向牧戸城(岐阜県高山市)- 金森軍を撃退した飛騨の要害

向牧戸城(岐阜県高山市)- 金森軍を撃退した飛騨の要害
所在地 〒501-5411 岐阜県高山市荘川町牧戸

向牧戸城(岐阜県高山市)- 金森軍を撃退した飛騨の要害

向牧戸城(むかいまきどじょう)は、岐阜県高山市荘川町牧戸に位置する中世山城です。飛騨国の戦国時代を代表する城郭の一つであり、天正13年(1585年)の金森長近による飛騨侵攻において、唯一その進撃を食い止めたという伝承を持つ堅城として知られています。現在は市史跡に指定され、荘川の豊かな自然に囲まれた城跡として、歴史愛好家や城郭ファンから注目を集めています。

向牧戸城の歴史

内ヶ島氏による築城

向牧戸城の築城年代は定かではありませんが、寛正年間(1460年~1466年)に内ヶ島為氏によって築かれたと伝えられています。内ヶ島氏は楠木氏の一族である和田政氏の末裔とされ、もともと信濃国に居住していました。内ヶ島為氏の代に飛騨国白川郷へ進出し、向牧戸城を拠点として勢力を拡大していきました。

為氏は向牧戸城を築いた後、この地域に勢力を持っていた一向宗勢力を討伐し、北飛騨に確固たる支配基盤を確立しました。一説には、内ヶ島氏が飛騨に入居して最初に居城としたのが向牧戸城であったとも言われています。この城は庄川(荘川)と野々股川の合流点という地理的要衝に位置し、飛騨国の南北を結ぶ街道を押さえる重要な拠点でした。

帰雲城への本拠移転と川尻氏の入城

その後、内ヶ島為氏は白川郷のより奥地に帰雲城を新たに築城し、本拠をそちらへ移しました。帰雲城は内ヶ島氏の本城として機能することになりますが、向牧戸城も重要な支城として維持されました。為氏は家臣である川尻備中守氏信を城主として配置し、以後は代々川尻氏が居城する城となりました。

川尻氏は内ヶ島氏の重臣として、向牧戸城を拠点に荘川地域の支配と防衛を担当しました。この時期、向牧戸城は内ヶ島氏の勢力圏における南の防衛拠点として機能し、郡上方面からの侵入に備える役割を果たしていたと考えられます。

天正13年の金森軍侵攻と攻防戦

向牧戸城が歴史の表舞台に登場するのは、天正13年(1585年)8月のことです。豊臣秀吉(羽柴秀吉)の命を受けた金森長近が、約3万の大軍を率いて飛騨国に侵攻しました。この飛騨攻めにおいて、金森軍は圧倒的な軍事力で飛騨国内の諸城を次々と攻略していきました。

ところが、向牧戸城は金森軍の進撃を一時的に撃退したという伝承が残っています。城は庄川と野々股川が合流する断崖絶壁の上に築かれた天然の要害であり、比高約46メートルの険しい地形を活かした防御施設が金森軍を苦しめました。戦国飛騨において、金森軍の進撃を食い止めた唯一の城として、向牧戸城の名は特筆されるべき存在です。

遠藤氏の援軍と落城

金森軍はいったん向牧戸城攻略を断念して退きましたが、その後態勢を立て直して再攻撃を仕掛けました。この際、金森家2代目となる金森可重の妻の実家である郡上遠藤氏から援軍を得たとされています。遠藤氏の協力により、金森軍は向牧戸城への攻撃ルートを確保し、ようやく城を落とすことに成功しました。

向牧戸城の落城により、内ヶ島氏の勢力圏は完全に崩壊し、飛騨国は金森氏の支配下に入りました。城主であった川尻氏の一族は帰農したと伝えられ、その子孫は現在も地元に残っているとされています。向牧戸城はこの戦いを最後に廃城となったと考えられています。

向牧戸城の構造と縄張り

立地と地形的特徴

向牧戸城は岐阜県高山市荘川町牧戸の向牧戸地区に位置し、標高約806メートル、比高約46メートルの丘陵上に築かれています。城の最大の特徴は、庄川(荘川)と野々股川という二つの河川が合流する地点の断崖絶壁を利用した天然の要害である点です。

三方を急峻な崖に囲まれたこの地形は、敵の接近を極めて困難にし、少数の守備兵でも効果的な防御が可能でした。金森軍のような大軍であっても容易に攻め落とせなかった理由は、この地形的優位性にあったと考えられます。

郭と堀切の配置

向牧戸城の縄張りは小規模ながらも、要所を押さえた効率的な設計となっています。本丸を中心とした郭(くるわ)が配置され、尾根続きの部分には堀切が設けられていました。堀切は敵の侵入を防ぐための重要な防御施設であり、向牧戸城においても尾根伝いに攻めてくる敵を食い止める役割を果たしていました。

城の規模は決して大きくありませんが、地形を最大限に活用した防御重視の設計思想が見て取れます。これは山城特有の特徴であり、飛騨の険しい地形に適応した城郭建築の典型例と言えるでしょう。

対岸の牧戸城との関係

興味深いことに、荘川を挟んだ対岸には「牧戸城」という別の城郭が存在します。この牧戸城は平成17年(2005年)に発見された比較的新しい発見の城跡で、国道156号線沿いの郡上と白川村への街道の中継地点という要衝に位置しています。

牧戸城は金森長近が飛騨攻略の際に向牧戸城を攻めるために築いた陣城(付城)と推測されています。庄川と御手洗川が合流する地点の東側、比高約50メートルの丘陵に築かれており、現在は登山道が整備されています。向牧戸城と牧戸城は川を挟んで対峙する関係にあり、天正13年の攻防戦における両軍の布陣を物語る重要な遺構と言えます。

