佐土原城(宮崎県)

佐土原城(宮崎県)
所在地 〒880-0301 宮崎県宮崎市佐土原町上田島8227−1
公式サイト https://sadowararekishi.miyabunkyo.com/

佐土原城(宮崎県)完全ガイド|続日本100名城の歴史・見どころ・アクセス徹底解説

佐土原城とは|宮崎を代表する山城の概要

佐土原城(さどわらじょう)は、宮崎県宮崎市佐土原町上田島に位置する山城で、続日本100名城(第197番)および国の史跡に指定されています。標高約70メートルの険しい丘陵地帯に築かれたこの城は、伊東四十八城の一つとして知られ、戦国時代から江戸時代にかけて日向国(現在の宮崎県)の政治・軍事の中心地として重要な役割を果たしました。

別名として「田島城(たじまじょう)」「鶴松城(かくしょうじょう)」とも呼ばれ、周囲を弁天山などの山塊で囲まれ、北を一ツ瀬川で限る天然の要害に位置しています。山上の城郭と麓の居館を組み合わせた構造を持ち、中世から近世への城郭の変遷を示す貴重な遺跡として、歴史的価値が高く評価されています。

江戸時代には佐土原藩の藩庁として機能し、最大3万石の石高を誇りました。現在では、本丸、南の城、松尾丸などの主要な曲輪跡や、空堀、桝形虎口などの遺構が残り、戦国時代の山城の姿を今に伝えています。

佐土原城の歴史|田島氏から伊東氏、島津氏へ

築城期:田島氏による田島城の建設(14世紀)

佐土原城の歴史は、14世紀半ば(南北朝時代)に遡ります。日向伊東氏の一族である田島休助(たじまきゅうすけ)によって「田島城」として築かれたのが始まりとされています。当時、佐土原地域は「田島」と呼ばれており、田島氏がこの地を支配していました。

田島氏は伊東氏の親族でありながらも独自の勢力を築き、一ツ瀬川流域の要衝であるこの地に城を構えることで、周辺地域への影響力を保持していました。築城当初から、山上に防御施設を配置し、麓に居館を構える山城と平地居館の複合形態であったと考えられています。

伊東氏の全盛期:佐土原城の黄金時代(15~16世紀)

応永34年(1427年)、伊東氏本家が勢力を拡大する中で田島氏を滅ぼし、佐土原城に入城しました。この時期から「佐土原城」という名称が一般的に使われるようになります。

16世紀の伊東義祐(いとうよしすけ)の時代には、伊東氏は日向国のほぼ全域を支配する大勢力に成長し、佐土原城は伊東氏の本拠地として最盛期を迎えます。義祐は京都の公家文化を積極的に取り入れ、佐土原城には京風文化が栄えました。城下町も整備され、商業や文化の中心地として繁栄しました。

天文5年(1536年)に城は一度焼失しますが、天文11年から12年(1542~1543年)にかけて、田島城の跡地に新しく「鶴松城」として再建されました。この再建により、城郭の規模はさらに拡大し、天守も建設されたと伝えられています。

島津氏の侵攻と伊東氏の没落(16世紀後半)

伊東氏の繁栄は長くは続きませんでした。天正5年(1577年)、薩摩の島津義久が日向侵攻を本格化させ、伊東義祐は島津軍の圧倒的な軍事力の前に敗北を重ねます。同年12月、伊東義祐は佐土原城を放棄して豊後(現在の大分県)へ逃亡し、伊東氏の日向支配は終焉を迎えました。

その後、佐土原城は島津氏の支配下に入り、島津家久(しまづいえひさ)が城主となりました。島津氏は九州統一を目指す過程で佐土原城を重要な拠点として位置づけ、城郭の改修や城下町の整備を進めました。

江戸時代:佐土原藩の成立と島津氏の統治

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、島津氏は西軍に属しましたが、巧みな外交により所領を安堵されました。その後、佐土原には島津氏の一族が入り、佐土原藩が成立します。

