永山城(大分県日田市)

永山城(大分県日田市)
所在地 〒877-0008 大分県日田市丸山2丁目1−23

永山城(大分県日田市)の歴史と見どころ完全ガイド – 丸山城から天領支配の拠点へ

永山城とは

永山城(ながやまじょう)は、大分県日田市丸山町に位置する江戸時代初期の平山城です。現在は月隈公園として整備され、市民の憩いの場となっています。この城は別名を丸山城(まるやまじょう)、月隈城(つきくまじょう)、豆田城とも呼ばれ、豊後国における重要な拠点として機能しました。

日田市中心部の丘陵地に築かれた永山城は、その後の日田陣屋とともに、江戸幕府の西国支配における重要な役割を果たした歴史的建造物です。石垣や水堀の一部が現存し、往時の姿を今に伝えています。

永山城の歴史

築城と小川光氏時代(1601年~1616年)

永山城の歴史は慶長6年(1601年)に始まります。関ヶ原の戦い後、小川光氏が豊後国日田に2万石で入封し、この地に城を築きました。当初は丸山城と称され、小川光氏が古城を改修して居城としたとされています。

小川光氏は徳川家康に仕えた武将で、関ヶ原の戦いでは東軍に属して功績を上げました。日田の地は筑後川の水運を利用できる交通の要衝であり、九州支配の重要拠点として選ばれたと考えられます。

慶長元年(1596年)頃に築城が開始されたという説もあり、小川氏時代には小規模な山城として機能していました。城下町の整備も進められ、日田の町の基礎が形成されていきました。

石川忠総による改名と拡張(1616年~1633年)

元和2年(1616年)、美濃国大垣から石川忠総が6万石で入封すると、城名は永山城と改称されました。石川忠総は徳川家の譜代大名であり、より大きな石高での入封は日田の重要性の高まりを示しています。

石川忠総は城の改築と拡張を行い、城郭としての機能を強化しました。石垣の整備や水堀の拡充が行われ、近世城郭としての体裁が整えられたと考えられます。また、城下町の発展にも力を入れ、商業の振興を図りました。

しかし、寛永10年(1633年)、石川忠総は下総国佐倉へ転封となり、永山城の藩城としての歴史は短期間で終わりを迎えます。

天領化と日田陣屋の設置(1633年~1868年)

石川忠総の転封後、日田は一時的に豊前国中津藩の小笠原長次と豊後国杵築藩の小笠原忠俊に分割して預けられましたが、寛永16年(1639年)に再び天領(幕府直轄地)となりました。

貞享3年(1686年)、永山城は正式に廃城となりますが、その麓には日田陣屋が設置されました。日田陣屋は西国筋郡代役所として機能し、九州における幕府の重要拠点となります。

西国筋郡代は九州の天領を統括する重要な役職で、日田陣屋からは九州各藩に睨みをきかせる形で幕府の権威が示されました。江戸中期から幕末まで、日田は天領支配の中心地として繁栄を続けます。

日田陣屋には代官所が置かれ、周辺の天領から年貢米が集められました。筑後川の水運を利用して、物資は大坂などへ運ばれ、日田は経済的にも重要な役割を果たしました。

明治以降と現代

明治維新後、日田陣屋は廃止され、永山城跡は長く放置されていました。昭和期に入ると、城跡は月隈公園として整備され、市民に開放されるようになります。

平成28年(2016年)の熊本地震では、永山城周辺でも石垣の崩落などの被害が発生しました。約3年以上にわたり城域への立ち入りが制限されましたが、地元の方々の熱意により石垣の復元工事が行われ、令和元年(2019年)秋から再公開されています。

現在、永山城跡は日田市の重要な歴史遺産として保存され、観光スポットとしても注目を集めています。

永山城の構造と縄張り

立地と地形

永山城は日田市中心部の丘陵地、標高約80メートルの小高い山に築かれた平山城です。三隈川(筑後川)と花月川の合流点近くに位置し、水運の要衝を押さえる戦略的な立地となっています。