現在の向牧戸城

城跡の保存状態と整備

現在の向牧戸城跡は、市史跡(旧荘川村史跡)として保護されています。城跡の一画は公園として整備されており、地域住民や観光客が訪れやすい環境が整えられています。本丸跡には展望施設が設置され、荘川の美しい渓谷美や周辺の山々を一望することができます。

遺構としては、郭の跡や堀切の痕跡などが確認でき、往時の城の姿を偲ぶことができます。ただし、長い年月を経ているため、石垣などの明確な構造物は残っていません。それでも、地形を活かした縄張りの妙は現地を訪れることで実感できるでしょう。

訪問ガイドとアクセス情報

所在地: 岐阜県高山市荘川町牧戸向牧戸

アクセス:

  • 車の場合: 東海北陸自動車道「荘川IC」から国道156号線経由で約10分
  • 公共交通機関: JR高山駅から濃飛バス白川郷方面行きで約1時間、「牧戸」バス停下車、徒歩約15分

駐車場: 城跡周辺に若干のスペースあり(詳細は事前確認推奨)

見学時間: 自由(ただし冬季は積雪のため訪問困難)

見学料: 無料

城跡へは徒歩でアクセス可能ですが、山道を登る必要があるため、歩きやすい靴と服装での訪問をお勧めします。また、荘川地域は冬季には豪雪地帯となるため、訪問は春から秋にかけてが適しています。

向牧戸城の見どころ

断崖絶壁の要害地形

向牧戸城最大の見どころは、何と言っても二つの河川が合流する断崖絶壁という立地そのものです。本丸跡から見下ろす荘川の渓谷は、城が天然の要害であったことを実感させてくれます。金森軍がこの城の攻略に苦戦した理由が、現地を訪れることで明確に理解できるでしょう。

展望施設からの眺望

本丸跡に設置された展望施設からは、荘川の美しい自然景観を360度のパノラマで楽しむことができます。春の新緑、秋の紅葉など、季節ごとに異なる表情を見せる飛騨の山々は圧巻です。また、対岸の牧戸城跡の方向も確認でき、両城の位置関係を実地で把握できます。

堀切と郭の遺構

城跡内には、往時の防御施設である堀切や郭の跡が残されています。規模は小さいものの、地形を巧みに利用した中世山城の縄張りを学ぶことができる貴重な遺構です。特に城郭ファンにとっては、教科書的な山城の構造を実地で確認できる貴重な機会となるでしょう。

歴史ロマンを感じる静寂

向牧戸城跡は、有名観光地のような賑わいはありませんが、それゆえに静かに歴史に思いを馳せることができる場所です。天正13年の激戦、金森軍を撃退した川尻氏の奮闘、そして飛騨国の戦国時代の終焉。そうした歴史の転換点に立ち会った城として、向牧戸城は訪れる者に深い感動を与えてくれます。

周辺の観光スポット

白川郷

向牧戸城から国道156号線を北上すると、世界遺産の白川郷合掌造り集落に到着します。車で約30分の距離にあり、向牧戸城訪問と合わせて観光するのに最適です。内ヶ島氏が本拠とした帰雲城も白川郷地域にありましたが、天正13年(1586年)の大地震で埋没してしまいました。

荘川桜

荘川町の名所である「荘川桜」は、御母衣ダム建設に伴い湖底に沈む運命にあった桜の巨木を移植したもので、日本の桜の名所として知られています。春には見事な花を咲かせ、多くの観光客が訪れます。向牧戸城から車で約15分の距離です。

御母衣ダムと御母衣湖

日本有数のロックフィルダムである御母衣ダムと、その人造湖である御母衣湖も見どころです。ダム建設により水没した集落の歴史や、現代の土木技術を学ぶことができます。

飛騨の戦国史における向牧戸城の意義

向牧戸城は、飛騨国の戦国時代を語る上で欠かせない存在です。内ヶ島氏が飛騨に進出する拠点となり、その後は川尻氏の居城として機能し、最終的には金森軍との激戦の舞台となりました。

特筆すべきは、天正13年の金森軍侵攻において、飛騨国内で唯一その進撃を一時的に食い止めたという点です。この事実は、向牧戸城の防御力の高さと、守備側の士気の高さを物語っています。金森長近という戦国時代屈指の名将が率いる大軍を相手に、小規模な山城がいったんは撃退したという事実は、まさに歴史のドラマと言えるでしょう。

また、向牧戸城の歴史は、飛騨国における戦国時代の終焉を象徴しています。この城の落城により、内ヶ島氏を中心とした飛騨の戦国勢力は完全に崩壊し、以後は金森氏による統一支配の時代へと移行しました。その意味で、向牧戸城は飛騨の戦国時代最後の砦であったとも言えます。

向牧戸城を訪れる価値

向牧戸城は、岐阜城や犬山城のような有名な城郭ではありませんが、日本の城郭史において独自の価値を持つ史跡です。地形を最大限に活用した中世山城の典型例として、また戦国飛騨の歴史を今に伝える貴重な遺構として、訪れる価値は十分にあります。

特に以下のような方には、向牧戸城の訪問を強くお勧めします:

  • 山城ファン: 地形を活かした縄張りの妙を実地で学べます
  • 戦国史愛好家: 飛騨国の戦国時代を肌で感じられます
  • 自然愛好家: 荘川の美しい渓谷美と一体となった城跡を楽しめます
  • 静かな史跡を好む方: 喧騒から離れて歴史に浸れます

向牧戸城跡を訪れる際は、白川郷や荘川桜など周辺の観光スポットと組み合わせることで、より充実した飛騨の旅を楽しむことができるでしょう。金森軍を撃退した戦国飛騨最強の要害、向牧戸城。その歴史と自然が織りなす魅力を、ぜひ現地で体感してください。

地図

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