長水城(兵庫県)

長水城(兵庫県)
所在地 〒671-2506 兵庫県宍粟市山崎町五十波1063

長水城(兵庫県)完全ガイド:羽柴秀吉に抗した宇野氏の山城と高石垣の魅力

長水城とは

長水城(ちょうずいじょう)は、兵庫県宍粟市山崎町片山・宇野に位置する標高584.8メートルの長水山山頂に築かれた山城です。長水山城(ちょうずいさんじょう)、または広瀬城(ひろせじょう)とも呼ばれています。

南北朝時代から戦国時代にかけて播磨国西部の要衝として機能したこの城は、現在でも中世山城としては珍しい高石垣が残り、兵庫県のお城100選にも選定されている貴重な史跡です。

長水城の歴史

南北朝時代の築城

長水城は、南北朝時代の文和年間(1352年~1356年)に、播磨守護を務めた赤松則祐(あかまつのりすけ)によって築かれたとされています。赤松氏は播磨国を中心に勢力を拡大した有力な守護大名であり、長水城は播磨西部の支配拠点として重要な役割を果たしました。

赤松則祐は南北朝の動乱期において足利尊氏に従い、播磨・備前・美作の守護として勢力を確立しました。長水城はこの時期、赤松氏の支配体制を支える重要な拠点の一つとして機能していたと考えられています。

嘉吉の乱と宇野氏の時代

嘉吉元年(1441年)に起きた嘉吉の乱は、長水城の歴史における大きな転換点となりました。この乱で赤松満祐が室町幕府第6代将軍足利義教を暗殺し、赤松氏は一時衰退します。

嘉吉の乱以降、長水城は赤松一門の名家である宇野氏の居城として使用されるようになりました。宇野氏は赤松氏の有力な一族であり、宍粟郡を中心とした地域の支配を任されていました。宇野氏は長水城を本拠地として、播磨西部における赤松氏の勢力維持に貢献しました。

羽柴秀吉の播磨攻めと落城

長水城の最期は、天正年間の羽柴秀吉による播磨攻めにあります。織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、天正5年(1577年)から播磨国の平定に乗り出しました。

当時の長水城主は宇野政頼とその子・祐清でした。宇野氏は毛利氏との関係が深く、織田方の羽柴秀吉に対して最後まで抵抗を続けました。天正8年(1580年)、羽柴勢の激しい攻撃を受けた長水城は、放火により落城しました。

この戦いで宇野政頼・祐清父子は一族郎党とともに討死し、宇野氏は滅亡することになります。城は炎上し、その後廃城となりました。

落城後の長水城

落城後、長水城の本丸跡には日蓮宗の真徳寺(しんとくじ)が建立されました。現在も真徳寺には、宇野政頼・祐清父子と一族郎党の供養塔が残されており、長水城で散った武将たちを偲ぶことができます。

長水城の構造と縄張り

梯郭式の城郭配置

長水城は標高584.8メートルの長水山山頂を中心に築かれた梯郭式(ていかくしき)の山城です。梯郭式とは、主郭から階段状に曲輪を配置する縄張り形式で、山の地形を活かした防御に優れた構造です。

最高所に本丸を置き、そこから南に張り出す尾根上に二ノ丸、さらにその先端から南東に伸びる尾根上に三ノ丸を配置しています。本丸の南東方向には10メートル以上の段差を持つ三段の大郭が続き、大郭の最下段からは北西方向に小郭群が接続する複雑な構造となっています。

本丸の構造

本丸は長水山の山頂部に位置し、城の中核をなす曲輪です。本丸からは東側の尾根先、さらに北側へと曲輪が配されており、多方向からの攻撃に備えた設計となっています。

本丸跡には現在、真徳寺が建てられていますが、周囲には見事な石垣が残されています。特に本丸の石垣は長水城の中でも最も迫力があり、訪れる者を圧倒します。

中世山城では珍しい高石垣

長水城の最大の見所は、中世山城としては珍しい高石垣です。一般的に中世の山城では土塁や切岸が主な防御施設であり、高い石垣を持つ城は限られています。

長水城の石垣は、山頂部を中心に広範囲に残されており、特に本丸周辺の石垣は高さと規模において圧倒的な存在感を示しています。これらの石垣は、宇野氏が長水城を本格的な拠点として整備した際に構築されたと考えられています。

