五覧田城(群馬県)

五覧田城(群馬県)
所在地 〒376-0306 群馬県みどり市東町荻原 G79R+J3
公式サイト https://www.hb.pei.jp/shiro/kouzuke/goranda-jyo/

五覧田城(群馬県)完全ガイド:上杉謙信も攻めた標高593mの山城の歴史と見所

五覧田城とは

五覧田城(ごらんだじょう)は、群馬県みどり市東町荻原に位置する戦国時代の山城です。五乱田城とも表記され、上野国(現在の群馬県)の重要な戦略拠点として機能していました。標高592.9m(一部資料では593m)、比高約300mという関東屈指の険しい山城で、沼田方面から黒川谷(渡良瀬渓谷)に通じる根利道の要衝に築かれています。

みどり市指定史跡として保護されており、史跡としての指定面積は23.4haに及びます。戦国時代には越後の上杉謙信、新田金山城(太田市)の由良氏、深沢城(桐生市黒保根町)の阿久沢氏による激しい争奪の舞台となり、この地域の戦略的重要性を物語っています。

五覧田城の歴史

築城の背景と戦略的重要性

五覧田城は、沼田方面からの敵の侵入に備えて築城された山城です。赤城山の東北に位置し、黒川谷を通じて越後方面と上野国南部を結ぶ交通の要所を押さえる立地にありました。この地理的条件が、戦国時代を通じて多くの勢力がこの城を巡って争う原因となりました。

城の構造は連郭式山城で、主郭を中心に逆T字型に尾根筋に沿って曲輪群が配置されています。険しい地形を最大限に活用した縄張りは、防御力の高さを示しています。

天正2年(1574年)上杉謙信の攻略

五覧田城の歴史で最も重要な出来事の一つが、天正2年(1574年)3月の上杉謙信による攻略です。越後から関東に侵攻した上杉謙信は、深沢城とともに五覧田城を攻め落としました。謙信は深沢城を確保して拠点としましたが、五覧田城については破棄したとされています。

しかし、同年9月には由良成繁(由良国繁)が五覧田城を攻略し、支配下に置きました。この短期間での支配者の変遷は、この城が持つ戦略的価値の高さと、同時に維持の困難さを示しています。

由良氏と阿久沢氏の争奪

上杉謙信が五覧田城を支配下に置いた目的の一つは、由良氏の太田金山城を攻撃するための前進拠点とすることでした。由良氏は上野国南部の有力豪族で、新田金山城を本拠としていました。一方、深沢城を拠点とする阿久沢氏も、この地域で勢力を持っていました。

五覧田城は、これら地域勢力の境界に位置していたため、由良氏、阿久沢氏、そして越後の上杉氏という三者の争奪の対象となりました。時には真田勢の支配下に入ることもあったとされ、戦国時代の複雑な勢力図を反映しています。

北条氏との関係と廃城

戦国時代後期には、関東を支配する北条氏との関係も重要になってきます。由良氏は時に北条氏と同盟し、時に敵対するという複雑な関係を保っていました。北条氏直の時代には、この地域の勢力バランスがさらに変化しました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅亡すると、五覧田城も役割を終え、廃城となったと考えられています。戦国時代の終焉とともに、この山城の歴史も幕を閉じました。

五覧田城の構造と見所

城の縄張りと曲輪配置

五覧田城は、標高593mの山頂に主郭を配置し、そこから尾根筋に沿って曲輪群を展開する連郭式山城です。全体の配置は逆T字型を呈しており、主要な尾根上に複数の曲輪が連なっています。

主郭は山頂部に位置し、城の中核をなす空間です。ここからの眺望は優れており、周辺の地形を広く見渡すことができます。戦国時代には、この主郭から敵の動きを監視し、防御の指揮を執ったことでしょう。

土塁と堀切の防御施設

五覧田城の防御施設として特筆すべきは、土塁と堀切です。土塁は曲輪の周囲に築かれ、敵の侵入を防ぐとともに、曲輪内部を守る役割を果たしていました。現在でも各所に土塁の痕跡を確認することができます。

堀切は尾根筋を遮断する形で設けられており、敵の進軍を阻む重要な防御ラインとなっていました。山城特有の地形を活かした普請(土木工事)の技術が、これらの遺構から読み取れます。

