多度津城(香川県)完全ガイド|香川氏の居城と本台山城の歴史・遺構・アクセス
多度津城とは
多度津城(たどつじょう)は、香川県仲多度郡多度津町桃山に所在した中世の山城です。別名を本台山城(もとだいやまじょう)と称し、多度津港を臨む標高約93メートルの山岳東端に築かれました。現在は桃陵公園(とうりょうこうえん)として整備され、地域住民の憩いの場となっています。
讃岐国(現在の香川県)西部を支配した香川氏が平時の居城として使用し、戦時には背後の天霧城を詰城(つめじろ)として機能させる城郭体系の一翼を担った重要な拠点でした。
多度津城の基本情報
所在地・地図
- 所在地: 香川県仲多度郡多度津町桃山(東新町)
- 旧国名: 讃岐国
- 別名: 本台山城
- 現状: 桃陵公園
- 標高: 約93メートル
- 比高: 約80メートル
多度津城はJR予讃線と土讃線の分岐点である多度津駅から西方へ徒歩約20分の位置にあり、瀬戸内海に面した交通の要衝に立地しています。
城郭の分類・構造
- 分類: 山城
- 築城形式: 中世山城
- 縄張: 詳細不明(遺構が少ないため)
- 天守構造: なし(中世城郭のため天守は存在せず)
- 主要遺構: 石垣の一部、曲輪跡、帯曲輪状の平地
築城主・城主
- 築城主: 香川兵部少輔景房(かがわひょうぶしょうゆうかげふさ)
- 築城年: 貞治年間(1362年~1368年)または正平年間(1346年~1370年)
- 主な城主: 香川氏代々
- 廃城年: 天正年間(1573年~1593年)推定
多度津城の歴史
香川氏の讃岐入国と築城
多度津城の歴史は、南北朝時代にまで遡ります。讃岐守護・細川頼之に従って讃岐へ移った香川兵部少輔景房によって、貞治年間(1362年~1368年)に築かれたと伝えられています。
香川氏は鎌倉景政の後裔とされ、もともとは関東の武士でしたが、細川氏の配下として讃岐国に入国し、西讃地域の守護代として勢力を拡大しました。多度津城は、その拠点の一つとして重要な役割を果たすことになります。
平時の居城としての機能
香川氏は多度津城を平時の居城として使用していました。これは、日常的な政務や領地経営の拠点として機能していたことを意味します。一方で、戦時や緊急時には背後の天霧山(標高約270メートル)に築かれた天霧城を詰城として利用する二城体制を採っていました。
この城郭配置は、平地に近い利便性の高い場所に居館を置き、有事の際には山岳要害に籠城するという中世城郭の典型的な運用方法です。多度津城からは瀬戸内海や多度津港を一望でき、海上交通の監視や港湾管理にも適した立地でした。
香川氏の勢力拡大期
南北朝期から室町時代にかけて、香川氏は西讃守護代として勢力を拡大し、多度津周辺だけでなく、善通寺、三豊地域にまで影響力を及ぼしました。香川氏の支配領域には、天霧城のほか、甲山城、垂水城、聖通寺城など複数の支城が存在し、これらを統括する中心的な居城が多度津城でした。
多度津は古くから海上・陸上交通の要所として栄えており、瀬戸内海航路の重要な港湾として機能していました。香川氏はこの地の利を活かし、経済的にも軍事的にも強固な基盤を築いたと考えられます。
長宗我部氏の侵攻と臣従
天正年間(1573年~1593年)に入ると、土佐の戦国大名・長宗我部元親が四国統一を目指して讃岐国へ侵攻を開始します。香川氏は当初抵抗したものの、長宗我部氏の圧倒的な軍事力の前に最終的には臣従することとなりました。
この時期、多度津城がどのような役割を果たしたかは明確ではありませんが、長宗我部氏の讃岐支配体制の中で、香川氏の勢力は大きく縮小したと考えられます。その後、豊臣秀吉の四国平定により長宗我部氏が土佐一国に封じられると、讃岐国は生駒氏の支配下に入り、多度津城も廃城になったと推測されています。
