丸山城(香川県仲多度郡まんのう町)の歴史と見どころ|讃岐国の山城遺構を徹底解説
丸山城とは
丸山城(まるやまじょう)は、香川県仲多度郡まんのう町買田に所在する中世の山城です。標高132mの丘陵頂部に築かれたこの城は、讃岐国西部の戦国期における重要な拠点として機能していました。主郭を中心とした曲輪配置、明確な堀切、そして香川県内では珍しい馬出しの遺構など、中世城郭の特徴を色濃く残す貴重な史跡として知られています。
丸山という地名が示すように、丸みを帯びた丘陵地形を巧みに利用した縄張りが特徴で、比高差約44mという立地条件を活かした防御施設が随所に見られます。現在でも曲輪や堀切などの遺構が良好な状態で残されており、中世讃岐国の城郭研究において重要な位置を占めています。
丸山城の基本情報
通称・別名
丸山城には特定の別名は伝わっていませんが、地元では「買田の城山」とも呼ばれることがあります。シンプルに「丸山城」の名称で史料や文献に記載されています。
所在地
香川県仲多度郡まんのう町買田
丸山城は、まんのう町の中心部から南東方向に位置し、買田地区の丘陵上に築かれています。仲多度郡は香川県の中讃地域に属し、讃岐平野の南部から讃岐山脈の北麓にかけて広がる地域です。周辺には土器川が流れ、古くから交通の要衝として重要な位置を占めていました。
旧国名
讃岐国(さぬきのくに)
丸山城が所在する地域は、古代から中世にかけて讃岐国に属していました。讃岐国は現在の香川県全域にあたり、瀬戸内海に面した温暖な気候と平野部を持つ豊かな国でした。戦国期には細川氏や三好氏、長宗我部氏などの勢力が入り乱れ、多くの城郭が築かれました。
分類・構造
丘城(山城)、連郭式
丸山城は標高132m、比高差約44mの丘陵に築かれた丘城に分類されます。主郭を中心に東西に曲輪を配置した連郭式の縄張りを持ち、自然地形を巧みに利用した構造となっています。主郭の規模は約50m×15mで、細長い形状をしています。
東側には明確な切岸が設けられ、帯曲輪が主郭を取り巻くように配置されています。西側と南側の尾根筋には堀切が設けられており、敵の侵入を防ぐ工夫が随所に見られます。特に南側の堀切には土橋が架けられ、その先に馬出しが設けられているのが大きな特徴です。
天守構造
なし
丸山城は中世の山城であり、近世城郭のような天守は存在しませんでした。戦国期の山城は防御を主目的とした施設であり、居住性よりも軍事的機能が優先されていました。主郭には簡素な櫓や物見台程度の建造物があったと推定されますが、詳細は不明です。
築城主
飯尾太六兵衛国盛(いいお たろくべえ くにもり)
丸山城の築城主は飯尾太六兵衛国盛とされています。飯尾氏は讃岐国西部で活動した国人領主の一族で、戦国期にこの地域に勢力を持っていました。ただし、飯尾氏に関する史料は限られており、詳細な系譜や活動については不明な点が多く残されています。
築城年
戦国時代(15世紀後半~16世紀)
丸山城の正確な築城年は明らかになっていませんが、城郭の構造や遺構の特徴から、戦国時代の15世紀後半から16世紀にかけて築かれたと推定されています。この時期、讃岐国では細川氏の勢力が衰退し、三好氏や長宗我部氏の侵攻が活発化したため、各地で防御的な山城が多数築かれました。
主な改修者
不明
丸山城の改修に関する具体的な記録は残されていません。戦国期を通じて、城主や周辺情勢の変化に応じて小規模な改修が行われた可能性はありますが、大規模な改築の痕跡は確認されていません。
主な城主
飯尾太六兵衛国盛
伝承によれば、飯尾太六兵衛国盛が丸山城の城主であったとされています。飯尾氏は地域の有力国人として、周辺の領地を支配していたと考えられます。しかし、具体的な在城期間や活動内容については史料が乏しく、詳細は不明です。
