四戸城(岩手県二戸市)の歴史と見どころ

四戸城(岩手県二戸市)の歴史と見どころ
所在地 〒028-5711 岩手県二戸市金田一舘73
公式サイト http://www.edu.city.ninohe.iwate.jp/~maibun/bunkazai-database/bunkazai/ruin/index9_0.html

四戸城(岩手県二戸市)の歴史と見どころ完全ガイド|金田一城との関係も解説

四戸城(しのへじょう)は、岩手県二戸市金田一地区に所在した中世の城郭です。別称「金田一城」としても知られるこの城は、馬淵川左岸の河岸段丘上に築かれ、上館・中館・下館の三郭から構成される独特の縄張りを持っています。本記事では、四戸城の歴史的背景から遺構の詳細、周辺城郭との関係まで、詳しく解説します。

四戸城の基本情報

所在地:岩手県二戸市金田一仲町
旧国名:陸奥国
城郭分類:平城(河岸段丘上)
別名:金田一城(きんだいちじょう)
築城年:詳細不明(中世期と推定)
築城者:四戸氏と伝わる
主要城主:四戸氏、切円氏、金田一氏
廃城年:天正年間と推定
遺構:曲輪、空堀
アクセス:いわて銀河鉄道・金田一温泉駅から徒歩約20分

四戸城は馬淵川の自然地形を巧みに利用した平城で、河岸段丘の地の利を活かした防御性の高い縄張りが特徴です。現在は宅地化が進んでいますが、一部に空堀や曲輪の痕跡が残されています。

四戸城の歴史

四戸氏と城の成り立ち

四戸城の歴史は、この地を支配した四戸氏と密接に関わっています。四戸氏は南部氏の一族とされ、糠部郡(ぬかのぶぐん)を支配した南部氏が、領内を「一戸」「二戸」「三戸」といった数字で区分した際に、四戸地域を治めた一族です。

糠部郡は現在の青森県東部から岩手県北部にかけての広大な地域で、南部氏はこの地域を効率的に統治するために、一門や有力家臣を各地に配置しました。四戸氏はその中でも重要な位置を占め、馬淵川流域の要衝を押さえる役割を担っていたと考えられます。

三郭構造の成立

四戸城の最大の特徴は、上館・中館・下館という三つの郭が連なる構造です。伝承によれば、それぞれの郭には異なる氏族が居城していたとされます。

  • 上館:四戸氏の居城(東西約100メートル×南北約250メートル、最大規模)
  • 中館:切円氏(きりまる氏)の居城
  • 下館:金田一氏の居城

この三郭を総称して「金田一城」と呼ぶようになりましたが、最も規模が大きい上館を指して「四戸城」と呼ぶこともあります。このような複数の氏族が同一城郭内に居住する形態は、血縁関係や主従関係にある一族が連携して防衛にあたる中世城郭の特徴的な形態です。

戦国期の四戸城

戦国時代、この地域は南部氏の勢力圏でしたが、天正年間(1573-1593年)には大きな変動を迎えます。特に天正19年(1591年)の九戸政実の乱は、この地域の城郭史において重要な出来事でした。

九戸政実は南部氏の一族でありながら、当主の南部信直に反旗を翻し、豊臣秀吉の奥州仕置に抵抗しました。この乱において、四戸城がどのような役割を果たしたかについては明確な記録が残されていませんが、九戸城からわずか4.7キロメートルの距離にあることから、何らかの影響を受けたことは間違いありません。

九戸政実の乱が鎮圧された後、この地域は南部氏の安定的な支配下に入り、四戸城も戦略的重要性を失って廃城になったと考えられています。

四戸城の縄張りと遺構

上館(四戸氏居城)の構造

上館は三郭の中で最も規模が大きく、東西約100メートル、南北約250メートルの細長い形状をしています。この南北に長い縄張りは、馬淵川沿いの河岸段丘の地形を最大限に活用したものです。

上館には主郭を中心に複数の曲輪が配置され、周囲を空堀で区画していました。現在は宅地化が進んでいますが、地形の起伏や一部の空堀跡から、往時の縄張りを推測することができます。

中館と下館の配置

中館と下館は上館の周辺に配置され、それぞれ独立した防御機能を持ちながらも、全体として一つの城郭システムを構成していました。各郭は空堀によって明確に区分されており、それぞれの氏族が独自の居住空間を持ちつつ、有事には協力して防衛にあたる構造になっていたと考えられます。

空堀の特徴

四戸城の防御施設として最も重要なのが空堀です。各郭を仕切る空堀は、敵の侵入を防ぐだけでなく、各氏族の領域を明確に区分する役割も果たしていました。現在でも一部の空堀跡が確認でき、当時の規模を偲ぶことができます。

馬淵川という天然の堀に加えて、人工的な空堀を組み合わせることで、平城でありながら高い防御性を実現していた点が、四戸城の縄張りの特徴といえます。

金田一城との関係

四戸城と金田一城は同一の城郭を指す別名ですが、その呼称の使い分けには歴史的背景があります。

呼称の変遷

当初は最大規模の上館を中心に「四戸城」と呼ばれていましたが、時代が下るにつれて、三郭全体を包括する名称として「金田一城」が使われるようになりました。これは、この地域が「金田一」という地名で広く知られるようになったことと関係しています。