曲輪群の配置と機能

主郭を中心に、複数の曲輪が階段状に配置されています。各曲輪は防御ラインとして機能するとともに、兵士の駐屯地や物資の貯蔵場所としても使用されていたと考えられます。

曲輪間の高低差や配置からは、攻め手に対して段階的な防御を行う設計思想が見て取れます。比高300mという高低差も、敵の攻城を困難にする大きな要素でした。

遺構の現状と保存状態

現在、五覧田城址は山林となっていますが、主郭、土塁、堀切などの遺構は比較的良好に残されています。みどり市の指定史跡として保護されており、城郭ファンや歴史愛好家の訪問を受け入れています。

標高が高く険しい地形のため、人の手が入りにくく、それが結果として遺構の保存に寄与している面もあります。ただし、自然の風化や樹木の成長により、徐々に変化している部分もあります。

五覧田城へのアクセスと訪問ガイド

公共交通機関でのアクセス

五覧田城へのアクセスは、わたらせ渓谷鐵道「花輪駅」が最寄り駅となります。花輪駅から城址までは徒歩で約60分から90分程度を要します。アクセスには大きく二段階のルートがあり、合計で1時間以上の徒歩が必要です。

公共交通機関を利用する場合は、時間に余裕を持った計画が必要です。特に帰りの列車の時刻を事前に確認しておくことをお勧めします。わたらせ渓谷鐵道は本数が限られているため、乗り遅れると長時間待つことになります。

車でのアクセスと駐車場

車でアクセスする場合は、国道122号線を利用します。小黒川を渡り800m程進んだ所に鋭角に山側に入る道があり、ここに五覧田城の道標が設置されています。この標識を目印に進むとよいでしょう。

林道を進むと駐車スペースがありますが、広くはないため、複数台で訪問する場合は注意が必要です。林道の状態は天候や季節によって変化するため、特に雨天後や冬季は注意が必要です。四輪駆動車での訪問が望ましい場合もあります。

登城ルートと所要時間

駐車場から城址までは、山道を登ることになります。比高300mという高低差があるため、相応の体力が必要です。登城には往復で2時間から3時間程度を見込んでおくとよいでしょう。

登山道は整備されている部分もありますが、険しい箇所もあります。登山靴やトレッキングシューズなど、滑りにくい靴を着用することを強くお勧めします。また、飲料水や軽食、雨具などを携行することも重要です。

訪問時の注意点

五覧田城は本格的な山城であり、訪問には以下の点に注意が必要です:

  • 体力と装備:比高300mの登山となるため、相応の体力と登山装備が必要です。
  • 季節と天候:夏季は熱中症対策、冬季は防寒対策が必須です。雨天時は足元が滑りやすくなります。
  • 単独行動の回避:できれば複数人での訪問が望ましいです。携帯電話の電波状況も事前に確認しましょう。
  • 時間管理:日没前に下山できるよう、余裕を持った時間配分を心がけてください。
  • 自然環境の保護:史跡であり自然環境でもあるため、ゴミの持ち帰りや植生の保護にご協力ください。

五覧田城周辺の見所と観光情報

周辺の城郭

五覧田城を訪れる際には、周辺の城郭も併せて見学することで、この地域の戦国史をより深く理解できます。

深沢城:桐生市黒保根町にある阿久沢氏の居城で、五覧田城と密接な関係にありました。上杉謙信が五覧田城とともに攻略した城です。

高津戸城:みどり市内にある城で、渡良瀬川沿いの要衝に位置していました。高津戸峡という景勝地も近くにあります。

金山城(太田市):由良氏の本拠地で、関東屈指の山城として知られています。石垣が良好に残る国指定史跡です。

みどり市の観光スポット

みどり市には五覧田城以外にも魅力的な観光スポットがあります:

わたらせ渓谷鐵道:旧国鉄足尾線を引き継いだ第三セクター鉄道で、渡良瀬川沿いの美しい景色を楽しめます。トロッコ列車も運行されています。

草木ダムと草木湖:昭和52年(1977年)に完成したダムで、周辺は自然豊かな景観が広がります。

富弘美術館:みどり市出身の詩画作家・星野富弘氏の作品を展示する美術館です。草木湖畔に位置しています。

地域の歴史文化

みどり市東町地域は、かつて銅山で栄えた足尾地域に近く、鉱山の歴史とも関わりがあります。また、渡良瀬川の清流と山々に囲まれた自然環境は、古くから人々の生活を支えてきました。