城の東側は急峻な崖となっており、天然の要害を形成しています。西側と南側は比較的なだらかな斜面で、こちら側に主要な防御施設が配置されていました。

主要な構造物

本丸と二の丸

永山城の本丸は山頂部に位置し、現在の月隈公園の中心部にあたります。本丸の規模は比較的小さく、小規模な山城の特徴を残しています。

二の丸は本丸の西側に配置され、石川忠総時代の拡張により整備されたと考えられます。本丸と二の丸の間には堀切が設けられていた可能性があります。

石垣

永山城の最大の見どころの一つが石垣です。特に東側に残る石垣は、野面積みから打込接ぎへと移行する時期の技術を示す貴重な遺構となっています。

石垣は高さ3~5メートル程度のものが各所に残されており、当時の城郭の規模を偲ばせます。熊本地震で崩落した石垣も、可能な限り元の石材を使用して復元されており、文化財保護の観点からも重要な事例となっています。

水堀と土塁

城の周囲には水堀が巡らされていました。特に西側と南側には幅の広い水堀が設けられ、防御力を高めていました。現在、水堀の一部は埋め立てられて観光用の無料駐車場となっていますが、その形状から往時の規模を推測することができます。

土塁も各所に配置されていましたが、現存するものは少なく、わずかに痕跡が確認できる程度です。

日田陣屋の構造

永山城の麓に設置された日田陣屋は、代官所としての機能を持つ施設でした。陣屋には役所、役人の居住区、蔵などが配置され、水堀と土塁で囲まれていました。

日田陣屋の石垣と堀は現在も一部が残されており、特に石垣は良好な状態で保存されています。陣屋跡は現在、公共施設や住宅地となっていますが、所々に遺構を見ることができます。

永山城の見どころ

月隈公園からの眺望

月隈公園として整備された永山城跡からは、日田市街地を一望できます。特に本丸跡からの眺めは素晴らしく、三隈川や花月川の流れ、遠くの山々まで見渡すことができます。

春には桜の名所として知られ、多くの花見客で賑わいます。秋の紅葉も美しく、四季折々の風景を楽しむことができます。

復元された石垣

熊本地震からの復旧工事で丁寧に復元された石垣は、必見のポイントです。伝統的な石積み技術を用いた復元作業の様子を示す説明板も設置されており、文化財保護の取り組みを学ぶことができます。

東側の石垣は特に保存状態が良く、当時の石積み技術を間近に観察できます。石材の形状や積み方から、築城時期の違いを読み取ることも可能です。

日田陣屋跡の遺構

永山城から徒歩圏内にある日田陣屋跡も見逃せません。石垣と水堀の一部が良好な状態で残されており、天領支配の拠点としての規模を実感できます。

陣屋跡には説明板が設置されており、西国筋郡代役所としての機能や歴史について詳しく知ることができます。

城下町豆田町

永山城・日田陣屋とともに発展した城下町が豆田町です。江戸時代の町並みが良好に保存されており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

白壁の土蔵や格子戸の商家が軒を連ね、タイムスリップしたような雰囲気を味わえます。城跡見学と合わせて散策することで、より深く日田の歴史を理解できるでしょう。

アクセスと訪問情報

所在地

〒877-0016 大分県日田市丸山町(月隈公園)

交通アクセス

電車でのアクセス
  • JR久大本線「日田駅」から徒歩約15分
  • 駅前からタクシーを利用する場合は約5分
車でのアクセス
  • 大分自動車道「日田IC」から約10分
  • 九州自動車道「杷木IC」から約20分
駐車場

月隈公園には無料駐車場があります。かつての水堀跡を利用した駐車場で、約30台分のスペースがあります。桜の季節など混雑時は、周辺の有料駐車場の利用も検討してください。

