箆津城(のつじょう)

箆津城(のつじょう)
所在地 〒689-2544 鳥取県東伯郡琴浦町箆津

箆津城(のつじょう)完全ガイド|鳥取県東伯郡琴浦町の歴史と遺構を徹底解説

箆津城とは

箆津城(のつじょう)は、鳥取県東伯郡琴浦町箆津に位置する中世の城郭です。別名「槇城(まきじょう)」とも呼ばれ、日本海に面した丘陵地に築かれた丘城・海城としての特徴を持ちます。現在は琴浦町指定文化財(昭和50年6月2日指定、旧赤碕町指定文化財として登録)として保護されており、伯耆国の中世史を語る上で欠かせない重要な史跡となっています。

城跡からは日本海を一望でき、当時の海上交通の要衝を押さえる戦略的な立地が理解できます。東伯郡における中世城郭の典型例として、郭跡、切岸、土塁、空堀、虎口、土橋、櫓台などの防御施設が良好な状態で残されています。

箆津城の歴史

築城の経緯と築城主

箆津城の築城年代は不詳ですが、築城主は槇氏(まきし)と伝えられています。槇氏は伯耆国において勢力を持った在地豪族であり、箆津村一帯を支配していました。城の別名である「槇城」は、この槇氏の築城に因む呼称です。

築城時期については諸説ありますが、鎌倉時代から南北朝時代にかけてと推定される記録が残っています。当時の伯耆国は、京都の六波羅探題の影響下にあり、地方豪族が自らの領地を守るために城郭を構えることが一般的でした。

鎌倉時代の城主と六波羅探題

鎌倉時代には、六波羅探題に仕えた糟屋重行(かすやしげゆき)が城主であったとする記録があります。六波羅探題は鎌倉幕府が京都に設置した機関であり、西国の武士を統制する役割を担っていました。糟屋氏は伯耆国における幕府の代官的な立場にあり、箆津城を拠点として周辺地域の統治にあたっていたと考えられます。

南北朝時代と名和氏の関係

南北朝時代になると、箆津城は名和氏(なわし)と深い関係を持つようになります。名和氏は後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献した名和長年(なわながとし)を輩出した一族で、伯耆国における有力な勢力でした。

名和氏の家臣として、赤坂幸清(あかさかゆききよ)や箆津敦忠(のつあつただ)が城主を務めたとされています。『伯耆民談記』などの地誌にはこれらの人物の名が記されており、名和氏が伯耆国東部の海岸線を支配する上で、箆津城が重要な拠点であったことがうかがえます。

名和氏は船上山を本拠地としていましたが、日本海沿岸の交通路を確保するために、箆津城のような海城を重視していました。箆津の港は物資の輸送や情報伝達の拠点として機能していたと推定されます。

戦国時代から廃城まで

戦国時代に入ると、伯耆国は尼子氏、毛利氏、羽柴(豊臣)氏などの大勢力の争奪の舞台となりました。箆津城もこれらの勢力抗争に巻き込まれたと考えられますが、詳細な記録は残されていません。

廃城年は天正年間(1573年~1591年)と推定されています。天正年間は織田信長から豊臣秀吉へと天下統一が進められた時期であり、中国地方では毛利氏が羽柴秀吉に従属していく過程にありました。この時期、多くの中世城郭が戦略的価値を失い、廃城となっていきました。箆津城もこの流れの中で、その役割を終えたものと考えられます。

一方で、江戸時代に入ると箆津村は鳥取藩の支配下に入り、平和な農村として発展していきました。城跡は地元の人々によって「城山」として親しまれ、その記憶が現代まで受け継がれています。

箆津城の縄張りと遺構

城郭の構造と特徴

箆津城は丘城と海城の両方の性格を持つ城郭です。丘陵の頂部に主郭を置き、斜面に複数の郭を配置する梯郭式(ていかくしき)の縄張りを採用しています。海に面した立地を活かし、海上からの攻撃にも対応できる構造となっています。