石垣の積み方は野面積み(のづらづみ)と呼ばれる技法で、自然石をそのまま積み上げた素朴ながらも堅固な造りです。400年以上の時を経ても崩れることなく残っている石垣は、当時の石垣技術の高さを物語っています。

二ノ丸・三ノ丸

本丸から南方の尾根に配置された二ノ丸は、本丸を守る重要な防御ラインでした。さらに南東に伸びる尾根上の三ノ丸は、城の南側からの侵入を防ぐ役割を果たしていました。

これらの曲輪群は、それぞれ土塁や堀切によって区画されており、段階的な防御体制が構築されていたことがわかります。

大郭と小郭群

本丸の南東方向に展開する三段の大郭は、兵站や兵の駐屯に使用されたと考えられています。10メートル以上の段差を設けることで、防御性を高めるとともに、広い平坦地を確保していました。

大郭の最下段から北西方向に接続する小郭群は、より細かな防御施設として機能していたと推測されます。

長水城の遺構

石垣

前述の通り、長水城の最大の遺構は高石垣です。本丸を中心に山頂部には石垣が広範囲に残されており、特に本丸の石垣は高さ、規模ともに見応えがあります。

石垣は野面積みで、自然石を巧みに組み合わせた技術が見られます。一部には崩落している箇所もありますが、全体としては良好な保存状態を保っています。

土塁と堀切

石垣以外にも、曲輪を区画する土塁や、尾根を断ち切る堀切などの遺構が確認できます。これらは中世山城の典型的な防御施設であり、長水城の縄張りの複雑さを示しています。

曲輪(郭)

本丸、二ノ丸、三ノ丸をはじめとする複数の曲輪が良好な状態で残されています。各曲輪の平坦面は明瞭で、当時の城の規模を実感することができます。

真徳寺と供養塔

本丸跡に建てられた真徳寺には、宇野政頼・祐清父子と一族郎党の供養塔が残されています。この供養塔は、長水城で散った武将たちの霊を慰めるために建立されたもので、城の歴史を伝える貴重な史跡です。

長水城へのアクセス

所在地

〒671-2576 兵庫県宍粟市山崎町片山・宇野(長水山)

車でのアクセス

中国自動車道山崎ICから車で約15分程度で登山口付近まで到達できます。山の東側に自動車道があり、そこを登っていくと「城跡まで40分(1キロメートル)」の標識があります。この標識の脇に駐車スペースがあり、ここから徒歩で登山することになります。

登山ルート

長水城へは主に2つの登山ルートがあります。

東側登山道(推奨ルート)

山の東側の自動車道を登り、「城跡まで40分(1キロメートル)」の標識から登るルートです。比較的整備されており、標識もあるため初めての方にもおすすめです。登山時間は約40分~50分程度です。

南西側登山道(伊水小学校横)

山の南西にある伊水小学校横から登るルートもあります。こちらのルートも利用可能ですが、東側ルートに比べるとやや急な箇所があります。

登山時の注意事項

長水城は標高584.8メートルの山城であり、登山には相応の準備が必要です。

  • 服装:動きやすい服装と登山靴またはトレッキングシューズを着用してください。
  • 持ち物:飲料水、タオル、虫除けスプレー、熊鈴などを持参することをおすすめします。
  • 時間:往復で2時間程度を見込んでください。
  • 季節:夏場は虫が多く、冬場は積雪の可能性があります。春秋が登山に適しています。
  • 単独行動の注意:できるだけ複数人での登山を心がけ、単独の場合は登山計画を家族や知人に伝えておきましょう。

長水城の見所と楽しみ方

高石垣の迫力を体感

長水城最大の見所は、やはり本丸周辺の高石垣です。中世山城でこれほどの規模の石垣が残されているのは珍しく、城郭ファンにとっては必見の遺構です。

石垣の前に立つと、400年以上前の石積み技術の高さと、当時の城の威容を肌で感じることができます。様々な角度から石垣を観察し、写真撮影を楽しむのもおすすめです。

山頂からの眺望

標高584.8メートルの山頂からは、宍粟市の町並みや周辺の山々を見渡すことができます。天気の良い日には播磨地方の広大な景色が広がり、かつての城主たちもこの景色を眺めていたのかと思いを馳せることができます。

