岩村城

所在地 〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町城山
公式サイト https://iwamura.jp/

岩村城完全ガイド|日本三大山城の歴史・見どころ・アクセス情報

岩村城とは

岩村城(いわむらじょう)は、岐阜県恵那市岩村町に位置する日本屈指の山城です。標高717mという江戸時代の諸藩の府城の中でも最も高い場所に築かれ、奈良県の高取城、岡山県の備中松山城と並んで日本三大山城の一つに数えられています。

別名「霧ヶ城」とも呼ばれるこの名城は、鎌倉時代初期に遠山氏によって築かれたとされ、戦国時代には織田信長と武田信玄の争奪戦の舞台となり、江戸時代には岩村藩の中心として繁栄しました。現在は石垣や曲輪などの遺構が良好に残り、財団法人日本城郭協会により「日本100名城」(第38番)に選定されています。

岩村城の基本情報

  • 所在地: 岐阜県恵那市岩村町
  • 標高: 717m(本丸)
  • 高低差: 約180m
  • 城郭形式: 梯郭式山城
  • 築城年: 文治元年(1185年)伝承
  • 築城者: 加藤景廉(伝承)
  • 主要城主: 遠山氏、織田氏、松平氏ほか
  • 廃城年: 明治6年(1873年)
  • 指定: 国指定史跡(昭和2年指定)

岩村城の歴史・沿革

鎌倉時代:城の創建と遠山氏

岩村城の築城については、文治元年(1185年)に源頼朝の重臣であった加藤景廉が築いたという伝承があります。加藤景廉は遠山荘の地頭に任命され、その子孫が遠山氏を名乗り、岩村遠山氏として代々この地を治めました。

遠山氏は鎌倉幕府の御家人として、東濃地方における重要な勢力となり、岩村城を本拠として勢力を拡大していきました。当初は山頂部に簡素な砦が築かれた程度でしたが、時代とともに城郭が拡張されていったと考えられています。

戦国時代:織田・武田の争奪戦

戦国時代に入ると、岩村城は東美濃の要衝として重要性を増します。信濃国から木曽街道を経て三河国へ抜ける街道の要地に位置していたため、戦略的価値が極めて高かったのです。

永禄年間、岩村城主の遠山景任が若くして没すると、その未亡人(おつやの方、後の岩村御前)が城を守ることになります。織田信長は叔母にあたるおつやの方を後見として、岩村城の支配を固めようとしました。

元亀3年(1572年)、武田信玄が西上作戦を開始すると、武田氏の重臣・秋山虎繁(秋山信友)が岩村城を攻撃します。おつやの方は秋山虎繁と婚姻することで和睦し、岩村城は武田氏の支配下に入りました。この時のおつやの方が「女城主」として後世に語り継がれることになります。

天正元年(1573年)に武田信玄が没した後、織田信長は岩村城奪還を目指します。天正3年(1575年)、長篠の戦いで武田軍を破った織田軍は、信長の嫡男・織田信忠を総大将として岩村城を包囲。5ヶ月に及ぶ籠城戦の末、城は開城し、秋山虎繁とおつやの方は処刑されました。

その後、岩村城には織田一族の河尻秀隆が城主として入り、本格的な石垣造りの近世城郭への改修が進められたと考えられています。

江戸時代:岩村藩の成立と歴代城主

江戸時代に入ると、岩村城は岩村藩3万石の藩庁として整備されました。関ヶ原の戦い後、徳川家康の重臣・松平家乗が城主となり、以後、幕末まで複数の大名家が入れ替わりながら治めました。

主な江戸時代の城主

  1. 松平家乗(1601年~):2万石で入封
  2. 丹羽氏信(1610年~):2万石
  3. 松平乗寿(1612年~):3万石
  4. 大給松平氏(1702年~1871年):最も長く岩村を治めた家系

江戸時代の岩村城は、山頂の本丸を中心に二の丸、八幡曲輪、帯曲輪などが階段状に配置される梯郭式の縄張りとなっていました。山麓には藩主居館や藩庁が置かれ、城下町も整備されました。

