由木城(東京都八王子市)

由木城(東京都八王子市)
所在地 〒192-0372 東京都八王子市下柚木4

由木城(東京都八王子市)完全ガイド:大石定久の居館から永林寺へ変遷した歴史と見どころ

由木城とは:東京都八王子市の歴史的城館跡

由木城(ゆぎじょう)は、東京都八王子市下柚木に所在する平山城で、現在は曹洞宗の名刹・永林寺として往時の面影を伝えています。別名を「由木氏館」「大石氏館」「柚木城」とも呼び、鎌倉時代から戦国時代にかけて武蔵国多摩地域の要衝として機能した城館跡です。

現在の永林寺境内を中心とした一帯が城址とされ、立派な総門(赤門)や本堂、そして大石定久の銅像など、かつての城主の面影を今に伝える貴重な史跡となっています。城の遺構は限定的ですが、裏山には当時の地形を偲ばせる痕跡が残り、歴史散策には最適な場所です。

由木城の基本情報

所在地: 東京都八王子市下柚木4丁目(永林寺境内)

築城年: 鎌倉時代(詳細不明)

築城者: 由木保経(横山党由木氏)

廃城年: 1590年(天正18年)小田原征伐後

城郭形式: 平山城

主要城主: 由木氏→長井氏→大石氏

指定文化財: なし(永林寺が八王子市の歴史的建造物として認識)

遺構: 地形、曲輪跡の痕跡(明確な土塁・堀は確認困難)

別名: 由木氏館、大石氏館、柚木城、由木六郎保経館

由木城の歴史:鎌倉時代から戦国時代の変遷

鎌倉時代:由木氏の居館として成立

由木城の起源は鎌倉時代に遡ります。武蔵七党の一つである横山党に属した由木氏が、この地に居館を構えたことが始まりとされています。横山党は多摩地域に広く勢力を持った武士団で、由木氏はその一族として由木郷(現在の八王子市下柚木周辺)を領有していました。

特に注目すべきは、1213年(建保元年)の和田合戦において、由木氏は和田義盛側に与して戦ったとされる点です。この合戦後、由木氏の勢力は一時衰退したと考えられていますが、居館自体はその後も維持されました。

室町時代:長井氏の所領へ

鎌倉時代末期から室町時代にかけて、由木城の周辺地域は長井氏の所領となります。長井氏は関東管領・山内上杉氏に仕える有力な国人領主で、多摩地域に広大な領地を持っていました。この時期の由木城の詳細は史料が乏しく不明な点が多いものの、長井氏の支配下で地域の拠点として機能していたと推測されます。

戦国時代:大石氏の居館として繁栄

由木城が歴史の表舞台に登場するのは戦国時代、関東管領・山内上杉氏の重臣である大石氏が城主となってからです。大石氏は武蔵国の有力国人で、滝山城(現在の八王子市丹木町)を本拠としていましたが、その前段階として由木城を居館としていた時期がありました。

特に重要な人物が大石定久(おおいしさだひさ)です。定久は大石氏の当主として由木城に居住していましたが、家督を相続して滝山城へ居城を移す際、叔父である僧侶・一種長純大和尚にこの地を譲りました。

永林寺の創建:城から寺院への転換

1532年(天文元年)3月、大石定久から由木城跡を譲り受けた一種長純大和尚により、この地に永林寺が創建されました。これは単なる廃城ではなく、城館を寺院として再利用するという、当時としては珍しくない形態でした。

永林寺は急速に発展し、1546年(天文15年)には七堂伽藍を備えた大寺院となります。この背景には、大石氏の庇護と地域における信仰の中心としての役割がありました。

小田原征伐と由木城の終焉

1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原征伐が行われ、北条氏が滅亡します。この時、大石氏も北条氏に従っていたため、所領を失うこととなりました。由木城は既に永林寺として機能していたため、軍事的な役割は終えていましたが、この時期をもって正式に城としての歴史に幕を閉じたと考えられています。

由木城の縄張りと構造

城の立地と地形

由木城は多摩丘陵の一角、標高約150メートルの丘陵地に築かれた平山城です。現在の永林寺を中心とした一帯が主郭(本丸)に相当すると考えられており、周辺の地形から複数の曲輪が配置されていた可能性が指摘されています。

城の北側と東側は比較的急峻な斜面となっており、自然の要害を利用した防御構造であったと推測されます。南側と西側は緩やかな傾斜地で、こちら側に大手口があったと考えられています。

現存する遺構と痕跡

由木城の明確な遺構は、永林寺の造成や後世の開発により大部分が失われています。しかし、以下のような痕跡を確認することができます:

