駿府城の歴史と見どころ完全ガイド|徳川家康が愛した大御所の居城
駿府城とは:概要と歴史的意義
駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区に位置した日本を代表する平城です。別名として府中城(ふちゅうじょう)、駿河府中城(するがふちゅうじょう)、静岡城(しずおかじょう)とも呼ばれています。
「駿府」という名称は「駿河府中」の略で、駿河国(現在の静岡県中部)の国府を意味する古い言葉です。この地は東海道に隣接し、東国を守る要の地として古くから重視されてきました。
駿府城の最大の特徴は、徳川家康が生涯で二度にわたり拠点とした城であることです。天正期の「五ヵ国領国時代」と慶長期の「大御所時代」に居城とし、江戸初期には大御所政治(駿府政権)の中心地として日本の政治を動かしました。家康は最後に駿府城の二ノ丸で息を引き取っており、まさに家康終焉の地といえます。
現在、本丸と二ノ丸は駿府城公園として整備され、市民の憩いの場でありながら、天下人が愛した歴史の重みを今に伝える観光スポットとなっています。
駿府城の歴史:今川氏から徳川家康、そして江戸時代へ
今川氏の時代:駿府館から始まる
駿府城の前身は、駿河守護今川氏の駿府館といわれています。今川義元の時代には、この地が今川氏の本拠地として栄えました。しかし館の正確な所在地については諸説あり、研究が続けられています。
永禄11年(1568年)、武田信玄の攻撃により駿府館は焼亡し、このとき今川氏は実質的に滅びました。戦国時代の激動の中で、駿府の地は一時武田氏の支配下に入ります。
天正期:家康の五ヵ国領国時代(第一次築城)
天正10年(1582年)、武田氏が滅亡すると徳川家康が駿河を領有しました。家康は天正13年(1585年)に城を修築し、翌年浜松城から駿府城へ移ります。この時期、家康は駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の五ヵ国を領有する大名として、駿府城を拠点に勢力を拡大していきました。
しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命により家康は関東へ移封され、駿府城には中村一氏が城主として入りました。その後、内藤信成を経て、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後には内藤信成が再び城主となります。
慶長期:大御所時代の駿府城(第二次築城)
慶長8年(1603年)、徳川家康は征夷大将軍に就任しますが、わずか2年後の慶長10年(1605年)には将軍職を三男の秀忠に譲り、自らは大御所として駿府城に隠居しました。
この「隠居」は名目上のもので、実際には家康が駿府城から日本の政治を動かす「大御所政治」が展開されました。慶長12年(1607年)からは天下普請により駿府城の大規模な修築が始まり、全国の大名が動員されました。
この時期に築かれた駿府城は、城郭史上最大級の規模を誇りました。特に天守台は約68メートル四方という日本最大級のもので、その上に建てられた天守は江戸城天守をも凌ぐ壮大なものだったと考えられています。
家康は元和2年(1616年)4月17日、駿府城の二ノ丸で75歳の生涯を閉じました。
江戸時代:駿府城代と駿府加番の時代
家康の死後、駿府城は徳川将軍家の直轄地となり、駿府藩が置かれました。城主には将軍家の一族や重臣が任命され、駿府城代が城の管理を担当しました。
駿府城代は、城の維持管理だけでなく、駿河国の統治や幕府の西国監視の役割も担う重要な役職でした。歴代の駿府城代には、譜代大名や旗本から選ばれた有力者が就任しています。
また、駿府加番という制度も設けられました。これは交代で駿府城の警備にあたる役職で、複数の大名が任命されました。この制度により、駿府城は常に厳重な警備体制が敷かれていました。
寛永12年(1635年)には火災により天守が焼失しましたが、その後再建されることはありませんでした。しかし、城の重要性は変わらず、江戸時代を通じて東海道の要衝として機能し続けました。
明治時代以降:城郭から公園へ
