のコントラストが見事です。
  • 冬(12月~2月):空気が澄んで富士山がくっきりと見え、天守台からの眺望が最高です。

訪問時の服装と持ち物

  • 天守台まで階段を登るため、歩きやすい靴は必須です
  • 夏は日差しが強いため、帽子や日焼け止めを用意しましょう
  • 冬は風が強く寒いため、防寒対策をしっかりと
  • カメラは必携。天守台からの眺望や石垣の撮影におすすめです

効率的な見学ルート

  1. 甲府駅南口から舞鶴城公園へ
  2. 稲荷櫓を見学
  3. 鉄門を通って本丸へ
  4. 天守台に登って眺望を楽しむ
  5. 数寄屋曲輪・稲荷曲輪を散策
  6. 甲府市歴史公園へ移動
  7. 山手御門と資料館を見学

このルートで約1時間半~2時間の見学が可能です。

まとめ:甲府城の魅力と価値

甲府城は、武田氏滅亡後に豊臣秀吉の命により築城され、江戸時代を通じて甲斐国の中心として機能した重要な城郭です。現在は舞鶴城公園と甲府市歴史公園として整備され、天守台からの絶景、美しい石垣、復元された稲荷櫓や山手御門など、多くの見どころがあります。

JR甲府駅から徒歩わずか3分という好立地にありながら、入場無料で気軽に訪問できるのも大きな魅力です。甲府盆地を一望できる天守台からの眺めは、県内屈指の絶景スポットとして、訪れる人々を魅了し続けています。

甲府城は、戦国時代から江戸時代にかけての歴史を今に伝える貴重な文化財であり、山梨県民の誇りです。復元・整備事業は現在も進行中で、今後さらに往時の姿を取り戻していくことでしょう。歴史ファンはもちろん、絶景を楽しみたい方、散策を楽しみたい方にもおすすめの観光スポットです。

甲府を訪れた際は、ぜひ甲府城に足を運び、その歴史と魅力を体感してください。

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