江戸時代を通じて、佐土原藩は島津氏の支配下にあり、薩摩藩の支藩として機能しました。藩主は代々島津氏が務め、最大で3万石の石高を有しました。この時期、城は山上部分の軍事施設と麓の政庁機能を持つ居館部分に明確に分けられ、平時には麓の居館が藩政の中心となりました。

明治維新後、廃藩置県により佐土原藩は廃止され、佐土原城も廃城となりました。建造物の多くは取り壊されましたが、石垣や曲輪、堀などの遺構は現在まで残されています。

佐土原城の構造と縄張り|山城と居館の複合形態

山上部の城郭構造

佐土原城の山上部は、標高約70メートルの丘陵上に築かれており、本丸、南の城、松尾丸という3つの主要な曲輪を中核としています。

本丸は城の中心部であり、最も高い位置に配置されています。天守台跡が残されており、かつてここに天守が建っていたことが確認されています。本丸からは佐土原の城下町や一ツ瀬川の流れを一望でき、軍事的な監視拠点としての機能を果たしていました。

南の城は本丸の南側に位置する曲輪で、防御の要として重要な役割を担っていました。急峻な斜面を利用した防御構造が特徴で、敵の侵入を困難にする工夫が随所に見られます。

松尾丸は西側に配置された曲輪で、本丸を守る副次的な防御拠点として機能していました。これらの曲輪は空堀や土塁で区切られ、複雑な防御網を形成していました。

麓の居館:二の丸と鶴松館

山麓には二の丸と呼ばれる居館地域が広がっていました。ここには藩主の居館や政庁機能を持つ建物が配置され、平時の藩政運営の中心地となっていました。

現在、二の丸居館の一部が「鶴松館(かくしょうかん)」として復元されており、土曜日・日曜日・祝日に一般公開されています。鶴松館では、当時の建築様式を再現した建物内部を見学でき、佐土原城の歴史や文化を学ぶことができます。展示室には城の模型や出土品、歴史資料などが展示されており、佐土原城の全体像を理解するのに役立ちます。

防御施設:空堀・土塁・桝形虎口

佐土原城には、中世山城の特徴的な防御施設が数多く残されています。

空堀は曲輪と曲輪の間に掘られた堀で、敵の侵入を防ぐとともに、曲輪間の移動を制限する役割を果たしていました。現在でも深い空堀の跡が確認でき、当時の防御力の高さを物語っています。

土塁は曲輪の周囲に築かれた土の壁で、敵の矢や鉄砲から守るとともに、視界を遮る効果もありました。一部の土塁は現在も良好な状態で残されています。

桝形虎口は、城門の前に方形の空間を設けた防御構造で、侵入してきた敵を三方から攻撃できるように設計されていました。佐土原城の桝形虎口は、戦国時代の築城技術の高さを示す重要な遺構です。

佐土原城の見どころ|続日本100名城スタンプと遺構探訪

続日本100名城スタンプの設置場所

佐土原城は平成29年(2017年)に続日本100名城に選定されました。スタンプは以下の場所で押すことができます。

  1. 城の駅佐土原いろは館:平日も開館しており、最もアクセスしやすいスタンプ設置場所です。佐土原城に関する資料やパンフレットも入手できます。
  1. 鶴松館:土曜日・日曜日・祝日のみ開館。二の丸居館の再現建物内にスタンプが設置されており、城の歴史をより深く学びながらスタンプを押すことができます。

城めぐりを楽しむ方には、鶴松館が開館している土・日・祝日に訪れることをおすすめします。居館の復元建物を見学しながら、当時の生活や文化に触れることができます。

本丸と天守台跡

本丸へは、麓から登山道を登って約15~20分でアクセスできます。道は整備されていますが、山城特有の急な斜面もあるため、歩きやすい靴での訪問が推奨されます。

本丸に到達すると、天守台跡を見ることができます。天守台は石垣の基礎が残されており、ここにかつて天守が建っていたことを実感できます。佐土原城の天守は、南九州では珍しい存在であり、伊東氏の権威を象徴する建造物でした。