戦国期の讃岐西部は、細川氏の家臣である香川氏が大きな勢力を持っており、丸山城もこうした勢力圏の中で機能していたと推測されます。
廃城年
天正年間(1573~1592年)頃と推定
丸山城の廃城時期は明確ではありませんが、天正年間の長宗我部氏による讃岐侵攻、あるいは豊臣秀吉の四国平定後に廃城となった可能性が高いと考えられます。天正13年(1585年)の四国平定後、豊臣政権下で城郭の整理統合が進められ、多くの中世山城が廃城となりました。
遺構
曲輪、堀切、切岸、帯曲輪、土橋、馬出し
丸山城には以下の遺構が良好な状態で残されています:
- 主郭: 約50m×15mの細長い平坦地。城の中心施設があった場所
- 帯曲輪: 主郭の東側を取り巻くように配置された防御用の曲輪
- 切岸: 主郭東側に明確に残る人工的な急斜面
- 堀切: 主郭の西側と南側の尾根を断ち切る防御施設
- 土橋: 南側の堀切に架けられた通路
- 馬出し: 南側の土橋先に設けられた出入口防御施設。香川県内では珍しい遺構
これらの遺構は、戦国期の山城の典型的な構造を示すとともに、馬出しのような先進的な防御技術も取り入れられていたことを示しています。
指定文化財
未指定
現時点で丸山城は国や県、町の文化財指定は受けていません。ただし、良好に残る遺構と香川県内では珍しい馬出しの存在など、学術的価値は高く評価されています。今後の調査研究の進展により、文化財指定の可能性もあります。
再建造物
なし
丸山城には建造物の再建や復元は行われていません。現在は山林となっており、遺構は自然の状態で保存されています。訪問の際は、往時の地形や防御施設の配置を想像しながら散策することができます。
丸山城の歴史と解説
戦国期讃岐国の情勢
丸山城が築かれた戦国時代の讃岐国は、複雑な政治情勢の中にありました。室町時代、讃岐国は細川京兆家の支配下にあり、守護代として香川氏が西讃地域を、安富氏が東讃地域を治めていました。しかし、戦国時代に入ると細川氏の勢力が衰退し、阿波国を本拠とする三好氏が讃岐に進出してきました。
16世紀後半になると、土佐国の長宗我部元親が四国統一を目指して北進を開始し、讃岐国も戦乱の渦に巻き込まれていきます。このような情勢の中で、地域の国人領主たちは自らの領地を守るため、各地に山城を築いて防御を固めました。丸山城もこうした時代背景の中で築かれた城郭の一つです。
飯尾氏と丸山城
丸山城の城主とされる飯尾太六兵衛国盛は、まんのう町周辺を支配した国人領主でした。飯尾氏の詳細な系譜は不明ですが、讃岐西部の有力国人であった香川氏の配下、あるいは同盟関係にあった可能性が高いと考えられます。
戦国期の国人領主は、上位の権力者に従属しながらも、地域における独自の支配権を維持していました。飯尾氏も周辺の村落を支配し、農民から年貢を徴収するとともに、戦時には軍事動員を行う権限を持っていたと推測されます。丸山城は、こうした支配の拠点であるとともに、有事の際の防御施設として機能していました。
城郭の構造と特徴
丸山城の最大の特徴は、香川県内では珍しい馬出しを持つことです。馬出しは、城門の前面に設けられた小規模な曲輪で、出撃時の集合場所や、城門を直接攻撃されないための防御施設として機能しました。この技術は戦国時代後期に発達したもので、丸山城が築城された時期、あるいは改修時期を示す重要な手がかりとなっています。
主郭は約50m×15mと細長い形状をしており、東西方向に長く延びています。この形状は尾根の地形を最大限に活用したもので、限られた平坦地を効率的に利用する工夫が見られます。主郭の東側には明確な切岸が設けられ、その下に帯曲輪が巡っています。この帯曲輪は、主郭への攻撃を防ぐとともに、防御兵力を配置する空間として機能していました。
西側と南側の尾根筋には堀切が設けられています。堀切は尾根を断ち切ることで敵の進入を妨げる防御施設で、丸山城では自然地形と組み合わせて効果的に配置されています。南側の堀切には土橋が架けられており、この土橋を渡った先に馬出しが設けられています。
