増島城(岐阜県)

増島城(岐阜県)
所在地 〒509-4222 岐阜県飛騨市古川町片原町8−35
公式サイト https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/siseki/masujimajyou.html

増島城(岐阜県)完全ガイド|飛騨唯一の平城の歴史と見どころを徹底解説

増島城(ますしまじょう)は、岐阜県飛騨市古川町片原町に位置する、飛騨国では唯一の平城として知られる城郭です。山国である飛騨において珍しい平地の城であり、水堀と石垣が特徴的な構造を持っています。金森長近によって築かれたこの城は、京都の聚楽第と同じ縄張りを持つという興味深い歴史を持ち、現在は岐阜県指定史跡として保護されています。

増島城の歴史

築城の背景と金森長近の飛騨統治

増島城の歴史は、戦国時代末期の飛騨国統一に始まります。天正13年(1585年)、越前国大野城主であった金森長近は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の命を受けて飛騨国に侵攻しました。当時飛騨国を治めていた三木氏を攻略し、飛騨国を領国としたのです。

長近は飛騨国支配の拠点として、本城となる高山城を築城するとともに、支城として萩原諏訪城と増島城を築きました。増島城の建設が開始されたのは天正14年(1586年)で、古川国府盆地の中央、荒城川沿いという戦略的要衝に位置しています。この立地は、古川盆地を押さえる上で極めて重要な意味を持っていました。

聚楽第と同じ縄張りの謎

増島城の最も興味深い特徴の一つは、その縄張り(城の設計図)が豊臣秀吉の京都における居城・聚楽第と同じ形であったことが判明している点です。これは後の調査研究によって明らかになった事実で、なぜ飛騨の地に京都の聚楽第と同じ設計が採用されたのかは、歴史ロマンを感じさせる謎となっています。

金森長近は秀吉の部下として信頼を得ていた武将であり、秀吉の居城の設計を模倣することで、主君への忠誠を示すとともに、飛騨における権威を確立しようとした可能性が考えられます。

金森可重の入城と城主の変遷

増島城が完成すると、金森長近の養子である金森可重(かねもり ありしげ)が古川城から移り、増島城主となりました。可重は後に高山藩2代目藩主となる人物で、増島城の初代城主として古川盆地の統治にあたりました。

慶長13年(1608年)には金森可重が飛騨・高山城に入ると、その子である金森重近が増島城に入城しました。金森氏による飛騨支配において、増島城は高山城の重要な支城として機能し続けたのです。

一国一城令と古川旅館への改称

江戸時代に入り、元和元年(1615年)に徳川幕府が発令した一国一城令により、増島城は廃城となる運命を迎えます。しかし、完全に破却されたわけではなく、「古川旅館」と名を改めて存続することが許されました。

これは萩原諏訪城と同様の措置で、金森氏の別邸として機能を維持したのです。城としての軍事的役割は失われましたが、建物や施設は引き続き利用され、金森氏の飛騨支配における重要拠点としての地位は保たれました。

金森氏の転封と城の破却

元禄5年(1692年)、金森氏は出羽国上山藩(現在の山形県上山市)へ転封となりました。これにより飛騨国は江戸幕府の直轄地である天領となります。天領化に伴い、元禄8年(1695年)に増島城は高山城とともに正式に破却されました。

この破却により、城郭としての増島城は歴史の舞台から姿を消しましたが、石垣や水堀の一部は現在まで残り、往時の姿を今に伝えています。

増島城の構造と特徴

飛騨唯一の平城としての特異性

増島城は北飛騨唯一の平城として、飛騨の城郭史において特別な位置を占めています。飛騨国は山岳地帯が多く、多くの城が山城として築かれた中で、増島城は平地に築かれた平城でした。

平城は防御面では山城に劣りますが、政治・経済の中心地として機能しやすく、交通の要衝を押さえるのに適しています。古川盆地の中央という立地は、まさにこの平城の利点を最大限に活かしたものでした。

水堀と石垣の構造

増島城の防御システムの中核をなしたのが、水堀と石垣です。荒城川の水を利用した水堀が城を取り囲み、その内側に石垣が築かれていました。山国の飛騨において、水堀を持つ城は極めて珍しく、増島城の大きな特徴となっています。

