虎丸城(香川県東かがわ市)

虎丸城(香川県東かがわ市)
所在地 〒769-2713 香川県東かがわ市与田山

虎丸城(香川県東かがわ市)完全ガイド|歴史・遺構・アクセス情報

虎丸城とは

虎丸城(とらまるじょう)は、香川県東かがわ市水主の与田山にある虎丸山(標高417m、比高395m)に築かれた戦国時代の山城です。東讃岐地域を支配した寒川氏の居城として知られ、後に阿波三好氏、土佐長宗我部氏との激しい攻防の舞台となった重要な拠点でした。

寅年に築城されたことから「虎丸城」と名付けられたという伝承があり、険峻な山容と巧みな縄張りによって東讃岐の要衝として機能しました。現在も主郭、堀切、土塁などの遺構が良好に残されており、戦国期の山城の姿を今に伝えています。

虎丸城の基本情報

所在地・アクセス

所在地:香川県東かがわ市水主(みずし)
旧国名:讃岐国
標高:417m
比高:395m
地図座標:与田山の虎丸山山頂部

アクセス方法

  • 車の場合:JR讃岐白鳥駅から車で約15分、とらまる公園または弘海寺跡駐車場を利用
  • 登山口:弘海寺跡駐車場から登山道が整備されています
  • 登城時間:登山口から主郭まで約60~90分程度

城の分類・構造

分類:山城
構造:連郭式山城
築城主:寒川氏(伝)
築城年:不明(寅年との伝承あり)
主な城主:寒川氏、安富氏、十河存保
廃城年:天正12年(1584年)頃
天守構造:なし(山城のため天守は存在せず)
主要遺構:郭、堀切、土塁、櫓台、竪堀

通称・別名

特に別名は伝わっていませんが、地元では「虎丸山の城」として親しまれています。寅年築城説に由来する「虎丸」の名称が特徴的です。

虎丸城の歴史

築城と寒川氏の支配

虎丸城の築城年代は明確ではありませんが、讃岐国東部を支配した寒川氏によって築かれたとされています。寒川氏は細川氏の家臣として太田郡、寒川郡、小豆島を領し、東讃岐に大きな勢力を張った豪族でした。

築城時期については諸説ありますが、寅年に築城したため「虎丸城」と名付けられたという伝承が残っています。虎丸山の険峻な地形を活かした堅固な山城として、寒川氏の本拠地の一つとして機能しました。

三好氏の侵攻と城主交代

元亀3年(1572年)、阿波国の三好長治が讃岐侵攻を開始します。当時の城主であった寒川元政は三好勢の攻撃を受け、虎丸城は落城しました。寒川氏は昼寝城へと退き、虎丸城には三好氏の家臣である雨滝城主・安富盛定(安富氏)が入城して城主となりました。

この城主交代により、虎丸城は三好氏の讃岐支配の重要拠点として位置づけられることになります。安富氏は虎丸城を拠点として東讃岐地域の支配を固めていきました。

中富川合戦と十河存保の逃走

天正10年(1582年)、讃岐国内で中富川合戦が発生します。この戦いで土佐の長宗我部氏に敗れた十河存保(そごうまさやす)は、虎丸城へ逃れて立て籠もりました。十河存保は三好氏の一族であり、讃岐における三好勢力の中心人物でした。

この時期、虎丸城は三好方の重要な拠点として機能しており、長宗我部氏の讃岐侵攻に対する抵抗の拠点となっていました。十河城とともに、三好勢力最後の砦としての役割を担うことになります。

長宗我部元親の攻略と落城

天正11年(1583年)、土佐の長宗我部元親は三好方の拠点となっていた十河城と虎丸城を攻略するため、香川氏らとともに讃岐に本格的に侵攻しました。長宗我部軍は雨滝城、石田城、富田城を次々と攻略し、十河城と虎丸城の連携を断つ戦略を展開します。

孤立した虎丸城は天正12年(1584年)、長宗我部軍の攻撃によって十河城とともに落城しました。この落城により、讃岐における三好勢力は完全に消滅し、虎丸城はその役割を終えて廃城となったと考えられています。

