水戸城

所在地 〒310-0011 茨城県水戸市三の丸2丁目9−22
公式サイト https://mitokoumon.com/facility/historic/mitojoato/

水戸城の完全ガイド:歴史・見どころ・復元建築まで徹底解説

茨城県水戸市に位置する水戸城は、徳川御三家のひとつ水戸徳川家の居城として約260年にわたり東国の要衝を守り続けた名城です。石垣を一切使わない土造りの城として日本最大級の規模を誇り、令和2年から3年にかけて大手門や二の丸角櫓が復元され、新たな観光スポットとして注目を集めています。

水戸城の歴史:平安時代から現代まで

馬場氏による築城(平安時代末期~鎌倉時代初期)

水戸城の歴史は12世紀末から13世紀初頭まで遡ります。常陸国の武将であった馬場小次郎資幹(ばばこじろうすけもと)が、那珂川と千波湖に挟まれた東西に長い台地の東端に館を築いたのが始まりとされています。この時代の城は「馬場城」と呼ばれ、現在の本丸付近に居館があったと考えられています。

三方を水に囲まれた天然の要害であり、陸路と水運の要衝に位置していたことから、地域支配の中核的拠点として機能していました。

江戸氏の時代(鎌倉時代~室町時代)

鎌倉時代中期以降、馬場氏を追いやった江戸氏が水戸城を居城としました。江戸氏の時代には城郭が拡張され、二の丸が築かれました。この時期、現在の本丸が内城、二の丸が重臣の屋敷地として整備されたとされています。

江戸氏は約200年にわたって水戸を支配し、城の基礎的な構造を形成しました。

佐竹氏による統治(戦国時代~江戸時代初期)

戦国時代末期、常陸国を統一した佐竹氏が水戸城を支配下に置きました。佐竹義宣は天正18年(1590年)に水戸城に入城し、城の大規模な改修を行いました。佐竹氏時代には城郭がさらに拡張され、三の丸も整備されたと考えられています。

しかし、慶長7年(1602年)、佐竹義宣は出羽国秋田への国替えを命じられ、水戸城を去ることになりました。

水戸徳川家の居城として(江戸時代)

慶長14年(1609年)、徳川家康の十一男である徳川頼房が水戸に封じられ、水戸徳川家25万石(後に35万石)の居城となりました。これ以降、明治維新まで11代にわたって徳川御三家のひとつとして東北諸藩ににらみをきかせる重要な拠点となりました。

頼房は入城後、城の大改修に着手しました。しかし、徳川御三家の居城でありながら、尾張藩の名古屋城や紀州藩の和歌山城と比べると質素な造りが特徴でした。これは水戸藩が「天下の副将軍」として江戸幕府を支える立場にあり、藩主が江戸に常駐することが多かったためと考えられています。

幕末の動乱と廃城(幕末~明治時代)

幕末、水戸藩は尊王攘夷運動の中心地のひとつとなりました。第9代藩主徳川斉昭は弘道館を創設し、藩士の教育に力を注ぎましたが、藩内は保守派と改革派に分裂し、天狗党の乱などの内紛が発生しました。

明治維新後、廃藩置県により水戸城は廃城となりました。明治5年(1872年)の火災により御三階櫓などの主要建築物が焼失し、その後、城跡は学校用地として利用されるようになりました。

昭和から令和の復元事業

昭和20年(1945年)の水戸空襲により、薬医門を除く残存建築物のほとんどが焼失しました。戦後、水戸城跡は文教地区として整備され、現在も水戸第一高等学校や茨城大学などが立地しています。

平成30年(2018年)から水戸城跡の復元整備事業が本格化し、令和2年(2020年)に大手門が、令和3年(2021年)に二の丸角櫓が復元完成しました。これらの復元により、水戸城の往時の姿を偲ぶことができるようになりました。

水戸城の特徴:日本最大級の土造りの城

石垣を用いない土塁による築城

水戸城最大の特徴は、石垣を一切使用せず、土塁のみで築かれた城であることです。徳川御三家の居城としては異例の構造ですが、これには地質的な理由と経済的な理由があったと考えられています。

水戸台地は関東ローム層で覆われており、良質な石材の入手が困難でした。また、水戸藩は江戸幕府を支える役割から軍事費よりも文教政策に予算を振り向ける傾向があり、石垣による築城は行われませんでした。