長宗我部氏の讃岐侵攻と丸山城
天正年間、土佐国の長宗我部元親は四国統一を目指して讃岐国への侵攻を本格化させました。天正7年(1579年)には、まんのう町の北に位置する造田城で長宗我部軍と讃岐勢の間で激しい戦闘が行われ、造田城主の造田備中守が討死しています。
丸山城がこの戦いに直接関与したかどうかは不明ですが、地理的に近接していることから、長宗我部氏の侵攻の影響を受けたことは間違いありません。天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国平定により讃岐国は仙石秀久、次いで生駒親正の支配下に入り、中世的な山城の多くは廃城となりました。丸山城もこの時期に軍事的機能を失ったと考えられます。
丸山城の見どころ
主郭と曲輪群
丸山城を訪れた際の最大の見どころは、良好に残された主郭と曲輪群です。標高132mの頂部に位置する主郭は、約50m×15mの広さを持ち、往時は城主の居館や重要な施設が置かれていたと考えられます。現在は平坦地となっており、周囲を見渡すことができます。
主郭の東側には明確な切岸が残されており、人工的に削り取られた急斜面を観察することができます。この切岸の下には帯曲輪が巡っており、多層的な防御構造を実感できます。戦国期の山城がどのように地形を加工して防御力を高めていたかを、実際の遺構から学ぶことができる貴重な場所です。
堀切と土橋
主郭の西側と南側には堀切が設けられています。堀切は尾根を断ち切る形で掘削された防御施設で、敵の進入を物理的に妨げる役割を果たしていました。特に南側の堀切は規模が大きく、深く掘り込まれた様子を観察することができます。
この南側の堀切には土橋が架けられています。土橋は堀切を渡るための通路として残された土の橋で、城への出入りを限定することで防御を強化する工夫でした。通常時は城への出入口として機能し、戦時には容易に破壊して敵の侵入を防ぐことができる構造になっていました。
馬出しの遺構
丸山城の最大の特徴である馬出しは、南側の土橋を渡った先に設けられています。馬出しは小規模な曲輪状の空間で、城門の前面に配置されることで、城門への直接攻撃を防ぐとともに、出撃時の集合場所として機能しました。
香川県内で馬出しを持つ城郭は限られており、丸山城の馬出しは県内の中世城郭研究において重要な遺構とされています。馬出しは戦国時代後期に発達した技術であり、丸山城が最新の築城技術を取り入れていたことを示しています。
眺望と周辺の景観
丸山城の主郭からは、周辺の景色を眺望することができます。讃岐平野の南部に位置するため、北方向には平野部が広がり、南方向には讃岐山脈の山々を望むことができます。戦国期の城主たちも、この場所から周辺の動向を監視していたことでしょう。
城の周辺は現在も農村地帯が広がっており、のどかな田園風景を楽しむことができます。往時の城下の様子を想像しながら、歴史に思いを馳せることができる場所です。
丸山城へのアクセスと見学情報
アクセス方法
車でのアクセス
- 高松自動車道「善通寺IC」から約15分
- まんのう町中心部から国道438号線経由で約10分
- 駐車場は特に整備されていないため、周辺の安全な場所に駐車する必要があります
公共交通機関でのアクセス
- JR土讃線「琴平駅」からタクシーで約15分
- 公共交通機関のみでのアクセスは困難なため、車の利用をおすすめします
見学時の注意点
丸山城は整備された観光施設ではなく、山林の中に遺構が残されている状態です。見学の際は以下の点に注意してください:
- 登山に適した服装と靴を着用すること
- 夏季は虫除け対策を十分に行うこと
- 単独での登城は避け、複数人での訪問を推奨します
- 遺構を損傷しないよう注意すること
