戸張城(千葉県)

戸張城(千葉県)
所在地 〒277-0008 千葉県柏市戸張909

戸張城(千葉県柏市)完全ガイド|歴史・遺構・アクセス情報

千葉県柏市に所在する戸張城は、中世下総国における相馬氏一族の重要拠点として、約200年にわたり地域支配の中心を担った平山城です。現在は文京区立柏学園の敷地となっているため見学が困難ですが、千葉氏一族の歴史を語る上で欠かせない城跡として、城郭研究者や歴史愛好家から注目されています。

本記事では、戸張城の詳細な歴史、城郭構造、遺構の状況、アクセス方法、周辺の関連城郭まで、この城跡に関する情報を包括的にご紹介します。

戸張城の基本情報

所在地・地理的特徴

所在地: 千葉県柏市戸張字城山台909他(文京区立柏学園内)
旧国名: 下総国葛飾郡
標高: 約20~25メートル
立地: 手賀沼南岸の舌状台地上

戸張城は、JR柏駅から南東へ約2キロメートルの位置にあり、南西から北東へと細長く突出した舌状台地を巧みに利用して築かれています。手賀沼に臨む地形は、水運の利と防御性を兼ね備えた要衝であり、中世においてこの地域を支配するには理想的な立地条件を備えていました。

城郭の分類と構造

分類: 平山城(丘城)
構造: 連郭式
主要遺構: 曲輪、腰曲輪、土塁、横堀(空堀)、薬研堀、虎口
天守構造: 不明(中世城郭のため天守は存在せず)

戸張城は典型的な中世の連郭式平山城で、東西に複数の曲輪を配置した構造となっています。舌状台地の地形を最大限に活用し、自然の高低差を防御ラインとして利用する設計思想が見られます。

築城と城主

築城主: 戸張行常(伝承)
築城年: 鎌倉時代初期(推定13世紀初頭)
主な城主: 戸張氏、立沢氏(諸説あり)
通称・別名: 戸張城山

戸張城の歴史

戸張氏の出自と成立

戸張城の歴史を語る上で、まず戸張氏の出自を理解する必要があります。戸張氏は桓武平氏千葉氏の一族であり、千葉常胤の六男・相馬師常を初代とする相馬氏の系統に属します。

相馬師常の三男である戸張八郎行常が、下総国葛飾郡戸張の地を領して戸張氏を称したのが始まりとされています。鎌倉時代初期、源頼朝の挙兵に従った千葉常胤の功績により、その子孫たちは下総国各地に所領を得て分家しました。戸張氏もその一つとして、この地に根を下ろしたのです。

鎌倉時代から室町時代の戸張氏

戸張氏は鎌倉時代から室町時代にかけて、約200年にわたりこの地を本拠としたと伝えられています。千葉氏の一族として、下総国北部における千葉氏勢力の一翼を担い、手賀沼周辺の支配を固めました。

相馬氏本家が奥州相馬(現在の福島県)へと移った後も、戸張氏は下総に残り、地域の有力領主として存続しました。彼らは農業生産の管理、水運の掌握、周辺地域との外交など、中世領主としての多様な役割を果たしていたと考えられます。

立沢氏城主説と諸説

一方で、戸張城の城主については立沢氏が城主であったとする説も存在します。立沢氏も千葉氏一族の支流とされ、この地域に勢力を持っていた可能性があります。

城主に関する史料が限られているため、戸張氏と立沢氏の関係、あるいは時代による城主の交代など、詳細は不明な点が多く残されています。これは中世地方豪族の城館に共通する課題であり、今後の研究が待たれる分野です。

戦国時代と城の終焉

戦国時代に入ると、下総国は北条氏、里見氏、佐竹氏などの勢力が入り乱れる激戦地となりました。千葉氏一族も次第に北条氏の影響下に入り、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅亡すると、千葉氏も没落します。

戸張城がいつ廃城となったかは明確ではありませんが、この時期に軍事拠点としての機能を失ったと考えられます。江戸時代以降は農地として利用され、城郭遺構は徐々に失われていきました。

戸張城の縄張りと遺構

全体の縄張り構成

戸張城は東西に細長い舌状台地上に、東西二郭を中心とした連郭式の縄張りを持っています。台地の先端部(東側)に主郭を置き、西側に向かって二の曲輪、三の曲輪と続く構造と推定されています。

