竹中城(甲賀市)

竹中城(甲賀市)
所在地 〒520-3313 滋賀県甲賀市甲南町新治

竹中城(甲賀市)完全ガイド|国史跡に指定された甲賀郡中惣遺跡群の典型的方形居館

滋賀県甲賀市甲南町新治に位置する竹中城跡は、甲賀地域の中世城館の特徴を色濃く残す貴重な史跡です。甲賀郡中惣遺跡群の一つとして国史跡に指定されており、典型的な方形居館の構造を今に伝えています。本記事では、竹中城の歴史、構造、見どころ、そしてアクセス方法まで、城郭愛好家から地域の歴史に興味を持つ方まで、幅広い読者に向けて詳しく解説します。

竹中城とは|甲賀地域を代表する中世城館

竹中城は、滋賀県甲賀市甲南町新治小字熊尾に所在する中世の城館跡です。西側を流れる杉谷川の河岸段丘上に築かれており、周囲に堀と土塁を巡らせた典型的な居館タイプの城郭として知られています。

甲賀郡中惣遺跡群における位置づけ

竹中城は、甲賀郡中惣遺跡群を構成する5つの城館(寺前城、村雨城、新宮城、新宮支城、竹中城)の一つです。これらの城館群は、中世における甲賀郡中惣という地域的な自治組織の存在を物語る重要な遺跡として、2013年(平成25年)に国史跡に指定されました。

甲賀郡中惣とは、戦国時代に甲賀地域で形成された地侍たちの自治組織であり、甲賀五十三家と呼ばれる有力土豪たちが連合して地域の自治と防衛を担っていました。竹中城は、こうした甲賀独特の社会構造を示す物証として、歴史学的にも極めて重要な価値を持っています。

「近江のお城46選」にも選定

滋賀県教育委員会が実施した「近江のお城46選」にも竹中城は選定されており、滋賀県を代表する城郭の一つとして認知されています。琵琶湖環状線開業記念事業の一環として行われたこの選定は、県民からの意見をもとに近江を代表する城を選んだもので、竹中城の歴史的・文化的価値が広く認められていることを示しています。

竹中城の歴史|築城者と城主の謎

竹中城の歴史には多くの謎が残されています。文献史料には竹中城の名前が登場せず、築城時期や城主について確実なことはわかっていません。これは甲賀地域の城館に共通する特徴でもあります。

築城時期の推定

明確な築城時期は不明ですが、城の構造や甲賀郡中惣の活動時期から、室町時代後期から戦国時代(15世紀後半〜16世紀)にかけて築かれたと推定されています。この時期は、応仁の乱(1467-1477年)以降、中央政権の統制が弱まり、地方の土豪たちが自衛のために城館を築いた時代に相当します。

甲賀地域では、この時期に多くの土豪が自らの居館を要塞化し、地域全体で防衛網を形成していました。竹中城もそうした地域防衛システムの一環として機能していたと考えられます。

城主に関する諸説

竹中城の城主については、甲賀五十三家に数えられる倉治氏が支配していたという説がありますが、確実な証拠はありません。甲賀五十三家とは、甲賀郡中惣を構成した有力土豪の総称であり、実際には53家よりも多くの家が存在していたとされています。

倉治氏は甲賀地域で活動した土豪の一つで、新治(あらち)地域に勢力を持っていたとされます。竹中城が新治に位置することから、倉治氏との関連が推測されていますが、文献による裏付けがないため、あくまで推定の域を出ません。

甲賀忍者との関わり

甲賀地域は甲賀流忍者の郷として全国的に知られています。甲賀五十三家の多くは忍術を習得しており、戦国時代には各地の大名に仕えて諜報活動や特殊作戦に従事しました。

竹中城を含む甲賀郡中惣遺跡群の城館も、こうした忍者集団の活動拠点であった可能性があります。平時は農業を営みながら、有事には情報収集や戦闘に従事するという、半農半武の生活様式が甲賀地域の特徴でした。竹中城のような居館は、そうした生活の場であると同時に、地域防衛の拠点でもあったのです。