四国統一を目指す長宗我部元親にとって、虎丸城の攻略は讃岐制圧の重要な一歩であり、この城の陥落は四国の戦国史における大きな転換点となりました。

虎丸城の縄張りと遺構

城郭構造の特徴

虎丸城は標高417mの虎丸山山頂部を中心に、東西南北に伸びる尾根筋に中小の郭段を配した連郭式山城です。最高所の主郭を中心として、特に西と南に延びる尾根筋には規模の大きな堀切を設け、虎丸山の持つ険峻な地形を巧みに利用した防御構造となっています。

比高395mという急峻な立地は、それ自体が強力な防御力を持ち、攻城軍にとって大きな障壁となりました。尾根筋を利用した縄張りは、限られた平坦地を効率的に活用しながら、複数の防御ラインを構築する戦国期山城の典型的な手法です。

主郭(本丸)

山頂部に位置する主郭は、城の中心となる最も重要な曲輪です。比較的広い平坦面を持ち、城主の居館や指揮所が置かれていたと考えられます。主郭からは東讃岐地域を一望でき、播磨灘や周辺の山々を見渡すことができる絶好の眺望を誇ります。

主郭には櫓台跡も確認でき、現在は新宮社が鎮座しています。この櫓台は物見櫓として機能し、敵の動向を監視する重要な施設でした。

堀切と竪堀

虎丸城の防御施設として特に注目されるのが、尾根筋を遮断する複数の堀切です。特に西側と南側の尾根には大規模な堀切が設けられており、敵の侵入を防ぐ強固な防御ラインを形成しています。

堀切は深く鋭く掘り込まれており、当時の築城技術の高さを示しています。また、斜面には竪堀も配され、横からの攻撃に対する備えも万全でした。これらの遺構は現在も明瞭に残っており、戦国期の土木技術を実感できる貴重な史跡となっています。

曲輪群

主郭を中心に、東西南北の尾根筋に沿って複数の曲輪が配置されています。これらの曲輪は規模に大小があり、それぞれが防御の役割を担っていました。段状に配置された曲輪群は、攻城軍の進撃を段階的に阻止する多重防御システムを構成していました。

各曲輪には土塁の痕跡も残されており、柵や塀が設けられていたことが推測されます。曲輪間の連絡路も確認でき、城内の動線が計画的に設計されていたことがわかります。

登山道と見学ポイント

現在、弘海寺跡駐車場から主郭まで登山道が整備されています。登山道沿いには案内板も設置されており、遺構の位置を確認しながら登城できます。ただし、比高395mの急峻な山道であるため、登城には相応の体力と装備が必要です。

登城時間は片道60~90分程度を見込む必要があります。登山道入口から堀切、各曲輪を経て主郭に至るルートでは、戦国期の山城の防御構造を体感しながら歴史散策を楽しむことができます。

虎丸城の見どころ

主郭からの眺望

虎丸城最大の見どころは、主郭からの壮大な眺望です。標高417mの山頂から見下ろす東讃岐地域の景色は圧巻で、播磨灘、引田の町並み、周辺の山々を一望できます。晴天時には小豆島も望むことができ、かつての城主たちもこの景色を眺めながら領地を見守っていたことでしょう。

この眺望は単なる景観美だけでなく、軍事的な監視機能としても重要な意味を持っていました。海上交通の要衝である播磨灘を見渡せる立地は、情報収集の面でも大きな価値がありました。

新宮社と櫓台

主郭の櫓台跡には現在、新宮社が鎮座しています。この神社は地域の信仰の対象となっており、城跡が地域に守られてきた歴史を物語っています。櫓台の石積みや平坦面は往時の姿をとどめており、物見櫓がどのように配置されていたかを想像することができます。

大規模な堀切

西側と南側の尾根に残る大規模な堀切は、虎丸城の築城技術を示す重要な遺構です。深さ数メートルにも及ぶ堀切は、人力で掘削された戦国期の土木工事の規模を実感させます。堀切の断面形状や幅、尾根を完全に遮断する構造など、防御施設としての工夫を間近に観察できます。