台地の側面には腰曲輪が配され、斜面を登ってくる敵を横矢で射かける工夫が見られます。また、台地の付け根部分には堀切を設けて背後からの侵入を防ぐ設計となっていたと考えられます。

曲輪(郭)の構造

城跡には複数の曲輪が確認されており、それぞれが土塁で区画されています。主郭と推定される東側の曲輪は、台地の最も高い部分に位置し、周囲を土塁で囲んでいました。

曲輪の規模は中世の地方豪族の居城としては標準的で、居館機能と防御機能を兼ね備えた構造となっています。平時は領主の居住空間として、戦時には防御拠点として機能したと考えられます。

土塁の特徴

戸張城の土塁は、曲輪の周囲を巡るように構築されており、一部は現在も良好に残存しています。高さは1~2メートル程度で、中世城郭としては一般的な規模です。

土塁は単に防御壁としてだけでなく、曲輪内の空間を区画し、権威を示す象徴的な役割も果たしていました。土塁上には柵や塀が設けられていた可能性もあります。

空堀と横堀

戸張城の防御施設として特筆すべきは、空堀と横堀の存在です。台地の側面に沿って横堀が掘られており、敵の横移動を阻む設計となっています。

また、一部には薬研堀と呼ばれる断面がV字型の堀も確認されています。薬研堀は登るのが困難で、防御力が高い堀の形式です。これらの堀は、千葉氏一族の城郭に共通する特徴であり、戸張城が千葉氏系の築城技術で造られたことを示しています。

虎口(出入口)

城の出入口である虎口は、防御上最も重要な施設です。戸張城でも虎口と推定される地点が複数確認されており、土塁や堀を組み合わせた防御構造が見られます。

虎口は単純な開口部ではなく、屈曲させたり、枡形状にしたりすることで、敵の侵入を困難にする工夫が施されていました。

文京区立柏学園と現状

柏学園の設立と城跡の利用

戸張城跡は、昭和時代に東京都文京区が設立した文京区立柏学園の敷地となりました。柏学園は文京区の小学校の林間学校施設として利用され、多くの児童たちがこの地で自然体験学習を行ってきました。

学園施設の建設により、城跡の一部は改変を受けましたが、土塁や堀などの主要遺構は比較的良好に保存されてきました。敷地内には遺構を説明する案内板なども設置されていました。

2013年の閉鎖と立入禁止

2013年(平成25年)、文京区の方針により柏学園は閉鎖されました。これに伴い、城跡への立ち入りも禁止となり、現在は正門が閉ざされた状態が続いています。

閉鎖後は敷地の管理が限定的となり、城郭愛好家や研究者が遺構を見学することが困難な状況となっています。門の外から一部の土塁を確認できる程度で、詳細な調査や写真撮影は事実上不可能です。

保存と活用の課題

柏学園の閉鎖により、戸張城跡の保存と活用が新たな課題となっています。貴重な中世城郭遺構を後世に残すためには、適切な保存管理と、可能であれば一般公開の検討が望まれます。

柏市教育委員会や文京区との協議により、史跡としての指定や、限定的な見学会の開催など、遺構の価値を活かす取り組みが期待されています。

アクセスと見学情報

公共交通機関でのアクセス

最寄り駅: JR常磐線・東武野田線「柏駅」
距離: 柏駅から南東へ約2キロメートル
バス: 柏駅東口から東武バス「戸張」「柏学園」方面行きに乗車、「柏学園」バス停下車すぐ

柏駅からは徒歩でも30分程度でアクセス可能ですが、バスの利用が便利です。ただし、現在は敷地内への立ち入りができないため、外観の確認のみとなります。

自動車でのアクセス

常磐自動車道: 柏ICから約15分
駐車場: なし(路上駐車は近隣の迷惑となるため厳禁)

見学の際は、近隣住民の迷惑とならないよう、路上駐車は避け、公共交通機関の利用をお勧めします。

見学時の注意事項

  • 立入禁止: 現在、柏学園敷地内は立入禁止となっています
  • 外観見学のみ: 正門付近から外観を確認する程度に留めてください
  • 私有地への配慮: 周辺は住宅地ですので、騒音や無断侵入に注意してください
  • 写真撮影: 公道からの撮影は可能ですが、敷地内や周辺住宅のプライバシーに配慮してください