現在見られる壮大な石垣の多くは、この江戸時代初期から中期にかけて構築されたものです。特に本丸周辺の高石垣は、山城としては例外的な規模を誇り、技術的にも高度なものでした。

明治時代:廃城と現在

明治維新後、明治4年(1871年)の廃藩置県により岩村藩は廃藩となり、明治6年(1873年)の廃城令により岩村城も正式に廃城となりました。城内の建造物は次々と取り壊され、太鼓櫓などの建物も失われました。山麓の藩主邸も明治14年(1881年)の火災で焼失しています。

しかし、山上の石垣は取り壊されることなく残され、昭和2年(1927年)に国の史跡に指定されました。現在は恵那市が管理し、岩村城跡として一般に公開されています。本丸までは登山道が整備され、多くの歴史愛好家や観光客が訪れる名所となっています。

岩村城の構造と特徴

城郭の縄張り

岩村城は標高717mの城山山頂に本丸を配し、そこから東側の尾根筋に沿って二の丸、八幡曲輪、帯曲輪、東曲輪などを階段状に配置した梯郭式山城です。高低差約180mの急峻な地形を巧みに利用した要害堅固な縄張りとなっています。

山頂部の主郭群は総石垣造りで、本丸を中心に複雑に折れ曲がった石垣が多重に配置されています。これにより、攻め手に対して複数の方向から攻撃できる構造となっており、防御力を高めています。

山麓には居館地区があり、藩主の住まいや藩庁、家臣の屋敷などが配置されていました。現在は岩村歴史資料館などが建てられています。

日本最高所の山城

岩村城の本丸は標高717mに位置し、江戸時代の諸藩の府城(藩の中心となる城)の中では最も高い場所に築かれた城として知られています。これは単なる山城ではなく、藩政の中心として機能した城としては日本最高所という意味で特筆されます。

この高所という立地は、軍事的には優れた視界と防御力をもたらしましたが、一方で日常生活や物資の輸送には大きな困難を伴いました。そのため、実際の政務は山麓の居館で行われることが多かったと考えられています。

霧ヶ城の由来

岩村城が「霧ヶ城」と呼ばれる由来には、気象条件と伝説の両面があります。

城山一帯は霧が発生しやすい地形・気候条件にあり、特に早朝には城全体が霧に包まれることが多くあります。この自然現象が城の防御にも利用されたと考えられており、霧によって城の位置や規模を敵に悟られにくくする効果がありました。

また、城内には「霧ヶ井」という藩主専用の井戸があり、この井戸にまつわる伝説があります。城内に秘蔵されていた大蛇の骨をこの井戸に投げ入れると、たちまち霧が立ち込めて城を覆い隠したという言い伝えです。この伝説も「霧ヶ城」の別名の由来となっています。

豊富な水源:17ヵ所の井戸

山城の弱点は一般的に水の確保ですが、岩村城には城内に17ヵ所もの井戸があったとされ、水が豊富でした。これは山城としては極めて珍しく、長期の籠城戦にも耐えられる要因となっていました。

前述の「霧ヶ井」のほか、本丸の「本丸井戸」、二の丸の井戸など、各曲輪に井戸が配置されていました。現在も一部の井戸跡を確認することができます。

岩村城の見どころ

六段壁(六段の石垣)

岩村城の最大の見どころは、本丸北東側に築かれた六段壁(ろくだんへき)と呼ばれる石垣群です。その名の通り、6段に重ねられた高石垣で、総高は約20mにも達します。

各段の石垣は緩やかな勾配で積み上げられており、美しい曲線を描いています。この六段壁は岩村城のシンボル的存在であり、山城にこれほどの規模の石垣が築かれている例は全国的にも稀です。

石垣の積み方は「打込接」(うちこみはぎ)という技法で、石の角や面を加工して隙間を減らす方法が用いられています。江戸時代初期から中期の技術レベルを示す貴重な遺構です。