天守台からの眺望は素晴らしく、佐土原の町並みや一ツ瀬川、遠くは日向灘まで見渡すことができます。特に晴れた日には、宮崎の美しい自然景観を一望できる絶景スポットとなっています。

曲輪と空堀の遺構

本丸周辺には、南の城や松尾丸といった曲輪の跡が残されています。これらの曲輪を結ぶ通路や、曲輪間を区切る空堀を実際に歩くことで、戦国時代の城郭構造を体感できます。

特に深い空堀は、当時の築城技術の高さを示すとともに、敵の侵入をいかに防ぐかという工夫が凝らされていることがわかります。空堀の底を歩くと、両側にそびえる土塁の高さに圧倒され、防御施設としての機能を実感できます。

桝形虎口と石垣

城内には桝形虎口の遺構が残されており、敵を迎え撃つための巧妙な設計を見ることができます。方形の空間に誘い込んだ敵を三方から攻撃する構造は、戦国時代の実戦的な築城思想を反映しています。

また、一部には石垣も残されており、中世から近世への城郭技術の変遷を観察できます。石垣は後世の改修によるものと考えられ、島津氏時代の城郭整備の痕跡を示しています。

金箔瓦の出土

佐土原城の発掘調査では、金箔瓦が出土しています。金箔瓦は権力者の居城にのみ使用される特別な瓦で、伊東氏の繁栄と文化的な洗練度を示す重要な遺物です。これらの出土品は、宮崎市佐土原歴史資料館で展示されており、当時の華やかな城郭文化を垣間見ることができます。

宮崎市佐土原歴史資料館|城の歴史を深く学ぶ

資料館の概要と展示内容

宮崎市佐土原歴史資料館は、佐土原城の歴史と佐土原地域の文化を紹介する施設です。城跡からは少し離れた場所にありますが、佐土原城を訪れる際には必見のスポットです。

館内には、佐土原城の復元模型、出土した金箔瓦、陶磁器、武具などが展示されており、城の歴史や当時の生活を詳しく学ぶことができます。また、伊東氏や島津氏に関する歴史資料、古文書なども豊富に収蔵されています。

特に注目すべきは、城郭の変遷を示す模型や図面で、田島城から鶴松城への変化、そして江戸時代の佐土原藩の城郭としての姿を視覚的に理解できます。

商家資料館「旧阪本家」

宮崎市佐土原歴史資料館には、商家資料館「旧阪本家」も併設されています。旧阪本家は江戸時代から続く商家の建物を保存したもので、当時の商家の生活様式や商業活動の様子を知ることができます。

ただし、地震被災の影響により、旧阪本家の見学には制限がある場合があります。訪問前に宮崎市佐土原歴史資料館の公式サイトで最新情報を確認することをおすすめします。

開館日と開館時間の変更について

平成29年4月1日より、宮崎市佐土原歴史資料館の開館日が変更されました。訪問を計画される方は、事前に公式サイトで開館日・開館時間を確認してください。一般的には平日も開館していますが、月曜日や祝日の翌日が休館日となることがあります。