土塁は高さ10メートル以上に及ぶ箇所もあり、その規模は土造りの城としては日本最大級です。現在も三の丸空堀周辺では保存状態の良い土塁を見ることができます。

連郭式の縄張り

水戸城は本丸、二の丸、三の丸が東西一直線に並ぶ「連郭式」の縄張りが特徴です。東西約2キロメートルにわたる細長い台地上に、三つの曲輪が連なる形で配置されています。

各曲輪は巨大な空堀や堀切によって区切られており、特に本丸と二の丸を分ける大堀切は深さ20メートル近くに達し、現在はJR常磐線が通っています。二の丸と三の丸を分ける堀切は国道50号線となっており、往時の堀の深さを実感できます。

天守の代わりとなった御三階櫓

水戸城には天守は建てられませんでしたが、本丸に建てられた御三階櫓が天守の代用として機能していました。三層の櫓で、入母屋造りの屋根を持ち、水戸のシンボルとして市民に親しまれていました。

御三階櫓は明治5年の火災で焼失しましたが、古写真や絵図が残されており、その姿を知ることができます。現在、御三階櫓の復元も検討されています。

水戸城跡の見どころ:復元建築と現存遺構

大手門(復元)

令和2年(2020年)2月に復元完成した大手門は、水戸城で最も格式が高い門でした。三の丸の正門として機能し、土塁に取り付く城門としては国内最大級の規模を誇ります。

高麗門と櫓門の二重構造からなる枡形門で、櫓門は二階建て、延床面積約280平方メートルに及びます。復元にあたっては、江戸時代の絵図や発掘調査の成果を基に、伝統的な木造工法で建設されました。

大手門の内部は公開されており、水戸城の歴史や復元工事の過程を紹介する展示を見学できます(無料)。二階からは三の丸の景観を一望でき、往時の城下町の雰囲気を感じることができます。

二の丸角櫓(復元)

令和3年(2021年)6月に一般公開が始まった二の丸角櫓は、かつて二の丸の南西角に建てられていた二階建ての櫓です。大手門と同様、江戸時代の絵図や発掘調査の成果を基に復元されました。

櫓の内部は展示スペースとなっており、水戸城の歴史や水戸徳川家に関する資料が展示されています。二階からは二の丸周辺の景観を望むことができ、土塁の高さや堀の深さを実感できます。

見学は無料で、開館時間は午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)です。月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始は休館となります。

薬医門(現存)

水戸城唯一の現存建築物である薬医門は、本丸の橋詰御門だったと考えられています。江戸時代初期の建築様式を残す貴重な遺構で、茨城県指定文化財に指定されています。

現在は水戸第一高等学校の構内に移築されており、学校の開校日には外観を見学することができます。薬医門形式の城門として、本柱と控柱の位置関係や屋根の形状など、江戸時代の建築技術を知る上で重要な建造物です。

杉山門と柵町坂下門

水戸城跡には、復元された門として杉山門と柵町坂下門もあります。これらの門は平成に入ってから復元されたもので、往時の城郭の雰囲気を再現しています。

杉山門は二の丸の北側に位置し、那珂川方面への出入口として機能していました。柵町坂下門は三の丸の南側に位置し、千波湖方面への出入口でした。いずれも無料で見学できます。

空堀と土塁

水戸城の最大の見どころは、現存する巨大な空堀と土塁です。特に三の丸空堀は保存状態が良好で、当時の遺構がよく残っています。堀の深さは10メートル以上あり、両側の土塁を含めると高低差は20メートル近くに達します。

二の丸と三の丸を分ける堀切は現在の国道50号線となっていますが、道路の両側に残る土塁の高さから、往時の堀の規模を想像することができます。本丸と二の丸を分ける大堀切は、現在JR常磐線が通っており、水戸駅のホームから崖のようにそそり立つ土塁を見上げることができます。

弘道館:水戸城三の丸に建てられた藩校

日本最大規模の藩校

弘道館は、第9代藩主徳川斉昭が天保12年(1841年)に開設した藩校で、江戸時代の総合大学とも言える教育施設でした。儒学を中心に、武術、医学、天文学、蘭学など幅広い学問を教授し、水戸学の中心地として機能しました。

敷地面積は約8ヘクタールに及び、藩校としては日本最大規模を誇ります。正庁、至善堂、正門など、江戸時代後期の建築物が現存し、国の重要文化財に指定されています。また、弘道館公園全体が国の特別史跡に指定されています。

見学のポイント

弘道館の正庁では、藩主が学問を講義した「正席の間」や、藩士が学んだ「諸役会所」などを見学できます。至善堂は徳川斉昭が隠居後に住んだ建物で、幕末の動乱期には最後の将軍徳川慶喜もここで謹慎生活を送りました。