本丸と石垣

本丸は城の最高所に位置し、周囲を高さ数メートルの石垣で囲まれています。本丸内部は比較的平坦で、かつては櫓や御殿などの建物があったと考えられていますが、現在は礎石などの遺構がわずかに残るのみです。

本丸からの眺望は素晴らしく、晴れた日には恵那山をはじめとする中央アルプスの山々、眼下には岩村の城下町を一望できます。この視界の良さが、軍事的な監視機能を果たしていたことがよくわかります。

二の丸・八幡曲輪

本丸の東側には二の丸、さらにその東に八幡曲輪が配置されています。これらの曲輪も石垣で囲まれており、階段状の縄張りがよくわかります。

八幡曲輪には八幡神社が祀られていたとされ、城の守護神として信仰されていました。現在も神社の痕跡を確認することができます。

登城道と虎口

本丸へ至る登城道は、山麓から急峻な坂道を登るルートとなっており、途中にいくつもの虎口(出入口)や門跡があります。

特に「一の門」「土岐門」などの虎口は、石垣で囲まれた狭い通路となっており、防御機能の高さがうかがえます。敵の侵入を阻むための工夫が随所に見られ、山城の築城技術を学ぶことができます。

太鼓櫓跡と出丸

山麓近くには太鼓櫓があった場所があり、時刻を知らせる太鼓が置かれていました。また、出丸と呼ばれる独立した曲輪もあり、城の防御ラインを前方に押し出す役割を果たしていました。

藩主居館跡

山麓には藩主の居館があった場所が残されており、現在は岩村歴史資料館が建てられています。資料館では岩村城の歴史や遺物、女城主の伝説などについて詳しく学ぶことができます。

女城主の伝説

岩村城を語る上で欠かせないのが「女城主」の伝説です。戦国時代、織田信長の叔母であるおつやの方(岩村御前)が城主として岩村城を守った物語は、多くの人々を魅了してきました。

おつやの方の生涯

おつやの方は織田信長の父・織田信秀の妹(または姉)とされ、遠山景任に嫁ぎました。しかし景任が若くして没したため、幼い養子とともに岩村城を守ることになります。

武田信玄の西上作戦により秋山虎繁が岩村城を攻めた際、おつやの方は城兵や領民を守るため、秋山虎繁との婚姻による和睦を選択しました。これにより岩村城は無血開城され、武田氏の支配下に入ります。

しかし、長篠の戦い後に織田軍が岩村城を奪還した際、おつやの方は秋山虎繁とともに処刑されてしまいます。信長にとって叔母であったにもかかわらず厳しい処分が下されたことは、戦国時代の非情さを物語っています。

女城主ブームと現代の評価

近年、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送などをきっかけに、戦国時代の女性城主への関心が高まっています。おつやの方も「日本三大女城主」の一人として数えられることがあり、岩村城の観光においても重要な要素となっています。

岩村町では女城主の歴史を活かした町おこしが行われており、「女城主の里」として観光PRが展開されています。

城下町の魅力

岩村城の麓に広がる岩村城下町は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、江戸時代の町並みが良好に保存されています。

岩村本通り

城下町のメインストリートである「岩村本通り」は、約1.3kmにわたって江戸時代から明治時代の商家や町家が建ち並んでいます。格子戸や卯建(うだつ)を上げた建物、石畳の道など、歴史情緒あふれる景観が楽しめます。

商家と酒蔵

岩村は古くから商業の町として栄え、現在も老舗の商家や酒蔵が営業を続けています。特に「岩村醸造」などの造り酒屋では、伝統的な酒造りが行われており、見学や試飲も可能です。

グルメとお土産

城下町では、五平餅、栗きんとん、からすみ(和菓子)などの郷土グルメを味わうことができます。また、地酒や伝統工芸品などのお土産も充実しています。

アクセス・観光情報

電車でのアクセス

  • JR中央本線「恵那駅」下車
  • 恵那駅から明知鉄道に乗り換え、「岩村駅」下車(約30分)
  • 岩村駅から岩村城跡本丸まで徒歩約40分~60分(登山)
  • 岩村駅から城下町は徒歩すぐ