明治維新後、駿府城は陸軍に払い下げられ、軍事施設として利用されました。第二次世界大戦後には静岡市の所有となり、本丸及び二の丸は公園化のために整備されます。
1951年(昭和26年)に実施された市民アンケートにより、その名称が「駿府公園」に決定され、市民が集う憩いの場として利用されてきました。そして2012年(平成24年)には「駿府城公園」に改称され、大御所時代の家康の居城であった歴史的価値が再評価されています。
駿府城の縄張:三重の堀と輪郭式の構造
駿府城の縄張(城の設計・構造)は、日本の城郭史上でも特筆すべき壮大なものでした。
輪郭式の平城
駿府城は輪郭式(りんかくしき)と呼ばれる構造を持つ平城です。輪郭式とは、中心の本丸を取り囲むように二ノ丸、三ノ丸が同心円状に配置される形式で、防御力の高い縄張として知られています。
駿府城では、本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸が配置され、それぞれの間には堀と石垣が巡らされていました。この三重の堀は駿府城の最大の特徴であり、当時としては最高水準の防御施設でした。
本丸の構造
本丸には天守台があり、その上に壮大な天守が建てられていました。発掘調査により明らかになった天守台は、約68メートル四方という日本最大級の規模を誇ります。これは江戸城や大坂城の天守台をも上回る大きさです。
本丸には天守のほか、本丸御殿も建てられていました。本丸御殿は家康の居住空間であり、政務を執る場所でもありました。
二ノ丸と三ノ丸
二ノ丸には、家康が晩年を過ごした御殿があり、ここで家康は最期を迎えました。二ノ丸は本丸を守る重要な防御ラインであり、多くの櫓や門が配置されていました。
三ノ丸は城下町との境界をなし、武家屋敷や重臣の屋敷が立ち並んでいました。三ノ丸の外周は約2.8キロメートルにも及び、駿府城の総面積は約100ヘクタールという広大なものでした。
石垣の技術
駿府城の石垣は、慶長期の天下普請により全国から集められた石材と技術者によって築かれました。石垣には「打込接(うちこみはぎ)」という技法が用いられており、石の角を加工して隙間を少なくする高度な技術が見られます。
現在も残る石垣には、各大名家の刻印(家紋や記号)が残されており、どの大名がどの部分を担当したかを知ることができます。
駿府城の建築物:天守と櫓
天守:日本最大級の規模
駿府城の天守は、慶長期の築城時に建てられた壮大な建築物でした。史料によれば、天守は五重七階または七重とも伝えられ、その高さは約50メートルに達したとされています。
天守台の規模から推測すると、駿府城天守は江戸城天守に匹敵するか、それを上回る規模だった可能性があります。これは、大御所として実質的な権力を持っていた家康の威光を示すものでした。
しかし寛永12年(1635年)の火災で天守は焼失し、その後再建されることはありませんでした。現在、天守台の発掘調査が進められており、その全貌が徐々に明らかになっています。
櫓:東御門と巽櫓の復元
駿府城には多くの櫓が配置されていましたが、明治以降にほとんどが失われました。現在、平成に入ってから復元事業が進められ、東御門(ひがしごもん)と巽櫓(たつみやぐら)が復元されています。
東御門は二ノ丸の東側に位置する重要な門で、高麗門と櫓門からなる枡形門の形式を持っています。復元された東御門は、江戸時代の絵図や発掘調査の成果をもとに、当時の姿を忠実に再現しています。
巽櫓は二ノ丸の南東角に位置する三重櫓で、東御門とともに二ノ丸の防御を担っていました。内部は資料館として公開されており、駿府城の歴史や復元工事の過程を学ぶことができます。
坤櫓の復元
2014年には坤櫓(ひつじさるやぐら)も復元されました。坤櫓は二ノ丸の南西角に位置する二重櫓で、伝統的な工法により復元されています。
これらの復元された建築物は、駿府城の往時の姿を偲ばせる貴重な存在となっています。
駿府城の遺構:現在残るもの
石垣
駿府城で最も良好に残る遺構が石垣です。本丸、二ノ丸を囲む石垣は、慶長期の天下普請により築かれたもので、高度な石垣技術を見ることができます。
特に注目すべきは、石垣に残された刻印です。これらは築城に参加した大名家の目印であり、加藤家、黒田家、鍋島家など、有力大名の刻印が確認されています。