見学情報

  • 開園時間: 24時間開放(月隈公園)
  • 入場料: 無料
  • 見学所要時間: 30~60分程度(日田陣屋跡や豆田町を含めると2~3時間)
  • トイレ: 公園内に公衆トイレあり
  • バリアフリー: 一部の遊歩道は整備されていますが、石垣周辺など急な坂道もあります

見学時の注意点

  • 石垣周辺は足場が悪い箇所があるため、歩きやすい靴での訪問をおすすめします
  • 夏場は虫除け対策、冬場は防寒対策をお忘れなく
  • 雨天時は石段が滑りやすくなるため注意が必要です
  • 石垣には登らないようにしましょう(文化財保護のため)

周辺の観光スポット

日田市豆田町重要伝統的建造物群保存地区

永山城から徒歩約10分の距離にある江戸時代の町並み。醤油蔵や酒蔵、商家などが保存されており、見学可能な施設も多数あります。

咸宜園跡

江戸時代後期の儒学者・広瀬淡窓が開いた私塾跡。国の史跡に指定されており、日本最大級の私塾として知られています。永山城から車で約5分。

日田祇園の曳山会館

日本三大祇園祭の一つ、日田祇園祭の山鉾を展示する施設。絢爛豪華な曳山を一年中見学できます。

三隈川の屋形船

日田の風物詩である屋形船。三隈川を船で巡りながら、川から永山城跡を眺めることもできます。

永山城に関連する書籍と資料

永山城や日田の歴史について、より深く知りたい方には以下の資料がおすすめです。

  • 『日田市史』(日田市教育委員会)- 日田の通史を網羅した基本資料
  • 『豊後国日田の城郭』(大分県教育委員会)- 永山城を含む豊後国の城郭研究書
  • 『西国筋郡代と日田』(地方史研究協議会)- 天領時代の日田を詳述
  • 『日本城郭大系 第17巻 大分・熊本』- 永山城の項目あり

日田市立淡窓図書館や日田市教育委員会文化財保護課では、より専門的な資料を閲覧することも可能です。

永山城の魅力と訪問の意義

永山城は、大規模な天守や壮大な石垣を持つ有名城郭と比較すると、規模は小さく地味な印象を受けるかもしれません。しかし、この城には他の城にはない独特の魅力があります。

まず、小川光氏から石川忠総へ、そして天領支配の拠点へという変遷は、江戸幕府の支配体制の変化を如実に示しています。藩城から陣屋へという転換は、幕府の西国支配戦略を理解する上で重要な事例です。

次に、城下町との一体的な保存が挙げられます。永山城跡、日田陣屋跡、豆田町の町並みが近接して残されており、城郭だけでなく城下町全体の歴史を体感できる貴重な場所となっています。

また、熊本地震からの復興という現代の物語も、この城の重要な側面です。被災した文化財をどのように保護し、復元するかという課題に地域が取り組んだ過程は、文化財保護の実践例として学ぶべき点が多くあります。

永山城を訪れることは、単に史跡を見学するだけでなく、日本の近世史、地域の文化、そして文化財保護の現在を学ぶ機会となるでしょう。大分県を訪れた際には、ぜひ日田市の永山城に足を運んでみてください。

まとめ

永山城(大分県日田市)は、江戸時代初期に築かれた平山城で、小川光氏による丸山城から石川忠総による永山城への改名、そして天領支配の拠点としての日田陣屋へと変遷した歴史を持ちます。

現在は月隈公園として整備され、石垣や水堀の遺構を見学できるほか、日田市街地を一望する眺望や四季折々の自然を楽しめます。熊本地震からの復興を経て、地域の歴史遺産として大切に保存されています。

城下町豆田町や日田陣屋跡など周辺の史跡と合わせて訪問することで、江戸時代の日田の姿をより深く理解することができるでしょう。日田駅から徒歩圏内というアクセスの良さも魅力の一つです。

大分県の歴史探訪、城郭巡りの際には、ぜひ永山城を訪れて、その歴史と魅力を体感してください。

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