城域は東西約200メートル、南北約150メートルの範囲に及び、中世の地方豪族の居城としては標準的な規模です。主郭からは日本海と箆津の集落、周辺の街道を見渡すことができ、監視機能と防御機能を兼ね備えた立地の優位性が実感できます。

主要な遺構の解説

郭跡(くるわあと)

城内には複数の郭跡が確認できます。最高所に位置する主郭は、城主の居館や指揮所があったと推定される場所です。主郭の周囲には二の郭、三の郭が配置され、それぞれが切岸や土塁によって区画されています。

郭の平坦面は現在も明瞭に残っており、往時の建物配置を想像することができます。発掘調査は限定的ですが、表面観察からは柱穴や礎石の痕跡が部分的に確認されています。

切岸(きりぎし)

郭と郭の間、あるいは郭の外周部には切岸が設けられています。切岸とは、自然の斜面を人工的に削って急峻にした防御施設で、敵の侵入を困難にする役割を果たします。

箆津城の切岸は高さ2~5メートル程度で、現在も明瞭に観察できます。特に主郭周辺の切岸は保存状態が良好で、中世城郭の防御技術を学ぶ上で貴重な資料となっています。

土塁(どるい)

郭の縁辺部には土塁が築かれています。土塁は土を盛り上げて作った土手状の防御施設で、矢や石の攻撃から城内を守る役割を果たしました。

箆津城の土塁は高さ1~2メートル程度で、主郭と二の郭の境界部分に顕著に残っています。土塁の上には柵や塀が設けられていたと推定され、防御力をさらに高めていたと考えられます。

空堀(からぼり)

城の防御を強化するために、複数の空堀が掘られています。空堀は水を張らない堀で、敵の進路を妨げるとともに、堀を掘った土を土塁の構築に利用する一石二鳥の防御施設です。

箆津城の空堀は幅3~5メートル、深さ2~3メートル程度で、主郭と二の郭の間、および城の北側に配置されています。現在は埋没が進んでいる部分もありますが、地形の起伏から空堀の位置を確認することができます。

虎口(こぐち)

虎口は城郭への出入口で、最も防御を固める必要がある場所です。箆津城では、主郭への入口に虎口の痕跡が確認できます。

虎口は単純な開口部ではなく、土塁や石積みで囲まれた枡形(ますがた)構造になっていたと推定されます。敵が一度に大勢で侵入できないように工夫されており、防御側が有利に戦える設計となっています。

土橋(どばし)

空堀を越えるために、土橋が設けられています。土橋は堀を掘り残して作られた橋状の通路で、城への唯一のアクセス路として機能しました。

箆津城の土橋は幅2~3メートル程度で、両側は空堀によって守られています。有事の際には土橋を破壊することで、敵の侵入を完全に遮断できる構造となっています。

櫓台(やぐらだい)

城内の要所には櫓台が設けられています。櫓台は見張りや攻撃のための櫓を建てるための土台で、周囲より一段高く築かれています。

箆津城では主郭の隅部に櫓台の痕跡が確認でき、ここから周囲を監視していたと考えられます。櫓台からは日本海の船舶の動きや、陸路からの接近を早期に発見できたはずです。

箆津城の文化財指定と保存状況

箆津城跡は昭和50年(1975年)6月2日に赤碕町(現・琴浦町)の文化財に指定されました。平成の大合併により、現在は琴浦町指定文化財として保護されています。

地元の文化財保護団体や歴史愛好家によって、定期的な草刈りや説明板の設置などの保存活動が行われています。遺構の破壊を防ぐため、城跡内での開発行為は制限されており、中世の城郭景観が良好に維持されています。

近年では、伯耆国の古城跡を紹介する観光資源としても注目されており、「伯耆国古城跡図録」などの出版物で詳しく紹介されています。地元では「しろ凸たん」などの古城紹介企画も展開され、歴史ファンの訪問が増えています。