堀
駿府城の内堀と中堀は現在も水を湛えており、往時の姿を留めています。二重の堀は駿府城公園を囲むように残り、城の規模の大きさを実感することができます。
堀の幅は最大で約60メートルにも及び、これは日本の城郭の中でも最大級です。堀端を散策すると、石垣と堀が織りなす美しい景観を楽しむことができます。
旧三ノ丸の遺構
三ノ丸の外堀は埋め立てられ、現在は市街地となっていますが、一部の地名や道路の配置に往時の名残を見ることができます。また、発掘調査により三ノ丸の堀や武家屋敷跡が確認されています。
天守台発掘調査:日本最大級の天守台の謎
2016年から本格的に始まった駿府城天守台の発掘調査は、日本の城郭史を塗り替える大発見を次々ともたらしています。
二つの天守台の発見
発掘調査により、駿府城には二つの時期の天守台が存在したことが判明しました。一つは天正期(1585年頃)に家康が築いた天守台、もう一つは慶長期(1607年以降)の天下普請で築かれた天守台です。
慶長期の天守台は天正期の天守台を完全に覆う形で築かれており、その規模は約68メートル四方という日本最大級のものでした。これは江戸城の天守台(約45メートル四方)を大きく上回ります。
金箔瓦の発見
発掘調査では、金箔を施した瓦が大量に出土しました。これは天守や御殿の屋根に使用されていたもので、駿府城の豪華さを物語る貴重な資料です。
金箔瓦は豊臣秀吉の大坂城や伏見城で使用されたことで知られていますが、駿府城でもこれほど大量に使用されていたことは、家康の権力と財力を示すものです。
発掘調査の公開
駿府城天守台発掘調査は、「見える化」をコンセプトに一般公開されています。発掘現場には見学スペースが設けられ、実際の発掘作業を間近で見ることができます。また、ガイドによる解説も行われており、発掘調査の最新成果を学ぶことができます。
この取り組みは全国的にも珍しく、歴史ファンや考古学に興味のある人々から高い評価を受けています。
駿府御薬園:家康の薬草栽培
駿府城の歴史を語る上で忘れてはならないのが、駿府御薬園(すんぷおやくえん)です。
徳川家康は健康と長寿に強い関心を持ち、薬草の研究と栽培に力を入れていました。駿府城内には御薬園が設けられ、全国から集められた薬草が栽培されていました。
家康は自ら薬を調合することもあり、その知識は当時としては専門家レベルだったといわれています。駿府御薬園で栽培された薬草は、家康自身の健康管理だけでなく、家臣や領民の治療にも使用されました。
現在、駿府城公園内の紅葉山庭園には、往時を偲ぶ薬草園が復元されており、江戸時代に栽培されていた薬草を見ることができます。
駿府城公園の見どころ:現代の活用
公園としての整備
現在の駿府城公園は、約17ヘクタールの広大な敷地を持つ都市公園として整備されています。本丸と二ノ丸が公園の中心部を構成し、芝生広場や遊歩道が整備されています。
公園内には約500本の桜が植えられており、春には桜の名所として多くの花見客で賑わいます。また、堀端には藤棚も設けられ、初夏には美しい藤の花を楽しむことができます。
紅葉山庭園
駿府城公園内には、紅葉山庭園という日本庭園が整備されています。この庭園は、駿府城の本丸にあったとされる紅葉山を再現したもので、四季折々の美しい景観を楽しむことができます。
庭園内には茶室も設けられており、お茶会や文化教室が開催されています。静かな庭園で抹茶を味わいながら、往時の雰囲気を感じることができます。
歴史文化施設
復元された東御門・巽櫓内部は資料館として公開されており、駿府城の歴史や発掘調査の成果を展示しています。また、坤櫓も内部公開されており、江戸時代の建築技術を間近で見ることができます。
公園内には「家康公お手植えのミカン」の子孫とされるミカンの木も植えられており、家康と駿府の深い関わりを感じることができます。
イベントと活動
駿府城公園では、年間を通じて様々なイベントが開催されています。「大御所花見行列」では、家康や側近に扮した行列が公園内を練り歩き、江戸時代の雰囲気を再現します。
また、夏には「駿府城夏まつり」、秋には「静岡まつり」など、地域の伝統行事も開催され、市民と観光客の交流の場となっています。
