宇佐山城(滋賀県大津市)

宇佐山城(滋賀県大津市)
所在地 〒520-0018 滋賀県大津市南滋賀町
公式サイト http://otsu.or.jp/sengoku/hieizan.html#title

宇佐山城(滋賀県大津市)完全ガイド|織田信長が築いた近江最初の石垣城郭の歴史と見どころ

宇佐山城とは

宇佐山城(うさやまじょう)は、滋賀県大津市南滋賀町に位置する標高約336メートルの宇佐山山頂に築かれた戦国時代の山城です。別名を志賀城(しがじょう)、志賀要害とも呼ばれ、琵琶湖南西端の交通の要衝に立地していました。

この城は織田信長の命により、家臣の森可成によって1570年(元亀元年)に築城されました。信長が安土城を築く以前に近江で最初に石垣による築城を行った貴重な城郭として、城郭史上重要な位置を占めています。

琵琶湖の西岸から京都へ向かう湖西ルートと山中越えの分岐点に位置し、琵琶湖の水運監視、北国街道の押さえ、そして延暦寺への牽制という三つの戦略的機能を担っていました。現在は城跡として石垣の一部が残り、山頂からは琵琶湖を一望できる絶景スポットとしても知られています。

宇佐山城の歴史と沿革

築城の背景と目的

1570年(元亀元年)5月、織田信長は越前の朝倉義景を攻めていましたが、同盟者であった浅井長政が突如裏切り、信長は挟撃の危機に陥りました。この「金ヶ崎の退き口」と呼ばれる危機的状況から辛うじて脱出した信長は、京都と岐阜城を結ぶルートの確保が急務となりました。

浅井・朝倉連合軍の南進に備え、琵琶湖西岸ルートと北国街道を押さえる必要性から、信長は宇佐山に城を築くことを決断します。この地は湖西周りで京都に向かう際には避けて通れない位置にあり、軍事的要衝でした。

信長は家臣の中でも特に信頼していた森可成にこの重要拠点の守備を任せ、可成は約3ヶ月という短期間で宇佐山城を完成させました。

森可成と宇佐山城の戦い

森可成は宇佐山城の城主として、城の防衛だけでなく交通路の整備にも尽力しました。城の北側に坂本と京都を結ぶ山中越えの新道を造り、南にある逢坂の関や小関越えを閉鎖することで、往来の監視を強化していきます。

1570年(元亀元年)9月、浅井長政と朝倉義景の連合軍が比叡山延暦寺の僧兵を加えて約3万の大軍で坂本へ押し寄せました。森可成は織田信治(信長の弟)、青地茂綱らとともに、わずか3千の兵で坂本まで出陣して迎え撃ちます。

圧倒的な兵力差にもかかわらず、可成は果敢に戦いましたが、9月20日の戦闘で討ち死にしました。享年48歳でした。この戦いで織田信治、青地茂綱、池田知正なども戦死し、織田軍は大きな損失を被ります。

しかし、森可成の奮戦により時間を稼いだことで、残された城兵は宇佐山城に籠城し、連合軍の攻撃に耐え抜きました。連合軍は城に放火しましたが、攻め落とすことはできませんでした。

摂津から急ぎ京都へ戻った信長は宇佐山城へ入り、連合軍と対峙します。しかし膠着状態となり、最終的には和議が成立しました。この戦いは「宇佐山城の戦い」または「志賀の陣」と呼ばれ、森可成の忠義と武勇は後世まで語り継がれることになります。

明智光秀の城主就任

森可成の戦死後、宇佐山城の城主には明智光秀が任命されました。光秀は1571年(元亀2年)から1573年(天正元年)頃まで宇佐山城を居城としていたと考えられています。

この時期、光秀は信長の命により比叡山延暦寺の焼き討ちに参加するなど、重要な軍事行動に関わっていました。宇佐山城は延暦寺を監視する前線基地としての役割も果たしていたのです。

1573年(天正元年)、信長は琵琶湖畔の坂本に新たな城を築くことを決め、光秀にその築城と城主を命じます。これが後の坂本城です。坂本城の完成に伴い、宇佐山城はその役割を終え、廃城となったと考えられています。

わずか3年余りという短命な城でしたが、織田信長の近江支配の初期段階において極めて重要な役割を果たした城郭でした。

六角義賢の書状と宇佐山城

宇佐山城に関する史料として、近江の戦国大名であった六角義賢(承禎)の書状が残されています。この書状は宇佐山城の築城や戦況に関する当時の情報を伝える貴重な一次史料です。

六角氏は観音寺城を本拠とした近江南部の大名でしたが、1568年に織田信長の上洛軍に敗れて没落していました。しかし、浅井・朝倉連合軍が南進した際には、織田勢力を牽制する立場にありました。

これらの書状からは、宇佐山城が単なる軍事拠点ではなく、近江の諸勢力が注目する重要な政治的・戦略的拠点であったことが窺えます。

宇佐山城の城郭構造

縄張りと配置

宇佐山城は標高約336メートルの宇佐山山頂に本丸を置き、尾根筋に沿って曲輪を配置した典型的な山城です。比高は約200メートルあり、急峻な地形を活かした防御性の高い構造となっています。

