戸倉城

戸倉城
所在地 〒411-0917 静岡県駿東郡清水町徳倉1920

戸倉城完全ガイド:武蔵国と伊豆国、二つの戸倉城の歴史と見どころを徹底解説

はじめに:二つの戸倉城について

日本の城郭史において「戸倉城」という名称は、実は二つの異なる城を指します。一つは武蔵国多摩郡(現在の東京都あきる野市)に位置した山城、もう一つは伊豆国駿東郡(現在の静岡県駿東郡清水町)にあった山城です。両城とも戦国時代に北条氏の支配下で重要な戦略的役割を果たしました。

本記事では、これら二つの戸倉城について、その歴史、構造、遺構、そして現在の訪問ガイドまで、包括的に解説していきます。

武蔵国戸倉城(東京都あきる野市)

武蔵国戸倉城の歴史

武蔵国の戸倉城は、東京都あきる野市戸倉に位置する山城で、都指定史跡として保護されています。標高434メートルの臼杵山から東に延びる尾根の先端部、独立性の高い峰上に築かれました。秋川と盆堀川によって刻まれた深い谷が三方を巡る天然の要害として知られています。

築城と初期の歴史

戦国時代、上杉氏の庶流で武州一揆の主要構成員であった小宮氏によって築城されたと伝わります。その後、この地域は後北条氏の勢力圏に組み込まれていきました。

大石定久の隠居城として

天文15年(1546年)、滝山城主であった大石定久は、北条氏康の次男・北条氏照を養子に迎えて家督を譲りました。定久はその後、戸倉城に移り隠居したと伝えられています。この時期、戸倉城は氏照のいる滝山城と、甲州口の抑えである檜原城との中継地点として重要な役割を果たしていました。

北条氏の防衛網における位置づけ

戸倉城は北条氏の西方防衛ラインの一翼を担う城として機能しました。滝山城を本拠とする北条氏照の支配下で、檜原城や八王子城などと連携し、武田氏の侵攻に備える重要な拠点でした。

廃城へ

天正18年(1590年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」が行われました。八王子城が落城すると、戸倉城も北条氏の滅亡とともに廃城となりました。この時期を最後に、戸倉城は歴史の舞台から姿を消すこととなります。

武蔵国戸倉城の構造と遺構

縄張りの特徴

戸倉城は典型的な山城の構造を持ち、主郭を中心に複数の曲輪が配置されています。尾根の地形を巧みに利用した縄張りが特徴で、天然の地形を最大限に活かした防御設計となっています。

主要な遺構

主郭(本曲輪)
山頂部に位置する主郭は、城の中心施設が置かれた場所です。現在でも平坦な地形が残り、かつての城主の居住空間を想像させます。

土塁
各曲輪の周囲には土塁が築かれており、防御機能を高めていました。現在も一部の土塁が良好な状態で残されています。

堀切・横堀
尾根を断ち切る堀切や、斜面に沿って掘られた横堀が確認できます。これらは敵の侵入を防ぐための重要な防御施設でした。

井戸跡
城内には井戸跡も残されており、籠城時の水源確保の様子を伝えています。

大手道
城へ至る主要な登城路である大手道の痕跡も確認でき、当時の登城ルートを辿ることができます。

武蔵国戸倉城の見どころ

眺望

山頂からは秋川渓谷や周辺の山々を一望できます。天候が良ければ、北条氏の他の城郭があった方向を眺めることもでき、戦国時代の防衛網を実感できます。

自然との調和

戸倉城山はハイキングコースとしても人気があり、四季折々の自然を楽しみながら城跡を散策できます。春の新緑、秋の紅葉の時期は特に美しく、歴史探訪と自然散策を同時に楽しめる貴重なスポットです。

保存状態の良い遺構

都指定史跡として保護されているため、土塁や堀切などの遺構が比較的良好な状態で保存されています。戦国時代の山城の構造を学ぶには最適な場所といえるでしょう。

武蔵国戸倉城へのアクセス

公共交通機関でのアクセス

電車・バス利用
JR五日市線「武蔵五日市駅」下車後、西東京バスで「十里木」バス停または「西戸倉」バス停下車。神明神社登城口から登山道を利用して約40分~1時間程度で山頂に到着します。