車でのアクセス

  • 中央自動車道「恵那IC」から約20分
  • 岩村城跡には山麓と中腹に駐車場あり
  • 本丸まで徒歩約20分~30分(中腹駐車場から)

見学情報

  • 見学時間: 自由(ただし夜間は危険)
  • 入場料: 無料
  • 所要時間: 本丸往復で1~2時間、城下町散策含めて3~4時間
  • ベストシーズン: 春(桜)、秋(紅葉)、早朝(霧の城を体験)

岩村歴史資料館

  • 開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
  • 休館日: 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
  • 入館料: 大人300円、小中学生150円
  • 展示内容: 岩村城の歴史、女城主関連資料、城下町の歴史など

注意事項

  • 本丸までは山道を登るため、歩きやすい靴と服装が必要
  • 夏季は虫除け対策、冬季は積雪・凍結に注意
  • 水分補給の準備を忘れずに
  • 石垣は登らない、崩さないこと

周辺の観光スポット

岩村本通り(重伝建地区)

前述の通り、重要伝統的建造物群保存地区に選定された歴史的町並み。岩村城とセットで訪れたいスポットです。

農村景観日本一展望所

岩村城の東側にある展望台で、農村景観日本一に選ばれた美しい田園風景を一望できます。

恵那峡

恵那市を代表する景勝地で、木曽川の渓谷美と遊覧船が楽しめます。岩村城から車で約30分。

明知鉄道

ローカル線の旅が楽しめる明知鉄道は、四季折々の風景の中を走ります。特に秋の紅葉シーズンは絶景です。

岩村城の文化財としての価値

国指定史跡

岩村城跡は昭和2年(1927年)に国の史跡に指定されました。中世から近世にかけての山城の発展過程を示す貴重な遺跡として、学術的価値が高く評価されています。

日本100名城

財団法人日本城郭協会が選定した「日本100名城」の第38番に選ばれています。100名城スタンプは岩村歴史資料館で押すことができます。

日本三大山城

奈良県の高取城(標高583m)、岡山県の備中松山城(標高430m)とともに日本三大山城に数えられます。いずれも見事な石垣を持つ山城として知られています。

岩村城の四季

春:桜と新緑

4月上旬から中旬にかけて、城跡周辺や登城道沿いに桜が咲き誇ります。石垣と桜のコントラストが美しく、写真撮影にも最適です。

夏:緑濃い山城

夏は深い緑に包まれた山城の雰囲気を楽しめます。早朝に訪れると霧に包まれた幻想的な「霧ヶ城」を体験できることがあります。

秋:紅葉の名所

10月下旬から11月上旬にかけて紅葉が見頃を迎えます。色づいた木々と石垣の組み合わせが絶景を作り出します。

冬:雪化粧の城跡

冬季は雪に覆われた幻想的な風景が広がります。ただし、登山道が凍結するため十分な注意が必要です。

まとめ

岩村城は、日本三大山城の一つとして、また日本最高所の山城として、歴史的にも文化的にも極めて価値の高い城跡です。壮大な六段壁の石垣、女城主の伝説、美しい城下町と、見どころは尽きません。

標高717mの本丸まで登るのは体力を要しますが、そこから眺める景色と、戦国時代から江戸時代にかけての歴史の重みを感じることができる貴重な体験となるでしょう。霧に包まれた早朝の城跡は特に幻想的で、「霧ヶ城」の別名を実感できます。

城跡だけでなく、重要伝統的建造物群保存地区に選定された城下町も必見です。江戸時代の面影を残す町並みを散策し、郷土料理や地酒を楽しむことで、岩村の歴史と文化を五感で味わうことができます。

歴史愛好家、城マニア、写真愛好家、そして家族連れまで、幅広い層が楽しめる岩村城。ぜひ一度訪れて、日本の山城の最高峰ともいえるその魅力を体感してください。

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