烏山城(栃木県・那須烏山市)完全ガイド|歴史・遺構・見どころを徹底解説
烏山城とは|概要と基本情報
烏山城(からすやまじょう)は、栃木県那須烏山市の中心部から北西に位置する八高山(標高206メートル)に築かれた日本の山城です。2023年3月20日に国の史跡に指定されたこの城は、山の形が臥した牛に似ていることから「臥牛城(がぎゅうじょう)」という別名でも知られています。
喜連川丘陵の一支脈である独立丘陵頂部を中心に築かれた連郭式の山城で、城域は東西約370メートル、南北約510メートル、面積約88ヘクタールに及ぶ広大な規模を誇ります。五城三郭(本丸、古本丸、中城、北城、西城、常盤曲輪、若狭曲輪、大野曲輪)と呼ばれる主要な曲輪群で構成され、戦国時代において有数の巨大城郭として知られていました。
現在は県立自然公園として整備され、石垣・土塁・空堀などの遺構が良好な状態で残されており、那須烏山市役所烏山庁舎北側から毘沙門山・城山に至る約1時間程度の遊歩道が設けられています。
烏山城の歴史・沿革
築城から那須氏の時代(1418年~1590年)
烏山城の歴史は応永25年(1418年)、那須一族の沢村五郎資重(さわむらごろうすけしげ)によって築城されたことに始まります。那須与一の末裔である資重は、兄の那須資之(上那須氏)と不仲となり、本拠の城を追われて稲積城に移った後、現在の八高山に新たな拠点として烏山城を築きました。
この築城の背景には、那須一族内部の勢力争いがありました。資重は下那須氏として独自の勢力基盤を確立するため、戦略的に重要な位置にある八高山を選んだとされています。
那須氏の時代、烏山城は常陸国の有力大名である佐竹氏によって何度も攻撃を受けました。しかし、堅固な山城の防御力により、いずれの攻撃も退けることに成功しています。那須氏は約170年間にわたってこの城を居城とし、下野国那須郡における勢力を維持し続けました。
天正18年(1590年)、当主那須資晴(なすすけはる)の代に転機が訪れます。豊臣秀吉による小田原攻めへの参陣が遅れたことを理由に、那須氏は改易されてしまいます。これにより、那須氏による烏山城支配は終焉を迎えました。
織田信雄の短期在城と江戸時代初期(1590年~1725年)
那須氏改易後、烏山城には織田信長の次男である織田信雄(おだのぶかつ)が入城しました。しかし、その在城期間はわずか2カ月という極めて短いものでした。その後、烏山城の城主は短期間のうちに頻繁に交替することになります。
江戸時代に入ると、成田氏、松下氏、堀氏、板倉氏、那須氏(再封)、永井氏、幕府代官、稲垣氏と、めまぐるしく城主が変わりました。この時期の烏山城は、徳川幕府による東国支配の要衝として位置づけられていたため、信頼できる譜代大名や親藩が配置される傾向にありました。
万治2年(1659年)には、堀親昌によって城山の東麓に三の丸が増築され、御殿と多門櫓が築かれました。これにより、山上の軍事施設と山麓の政庁機能が明確に分離された城郭構造が完成しました。
大久保氏の時代から廃城まで(1725年~1869年)
享保10年(1725年)、大久保常春が入封すると、以後大久保氏が8代140年余にわたり城主を務めることになります。この時期が烏山城にとって最も安定した統治期間となりました。
大久保氏の統治下で、烏山は城下町として発展し、商業や文化が栄えました。城下には武家屋敷や町人町が整備され、現在の那須烏山市の都市基盤が形成されていきました。
明治2年(1869年)の版籍奉還により、烏山城は正式に廃城となりました。明治維新後、多くの城郭建築物は取り壊されましたが、石垣や土塁などの基礎構造は残され、現在に至っています。
烏山城の縄張りと構造
五城三郭の配置
烏山城の最大の特徴は、五城三郭と呼ばれる複雑な曲輪配置です。山上部に本丸、二の丸を中心として、以下の主要な曲輪が配置されていました:
五城:
- 本丸:城の中核をなす最重要曲輪
- 古本丸:初期の本丸とされる曲輪
- 中城:本丸と他の曲輪を結ぶ要衝
- 北城:北側の防御を担う曲輪
- 西城:西側の防御拠点
三郭:
- 常盤曲輪:重要な防御施設が配置されていた曲輪
- 若狭曲輪:城主の名に由来するとされる曲輪
- 大野曲輪:広大な面積を持つ曲輪
これらの曲輪は、八高山の地形を巧みに利用して配置され、東西約350~370メートル、南北約600~510メートルの範囲に展開していました。連郭式の縄張りにより、各曲輪が有機的に連携して防御力を高める構造となっています。
三の丸と山麓部
万治2年(1659年)に堀親昌によって増築された三の丸は、城山の東麓に位置し、政庁機能を担う御殿と多門櫓が築かれました。この三の丸の増築により、烏山城は山城としての軍事機能と、平時の政務・居住機能を分離した近世城郭としての性格を強めました。
山麓部には武家屋敷や町人町が広がり、城下町としての都市機能が集約されていました。現在の那須烏山市街地の一部は、この江戸時代の城下町の名残を留めています。
現存する遺構と見どころ
石垣と土塁
烏山城の最大の見どころは、現在も良好な状態で残る石垣です。山城でありながら、主要部には石垣が多用されており、那須氏から江戸時代の歴代城主による改修の痕跡を見ることができます。
特に本丸周辺の石垣は、自然石を積み上げた野面積みの技法が用いられており、戦国時代から近世初期の築城技術を示す貴重な遺構となっています。石垣の高さは場所によって異なりますが、最大で5~6メートルに達する部分もあります。