石垣は当時の最新技術を用いて築かれており、金森氏の築城技術の高さを示しています。現在も残る石垣は、戦国末期から江戸初期の石垣技術を知る上で貴重な遺構となっています。

天守台と櫓台の配置

増島城には天守台が設けられていました。現在、この天守台の上には増島天満神社(気多若宮神社に合祀)の社殿と、その横に御蔵稲荷神社が鎮座しています。かつて天守や櫓が建っていた場所に神社が祀られるのは、日本の城跡ではよく見られる光景です。

天守台からは古川盆地を一望でき、かつての城主たちもこの場所から領地を見渡していたことでしょう。櫓台の石垣は現在も良好な状態で残っており、増島城の遺構の中でも特に見応えのある部分となっています。

現在の増島城跡の遺構

残存する石垣と水堀

現在の増島城跡には、櫓台の石垣と水堀の一部が良好な状態で残っています。特に櫓台の石垣は、当時の築城技術を直接見ることができる貴重な遺構です。石垣の積み方や使用されている石材から、戦国末期から江戸初期の石垣技術の特徴を読み取ることができます。

水堀も一部が現存しており、かつて城を取り囲んでいた防御システムの一端を今に伝えています。水堀に映る石垣の姿は、特に桜の季節には美しい景観を作り出し、多くの訪問者を魅了しています。

天守台の現状と神社

天守台は現在、古川小学校と飛騨市特別支援学校の間に位置しています。台上には増島天満神社と御蔵稲荷神社が祀られており、地域の信仰の場となっています。

天守台の周囲を歩くと、東西南北それぞれの方向から異なる角度で石垣を観察することができます。特に天守台西側、北側、東側、南東側からの眺めは、それぞれ異なる表情を見せ、写真撮影スポットとしても人気があります。

移築された城門の現存

増島城の遺構として特筆すべきは、移築された城門が現在も複数箇所に現存していることです。これらの門は増島城廃城後、近隣の寺院に移築され、大切に保存されてきました。

林昌寺の裏門:JR高山本線沿い東方向に位置する林昌寺には、増島城の裏門が移築されています。

圓光寺の表門:古川の中心街にある圓光寺には、増島城の表門が移築保存されています。

浄徳寺の門:北西方向約2~3kmの地点にある浄徳寺にも、増島城の門が移築されており、整備保存されています。

これらの移築門を巡ることで、増島城の往時の姿をより立体的にイメージすることができます。

増島城の見どころと観光情報

写真撮影スポット

増島城跡は、歴史的価値だけでなく、写真撮影スポットとしても魅力的な場所です。特に以下のポイントがおすすめです。

桜の季節の水堀と石垣:春には桜が咲き誇り、水堀に映る桜と石垣のコントラストが美しい景観を作り出します。

天守台からの眺望:天守台上からは古川盆地を見渡すことができ、飛騨の山々を背景にした風景写真が撮影できます。

石垣の質感:近接して撮影すると、石垣の積み方や石材の質感が際立ち、歴史の重みを感じる写真が撮れます。

各方向からの天守台:東西南北それぞれの角度から天守台を撮影すると、異なる表情を捉えることができます。

周辺の観光スポット

増島城跡を訪れた際には、周辺の観光スポットも合わせて巡ることをおすすめします。

飛騨古川の町並み:白壁土蔵が並ぶ美しい町並みは、飛騨古川のシンボルです。瀬戸川沿いの景観は特に有名で、映画やアニメの舞台にもなっています。

飛騨古川まつり会館:増島城の御城印はこちらで販売されています(300円)。飛騨古川祭の歴史や文化についても学ぶことができます。

気多若宮神社:増島天満神社が合祀されている神社で、飛騨古川の歴史と深く結びついています。

移築城門巡り:前述の林昌寺、圓光寺、浄徳寺を巡る城門ツアーも、増島城の歴史をより深く理解するのに最適です。

御城印情報

増島城の御城印は、城郭愛好家の間で人気の記念品となっています。

販売場所:飛騨古川まつり会館(飛騨市古川町壱之町14-5)
価格:300円

御城印を集めながら岐阜県内の城を巡るのも、歴史探訪の楽しみ方の一つです。増島城は岐阜県内27城の御城印巡りの一つとして注目されています。

アクセス情報

基本情報

所在地:岐阜県飛騨市古川町片原町8-35
指定:岐阜県指定史跡
見学:自由(無料)