庭園は梅の名所として知られ、約60品種800本の梅が植えられています。2月下旬から3月上旬には「水戸の梅まつり」が開催され、多くの観光客で賑わいます。

開館時間は午前9時から午後5時まで(10月から2月は午後4時30分まで)で、入館料は大人400円、小中学生200円です。

偕楽園:日本三大名園のひとつ

弘道館とセットで造られた庭園

偕楽園は、弘道館と合わせて徳川斉昭が造営した日本庭園で、金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本三大名園のひとつに数えられています。弘道館が「文」を学ぶ場であるのに対し、偕楽園は「武」を鍛え心身を休める場として位置づけられました。

「偕楽園」の名称は、『孟子』の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節に由来し、身分を問わず万人とともに楽しむ場という意味が込められています。

梅の名所として

偕楽園は梅の名所として全国的に有名で、約100品種3,000本の梅が植えられています。早咲き、中咲き、遅咲きの品種が植え分けられており、2月中旬から3月下旬まで長期間にわたって梅を楽しむことができます。

毎年2月中旬から3月下旬には「水戸の梅まつり」が開催され、期間中は100万人以上の観光客が訪れます。夜間にはライトアップも実施され、幻想的な雰囲気を楽しめます。

その他の見どころ

偕楽園には梅以外にも、好文亭、吐玉泉、孟宗竹林など多くの見どころがあります。好文亭は徳川斉昭が自ら設計した二層三階建ての建物で、内部を見学できます(有料)。三階からは千波湖や水戸市街を一望できます。

開園時間は午前6時から午後7時まで(10月から2月は午後5時まで)で、入園は基本的に無料です(好文亭は有料)。

水戸城へのアクセスと観光情報

アクセス方法

電車でのアクセス

  • JR常磐線「水戸駅」北口から徒歩約8分で大手門に到着
  • 水戸駅から弘道館までは徒歩約5分
  • 水戸駅から偕楽園までは徒歩約20分、またはバスで約10分

車でのアクセス

  • 常磐自動車道「水戸IC」から約20分
  • 北関東自動車道「茨城町東IC」から約20分
  • 水戸城跡周辺には有料駐車場があります(弘道館、偕楽園には専用駐車場あり)

ボランティアガイド

水戸城跡や弘道館、偕楽園では、ボランティアガイドによる無料の案内サービスを利用できます。事前予約制で、水戸市観光協会に申し込むことができます。ガイドの案内により、歴史的背景や見どころをより深く理解することができます。

御城印の販売

水戸城の御城印は、大手門や弘道館の受付などで販売されています。通常版のほか、季節限定版や特別版も発行されており、城巡りの記念として人気があります。価格は300円から500円程度です。

周辺の観光スポット

水戸城跡周辺には、以下のような観光スポットがあります。

  • 茨城県立歴史館:茨城県の歴史と文化を紹介する博物館
  • 水戸芸術館:現代美術、演劇、音楽を楽しめる複合文化施設
  • 千波湖:周囲約3キロの湖で、散策やボート遊びが楽しめます
  • 水戸東照宮:徳川家康を祀る神社で、国の重要文化財

水戸城の文化財指定と保存状況

国の史跡指定

水戸城跡は、平成29年(2017年)に国の史跡に指定されました。12世紀末から明治時代まで、馬場氏、江戸氏、佐竹氏、徳川氏と城主が変わるたびに拡張が繰り返された中世から近世にかけての城館跡として、相応の歴史的意義を有しています。

特に、石垣を用いない土塁による大規模な城郭として、日本の城郭史上重要な位置を占めており、その保存と活用が進められています。

今後の復元計画

水戸市では、大手門と二の丸角櫓の復元に続き、今後も水戸城跡の整備を進める計画です。御三階櫓の復元も検討されており、実現すれば水戸城のシンボルが約150年ぶりに蘇ることになります。

また、三の丸空堀周辺の整備や、案内板の多言語化など、観光客の受け入れ態勢の充実も図られています。

まとめ:水戸城の魅力を体感しよう

水戸城は、徳川御三家の居城でありながら石垣を持たない質素な造りが特徴的な城です。しかし、その巨大な土塁と空堀は日本最大級の規模を誇り、土造りの城の技術の粋を集めた傑作と言えます。

令和の復元事業により、大手門や二の丸角櫓が蘇り、往時の姿を偲ぶことができるようになりました。また、弘道館や偕楽園とあわせて訪れることで、水戸徳川家が目指した「文武両道」の精神に触れることができます。

平安時代から続く長い歴史を持ち、幕末の尊王攘夷運動の中心地となった水戸城。その歴史と文化を体感しに、ぜひ水戸を訪れてみてください。四季折々の自然と歴史的建造物が調和した美しい景観が、皆さんをお待ちしています。

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