箆津城へのアクセスと見学情報

所在地

住所: 鳥取県東伯郡琴浦町箆津

箆津地区は琴浦町の北部、日本海に面した集落です。国道9号線から近く、比較的アクセスしやすい立地にあります。

交通アクセス

車でのアクセス
  • 山陰自動車道「琴浦東IC」から約10分
  • 国道9号線「箆津」交差点から集落内へ
  • 駐車場: 城跡専用の駐車場はありませんが、箆津公民館周辺に駐車可能なスペースがあります(事前に地元に確認することをお勧めします)
公共交通機関でのアクセス
  • JR山陰本線「赤碕駅」から日交バス「箆津東口」バス停下車、徒歩約10分
  • バスの本数は限られているため、事前に時刻表を確認してください

見学時のポイント

  • 見学時間: 城跡は常時開放されていますが、日中の明るい時間帯の見学をお勧めします
  • 所要時間: 城跡全体をゆっくり見学する場合、1~2時間程度
  • 服装: 山道を歩くため、動きやすい服装と滑りにくい靴が必要です
  • 注意事項: 夏季は草が茂っている場合があります。また、遺構保護のため、土塁や切岸を傷つけないよう注意してください

周辺の関連史跡

箆津城の見学と合わせて訪れたい周辺の史跡を紹介します。

  • 船上山: 名和長年が後醍醐天皇を奉じた歴史的な場所。箆津城から車で約30分
  • 赤碕港: 中世から続く港町の風情が残る。箆津から車で約5分
  • 大山: 伯耆国の霊峰として信仰を集めた山。箆津城から車で約40分

箆津地区の歴史と文化

箆津村の成り立ち

箆津(のつ)という地名は古くから文献に登場します。「のつ」は「野津」とも表記され、「野の港」を意味すると考えられています。日本海に面した良港として、古代から海上交通の要所でした。

中世には箆津村として独立した村落を形成し、槇氏や名和氏の支配下で発展しました。江戸時代には鳥取藩の支配下に入り、安田村の一部として行政区画が整理されました。

明治時代の町村制施行により、箆津村は周辺の梅田村、湯坂村、八幡村、光村、尾張村とともに安田村を構成しました。昭和の大合併で赤碕町となり、平成の大合併で現在の琴浦町となっています。

箆津の産業と生活

箆津地区は漁業と農業を基幹産業としてきました。日本海の豊かな漁場に恵まれ、イカ、アジ、サバなどの漁獲が盛んです。また、温暖な気候を活かした米作や野菜栽培も行われています。

箆津港は現在も漁港として機能しており、地元の漁師が日々漁に出ています。港周辺には鮮魚を扱う店もあり、新鮮な海の幸を味わうことができます。

箆津駐在所と地域の安全

箆津地区には八橋警察署の箆津駐在所が設置されており、地域の安全を守っています。

箆津駐在所

  • 所在地: 〒689-2544 東伯郡琴浦町箆津44-6
  • 電話番号: (0858)55-2255

駐在所のお巡りさんは地域住民と密接な関係を築き、防犯活動や交通安全指導、高齢者の見守りなどを行っています。

伯耆国の古城研究と箆津城の位置づけ

伯耆国の中世城郭

伯耆国(現在の鳥取県中西部)には、中世に築かれた多数の城郭が存在しました。これらは大きく分けて、山城、平山城、丘城、海城などに分類されます。

箆津城は丘城・海城に分類され、海上交通を押さえる戦略的な城郭として重要な役割を果たしました。同様の海城としては、赤碕城、淀江城などがあり、日本海沿岸の交通路を守る城郭のネットワークを形成していました。