公共交通機関でのアクセス

JR利用:JR高山本線「飛騨古川駅」下車、徒歩約5分

飛騨古川駅は特急「ワイドビューひだ」の停車駅でもあり、名古屋や富山方面からのアクセスが便利です。駅から増島城跡までは徒歩圏内で、道中には飛騨古川の美しい町並みを楽しむことができます。

自動車でのアクセス

高速道路

  • 東海北陸自動車道「飛騨清見IC」から国道158号・41号経由で約30分
  • 中部縦貫自動車道「高山IC」から国道41号経由で約20分

駐車場:増島城跡の近くには専用駐車場がありませんが、JR飛騨古川駅裏に無料駐車場があり、そこから徒歩数分で城跡に到着できます。また、飛騨古川まつり会館周辺にも駐車場があります。

訪問時の注意点

  • 城跡の一部は学校敷地に隣接しているため、見学の際は学校活動の妨げにならないよう配慮が必要です。
  • 石垣や水堀は貴重な文化財ですので、登ったり傷つけたりしないよう注意しましょう。
  • 移築城門を巡る場合は、各寺院の参拝マナーを守りましょう。
  • 桜の季節(4月上旬~中旬)は特に美しいですが、混雑することもあります。

増島城と飛騨の歴史的意義

金森氏の飛騨支配における役割

増島城は、金森氏による飛騨国支配において重要な役割を果たしました。高山城を本城とする金森氏の支配体制において、増島城は古川盆地という重要地域を押さえる拠点でした。

古川盆地は飛騨国の穀倉地帯であり、経済的にも重要な地域でした。この地を確実に支配下に置くことは、金森氏の飛騨支配を安定させる上で不可欠だったのです。

天領時代の飛騨と増島城跡

金森氏の転封後、飛騨国は江戸幕府の天領となりました。天領化により増島城は破却されましたが、この時期の飛騨は幕府の直接統治下で独自の発展を遂げます。

増島城があった古川の地は、天領時代も飛騨の重要な町として栄え続けました。城は失われましたが、城下町として発展した町並みは現在も残り、「飛騨の小京都」として多くの観光客を魅了しています。

現代における文化財としての価値

岐阜県指定史跡として保護されている増島城跡は、飛騨地方の歴史を伝える貴重な文化財です。特に飛騨唯一の平城という特異性、聚楽第と同じ縄張りという興味深い特徴、そして現存する石垣や水堀、移築城門など、多面的な歴史的価値を持っています。

地域住民による保存活動や、観光資源としての活用も進んでおり、歴史教育や地域振興の面でも重要な役割を果たしています。

まとめ

増島城は、金森長近が築いた飛騨国唯一の平城として、独特の歴史的価値を持つ城郭です。天正14年(1586年)の築城から元禄8年(1695年)の破却まで、約110年間にわたって飛騨の歴史の重要な舞台となりました。

現在は石垣と水堀の一部、そして移築された城門が残るのみですが、それらの遺構は当時の姿を今に伝える貴重な文化財となっています。特に桜の季節の美しさは格別で、歴史愛好家だけでなく多くの観光客を魅了しています。

JR飛騨古川駅から徒歩圏内というアクセスの良さも魅力で、飛騨古川の美しい町並み散策と合わせて訪れることができます。御城印の収集や移築城門巡りなど、様々な楽しみ方ができるのも増島城の特徴です。

飛騨を訪れた際には、ぜひ増島城跡に足を運び、金森氏の時代に思いを馳せながら、飛騨の歴史と文化に触れてみてはいかがでしょうか。

参考文献

増島城に関する情報は、以下のような資料や文献から得ることができます。

  • 飛騨市教育委員会による史跡案内板
  • 岐阜県文化財保護センターの調査報告書
  • 『飛騨の城館』などの地域史研究書
  • 日本城郭協会発行の城郭関連書籍
  • 飛騨古川まつり会館での展示資料

より詳しく増島城について知りたい方は、飛騨古川まつり会館や飛騨市図書館などで関連資料を閲覧することをおすすめします。

地図

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