歴史ロマンを感じる

真徳寺の供養塔の前に立つと、羽柴秀吉の播磨攻めに最後まで抵抗した宇野氏の悲劇的な最期を偲ぶことができます。戦国時代の激動の歴史を肌で感じられる貴重な場所です。

縄張りの観察

本丸から二ノ丸、三ノ丸へと続く梯郭式の縄張りを実際に歩いて観察することで、中世山城の防御システムを理解することができます。各曲輪の配置や、土塁・堀切の位置関係を確認しながら歩くと、城の構造がより深く理解できます。

周辺の観光スポット

聖山城(ひじりやまじょう)

長水城と同じく宍粟市にある山城で、赤松氏の支城の一つです。長水城とセットで訪れる城郭ファンも多い城です。

篠ノ丸城

宍粟市内にある赤松氏関連の城跡で、長水城と合わせて播磨の山城巡りを楽しむことができます。

最上山公園もみじ山

宍粟市山崎町にある紅葉の名所で、秋には美しい紅葉を楽しむことができます。長水城登山の前後に立ち寄るのもおすすめです。

道の駅 播磨いちのみや

宍粟市の特産品や地元の新鮮な野菜を購入できる道の駅です。長水城訪問の際の休憩スポットとして便利です。

地図

長水城は兵庫県宍粟市山崎町片山・宇野に位置しています。中国自動車道山崎ICから北方向に車で約15分、長水山の山頂が城跡となります。

Googleマップなどで「長水城」または「長水山」で検索すると、登山口付近の位置が表示されます。カーナビを利用する場合は、「兵庫県宍粟市山崎町宇野」を目的地に設定し、現地の案内標識に従って進むとよいでしょう。

長水城を訪れる際のポイント

訪問に適した時期

長水城は山城のため、訪問には季節選びが重要です。

  • 春(4月~5月):新緑が美しく、気温も穏やかで登山に最適です。
  • 秋(10月~11月):紅葉が美しく、涼しい気候で登山しやすい時期です。
  • 夏(6月~9月):虫が多く、暑さも厳しいため、早朝の訪問がおすすめです。
  • 冬(12月~3月):積雪の可能性があり、登山には注意が必要です。

所要時間

登山口から山頂まで片道約40~50分、山頂での見学に30分~1時間、下山に約40分程度を見込むと、合計で2時間半~3時間程度の時間を確保しておくとよいでしょう。

装備と準備

  • 登山靴またはトレッキングシューズ
  • 動きやすい服装(長袖・長ズボン推奨)
  • 飲料水(500ml以上)
  • タオル、帽子
  • 虫除けスプレー(春~秋)
  • 熊鈴(野生動物対策)
  • カメラ(石垣や景色の撮影用)
  • 地図またはスマートフォン(GPS機能)

長水城の文化財的価値

長水城は、兵庫県のお城100選に選定されており、播磨地方の中世山城を代表する重要な史跡です。

中世山城としては珍しい高石垣が良好な状態で残されていることから、城郭研究においても貴重な資料となっています。また、羽柴秀吉の播磨攻めという戦国時代の重要な歴史的事件の舞台となったことから、歴史的価値も高く評価されています。

宇野氏の居城として、また赤松氏の支城として、播磨西部の中世史を物語る重要な遺跡として、今後も保存と活用が期待されています。

まとめ

長水城は、南北朝時代から戦国時代にかけての播磨国の歴史を今に伝える貴重な山城です。赤松則祐によって築かれ、宇野氏の居城として機能し、最終的には羽柴秀吉の播磨攻めによって落城したという劇的な歴史を持っています。

中世山城としては珍しい高石垣が残されており、城郭ファンならずとも一見の価値がある遺構です。標高584.8メートルの山頂からの眺望も素晴らしく、登山と歴史探訪を同時に楽しめるスポットとなっています。

兵庫県宍粟市を訪れる際には、ぜひ長水城に足を運び、戦国時代の歴史ロマンと中世山城の魅力を体感してください。

地図

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