江戸時代以降
江戸時代には、多度津は丸亀藩の一部となり、後に多度津藩が立藩されます。しかし、多度津藩の藩庁は多度津陣屋に置かれ、多度津城が再利用されることはありませんでした。
明治時代以降、城跡は桃陵公園として整備され、現在に至っています。
多度津城の遺構と見どころ
現在の桃陵公園
多度津城跡は現在、桃陵公園として整備されており、地域住民の散策や憩いの場として親しまれています。公園内には遊歩道が整備され、山頂部まで比較的容易に登ることができます。
公園からは多度津港や瀬戸内海を一望でき、晴れた日には瀬戸大橋や周辺の島々を眺めることができます。この眺望の良さは、かつて香川氏がこの地を居城として選んだ理由の一つでもあるでしょう。
石垣の痕跡
桃陵公園内には、わずかながら石垣の痕跡が確認できる場所があります。中世城郭としては比較的整った石積みの跡が見られ、当時の城郭構造の一端を垣間見ることができます。
ただし、後世の公園整備や開発により、多くの遺構は失われており、明確な縄張を確認することは困難です。それでも、注意深く観察すれば、曲輪(くるわ)の段差や土塁の名残と思われる地形を見つけることができます。
曲輪跡と帯曲輪
山頂部には水道施設などが設置されていますが、その周辺には帯曲輪状の平地が確認できます。中央部が一段小高くなっており、主郭(本丸)と考えられる場所も存在します。
これらの地形は自然地形を利用しつつ、人工的に削平された可能性が高く、城郭としての雰囲気を多少なりとも感じることができます。城郭愛好家にとっては、わずかな痕跡から当時の姿を想像する楽しみがある場所といえるでしょう。
縄張の推定
多度津城の詳細な縄張は不明ですが、山頂部を主郭とし、斜面に数段の曲輪を配置した連郭式または梯郭式の山城であったと推測されます。海に面した立地から、港湾の監視と防御を主目的とした城郭構造であった可能性が高いでしょう。
天霧城との関係から考えると、多度津城は大規模な軍事施設というよりは、日常的な居住と領地経営のための館的性格が強かったと考えられます。
天霧城との関係
詰城としての天霧城
多度津城を語る上で欠かせないのが、背後にそびえる天霧山の天霧城(あまぎりじょう)です。天霧城は善通寺市・三豊市・多度津町にまたがる標高約270メートルの天霧山山頂に築かれた山城で、香川氏の詰城として機能していました。
詰城とは、平時の居城が攻撃された際に立て籠もるための要害城のことです。多度津城が攻められた場合、香川氏は天霧城に退いて抵抗する戦略を採っていたと考えられます。
二城体制の戦略的意義
多度津城と天霧城の二城体制は、利便性と防御力を両立させた合理的な城郭配置でした。多度津城は港に近く、日常的な政務や交易に便利な反面、防御には限界がありました。一方、天霧城は険しい山岳に築かれ、攻略が困難な要害でしたが、日常生活には不便でした。
この二つの城を使い分けることで、香川氏は平時の統治効率と戦時の防御力を最大化していたのです。このような城郭運用は、中世西日本の武士団に広く見られる形態でした。
周辺の関連城郭
丸亀城
多度津城から東へ約5キロメートルの位置にある丸亀城は、江戸時代に築かれた近世城郭です。生駒氏、山崎氏を経て京極氏の居城となり、現存天守を持つ名城として知られています。
多度津城が中世の山城であったのに対し、丸亀城は近世の平山城であり、時代による城郭建築の変遷を比較する上でも興味深い存在です。
甲山城・垂水城・聖通寺城
香川氏の勢力圏内には、甲山城、垂水城、聖通寺城などの支城が存在しました。これらは多度津城や天霧城を中心とした城郭ネットワークを形成し、西讃地域の支配体制を支えていました。
城郭巡りを楽しむ方は、これらの関連城郭を併せて訪問することで、香川氏の領国経営の全体像をより深く理解できるでしょう。