車でのアクセス

中央自動車道「八王子IC」または圏央道「あきる野IC」から車で約30分。登山口付近に駐車スペースがありますが、台数に限りがあるため、公共交通機関の利用が推奨されます。

登城時の注意点
  • 山城のため、動きやすい服装と登山靴が必須です
  • 飲料水や軽食を持参しましょう
  • 夏季は虫よけ対策、冬季は防寒対策を忘れずに
  • 雨天時や雨上がりは足元が滑りやすくなるため注意が必要です

伊豆国戸倉城(静岡県清水町)

伊豆国戸倉城の歴史

伊豆国の戸倉城は、静岡県駿東郡清水町徳倉に位置した山城です。現在は本城山と呼ばれる小山の山頂部に築かれていました。

北条氏綱による築城

戸倉城は北条氏綱によって築かれたとされています。伊豆国と駿河国の境目に位置することから、北条氏にとって極めて重要な戦略拠点でした。

甲相駿三国同盟の時代

天文23年(1554年)、武田氏・北条氏・今川氏の間で甲相駿三国同盟が結ばれ、この地域は比較的安定した時期を迎えました。戸倉城も北条氏の支配下で平和な時代を過ごします。

武田信玄の駿河侵攻

永禄11年(1568年)、武田信玄が駿河侵攻を開始し、三国同盟は破綻しました。これにより戸倉城は最前線の城となり、永禄11年(1568年)から元亀2年(1571年)にかけて、武田氏と北条氏との激しい戦いの舞台となりました。

笠原政堯の寝返りと武田氏の支配

天正8年(1580年)頃、武田勝頼は三枚橋城を拠点として小田原北条氏の戸倉城を攻撃しました。天正9年(1581年)、城将の笠原政堯が武田氏に寝返り、戸倉城は武田氏の所領となりました。

その後の変遷

しかし、天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると、戸倉城は再び北条氏の支配下に戻りました。そして天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐後、北条氏の滅亡とともに廃城となりました。

伊豆国戸倉城の構造と遺構

本城山の地形

戸倉城が築かれた本城山は、標高こそ高くありませんが、周囲を見渡せる独立丘陵であり、軍事的に重要な位置を占めていました。

主郭と曲輪配置

山頂部の主郭を中心に、複数の曲輪が階段状に配置されていました。現在は本城山公園として整備され、主郭跡には展望台が設置されています。

居館跡

山麓には城主の居館跡と考えられる平坦地が残されており、平時の城主の生活空間を偲ばせます。

伊豆国戸倉城の見どころ

富士山の眺望

本城山公園の展望台からは、天候が良ければ富士山の雄大な姿を望むことができます。この眺望は戸倉城を訪れる最大の魅力の一つとなっています。

本城山公園

現在、城跡は本城山公園として整備され、地域住民の憩いの場となっています。桜の名所としても知られ、春には多くの花見客で賑わいます。

武田・北条の攻防の舞台

永禄年間から元亀年間にかけて繰り広げられた武田氏と北条氏の攻防は、戦国時代の東国における重要な戦いの一つです。この地に立つことで、当時の緊張感を感じ取ることができるでしょう。

伊豆国戸倉城へのアクセス

公共交通機関でのアクセス

電車・バス利用
JR東海道線「三島駅」または「沼津駅」からバスで「徳倉」バス停下車、徒歩約15分で本城山公園に到着します。

車でのアクセス

東名高速道路「沼津IC」から約10分。本城山公園に駐車場が整備されており、アクセスは比較的容易です。

訪問時の注意点
  • 公園として整備されているため、武蔵国戸倉城と比べて訪問しやすい環境です
  • 展望台への階段があるため、歩きやすい靴での訪問を推奨します
  • 春の桜シーズンは混雑が予想されます