土塁も城内各所に残されており、曲輪の境界や防御ラインを明確に示しています。これらの土塁は、樹木に覆われながらも明瞭に確認でき、往時の城郭構造を理解する上で重要な手がかりとなっています。
空堀
烏山城には、各曲輪を区切る空堀が多数設けられていました。現在も深さ数メートルの空堀が良好に残されており、山城特有の防御構造を体感することができます。
特に主要な曲輪間の空堀は、幅も深さも大規模で、敵の侵入を阻む強固な障壁として機能していたことが分かります。遊歩道を歩きながら、これらの空堀を間近に観察することが可能です。
移築現存門(搦手門)
烏山城の建築物で唯一現存しているのが、搦手門(からめてもん)です。この門は廃城後に市内の民家に移築され、現在も大切に保存されています。
搦手門は城の裏門に当たる門で、平時の通用門としても使用されていました。江戸時代の城郭建築の特徴を示す貴重な遺構として、烏山城の歴史を今に伝えています。
遊歩道と散策ルート
現在、烏山城跡には那須烏山市役所烏山庁舎北側から毘沙門山・城山に至る約1時間程度の遊歩道が整備されています。この遊歩道を利用することで、主要な曲輪や遺構を効率的に見学することができます。
遊歩道は適度な勾配で整備されており、歴史愛好家だけでなく、ハイキングを楽しむ一般の方々にも人気のコースとなっています。四季折々の自然を楽しみながら、中世から近世にかけての城郭遺構を巡ることができる贅沢な散策路です。
考古資料と発掘調査
烏山城跡では、これまでに複数回の発掘調査が実施されており、貴重な考古資料が出土しています。特に注目されるのは、肥前焼と呼ばれる陶磁器や、「かわらけ」と呼ばれる素焼きの皿です。
肥前焼は、現在の佐賀県・長崎県で生産された陶磁器で、江戸時代に全国に流通していました。烏山城からの出土は、城が地方の拠点として一定の経済力を持ち、広域的な物流ネットワークに組み込まれていたことを示しています。
かわらけは、儀式や宴会などで使用される使い捨ての土器で、城内での様々な行事や日常生活の様子を知る手がかりとなります。これらの出土品は、文献史料だけでは分からない烏山城の実態を明らかにする重要な資料として、現在も研究が続けられています。
国史跡指定の意義
2023年3月20日、烏山城跡は国の史跡に指定されました。この指定は、烏山城が以下の点で高い歴史的・学術的価値を持つと評価されたことを意味します:
- 中世から近世への移行期の城郭構造:那須氏時代の中世山城から、江戸時代の近世城郭への変遷過程を示す貴重な事例
- 大規模な縄張り:五城三郭という複雑な曲輪配置を持つ、東日本屈指の規模の山城
- 良好な遺構保存状態:石垣、土塁、空堀などが良好に残り、往時の姿を伝えている
- 地域史における重要性:那須地方の中世から近世にかけての政治・軍事の中心として機能した
国史跡指定により、烏山城跡の保存と活用がより一層進められることが期待されています。
アクセスと見学情報
交通アクセス
電車でのアクセス:
- JR烏山線「烏山駅」下車、徒歩約20分で登城口へ到着
- 烏山駅から那須烏山市役所烏山庁舎を目指すと分かりやすい
車でのアクセス:
- 東北自動車道「矢板IC」から国道294号経由で約30分
- 那須烏山市役所烏山庁舎に駐車場あり(無料)
見学のポイント
- 所要時間:遊歩道を一周する場合、約1~1.5時間
- 服装:山道を歩くため、歩きやすい靴と動きやすい服装を推奨
- 季節:春の新緑、秋の紅葉の時期が特に美しい
- 見学料:無料(自由に散策可能)
- 開放時間:特に制限なし(ただし、明るい時間帯の見学を推奨)
烏山城と那須烏山市の文化
烏山城は、那須烏山市のアイデンティティの中核をなす存在です。市内には城跡以外にも、国の重要無形民俗文化財に指定されている「山あげ祭」や、那珂川県立自然公園、龍門の滝など、豊富な歴史文化・観光資源があります。
山あげ祭は、江戸時代から続く伝統的な祭礼で、巨大な山車と舞台装置を使った独特の祭りとして知られています。烏山城の城下町として栄えた歴史が、このような文化的伝統を育んできました。
那須烏山市を訪れる際は、烏山城跡の見学と合わせて、これらの地域の歴史文化にも触れることで、より深い理解と体験が得られるでしょう。
烏山城の魅力と今後の展望
烏山城は、那須与一の末裔である那須氏の居城として約170年間の歴史を刻み、その後も江戸時代を通じて東国の要衝として重要な役割を果たしてきました。五城三郭という大規模な縄張り、良好に残る石垡・土塁・空堀などの遺構、そして移築現存する搦手門は、中世から近世にかけての日本の城郭史を理解する上で貴重な資料となっています。
国史跡指定を契機として、今後は保存整備がさらに進められ、より多くの人々が烏山城の歴史と価値に触れる機会が増えることが期待されます。那須烏山市では、城跡の活用と地域振興を結びつけた取り組みも進められており、歴史遺産としての価値を次世代に継承する努力が続けられています。
栃木県を訪れる際には、ぜひ那須烏山市の烏山城跡に足を運び、戦国時代から江戸時代にかけての歴史のロマンと、美しい自然に包まれた山城の魅力を体感してください。県立自然公園としても整備された城跡は、歴史散策とハイキングを同時に楽しめる、栃木県東部の隠れた名所となっています。
