清水城(岐阜県揖斐郡)完全ガイド|稲葉一鉄の隠居城と西美濃三人衆の歴史
岐阜県揖斐郡揖斐川町に位置する清水城(しみずじょう)は、戦国時代に西美濃三人衆の一人として名を馳せた稲葉良通(一鉄)が築いた平城です。現在は清水小学校の敷地となっており、往時の姿をとどめる遺構は限られていますが、稲葉一鉄という戦国武将の生涯と西美濃地域の歴史を知る上で重要な史跡として、歴史愛好家や城郭ファンに注目されています。
清水城の歴史と稲葉一鉄
稲葉良通(一鉄)と西美濃三人衆
清水城を語る上で欠かせないのが、城主であった稲葉良通、通称「稲葉一鉄」です。一鉄は安藤守就、氏家直元と並び「西美濃三人衆」と称され、美濃国西部において強大な勢力を誇った戦国武将でした。
一鉄は当初、斎藤道三に仕えていましたが、道三と義龍の親子対立では義龍側につき、その後は斎藤氏の重臣として活躍しました。織田信長が美濃侵攻を進める中、西美濃三人衆は最後まで抵抗しましたが、最終的には1567年(永禄10年)に信長に降伏。以後は織田家の家臣として仕え、数々の戦功を挙げました。
清水古城から清水城へ
清水城が築かれる以前、この地には清水古城(山城)が存在していました。清水古城は林七郎左衛門通兼によって築かれ、戦国時代には加納氏が居城していましたが、1557年(弘治3年)、曽根城主であった稲葉良通に攻められて落城しました。
一鉄はこの山城を廃し、山麓の平地に新たな城を築きました。これが清水城です。平城として築かれた清水城は、山城に比べて居住性や利便性に優れており、一鉄の本拠地としてふさわしい城郭となりました。
隠居城としての清水城
1579年(天正7年)、稲葉良通は長年居城としていた曽根城を嫡子の稲葉貞通に譲り、自らは清水城に隠居しました。この時、一鉄はすでに60歳を超えており、戦国の世を生き抜いた老将としての晩年を清水城で過ごすことになります。
一鉄は1588年(天正16年)に清水城で死去するまで、この地で過ごしました。一鉄の死後、清水城は稲葉重通が継承し、その子の通重へと3代28年にわたって稲葉氏の居城となりました。
関ヶ原の戦いと城の終焉
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて、稲葉通重は当初西軍に属していましたが、戦いの最中に東軍へ寝返りました。この功績により、通重は所領を安堵され、江戸時代に入ってからも清水陣屋が置かれました。
しかし、1607年(慶長12年)、通重が京都で狼藉事件を起こしたことにより改易となり、清水城も廃城となりました。稲葉氏3代にわたる清水城の歴史は、ここに幕を閉じることになります。
清水城の構造と縄張り
平城としての特徴
清水城は典型的な平城で、周囲を堀で囲んだ構造を持っていました。現在残されている縄張図によると、本丸を中心に二の丸、三の丸が配置され、さらに外側には侍屋敷が広がっていたことが確認できます。
本丸は現在の清水小学校の敷地にあたり、周囲よりも一段高い地形を利用して築かれていました。この高低差は現在でも確認でき、往時の城郭の面影を偲ぶことができます。
防御施設
平城である清水城は、山城のような地形的な防御力には劣りますが、堀や土塁によって防御を固めていました。堀は本丸を取り囲むように配置され、敵の侵入を防ぐ役割を果たしていました。残念ながら、現在では堀は埋め立てられ、その痕跡を確認することは困難です。
二の丸、三の丸も同様に堀で区画されており、多重の防御構造を持っていたことが推測されます。これらの曲輪は現在、住宅地や田園となっており、往時の姿を想像するには縄張図が頼りとなります。
清水城の見所と現存遺構
清水小学校東側の石垣
清水城の最も重要な現存遺構が、清水小学校の正門脇(東側)に残る石垣です。標柱の下側面に見られるこの石垣は、城郭時代のものと考えられており、清水城が実在した証として貴重な遺構となっています。
石垣の規模は大きくありませんが、戦国時代から江戸時代初期にかけての石積み技術を確認できる点で価値があります。訪問の際は、小学校の敷地内であることに配慮し、授業時間を避けるなど、見学マナーを守ることが重要です。