二つの戸倉城の比較

共通点

両城とも北条氏の支配下にあり、戦略的に重要な位置を占めていました。また、天正18年(1590年)の小田原征伐により廃城となった点も共通しています。山城としての構造も類似しており、主郭を中心とした縄張りが特徴です。

相違点

立地と役割
武蔵国戸倉城は北条氏照の支配領域における中継拠点として機能したのに対し、伊豆国戸倉城は駿河・伊豆の国境に位置する最前線の城として、より直接的な軍事衝突の舞台となりました。

歴史的事件
伊豆国戸倉城は武田信玄の駿河侵攻に伴う激しい攻防戦の舞台となり、城将の寝返りなど、より劇的な歴史を持っています。

現在の状態
武蔵国戸倉城は都指定史跡として山城の遺構が比較的良好に保存されているのに対し、伊豆国戸倉城は公園として整備され、より訪問しやすい環境となっています。

周辺の関連史跡

武蔵国戸倉城周辺

滝山城
北条氏照の本拠地で、戸倉城と密接な関係にありました。国史跡に指定されており、見事な遺構が残されています。

檜原城
甲州口を抑える重要な城で、戸倉城との中継地点として機能しました。

八王子城
北条氏照が築いた壮大な山城で、日本100名城の一つ。小田原征伐で落城した悲劇の城として知られています。

小宮城
戸倉城と同じく多摩地域の山城で、北条氏の支配下にありました。

伊豆国戸倉城周辺

三枚橋城
武田勝頼が戸倉城攻撃の拠点とした城です。

韮山城
北条早雲が本拠とした城で、小田原征伐時には豊臣軍の猛攻に耐えた堅城として知られています。

戸倉城を訪れる際のポイント

歴史的背景の理解

訪問前に北条氏の歴史や、武田信玄の駿河侵攻、豊臣秀吉の小田原征伐などの歴史的背景を学んでおくと、より深く城跡を楽しむことができます。

地図とガイドの活用

特に武蔵国戸倉城は山城のため、事前に地図を確認し、登山ルートを把握しておくことが重要です。スマートフォンのGPSアプリなども活用しましょう。

時間配分

武蔵国戸倉城の場合、登城と見学で2~3時間程度を見込んでおくと良いでしょう。伊豆国戸倉城は公園として整備されているため、1時間程度で見学可能です。

写真撮影

両城とも眺望が素晴らしいため、カメラを持参することをお勧めします。特に晴天時の富士山の眺めは必見です。

季節の選択

春の桜、新緑の季節、秋の紅葉など、四季それぞれに魅力があります。ただし、夏季は暑さと虫に注意が必要です。

戸倉城に関する資料と研究

歴史文献

戸倉城に関する記述は、『新編武蔵風土記稿』や『北条五代記』などの史料に見られます。また、発掘調査報告書なども刊行されており、より専門的な情報を得ることができます。

城郭研究

近年、戦国時代の山城研究が進み、戸倉城についても新たな知見が得られています。縄張り図の作成や遺構の詳細な調査により、城の構造がより明確になってきています。

まとめ

戸倉城という名称で知られる二つの城は、それぞれ異なる歴史と特徴を持ちながらも、北条氏の勢力圏において重要な役割を果たした城郭でした。武蔵国戸倉城は北条氏照の支配領域における中継拠点として、伊豆国戸倉城は駿河・伊豆国境の最前線の城として、それぞれの使命を担っていました。

現在、両城とも遺構が残され、訪問することができます。武蔵国戸倉城では山城の醍醐味と自然の美しさを、伊豆国戸倉城では富士山の眺望と整備された公園を楽しむことができます。

戦国時代の歴史に思いを馳せながら、これらの城跡を訪れてみてはいかがでしょうか。土塁や堀切などの遺構から、当時の城主や武士たちの息吹を感じ取ることができるはずです。両城を訪問することで、北条氏の支配領域の広がりと、戦国時代の東国における複雑な政治・軍事情勢を、より立体的に理解することができるでしょう。

地図

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