鶴松館(二の丸居館の復元施設)は土曜日・日曜日・祝日のみの開館となっているため、両施設を効率的に見学するには、週末の訪問が最適です。

佐土原城へのアクセス|交通手段と駐車場情報

所在地

佐土原城跡
〒880-0301 宮崎県宮崎市佐土原町上田島

宮崎市佐土原歴史資料館
〒880-0301 宮崎県宮崎市佐土原町上田島8202-1

城の駅佐土原いろは館
〒880-0301 宮崎県宮崎市佐土原町上田島1270-1

車でのアクセス

宮崎市中心部から
国道10号線を北上し、約30分で佐土原地域に到着します。佐土原城跡の案内標識に従って進むと、駐車場に到着します。

宮崎空港から
国道220号線と国道10号線を経由して、約40分です。

駐車場

  • 鶴松館周辺:無料駐車場あり(約20台)
  • 城の駅佐土原いろは館:無料駐車場あり
  • 宮崎市佐土原歴史資料館:専用駐車場あり

公共交通機関でのアクセス

JR利用の場合
JR日豊本線「佐土原駅」下車。駅から佐土原城跡までは徒歩約30分、タクシーで約5分です。

バス利用の場合
宮崎駅前から宮崎交通バス「佐土原方面」行きに乗車し、「佐土原交流センター前」バス停下車。そこから徒歩約10分で鶴松館や城跡入口に到着します。

バスの本数は平日と土・日・祝日で異なるため、事前に宮崎交通の時刻表を確認することをおすすめします。

城跡散策の所要時間

  • 鶴松館の見学:30分~1時間
  • 本丸までの登城と見学:1時間~1時間30分
  • 宮崎市佐土原歴史資料館の見学:30分~1時間

合計で2時間30分~3時間30分程度を見込むと、ゆっくりと見学できます。写真撮影や詳細な遺構観察を楽しむ場合は、さらに時間を確保すると良いでしょう。

佐土原城と宮崎県の他の名城|伊東氏と島津氏の城郭

宮崎県三名城

佐土原城は「宮崎県三名城」の一つに数えられています。他の二城は以下の通りです。

飫肥城(おびじょう)
日南市に位置する飫肥城は、伊東氏が最終的に居城とした城で、江戸時代には飫肥藩5万1千石の藩庁となりました。美しい城下町が残されており、日本100名城にも選定されています。

延岡城(のべおかじょう)
延岡市に位置する延岡城は、高石垣と「千人殺しの石垣」で知られる城です。江戸時代には延岡藩の藩庁として機能しました。続日本100名城に選定されています。

これら三城を巡ることで、宮崎県の戦国時代から江戸時代にかけての歴史を総合的に理解できます。

都於郡城(とのこおりじょう)

西都市に位置する都於郡城は、伊東氏が佐土原城以前に本拠地としていた城です。伊東氏48城の中心的存在であり、広大な城域を持つ山城です。佐土原城と合わせて訪れることで、伊東氏の勢力拡大の歴史をより深く理解できます。

佐土原城訪問時の注意事項とおすすめポイント

服装と持ち物

佐土原城は山城であるため、本丸まで登る場合は以下の準備をおすすめします。

  • 歩きやすい靴:登山道は整備されていますが、急な斜面や石段があります。スニーカーや登山靴が適しています。
  • 飲み物:特に夏季は水分補給が重要です。
  • 帽子と日焼け止め:日差しを遮る木陰が少ない場所もあります。
  • 虫除けスプレー:春から秋にかけては虫が多い場合があります。

撮影について

佐土原城跡や鶴松館での写真撮影は基本的に自由ですが、宮崎市佐土原歴史資料館内での撮影については事前に確認が必要です。展示物によっては撮影が制限されている場合があります。

商業目的の撮影や、ドローンを使用した撮影を行う場合は、事前に宮崎市の許可が必要です。

ベストシーズン

佐土原城は四季を通じて訪問できますが、特におすすめの時期は以下の通りです。

  • 春(3月~5月):桜や新緑が美しく、気候も穏やかで登城に最適です。
  • 秋(10月~11月):紅葉が見られ、涼しい気候で快適に散策できます。
  • 冬(12月~2月):空気が澄んで眺望が良く、人も少ないため静かに見学できます。

夏季(6月~9月)は気温が高く湿度も高いため、熱中症対策が必要です。

周辺の観光スポット

佐土原城の周辺には、以下のような観光スポットがあります。

  • 佐土原人形工房:佐土原地域の伝統工芸である佐土原人形の制作過程を見学できます。
  • 一ツ瀬川河川敷:自然豊かな河川敷で散策やピクニックが楽しめます。
  • 宮崎市中心部:車で約30分の距離にあり、宮崎神宮や青島などの観光地にもアクセス可能です。