竹中城の構造と縄張り|典型的な方形単郭の居館

竹中城の最大の特徴は、一辺約50メートルの方形単郭という、非常にシンプルで典型的な構造にあります。この形態は甲賀地域の中世城館に広く見られるもので、地域の城郭文化を理解する上で重要な手がかりとなります。

方形単郭の平面構造

竹中城は、ほぼ正方形に近い方形の曲輪(くるわ)を基本としています。一辺が約50メートルという規模は、居館としては中規模で、一族や家臣を含めた居住空間として適切なサイズです。

この方形プランは、古代から中世にかけての荘園領主の居館や、武士の館に広く見られる形式です。防御性と居住性のバランスを考慮した合理的な設計であり、甲賀地域では特にこの形式が好まれました。

土塁の配置と現状

竹中城の周囲には土塁が巡らされていました。土塁とは、土を盛り上げて作った土の壁で、敵の侵入を防ぐとともに、内部を外部の視線から遮る役割を果たします。

現在、竹中城の土塁は部分的に残存しています。特に北東隅の土塁は後世の破壊により大きく削られていますが、他の部分では比較的良好な状態で残っています。土塁の高さや幅から、当時の防御構造を推測することができます。

土塁の上には柵や塀が設けられていた可能性が高く、これによって防御力をさらに高めていたと考えられます。また、土塁の内側には建物が配置され、城主やその家族、家臣たちが生活していました。

堀の配置と遺構

竹中城の防御において重要な役割を果たしたのが、周囲を巡る堀です。堀は北面、西面、南面で良好に残存しており、当時の姿を比較的よく伝えています。

堀の幅や深さは場所によって異なりますが、一般的な中世城館の堀と同様、幅数メートル、深さ数メートル程度であったと推定されます。水堀ではなく空堀(水を湛えない堀)であった可能性が高く、これも甲賀地域の城館に共通する特徴です。

堀は単に敵の侵入を防ぐだけでなく、土塁を築くための土を掘り出した跡でもあります。つまり、堀を掘った土で土塁を築くという、一石二鳥の工法が用いられていたのです。

虎口(出入口)の構造

城館への出入口を虎口(こぐち)と呼びます。竹中城では南側に虎口があったとされており、これが主要な出入口であったと考えられます。

虎口は城館の防御において最も重要なポイントです。敵の侵入を防ぎつつ、日常的な出入りを可能にする必要があるため、様々な工夫が凝らされました。竹中城の虎口がどのような構造であったかは詳細不明ですが、一般的な中世城館では、食い違い虎口や枡形虎口といった、敵の直進を妨げる構造が採用されていました。

三方を守る防御構造

竹中城は、堀と土塁によって三方(北・西・南)が守られていました。東側については、地形的な制約や後世の改変により、当時の状況が不明確ですが、おそらく東側にも何らかの防御施設があったと推測されます。

杉谷川の河岸段丘上という立地を活かし、自然地形と人工的な防御施設を組み合わせることで、効果的な防御体制を構築していたと考えられます。段丘の高低差も防御に利用されていた可能性があります。

竹中城の見どころ|現地で確認できる遺構

竹中城跡を訪れた際に注目すべき遺構や見どころを紹介します。国史跡に指定されているだけあって、中世城館の構造を理解する上で貴重な遺構が残されています。

良好に残る堀跡

竹中城で最も印象的な遺構が、北・西・南面に残る堀跡です。約500年前の防御施設が現在も明瞭に確認できることは、城郭史研究において非常に貴重です。

堀の断面を観察すると、当時の掘削技術や防御思想を読み取ることができます。堀底の形状、法面(のりめん)の角度、堀幅などから、どのような防御効果を狙っていたかが推測できます。

土塁の残存状況

北東隅を除いて比較的良好に残る土塁も重要な見どころです。土塁の断面を見ると、版築(はんちく)という、土を層状に突き固めて築く技法が用いられていた可能性があります。