説明板と縄張図
小学校の反対側には、清水城の歴史を説明する案内板が設置されています。経年劣化により文字が薄くなっている部分もありますが、縄張図が掲載されており、往時の城郭配置を理解する上で貴重な資料となっています。
この縄張図を見ながら周辺を歩くと、現在の地形や道路配置の中に、かつての堀や曲輪の痕跡を想像することができます。
地形から読み取る城郭の姿
清水小学校の敷地が周囲よりも一段高くなっている点は、本丸の位置を示す重要な手がかりです。この微高地を利用することで、平城でありながらも一定の防御力を確保していたことが分かります。
周辺を歩くと、かつて堀があったと思われる低地や、曲輪の境界を示すような地形の変化を感じ取ることができます。現代の町並みの中に隠された城郭の痕跡を探すのも、城跡巡りの醍醐味の一つです。
稲葉一鉄ゆかりの史跡
釣月院(月桂院)
清水城の北側、山の中腹に位置する釣月院(月桂院とも)は、稲葉一鉄と深い関わりを持つ寺院です。ここには稲葉一鉄夫妻の墓、貞通室、貞通後室の墓があり、岐阜県指定史跡となっています。
一鉄は清水城で晩年を過ごし、この地で生涯を終えました。その墓所がこの釣月院に置かれていることは、一鉄がこの地をいかに重視していたかを物語っています。
一鉄の陣鐘
釣月院には「一鉄の陣鐘」と呼ばれる鐘が保管されており、岐阜県指定重要文化財となっています。この陣鐘は、稲葉一鉄が戦場で使用したとされるもので、戦国武将としての一鉄の活躍を今に伝える貴重な文化財です。
陣鐘は軍勢の進退や時刻を知らせるために使用されたもので、戦国時代の軍事文化を理解する上でも重要な遺物となっています。
白雲山浄輪寺
清水古城への登山道入口がある白雲山浄輪寺も、清水城関連の史跡として訪れる価値があります。清水古城は清水城の前身となった山城で、一鉄が攻略した後に廃城とした城です。
山城としての清水古城と平城としての清水城を合わせて訪問することで、一鉄の城郭戦略や、戦国時代から江戸時代初期にかけての城郭の変遷を理解することができます。
アクセスと訪問ガイド
所在地
住所: 岐阜県揖斐郡揖斐川町清水字後川(清水小学校)
交通アクセス
公共交通機関:
- 養老鉄道「揖斐駅」から徒歩約15分
- 揖斐駅からタクシー利用も可能(約5分)
自動車:
- 名神高速道路「大垣IC」から国道258号・417号経由で約30分
- 東海環状自動車道「大野神戸IC」から約25分
- 駐車場: 清水小学校周辺の公共スペースを利用(学校行事等に配慮が必要)
見学時の注意事項
清水城跡は清水小学校の敷地内にあるため、見学には以下の点に注意が必要です:
- 平日の授業時間帯は避ける: 児童の安全と学習環境を守るため、土日祝日や長期休暇中の訪問が望ましい
- 敷地内への立ち入り: 校門の外から見学できる石垣を中心に観察し、許可なく敷地内に立ち入らない
- 写真撮影: 児童が写り込まないよう配慮し、プライバシーに十分注意する
- 静粛: 住宅地でもあるため、大声での会話や騒音を避ける
見学所要時間
清水城跡本体の見学は30分程度ですが、釣月院や清水古城を含めると2〜3時間程度の時間を確保することをおすすめします。
周辺の観光スポット
揖斐川町の歴史スポット:
- 谷汲山華厳寺: 西国三十三所観音霊場の第三十三番札所
- 揖斐川歴史民俗資料館: 地域の歴史や文化を学べる施設
- 横蔵寺: 美濃の正倉院として知られる古刹
周辺の城郭:
- 曽根城(大垣市): 稲葉一鉄の本拠地だった城
- 大垣城(大垣市): 関ヶ原の戦いで西軍の拠点となった城
- 墨俣一夜城(大垣市): 豊臣秀吉ゆかりの城
清水城と西美濃の歴史的背景
西美濃三人衆の役割
西美濃三人衆(稲葉一鉄、安藤守就、氏家直元)は、美濃国西部において強大な勢力を形成していました。彼らは斎藤氏の重臣として、織田信長の美濃侵攻に対して最後の抵抗勢力となりました。
三人衆が信長に降伏したことで、美濃国は完全に織田氏の支配下に入り、信長の天下統一への道が開かれました。その意味で、清水城は単なる一地方の城ではなく、日本史の転換点に関わる重要な拠点だったと言えます。