金田一という地名の由来については諸説ありますが、金田一氏が下館に居城したことから、この一族の名が地名として定着したという説が有力です。

現代における名称の使用

現在、城郭研究や観光案内においては、「四戸城(別名:金田一城)」あるいは「金田一城(別名:四戸城)」という表記が一般的です。日本城郭大系などの専門書籍では、両方の名称を併記することで、同一の城郭であることを明示しています。

周辺の城郭との関係

四戸城を理解する上で、周辺の城郭との関係を知ることは重要です。

九戸城(距離:約4.7km)

九戸城は四戸城から北西約4.7キロメートルに位置する、この地域最大の城郭です。九戸政実の乱の舞台として歴史に名を刻み、現在は国の史跡に指定されています。四戸城と九戸城は、南部氏の糠部支配における重要な拠点として、相互に連携していたと考えられます。

一戸城(距離:約5.7km)

一戸城は四戸城から南約5.7キロメートルに位置し、一戸氏の居城でした。一戸から四戸まで、数字で表される地域区分に対応した城郭が配置されていたことは、南部氏の計画的な領国支配を示す興味深い事例です。

三戸城

三戸城は青森県三戸町に所在し、南部氏の本城として機能しました。四戸城は三戸城を中心とする南部氏の城郭ネットワークの一翼を担い、馬淵川流域の防衛と交通路の監視という役割を果たしていたと推測されます。

四戸城へのアクセスと見学情報

交通アクセス

電車利用の場合
いわて銀河鉄道「金田一温泉駅」下車、徒歩約20分。駅から北西方向へ進み、馬淵川沿いの段丘上を目指します。

自動車利用の場合
東北自動車道「一戸IC」から約15分。国道4号線を北上し、金田一温泉方面へ。ただし、城跡は宅地化されているため、専用駐車場はありません。

見学時の注意点

四戸城跡は現在、大部分が宅地化されており、明確な城跡公園として整備されているわけではありません。見学の際は以下の点に注意してください。

  1. 私有地への配慮:多くの部分が民家の敷地となっているため、無断で立ち入らないようにしましょう。
  2. 遺構の確認:空堀の一部や地形の起伏から往時を偲ぶことができますが、明確な遺構は限られています。
  3. 城址標柱:一部に城址を示す標柱が設置されており、これを目印に散策することができます。

周辺の観光スポット

金田一温泉
四戸城跡のすぐ近くには、岩手県を代表する温泉地の一つである金田一温泉があります。城跡見学の後に温泉で疲れを癒すのもおすすめです。

九戸城跡
国史跡に指定されている九戸城跡は、四戸城から約4.7キロメートルの距離にあり、セットで訪れることで、この地域の中世城郭をより深く理解できます。九戸城跡は整備が進んでおり、本丸、二の丸、石沢館などの遺構を明確に確認できます。

二戸市埋蔵文化財センター
二戸市の歴史や考古学資料を展示する施設で、四戸城を含む地域の城郭についての情報を得ることができます。

四戸城研究の現状と課題

文献史料の限界

四戸城に関する文献史料は非常に限られており、築城年、詳細な城主の変遷、廃城の経緯など、多くの点が不明のままです。『日本城郭大系』や『岩手県中世城館跡分布調査報告書』などの専門書籍でも、伝承に基づく記述が多く、確実な史実として確認できる情報は少ないのが現状です。

考古学的調査の必要性

四戸城の実態を解明するためには、本格的な考古学的発掘調査が必要ですが、宅地化が進んでいるため、大規模な調査は困難な状況です。しかし、部分的な調査や地中レーダー探査などの非破壊調査によって、新たな知見が得られる可能性があります。

地域史における位置づけ

四戸城は、南部氏の糠部支配における数字地名(一戸、二戸、三戸、四戸など)と城郭配置の関係を示す重要な事例です。今後の研究によって、中世における計画的な領国支配の実態が明らかになることが期待されます。

参考文献と情報源

四戸城について詳しく知るためには、以下の書籍や資料が参考になります。

  • 『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』(新人物往来社)
  • 『岩手県中世城館跡分布調査報告書』(岩手県教育委員会)
  • 『都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成』(東洋書林)
  • 二戸市史編纂委員会『二戸市史』

これらの文献には、四戸城の基本情報や周辺城郭との関係、地域史における位置づけなどが記載されています。

まとめ:四戸城の歴史的価値

四戸城(金田一城)は、遺構の残存状況は限定的ですが、南部氏の糠部支配における重要な城郭の一つとして、歴史的価値を持っています。

上館・中館・下館という三郭構造は、複数の氏族が協力して防衛にあたる中世城郭の特徴を示しており、四戸氏、切円氏、金田一氏という地域の有力氏族の存在を伝える貴重な遺跡です。

また、九戸城、一戸城、三戸城など、周辺の城郭との関係を考察することで、中世から近世初頭にかけての東北地方における領国支配の実態を理解する手がかりとなります。

現在は宅地化が進み、往時の姿を偲ぶことは難しくなっていますが、金田一温泉駅から徒歩圏内という立地の良さを活かし、温泉観光と組み合わせた歴史散策の対象として、今後も多くの城郭ファンに訪れてほしい史跡です。

四戸城の歴史と遺構を知ることは、岩手県北部の中世史を理解する上で欠かせない要素であり、今後の調査研究の進展が期待されます。

地図

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