佐土原城の文化財指定と保存活動

国史跡指定

佐土原城跡は、平成12年(2000年)に国の史跡に指定されました。これは、佐土原城が中世から近世にかけての城郭の変遷を示す重要な遺跡であること、また南九州における戦国時代の歴史を理解する上で欠かせない文化財であることが評価されたためです。

国史跡指定により、城跡の保存と整備が進められており、発掘調査や遺構の保存、案内板の設置などが行われています。

続日本100名城選定

平成29年(2017年)、公益財団法人日本城郭協会により、佐土原城は続日本100名城の一つに選定されました。これは、日本100名城に次ぐ重要な城郭として認められたことを意味します。

続日本100名城選定により、全国の城郭ファンからの注目が高まり、訪問者数も増加しています。城めぐりを趣味とする方々にとって、佐土原城は九州訪問時の重要な目的地の一つとなっています。

保存と整備の取り組み

宮崎市は、佐土原城跡の保存と活用のため、以下のような取り組みを進めています。

  • 発掘調査の継続:城郭の構造や変遷を明らかにするための学術調査が継続的に行われています。
  • 遺構の保存整備:石垣や土塁、空堀などの遺構を適切に保存するための整備が進められています。
  • 二の丸居館の復元:鶴松館として一部が復元され、来訪者が当時の建築を体感できるようになっています。
  • 案内板とパンフレットの充実:城跡内に案内板が設置され、佐土原城跡パンフレットも作成されています。

佐土原藩の歴史と文化

佐土原藩の成立と石高

江戸時代、佐土原には佐土原藩が置かれました。藩主は島津氏の一族が代々務め、薩摩藩の支藩として機能しました。石高は時期により変動しましたが、最大で3万石を有しました。

佐土原藩は小藩でしたが、一ツ瀬川の水運を利用した商業や、農業、林業が盛んで、経済的には比較的安定していました。

佐土原の文化と産業

佐土原藩では、京風文化の伝統が江戸時代にも受け継がれ、独自の文化が育まれました。特に、佐土原人形と呼ばれる郷土玩具は、藩の保護のもとで発展し、現在も伝統工芸として受け継がれています。

また、佐土原は商業の町としても栄え、一ツ瀬川の河港を通じて各地との交易が行われました。商家の繁栄は、旧阪本家などの歴史的建造物に今も見ることができます。

幕末の佐土原藩

幕末期、佐土原藩は薩摩藩と協調しながら、明治維新の動乱を乗り越えました。薩摩藩の影響下にあったため、倒幕運動にも一定の関与がありましたが、小藩であったため大きな役割を果たすことはありませんでした。

明治4年(1871年)の廃藩置県により佐土原藩は廃止され、佐土原県を経て宮崎県に編入されました。

まとめ|佐土原城の魅力と訪問の価値

佐土原城は、宮崎県を代表する山城として、戦国時代から江戸時代にかけての九州の歴史を今に伝える貴重な史跡です。伊東氏の繁栄と没落、島津氏の支配、そして佐土原藩の成立という歴史の流れを、遺構を通じて体感できる場所です。

続日本100名城に選定され、国史跡としても保護されている佐土原城は、城郭ファンのみならず、歴史愛好家や自然を楽しむ方々にもおすすめのスポットです。本丸からの眺望、深い空堀、復元された鶴松館、そして宮崎市佐土原歴史資料館での学びは、訪れる人々に深い印象を残すでしょう。

宮崎県を訪れる際には、ぜひ佐土原城を訪問し、南九州の戦国時代の息吹を感じてください。アクセスも比較的容易で、宮崎市中心部や宮崎空港からも近いため、観光プランに組み込みやすい立地です。

歴史の舞台となった佐土原城で、伊東氏と島津氏が繰り広げた戦いの歴史、そして平和な江戸時代の藩政の様子を想像しながら、ゆっくりと時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。

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