土塁の高さは場所によって異なりますが、残存部分から当時の高さを推定することができます。また、土塁の上を歩くことで、城内を見渡す視界や、外部からの見え方を体感することができます。

方形プランの全体像

現地に立つと、一辺約50メートルの方形プランを実感することができます。城館の規模感を体感することは、文献や図面だけでは得られない貴重な経験です。

城館内部を歩きながら、かつてここに建物が建ち並び、人々が生活していた様子を想像してみましょう。建物の礎石などは確認されていませんが、発掘調査が行われれば、建物配置や生活の痕跡が明らかになる可能性があります。

周辺の景観と立地

竹中城の立地環境も重要な見どころです。杉谷川の河岸段丘上という地形、周囲の田園風景、遠くに見える山々など、中世の城館が置かれた環境を体感できます。

甲賀地域特有ののどかな山里の景観の中に、戦国時代の緊張感を伝える城館遺構が残されているという対比も興味深いポイントです。

甲賀郡中惣遺跡群全体の理解|5つの城館の関係性

竹中城を深く理解するためには、甲賀郡中惣遺跡群全体の中での位置づけを知ることが重要です。5つの城館はそれぞれ独立しながらも、地域防衛ネットワークの一部として機能していました。

寺前城との関係

寺前城は、村雨城の北側に隣接する城館です。大谷池周辺に位置し、竹中城からは数キロメートルの距離にあります。これらの城館は、互いに連携して地域の防衛を担っていたと考えられます。

村雨城の特徴

村雨城は大谷池の西にある丘陵に築かれた城館で、竹中城とは地形的特徴が異なります。丘陵上という立地は、より防御性を重視した配置と言えます。

新宮城と新宮支城

新宮城とその支城も甲賀郡中惣遺跡群を構成しています。主城と支城という関係は、城郭システムの複雑さを示しており、単独の城館ではなく、複数の拠点が連携する防衛体制が存在したことを示唆しています。

地域防衛ネットワークとしての機能

これら5つの城館は、甲賀郡中惣という自治組織の物理的基盤を形成していました。各城館が連携することで、広域の防衛網を構築し、外敵の侵入に備えていたのです。

のろし台や見張り台を使った情報伝達、有事の際の相互支援など、組織的な防衛体制が存在していたと推測されます。これは、甲賀忍者の情報ネットワークとも関連している可能性があります。

竹中城の文化財的価値|なぜ国史跡に指定されたのか

竹中城を含む甲賀郡中惣遺跡群が国史跡に指定された理由は、その歴史的・学術的価値の高さにあります。

中世地域自治組織の物証

甲賀郡中惣という地域的自治組織の存在を示す物的証拠として、これらの城館群は極めて重要です。文献史料だけでなく、実際の遺構が残されていることで、中世社会の実態をより具体的に理解することができます。

甲賀型城館の典型例

竹中城は、甲賀地域に特徴的な方形単郭の居館の典型例です。この地域の城郭文化を理解する上で欠かせない資料であり、他地域の城郭との比較研究にも重要な意味を持ちます。

良好な遺構の保存状態

後世の開発による破壊が比較的少なく、堀や土塁が良好に残されていることも、文化財としての価値を高めています。中世城館の遺構が明瞭に残る例は全国的にも限られており、貴重な存在です。

地域史研究への貢献

甲賀地域の歴史、特に戦国時代の地域社会の様相を解明する上で、竹中城を含む城館群は不可欠な資料です。今後の発掘調査や研究によって、さらに多くの情報が得られることが期待されています。

竹中城へのアクセス方法|訪問時の注意点

竹中城跡を訪れる際のアクセス方法と、見学時の注意点をご紹介します。

公共交通機関でのアクセス

JR草津線の甲南駅が最寄り駅です。甲南駅から竹中城跡までは徒歩で約30分から40分程度かかります。駅からは比較的平坦な道のりですが、距離があるため、時間に余裕を持って訪問することをお勧めします。