連続する曲輪群

尾根筋に沿って連続する曲輪群は、山城特有の縄張りの妙を示しています。地形に合わせて配置された大小の曲輪は、限られた平坦地を最大限に活用する工夫の結晶です。曲輪間の高低差や配置関係から、防御戦略を読み解く楽しみがあります。

周辺の関連史跡

昼寝城

虎丸城から三好氏に追われた寒川氏が退いた昼寝城は、虎丸城と密接な関係を持つ城です。寒川氏の歴史を辿る上で、昼寝城との関連は重要な要素となります。

雨滝城

虎丸城の城主となった安富氏の本拠地である雨滝城も、虎丸城の歴史を理解する上で欠かせない関連史跡です。長宗我部氏の讃岐侵攻において、雨滝城は虎丸城よりも先に攻略されました。

十河城

虎丸城とともに三好勢力最後の拠点となった十河城は、十河存保の本拠地でした。両城の連携と孤立、そして同時期の落城という歴史的経緯は、戦国期の讃岐の情勢を理解する上で重要です。

引田城

東かがわ市内にある引田城は、瀬戸内海に面した海城として知られ、虎丸城とは対照的な立地と構造を持ちます。両城を訪れることで、山城と海城の違いを比較できます。

とらまる公園

虎丸城の麓に位置するとらまる公園は、城名にちなんで名付けられた公園です。登城の起点として利用でき、休憩施設も整備されています。

登城時の注意点

装備と服装

虎丸城は比高395mの本格的な山城であり、登城には適切な装備が必要です。トレッキングシューズ、動きやすい服装、飲料水、タオル、雨具などを準備しましょう。夏季は虫除けスプレー、冬季は防寒具も必須です。

所要時間

登山口から主郭までの往復で2~3時間程度を見込む必要があります。遺構をじっくり観察する場合は、さらに時間を要します。余裕を持った行程計画を立てましょう。

安全面の配慮

急峻な山道であるため、足元には十分注意が必要です。特に雨天時や雨上がりは滑りやすくなります。単独登城よりも複数人での登城が推奨されます。携帯電話の電波状況も事前に確認しておきましょう。

最適な訪問時期

春(3~5月)と秋(10~11月)が登城に適した時期です。夏季は暑さと虫に注意が必要で、冬季は日照時間が短いため早めの行動が求められます。新緑や紅葉の季節は、景観も美しく特におすすめです。

虎丸城の歴史的意義

虎丸城は、戦国時代の讃岐国における勢力争いの縮図とも言える城です。寒川氏から三好氏、そして長宗我部氏へと支配者が変遷する過程は、四国における戦国大名の興亡を象徴しています。

特に長宗我部元親の四国統一事業において、虎丸城の攻略は重要な意味を持ちました。三好勢力最後の砦として抵抗を続けた虎丸城の落城は、讃岐における戦国時代の終焉を告げる出来事でした。

現在も良好に残る遺構は、当時の築城技術と戦略を今に伝える貴重な歴史資産です。険峻な山城の構造を体感することで、戦国武将たちが直面した攻防の実態を理解することができます。

まとめ

虎丸城は香川県東かがわ市の虎丸山に築かれた戦国時代の山城で、標高417m、比高395mの険峻な立地を誇ります。寒川氏の居城として始まり、三好氏、長宗我部氏との攻防の舞台となった歴史的に重要な城郭です。

主郭、堀切、曲輪群などの遺構が良好に残されており、戦国期の山城の姿を今に伝えています。主郭からの眺望は素晴らしく、東讃岐地域を一望できます。登城には相応の体力が必要ですが、その分、山城の魅力を存分に味わうことができる城跡です。

四国の戦国史に興味がある方、本格的な山城巡りを楽しみたい方には、ぜひ訪れていただきたい城跡です。弘海寺跡駐車場から登山道が整備されていますので、適切な装備を準備して、戦国の歴史ロマンを体感してください。

地図

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