周辺の関連城郭

戸張城の歴史的背景をより深く理解するために、周辺の関連城郭もあわせて訪れることをお勧めします。

増尾城(柏市増尾)

戸張城の北方約3キロメートルに位置する増尾城も、千葉氏一族の城郭です。土塁や堀の遺構が良好に残り、見学しやすい状態となっています。戸張城と同時期に機能した城郭として、比較研究の対象となります。

布施城(柏市布施)

手賀沼北岸に位置する布施城は、高城氏の居城とされます。手賀沼を挟んで戸張城と対峙する位置関係にあり、この地域の勢力配置を理解する上で重要です。

藤心城(柏市藤心)

柏市中心部に近い藤心城も千葉氏一族の城郭で、戸張城と同様の構造を持ちます。住宅地の中に遺構が点在しており、都市化の中で城跡がどのように残されているかを知る好例です。

箕輪城(柏市箕輪)

戸張城の東方に位置する箕輪城は、規模は小さいながらも明確な遺構を残しています。千葉氏勢力圏における支城ネットワークの一部として、戸張城との関連が指摘されています。

戸張城の歴史的意義

千葉氏一族の勢力拡大の証

戸張城は、鎌倉時代における千葉氏一族の勢力拡大を示す重要な遺跡です。千葉常胤の子孫たちが下総国各地に分散し、それぞれの地で独自の勢力を築いた過程を、戸張城は物語っています。

相馬氏から分かれた戸張氏が、200年にわたりこの地を支配し続けたことは、中世における地方豪族の定着と地域支配の実態を知る上で貴重な事例です。

手賀沼水運の要衝

戸張城が手賀沼南岸に位置することは、単なる偶然ではありません。中世において、手賀沼は重要な水運ルートであり、物資の輸送や軍事的移動に利用されていました。

戸張城はこの水運を掌握する拠点として機能し、経済的・軍事的に重要な役割を果たしていたと考えられます。水運と城郭の関係を示す好例として、研究価値の高い城跡です。

中世城郭研究の資料

戸張城の縄張りや遺構は、中世の平山城研究において重要な資料を提供しています。連郭式の構造、土塁と堀の配置、虎口の設計など、千葉氏系城郭の特徴を良く示しており、城郭研究者にとって貴重な研究対象となっています。

現在は見学が困難な状況ですが、過去の調査記録や測量図は、中世城郭の実態を解明する上で活用されています。

戸張城訪問のポイント

事前準備

戸張城を訪れる際は、以下の点に留意してください。

  1. 立入禁止の確認: 最新の状況を柏市教育委員会などで確認
  2. 地図の準備: 住宅地の中にあるため、詳細な地図を用意
  3. 周辺城郭との組み合わせ: 増尾城など見学可能な城跡と合わせて計画
  4. 資料の事前学習: 遺構が見えにくいため、縄張図などで事前に構造を理解

見学のベストシーズン

外観見学のみとなるため、特に季節を選ぶ必要はありませんが、樹木の葉が落ちる冬季(11月~3月)の方が、土塁などの地形が確認しやすい場合があります。

写真撮影のコツ

  • 正門付近から土塁の一部が確認できる場合があります
  • 望遠レンズがあると、遠景からでも遺構の詳細を捉えられます
  • 周辺住宅のプライバシーに十分配慮してください

まとめ

戸張城は、千葉県柏市に残る貴重な中世城郭遺跡です。相馬氏一族の戸張氏が約200年にわたり本拠とし、手賀沼南岸の要衝として地域支配の中心を担いました。

現在は文京区立柏学園の閉鎖により立入禁止となっていますが、土塁、曲輪、空堀などの遺構は比較的良好に残されており、中世城郭研究において重要な価値を持っています。

見学が困難な状況ではありますが、千葉氏一族の歴史や中世下総国の地域支配を理解する上で、戸張城は欠かせない存在です。周辺の増尾城や布施城などと合わせて訪れることで、この地域における中世城郭ネットワークの全体像を把握することができるでしょう。

今後、適切な保存管理と活用が進み、多くの人々がこの貴重な歴史遺産に触れられる日が来ることを期待したいと思います。城郭愛好家の皆様も、マナーを守った見学を心がけ、貴重な文化財を次世代に継承していく意識を持っていただければ幸いです。

地図

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