バスの利用も可能ですが、本数が限られているため、事前に時刻表を確認しておくことが重要です。

自動車でのアクセス

自動車でのアクセスが最も便利です。新名神高速道路の甲南インターチェンジから約10分程度で到着します。ただし、専用の駐車場は整備されていない可能性があるため、路上駐車の際は周辺住民の迷惑にならないよう注意が必要です。

カーナビゲーションシステムを使用する場合は、「滋賀県甲賀市甲南町新治」を目的地に設定するとよいでしょう。

見学時の注意事項

竹中城跡は国史跡に指定されていますが、常時公開されている観光施設ではありません。以下の点に注意して見学してください。

  1. 私有地への配慮: 城跡周辺には私有地が含まれている可能性があります。立入禁止の表示がある場所には入らないようにしましょう。
  1. 遺構の保護: 土塁や堀などの遺構を傷つけないよう、慎重に見学してください。登ったり掘ったりする行為は厳禁です。
  1. 安全管理: 足元が不安定な場所もあるため、歩きやすい靴で訪問しましょう。特に雨天時や雨上がりは滑りやすくなります。
  1. ゴミの持ち帰り: 周辺環境を保護するため、ゴミは必ず持ち帰りましょう。
  1. 季節と時間帯: 夏季は草木が茂り、遺構が見えにくくなることがあります。冬季の方が見学に適している場合もあります。また、日没前に見学を終えるよう計画しましょう。

周辺の見どころ

竹中城を訪れた際には、周辺の観光スポットも合わせて訪問することをお勧めします。

  • 甲賀郡中惣遺跡群の他の城館: 時間があれば、村雨城、寺前城、新宮城なども訪問してみましょう。
  • 甲賀の里忍術村: 甲賀流忍者の歴史と文化を学べる施設です。
  • 甲南駅周辺: 甲賀流忍者の郷として知られる地域で、のどかな山里の風景を楽しめます。

竹中城の今後の課題と展望

国史跡に指定された竹中城ですが、今後の保存と活用には課題も残されています。

保存管理の課題

遺構の風化や植生の繁茂など、自然環境による影響から遺構を守る必要があります。定期的な草刈りや測量調査など、継続的な保存管理が求められます。

発掘調査の必要性

竹中城については、本格的な発掘調査がまだ行われていません。発掘調査によって、建物配置、出土遺物、年代などの詳細情報が得られれば、城の実態がより明確になるでしょう。

活用と公開の促進

現状では、竹中城跡は一般にはあまり知られていません。案内板の設置、見学路の整備、ガイドツアーの実施など、より多くの人が訪れやすい環境を整備することが望まれます。

地域との連携

地域住民や観光協会、教育機関などと連携し、竹中城を地域の歴史資源として活用していくことが重要です。地域学習の教材として活用したり、観光資源として発信したりすることで、地域活性化にも貢献できるでしょう。

まとめ|竹中城が語る甲賀の歴史

竹中城は、一見すると地味な史跡かもしれません。華やかな天守閣もなく、劇的な歴史エピソードも伝わっていません。しかし、だからこそ、この城跡は貴重なのです。

戦国時代、甲賀の地では、地侍たちが連携して自治を行い、地域を守っていました。竹中城は、そうした人々の生活と防衛の場であり、甲賀郡中惣という独特の社会システムを支えた物理的基盤でした。

一辺約50メートルの方形居館、周囲を巡る堀と土塁。シンプルな構造の中に、当時の人々の知恵と工夫が凝縮されています。甲賀忍者の郷として知られるこの地域で、忍術を駆使した土豪たちが実際に生活していた場所――それが竹中城なのです。

国史跡に指定され、「近江のお城46選」にも選ばれた竹中城。その価値は、派手さではなく、中世地域社会の実態を伝える確かな証拠としての価値です。

滋賀県甲賀市を訪れる機会があれば、ぜひ竹中城跡に足を運んでみてください。のどかな田園風景の中に残る堀と土塁を前にして、約500年前の甲賀の人々の暮らしに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。そこには、教科書には載っていない、生きた歴史が確かに存在しています。

地図

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