- ゴミは必ず持ち帰ること
- 天候不良時の登城は避けること
見学所要時間
登城口から主郭まで徒歩約15~20分、主郭での見学時間を含めて、往復で1時間~1時間30分程度を見込んでおくとよいでしょう。遺構をじっくり観察する場合は、さらに時間に余裕を持つことをおすすめします。
丸山城周辺の関連史跡
まんのう町内の城郭
丸山城の周辺には、他にも複数の中世城郭が存在します:
仲南藤目城: まんのう町大口に位置する山城。標高355mの山頂に築かれ、曲輪や堀切などの遺構が残されています。
新目城: まんのう町新目に位置する丘城。標高160mの丘陵上に築かれ、土塁や曲輪の遺構が確認できます。
これらの城郭を併せて訪問することで、戦国期のまんのう町周辺の城郭ネットワークを理解することができます。
仲多度郡の主要城郭
天霧城(多度津町): 標高382mの天霧山山頂に築かれた讃岐西部の拠点城郭。香川氏の居城として知られ、大規模な曲輪群や石垣の遺構が残されています。
造田城(まんのう町): 標高428mの城山山頂に位置する山城。長宗我部元親との戦いの舞台として知られています。
西長尾城(丸亀市): 丸亀市に位置する山城。讃岐西部の重要拠点の一つでした。
これらの城郭は、丸山城と同じ時代に讃岐西部で機能していた城郭群であり、地域の戦国史を理解する上で重要な史跡です。
まんのう町の観光スポット
満濃池: 日本最大級の灌漑用ため池。弘法大師空海が改修したことで知られる歴史的な池です。
国営讃岐まんのう公園: 四国で唯一の国営公園。広大な敷地に四季折々の花が咲き、家族連れで楽しめる施設です。
まんのう天文台: 天体観測ができる施設。夜間には美しい星空を観察できます。
城郭見学と併せて、これらの観光スポットを訪れることで、まんのう町の魅力をより深く味わうことができます。
丸山城の歴史的価値と今後の課題
学術的価値
丸山城は、香川県内では珍しい馬出しを持つ城郭として、中世城郭研究において重要な位置を占めています。馬出しは戦国時代後期に発達した築城技術であり、その存在は丸山城が最新の軍事技術を取り入れていたことを示しています。
また、主郭、帯曲輪、堀切、切岸などの基本的な遺構が良好に残されており、戦国期の山城の構造を学ぶ上で貴重な教材となっています。今後、詳細な測量調査や発掘調査が行われれば、さらに多くの情報が得られる可能性があります。
保存と活用の課題
現在、丸山城は特に整備されておらず、山林の中に遺構が残されている状態です。遺構の保存状態は比較的良好ですが、今後の保存と活用については以下のような課題があります:
- 遺構の詳細な調査と記録の必要性
- 文化財指定による法的保護の検討
- 見学者の安全を確保するための最小限の整備
- 地域住民や歴史愛好家への周知と理解の促進
- 周辺の城郭と連携した観光ルートの開発
これらの課題に取り組むことで、丸山城の歴史的価値を後世に伝えるとともに、地域の歴史資源として活用することが可能になります。
まとめ
丸山城は、香川県仲多度郡まんのう町に所在する戦国期の山城で、標高132mの丘陵上に築かれています。飯尾太六兵衛国盛を城主とし、主郭、曲輪、堀切、そして県内では珍しい馬出しなどの遺構が良好に残されています。
讃岐国西部の戦国期における地域支配の拠点として機能したこの城は、長宗我部氏の侵攻や豊臣秀吉の四国平定という激動の時代を経て、天正年間に廃城となったと考えられます。現在も山林の中に往時の姿をとどめており、中世城郭の構造を学ぶ上で貴重な史跡となっています。
まんのう町を訪れた際は、満濃池や国営讃岐まんのう公園などの観光スポットと併せて、丸山城の歴史的遺構にも足を運んでみてはいかがでしょうか。戦国時代の讃岐国に思いを馳せながら、往時の城郭の姿を想像する時間は、歴史好きにとってかけがえのない体験となるでしょう。