多度津陣屋
江戸時代の多度津藩の藩庁であった多度津陣屋も、多度津城とは別の場所に存在しました。陣屋は城郭ではなく、行政機能を持つ施設でしたが、多度津の歴史を知る上で重要な史跡です。
アクセスと駐車場情報
公共交通機関でのアクセス
- JR多度津駅から徒歩: 約20分
- JR予讃線と土讃線が分岐する多度津駅は、四国の鉄道交通の要所です
- 駅から西方へ向かい、多度津港方面へ進むと桃陵公園の入口に到着します
車でのアクセス
- 高松自動車道・善通寺ICから: 約15分
- 瀬戸中央自動車道・坂出ICから: 約20分
- カーナビ設定: 「桃陵公園」または「多度津町桃山」で検索
駐車場
桃陵公園には専用の駐車場があり、無料で利用できます。ただし、駐車可能台数は限られているため、休日や桜の季節などは混雑する可能性があります。
見学時の注意点
- 公園内は整備されていますが、一部急な坂道や階段があります
- 歩きやすい靴での訪問をおすすめします
- 遺構は少ないため、事前に歴史を学んでから訪問すると理解が深まります
- 夏季は虫除け対策、冬季は防寒対策をお忘れなく
多度津城訪問の楽しみ方
歴史ロマンを感じる
多度津城は遺構が少ないものの、香川氏が讃岐国西部を支配した拠点として重要な歴史的意義を持ちます。わずかな石垣の痕跡や地形の起伏から、中世武士の生活や戦略を想像する楽しみがあります。
城郭ファンの間では「痕跡城」として知られ、明確な遺構が残る城とは異なる魅力があります。歴史的背景を理解した上で訪問すれば、見えないものが見えてくる不思議な体験ができるでしょう。
眺望を楽しむ
桃陵公園からの眺望は素晴らしく、多度津港や瀬戸内海、瀬戸大橋を一望できます。特に夕暮れ時の景色は美しく、写真撮影スポットとしてもおすすめです。
香川氏もこの景色を眺めながら、領国経営や戦略を練っていたのかもしれません。当時の城主の視点に立って景色を眺めることで、歴史への理解が深まります。
周辺観光と組み合わせる
多度津町には、多度津城以外にも見どころがあります。
- 多度津港: 古くからの港町の風情が残る
- 桃陵公園の桜: 春には桜の名所として賑わう
- たどつ花火大会: 夏の風物詩
- 海岸寺: 弘法大師ゆかりの古刹
丸亀城や善通寺、金刀比羅宮なども車で30分圏内にあり、讃岐観光の一環として多度津城を訪れるのも良いでしょう。
多度津城の歴史的評価
多度津城は、大規模な石垣や天守が残る著名な城郭と比較すると、一見地味な存在に思えるかもしれません。しかし、中世讃岐国の地域支配の実態を知る上で重要な史跡です。
香川氏が採用した平時の居城と詰城の二城体制は、中世武士団の城郭運用の典型例として、城郭研究の観点からも注目されています。また、海上交通の要衝に立地する城郭として、瀬戸内海航路の歴史を考える上でも意義があります。
遺構が少ないことは残念ですが、それゆえに想像力を働かせて歴史を感じる楽しみがあるともいえます。城郭愛好家にとっては、有名城郭とは異なる静かな探訪の喜びを味わえる場所です。
まとめ
多度津城(本台山城)は、香川県仲多度郡多度津町に所在した中世山城で、讃岐国西部を支配した香川氏の平時の居城として重要な役割を果たしました。現在は桃陵公園として整備され、わずかな石垣の痕跡や曲輪跡が往時を偲ばせます。
天霧城を詰城とする二城体制、瀬戸内海を望む立地、香川氏の興亡など、多度津城には中世讃岐の歴史が凝縮されています。遺構は少ないものの、歴史的背景を理解して訪問すれば、深い感動と新たな発見があるでしょう。
多度津駅から徒歩でアクセスでき、周辺には丸亀城や金刀比羅宮などの観光スポットも豊富です。讃岐観光の際には、ぜひ多度津城跡に足を運んでみてください。中世武士の息吹を感じられる静かな城跡が、あなたを待っています。