旧郡制と城郭分布

伯耆国は古代から中世にかけて、複数の郡に分かれていました。箆津城が位置する地域は旧八橋郡に属していました。

  • 旧八橋郡: 箆津城、赤碕城など
  • 旧河村郡: 羽衣石城、打吹城など
  • 旧久米郡: 三朝城など
  • 旧汗入郡: 岩倉城など
  • 旧日野郡: 菅福城など
  • 旧会見郡: 米子城、尾高城など

これらの城郭は、それぞれの地域の豪族によって築かれ、戦国時代には尼子氏や毛利氏などの大勢力の支配下に入っていきました。

古城跡研究の現状

近年、伯耆国の古城跡に対する関心が高まっており、地元の研究者や歴史愛好家による調査・研究が活発化しています。「伯耆国古城跡図録」などの出版物が刊行され、各城郭の詳細な情報が整理されています。

また、「しろ凸たん」などのキャラクターを使った古城紹介企画も展開され、若い世代にも歴史の魅力が伝えられています。地元の寺社・仏閣・旧跡と合わせた観光ルートの開発も進められており、歴史文化資源としての活用が期待されています。

箆津城を訪れる際の楽しみ方

遺構観察のポイント

箆津城を訪れる際は、以下のポイントに注目すると、より深く城郭の魅力を味わえます。

  1. 主郭からの眺望: 日本海と箆津の集落を一望し、海城としての立地の重要性を実感
  2. 切岸の観察: 人工的に削られた急斜面から、中世の土木技術を学ぶ
  3. 土塁と空堀の配置: 防御施設がどのように組み合わされているかを観察
  4. 虎口の構造: 城への出入口がどのように防御されていたかを想像
  5. 櫓台からの視界: 見張り台からどこまで見渡せたかを体験

歴史を感じる散策

城跡を散策しながら、中世の武士たちの生活や戦いに思いを馳せることができます。

  • 鎌倉時代の糟屋重行が六波羅探題の命を受けてこの地を治めていた様子
  • 南北朝時代に名和氏の家臣が後醍醐天皇の復権を目指して活動していた姿
  • 戦国時代に尼子氏や毛利氏の勢力争いに巻き込まれた城の運命

これらの歴史的場面を想像しながら歩くと、単なる土の盛り上がりが、生きた歴史の舞台として立ち現れてきます。

写真撮影のおすすめスポット

  • 主郭からの日本海: 晴れた日には隠岐の島まで見渡せることも
  • 切岸の断面: 中世の土木技術を示す貴重な資料
  • 土塁と空堀: 防御施設の組み合わせを立体的に撮影
  • 城跡と集落: 現代の箆津の町並みと城跡の対比

季節ごとの魅力

  • : 新緑が美しく、城跡散策に最適な季節
  • : 草が茂るため見学はやや困難ですが、海からの涼風が心地よい
  • : 紅葉と日本海のコントラストが美しい
  • : 積雪がある場合は見学が困難ですが、冬の日本海の荒々しさが実感できる

まとめ

箆津城は、鳥取県東伯郡琴浦町に残る中世の貴重な城郭遺跡です。槇氏によって築かれ、六波羅探題の糟屋重行、名和氏の家臣である赤坂幸清や箆津敦忠などが城主を務めた歴史を持ちます。

丘城・海城としての特徴を持ち、郭跡、切岸、土塁、空堀、虎口、土橋、櫓台などの防御施設が良好に残されています。天正年間に廃城となりましたが、現在は琴浦町指定文化財として保護され、伯耆国の中世史を伝える重要な史跡となっています。

日本海を望む立地、明瞭に残る遺構、名和氏との関係など、歴史的・考古学的に価値の高い城郭です。東伯郡を訪れる際は、ぜひ箆津城跡に足を運び、中世の伯耆国の歴史に触れてみてください。地元の歴史や文化と合わせて楽しむことで、より深い理解と感動が得られるはずです。

伯耆国古城跡図録や関連書籍を参考にしながら、箆津城をはじめとする伯耆国の古城を巡る旅は、歴史ファンにとって忘れられない体験となるでしょう。

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