地形の起伏: 永林寺本堂の裏山を散策すると、人工的な平場や段差が確認でき、これらが曲輪跡の痕跡である可能性があります。

石碑と看板: 永林寺境内には「由木城址」の石碑が建てられており、この地が城跡であることを示しています。また、解説看板も設置され、城の歴史を学ぶことができます。

総門(赤門): 永林寺の立派な総門は三重構造の堂々たる建築物で、かつての城の威容を偲ばせます。この総門自体は江戸時代以降の建築ですが、城の大手門があった位置に建てられた可能性があります。

大石定久と由木城:戦国武将の足跡

大石定久の生涯

大石定久は戦国時代の武蔵国の有力国人で、関東管領・山内上杉氏に仕えた重臣です。大石氏は代々滝山城を本拠としていましたが、定久の若年期には由木城を居館としていた時期があったとされています。

定久は後に北条氏康の三男・北条氏照を養子に迎え、大石氏の家督を譲ります。この政略的な養子縁組により、大石氏は北条氏の影響下に入ることとなりました。定久自身は隠居後も影響力を保ち、滝山城や由木の地と深い関わりを持ち続けました。

永林寺に残る大石定久の痕跡

永林寺の境内には、大石定久の銅像が建立されています。この銅像は定久が甲冑姿で立つ姿を表現しており、城主としての威厳を今に伝えています。また、境内の墓地には大石氏の墓所があり、定久をはじめとする大石一族の供養塔が並んでいます。

これらの史跡は、由木城が単なる軍事拠点ではなく、大石氏にとって精神的な拠り所でもあったことを物語っています。

永林寺の見どころ:城跡を訪ねる

総門(赤門):堂々たる寺院の顔

永林寺の最大の見どころは、何といっても総門(通称:赤門)です。朱塗りの三重構造の門は、遠くからでもその存在感を放ち、訪問者を圧倒します。江戸時代に建立されたこの門は、永林寺が地域の名刹として栄えた証であり、同時にかつての城の威容を偲ばせる建築物でもあります。

総門をくぐると、広々とした境内が広がり、正面に本堂が見えます。この参道を歩く体験は、かつての城への登城路を辿るような感覚を味わえます。

本堂と境内

永林寺の本堂は、曹洞宗の寺院らしい荘厳な雰囲気を持つ建築物です。本堂の位置は、おそらく由木城の主郭(本丸)に相当する場所と考えられており、城の中心部を体感できる場所です。

境内は良く整備されており、四季折々の花や樹木が参拝者を迎えます。特に春の桜や秋の紅葉の時期は美しく、城跡散策と自然観賞を同時に楽しむことができます。

由木城址の石碑と看板

境内には「由木城址」と刻まれた石碑が建てられており、この地が歴史的な城跡であることを示しています。また、八王子市教育委員会による解説看板も設置されており、由木城の歴史や大石氏について詳しく学ぶことができます。

これらの史跡案内は、城跡巡りをより充実したものにしてくれる重要な情報源です。

大石定久の銅像

境内の一角には、大石定久の銅像が建立されています。甲冑に身を包んだ定久の勇姿は、戦国時代の武将としての風格を感じさせます。この銅像の前で、定久が由木城から滝山城へ、そして北条氏との関係へと展開していった歴史に思いを馳せることができます。

大石氏の墓所

永林寺の墓地には、大石氏一族の墓所が設けられています。大石定久をはじめとする歴代当主の供養塔が並び、大石氏と永林寺の深い結びつきを物語っています。墓所は一般にも公開されており、歴史ファンにとっては貴重な巡礼地となっています。

裏山の散策:城跡の地形を体感

永林寺の裏山には散策路が整備されており、由木城の地形を体感することができます。山頂付近には平場や段差が残り、これらが曲輪跡である可能性が指摘されています。明確な土塁や堀は確認困難ですが、自然地形を利用した城の構造を想像しながら散策することができます。

裏山からは八王子市の街並みを見渡すことができ、かつての城主たちがこの地から領地を見守っていた様子を想像することができます。

由木城へのアクセス方法

電車とバスでのアクセス

京王相模原線利用の場合:

  • 「京王堀之内駅」下車
  • 駅から北西へ徒歩約25分(約1.8km)
  • または駅からバス利用:京王バス「由木中央小学校」バス停下車、徒歩約5分

京王線利用の場合:

  • 「平山城址公園駅」下車
  • 駅から南へ徒歩約25分(約1.8km)

京王線「北野駅」からバス利用:

  • 京王バスに乗車
  • 「由木中央小学校」バス停下車
  • バス停から徒歩約5分

車でのアクセスと駐車場

永林寺には参拝者用の駐車場が用意されています。収容台数は限られているため、特に週末や行事の際は公共交通機関の利用が推奨されます。

住所: 東京都八王子市下柚木4-11-7

カーナビゲーションには「永林寺」または上記住所を入力してください。旧野猿街道沿いに寺号標が建っているため、迷うことは少ないでしょう。

周辺の城跡との組み合わせ

由木城の周辺には、他にも多くの城跡が点在しています:

滝山城跡: 大石定久が由木城から移った本拠地。国の史跡に指定された関東屈指の山城で、由木城から車で約15分。

八王子城跡: 北条氏照が築いた壮大な山城。日本100名城の一つで、由木城から車で約20分。

片倉城跡: 片倉城跡公園として整備された城跡。由木城から車で約10分。

これらの城跡を組み合わせて巡ることで、多摩地域の戦国史をより深く理解することができます。

由木城の地図と周辺環境

由木城跡のある永林寺は、八王子市下柚木の住宅地の中に位置しています。周辺には由木中央小学校、由木中央市民センターなどの公共施設があり、地域のランドマークとなっています。

城跡の東側には大栗川が流れており、かつての城の水源であったと考えられます。また、周辺の地名には「城山」「堀之内」など、城郭に関連する地名が残っており、この地域が歴史的に重要な拠点であったことを示しています。

由木城を訪れる際の注意点とマナー

寺院としての配慮

由木城跡は現在、永林寺という宗教施設です。訪問の際は以下の点に注意しましょう:

  • 参拝者としてのマナーを守る
  • 本堂や墓地では静粛にする
  • 写真撮影は許可された範囲で行う
  • 法要などの行事中は立ち入りを控える

散策時の安全

裏山を散策する際は、以下の点に注意してください:

  • 歩きやすい靴を着用する
  • 雨天時や雨上がりは足元が滑りやすいため注意
  • 夏季は虫除け対策を忘れずに
  • 単独での散策は避け、複数人で行動する

訪問に適した時期

由木城跡は通年訪問可能ですが、以下の時期が特におすすめです:

春(3月下旬〜4月): 桜が美しく、散策に最適な気候

秋(11月): 紅葉が見頃で、城跡散策と自然観賞を楽しめる

冬(12月〜2月): 落葉により地形が見やすく、城の構造を観察しやすい

由木城の歴史的意義と今後の保存

多摩地域の城郭史における位置づけ

由木城は、多摩地域における中世から戦国時代の城郭発展を知る上で重要な史跡です。横山党由木氏から大石氏へと続く城主の変遷は、関東の政治情勢の変化を反映しており、地域史研究の貴重な資料となっています。

特に、大石定久が由木城から滝山城へ拠点を移した経緯は、戦国時代の城郭が平地の居館から山城へと発展していく過程を示す好例です。

城から寺院への転換の意義

由木城が永林寺として再生された事例は、戦国時代の城郭が平和な時代にどのように利用されたかを示す興味深い例です。軍事施設が宗教施設へと転換されることで、地域の精神的な中心として機能し続けた点は、日本の歴史における柔軟な土地利用の一例といえます。

今後の保存と活用

現在、由木城跡は永林寺として良好に維持されていますが、城郭遺構としての認知度はまだ高くありません。今後、以下のような取り組みが期待されます:

  • 城跡としての案内板や解説の充実
  • 地形測量による縄張り図の作成
  • 地域の歴史教育への活用
  • 周辺の滝山城や八王子城との連携した観光ルートの開発

これらの取り組みにより、由木城の歴史的価値がより広く認識され、後世に継承されることが望まれます。

まとめ:由木城の魅力を体感する

由木城は、東京都八王子市下柚木に残る貴重な戦国時代の城館跡です。現在は永林寺として地域の信仰の中心となっていますが、その境内には大石定久をはじめとする歴代城主の足跡が色濃く残されています。

立派な総門、大石定久の銅像、大石氏の墓所、そして裏山に残る地形など、見どころは多彩です。明確な遺構は少ないものの、歴史の重層性を感じられる場所として、城郭ファンや歴史愛好家には訪れる価値のある史跡といえるでしょう。

京王線沿線からアクセスしやすい立地も魅力の一つです。滝山城や八王子城と組み合わせて巡ることで、多摩地域の戦国史をより深く理解することができます。ぜひ一度、由木城跡を訪れて、戦国時代から現代へと続く歴史の流れを体感してみてください。

地図

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