戦国時代には、この地域は越後と関東を結ぶ重要な通路であり、軍事的にも経済的にも重要な位置を占めていました。五覧田城はその象徴的な存在といえるでしょう。

五覧田城の魅力と歴史的価値

関東屈指の山城としての特徴

五覧田城は、標高593m、比高300mという数値が示すとおり、関東地方でも屈指の本格的な山城です。これだけの高低差を持つ山城は関東では珍しく、城郭研究の観点からも貴重な存在です。

険しい地形を最大限に活用した縄張りは、戦国時代の築城技術を今に伝えています。土塁や堀切といった防御施設の配置からは、当時の軍事思想や戦術を読み取ることができます。

戦国時代の勢力争いの舞台

五覧田城の歴史的価値は、上杉謙信、由良氏、阿久沢氏という戦国時代の有力勢力が争奪を繰り広げた舞台であるという点にもあります。特に上杉謙信という戦国時代を代表する武将が攻略した城として、歴史ファンには特別な意味を持ちます。

天正2年(1574年)の謙信の関東侵攻は、関東の勢力図を大きく揺るがす出来事でした。五覧田城はその重要な一駒を担った城であり、当時の緊迫した情勢を物語る史跡なのです。

地域史における重要性

群馬県東部、特にみどり市周辺の戦国史を理解する上で、五覧田城は欠かせない存在です。沼田方面と南部を結ぶ交通路の要衝として、この城が果たした役割は大きなものでした。

上野国の戦国史は、上杉氏、武田氏、北条氏という大勢力の狭間で、地域の豪族たちが生き残りをかけて戦った歴史でもあります。五覧田城の変遷は、そうした時代の縮図といえるでしょう。

城郭ファンにとっての魅力

城郭ファンにとって、五覧田城は以下のような魅力があります:

  • 本格的な登山を伴う山城体験:比高300mの登城は達成感があり、山城の醍醐味を味わえます。
  • 良好に残る遺構:主郭、土塁、堀切などの遺構が比較的良好に残されています。
  • 歴史的背景の深さ:上杉謙信という著名な武将が関わった歴史があります。
  • 静かな環境:アクセスの困難さから訪問者は限られ、静かに城址を味わえます。

五覧田城の今後の保存と活用

史跡としての保存

みどり市指定史跡として保護されている五覧田城ですが、山林の中にあるため、自然の風化や樹木の成長による影響を受けています。今後も適切な保存管理が求められます。

定期的な見回りや必要に応じた整備により、遺構を後世に伝えていくことが重要です。同時に、過度な整備によって遺構本来の姿を損なわないよう、バランスの取れた保存が求められます。

観光資源としての活用

五覧田城は、みどり市の貴重な歴史文化資源です。わたらせ渓谷鐵道や富弘美術館などと組み合わせた観光ルートの開発により、地域の活性化に貢献する可能性があります。

ただし、本格的な山城であるため、万人向けの観光地とすることは難しい面もあります。城郭ファンや歴史愛好家、登山愛好家など、ターゲットを明確にした情報発信が効果的でしょう。

教育への活用

地域の学校教育において、五覧田城は郷土の歴史を学ぶ貴重な教材となります。戦国時代の地域史、城郭建築、当時の人々の生活など、多角的な学習が可能です。

安全に配慮しながら、子どもたちが実際に城址を訪れる機会を設けることで、歴史への興味を喚起し、郷土愛を育むことができるでしょう。

まとめ

五覧田城(群馬県みどり市)は、標高593m、比高300mという関東屈指の本格的な山城です。戦国時代には沼田方面からの交通路を押さえる戦略的要衝として、上杉謙信、由良氏、阿久沢氏による激しい争奪の舞台となりました。

天正2年(1574年)に上杉謙信が深沢城とともに攻略し、その後も支配者が変遷した歴史は、この城の重要性を物語っています。天正18年(1590年)の廃城後、現在はみどり市指定史跡として保護され、主郭、土塁、堀切などの遺構が良好に残されています。

アクセスには相応の時間と体力が必要ですが、それだけに達成感があり、山城の魅力を存分に味わえる城址です。群馬県東部の戦国史に興味がある方、本格的な山城を体験したい城郭ファンにとって、五覧田城は訪れる価値のある史跡といえるでしょう。

周辺の深沢城や高津戸城、太田市の金山城などと併せて訪問することで、この地域の戦国時代をより深く理解することができます。わたらせ渓谷鐵道の旅と組み合わせれば、歴史と自然を楽しむ充実した旅となるでしょう。

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