発掘調査現場の見学ツアーやボランティアガイドによる解説ツアーも定期的に開催されており、駿府城の歴史を深く学ぶことができます。
アクセスと観光情報
所在地
駿府城公園は静岡市葵区の中心部に位置し、静岡市役所に隣接しています。住所は静岡県静岡市葵区駿府城公園1-1です。
交通アクセス
電車でのアクセス
- JR静岡駅から徒歩約15分
- 静岡鉄道新静岡駅から徒歩約12分
バスでのアクセス
- JR静岡駅からしずてつバス「県庁・静岡市役所葵区役所」行きで約5分、「県庁・静岡市役所葵区役所」下車すぐ
車でのアクセス
- 東名高速道路静岡ICから約15分
- 新東名高速道路新静岡ICから約20分
駐車場は周辺に有料駐車場が複数あります。
開園時間と料金
駿府城公園
- 開園時間:常時開放(散策自由)
- 入園料:無料
東御門・巽櫓、坤櫓
- 開館時間:9:00~16:30(入館は16:00まで)
- 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
- 入館料:大人200円、小中学生50円
紅葉山庭園
- 開園時間:9:00~16:30(入園は16:00まで)
- 休園日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
- 入園料:大人150円、小中学生50円
天守台発掘調査現場見学
- 見学時間:調査期間中の平日(詳細は公式サイトで確認)
- 見学料:無料
見学のポイント
駿府城公園を訪れる際は、以下のポイントを押さえると充実した見学ができます。
- 石垣の刻印探し:堀端を歩きながら、石垣に残された大名家の刻印を探してみましょう。
- 復元建築物の見学:東御門・巽櫓、坤櫓の内部を見学し、江戸時代の建築技術を学びましょう。
- 天守台発掘現場:日本最大級の天守台の発掘現場を見学し、最新の考古学的発見に触れましょう。
- 紅葉山庭園で休憩:美しい日本庭園で抹茶を味わいながら、ゆったりとした時間を過ごしましょう。
- ボランティアガイド:無料のボランティアガイドを利用すると、駿府城の歴史をより深く理解できます。
周辺の観光スポット
駿府城公園周辺には、家康ゆかりの史跡や観光スポットが点在しています。
静岡浅間神社
駿府城から北へ約2キロメートルの場所にある静岡浅間神社は、家康が元服式を行った神社として知られています。豪華な社殿は国の重要文化財に指定されています。
久能山東照宮
駿府城から南東へ約10キロメートル、久能山の山頂に鎮座する久能山東照宮は、家康の遺骸が最初に埋葬された場所です。国宝の社殿は江戸初期の建築様式を今に伝えています。
静岡市美術館・静岡市歴史博物館
駿府城公園周辺には、静岡市の文化施設が集中しています。これらの施設では、駿府の歴史や家康に関する展示が行われています。
まとめ:駿府城の魅力
駿府城は、徳川家康が生涯で二度にわたり拠点とし、最期を迎えた歴史的に重要な城です。今川氏の時代から始まり、天正期と慶長期の二度の築城を経て、江戸時代には駿府城代により管理された歴史は、日本の戦国時代から江戸時代への変遷を象徴しています。
日本最大級の天守台、三重の堀を持つ壮大な縄張、高度な技術で築かれた石垣など、駿府城は城郭建築の粋を集めた存在でした。現在進行中の天守台発掘調査は、次々と新しい発見をもたらし、駿府城の真の姿を明らかにしつつあります。
現在の駿府城公園は、歴史的遺構を保存しながら、市民の憩いの場として、また観光スポットとして活用されています。復元された櫓や門、美しい日本庭園、そして発掘調査の現場見学など、多様な楽しみ方ができる場所です。
静岡市の中心地という便利な立地も魅力の一つです。静岡駅から徒歩圏内にあり、周辺には家康ゆかりの史跡も点在しているため、歴史散策の拠点として最適です。
徳川家康という日本史上最も重要な人物の一人が愛し、最期を迎えた駿府城。その壮大な歴史と現在進行形の発掘調査の成果を、ぜひ現地で体感してください。石垣に刻まれた刻印、堀に映る櫓の姿、そして地中から現れる巨大な天守台は、400年以上前の歴史を今に伝える貴重な遺産です。
駿府城公園を訪れれば、天下人徳川家康の息吹を感じることができるでしょう。