稲葉一鉄の戦略眼
一鉄は「頑固一徹」の語源になったとも言われる剛直な性格で知られていますが、同時に優れた戦略眼を持っていました。斎藤道三と義龍の対立では義龍側につき、織田信長の台頭に際しては最終的に信長に従うという選択をしました。
こうした判断力により、一鉄は戦国の世を生き抜き、清水城で安らかな晩年を迎えることができました。清水城は、そうした一鉄の人生の集大成とも言える場所なのです。
関ヶ原の戦いと稲葉氏
稲葉氏は一鉄の死後も続き、孫の稲葉通重の代に関ヶ原の戦いを迎えます。通重の東軍への寝返りは、小早川秀秋の裏切りとともに、東軍勝利の重要な要因となりました。
しかし、その後の京都での狼藉事件による改易は、戦国の世を生き抜いた稲葉氏の終焉を意味しました。清水城の廃城も、戦国時代の終わりと江戸幕府体制の確立を象徴する出来事だったと言えるでしょう。
清水城の魅力と訪問の意義
歴史ロマンを感じる場所
清水城は大規模な石垣や天守が残る城とは異なり、遺構は限られています。しかし、だからこそ訪問者は想像力を働かせ、かつてここに存在した城郭の姿や、そこで生活した人々の営みを思い描くことができます。
小学校の敷地となった本丸跡、住宅地に変わった二の丸・三の丸、田園となった侍屋敷跡。現代の平和な風景の中に、戦国時代の激動の歴史が重なり合っているのです。
地域史を学ぶ価値
清水城を訪れることは、岐阜県揖斐郡という地域の歴史を学ぶ機会でもあります。中央の歴史書にはあまり登場しない地方の城郭ですが、そこには確かに人々の生活があり、歴史のドラマがありました。
稲葉一鉄という一人の武将の生涯を通じて、戦国時代の美濃地方の情勢、織田信長の天下統一への過程、関ヶ原の戦いの影響など、日本史の大きな流れを理解することができます。
城郭研究の視点
城郭愛好家にとって、清水城は平城の構造や、戦国時代から江戸時代初期にかけての城郭の変遷を学ぶ上で興味深い事例です。山城(清水古城)から平城(清水城)への移行は、戦国時代の終わりとともに城郭の機能が「戦闘拠点」から「統治拠点」へと変化したことを示しています。
また、関ヶ原の戦い後に陣屋として機能し、その後廃城となった経緯は、江戸幕府の城郭政策を理解する上でも参考になります。
清水城を訪れる際のおすすめコース
半日コース(約3時間)
- 清水城跡(清水小学校): 石垣と説明板を見学(30分)
- 釣月院: 稲葉一鉄の墓所と陣鐘を見学(40分)
- 白雲山浄輪寺: 清水古城登山口を確認(20分)
- 清水古城: 山城の遺構を見学(登山時間含め90分)
1日コース(周辺城郭巡り)
午前:
- 清水城跡・釣月院・清水古城を見学
午後:
- 大垣市の曽根城跡を訪問(稲葉一鉄の本拠地)
- 大垣城を見学(時間があれば墨俣一夜城も)
歴史深堀りコース
清水城訪問前後に、揖斐川歴史民俗資料館や揖斐川図書館で地域の歴史資料を閲覧すると、より深い理解が得られます。また、地元の郷土史研究会が発行する資料なども参考になります。
まとめ:清水城が伝える歴史の重み
清水城は、現在では小さな石垣と説明板が残るのみの控えめな史跡です。しかし、そこには西美濃三人衆の一人、稲葉一鉄の生涯と、戦国時代から江戸時代への大きな歴史の転換が刻まれています。
稲葉一鉄は斎藤道三、斎藤義龍、織田信長という三代の主君に仕え、美濃の戦国史を体現した武将でした。その一鉄が晩年を過ごし、最期を迎えた場所が清水城です。城跡に立つとき、私たちは一鉄が見た風景を想像し、戦国の世を生き抜いた一人の人間の人生に思いを馳せることができます。
岐阜県揖斐郡という、決して交通至便とは言えない場所にありながら、清水城は確かに日本の歴史の一部を担ってきました。大規模な観光地化はされていませんが、だからこそ静かに歴史と向き合える場所として、歴史愛好家や城郭ファンにとって価値ある史跡となっています。
清水城を訪れる際は、単に遺構を見るだけでなく、この地に生きた人々の営みや、時代の大きな流れの中でこの城が果たした役割に思いを馳せてみてください。そうすることで、小さな石垣の一つひとつが、豊かな歴史のストーリーを語りかけてくるはずです。