山頂の本丸跡は現在、NHKのアンテナ施設が建設されているため、遺構の一部は改変を受けています。しかし、周辺には曲輪の段差や土塁の痕跡が残されており、往時の城郭構造を偲ぶことができます。

城の縄張りは尾根の地形に沿って南北に細長く展開し、複数の曲輪が階段状に配置されていました。各曲輪は切岸によって明確に区画され、敵の侵入を防ぐ工夫が随所に見られます。

石垣の特徴と重要性

宇佐山城の最大の特徴は、織田信長が安土城を築く以前に近江で最初に石垣を用いた城郭であるという点です。これは日本の城郭史において非常に重要な意味を持ちます。

現在も山頂周辺には石垣の一部が残されており、野面積みの技法で積まれた石垣を確認することができます。安土城のような壮大な石垣ではありませんが、山城としては珍しく石垣が現在まで残っている貴重な事例です。

これらの石垣は、森可成が短期間で築城した際に、防御力を高めるために採用されたと考えられています。信長は宇佐山城での石垣築城の経験を、後の安土城建設に活かしていった可能性があります。

石垣の規模は小さいものの、技術的には後の織田系城郭に繋がる要素を持っており、織田信長の城郭築城思想の発展過程を知る上で重要な遺構といえます。

曲輪と防御施設

宇佐山城には複数の曲輪が配置されていましたが、特に本丸周辺の曲輪は重要な防御拠点として機能していました。曲輪間は切岸で区切られ、高低差を利用した防御ラインが形成されていました。

山城特有の堀切も複数箇所に設けられており、尾根筋からの敵の侵入を防ぐ工夫が見られます。また、竪堀の痕跡も確認されており、斜面からの攻撃に対する備えも万全でした。

虎口(出入口)の構造については、現在の改変により詳細は不明な部分もありますが、石垣を用いた枡形虎口が存在した可能性も指摘されています。

宇佐山城の見どころと現状

本丸跡とアンテナ施設

宇佐山城の山頂にある本丸跡には、現在NHKの放送用アンテナ施設が建設されています。このため、本丸跡の遺構は一部改変を受けていますが、周辺には往時の面影を残す遺構が点在しています。

アンテナ施設周辺の平坦地が本丸跡と考えられており、ここから琵琶湖を一望することができます。森可成や明智光秀もこの場所から琵琶湖や京都方面を見渡し、戦略を練っていたことでしょう。

残存する石垣

山城としては珍しく、宇佐山城には現在も石垣の一部が残されています。これらは野面積みの技法で積まれており、安土城以前の織田系石垣の貴重な事例として、城郭研究者から注目されています。

石垣は本丸周辺に点在しており、一部は土に埋もれていますが、積み方や石の選定方法などを観察することができます。山城にしては比較的大きな石を用いており、短期間の築城でありながら堅固な防御を意図していたことが窺えます。

琵琶湖を一望する絶景

宇佐山城跡の最大の魅力は、山頂から眺める琵琶湖の絶景です。標高336メートルの山頂からは、琵琶湖南部を一望でき、対岸の瀬田や石山方面、さらには比叡山や京都方面まで見渡すことができます。

天気の良い日には、琵琶湖の青い湖面と周囲の山々が織りなす美しい景観を楽しむことができます。この眺望は、なぜ信長がこの地に城を築いたのか、その戦略的重要性を実感させてくれます。

現在では登山やハイキングの目的地としても人気があり、歴史ファンだけでなく、自然を楽しむ人々も訪れています。

曲輪跡と切岸

本丸周辺には複数の曲輪跡が残されており、段差や切岸を確認することができます。これらの遺構は、山城特有の地形を活かした縄張りの工夫を示しています。

特に本丸から一段下がった曲輪は比較的良好に残されており、当時の城郭構造を想像することができます。曲輪の平坦面には建物が建っていたと考えられ、森可成や明智光秀が居住した館跡もこの周辺にあったと推定されています。

宇佐山城へのアクセスと訪問ガイド

所在地と基本情報

所在地: 滋賀県大津市南滋賀町
城郭分類: 山城
築城年: 1570年(元亀元年)
築城者: 森可成(織田信長の命による)
主な城主: 森可成、明智光秀
廃城年: 1573年(天正元年)頃
標高: 約336メートル
比高: 約200メートル

車でのアクセス

最寄りの高速道路インターチェンジは、名神高速道路「京都東IC」です。ICから車で約15分程度で近江神宮周辺に到着します。

登山口は近江神宮の裏手、または宇佐八幡宮付近にあります。近江神宮の駐車場を利用することができますが、登山目的の長時間駐車については事前に確認することをお勧めします。

公共交通機関でのアクセス

JR湖西線「大津京駅」または京阪電鉄石山坂本線「近江神宮前駅」が最寄り駅です。

  • JR大津京駅から: 徒歩約15分で近江神宮に到着、そこから登山口へ
  • 京阪近江神宮前駅から: 徒歩約10分で近江神宮、そこから登山口へ

登城ルートと所要時間

宇佐山城への主な登山ルートは以下の通りです:

近江神宮ルート(推奨):

  • 近江神宮の裏手から登山道が整備されています
  • 登山口から山頂まで約40~50分
  • 比較的整備された道で、初心者でも登りやすいルート

宇佐八幡宮ルート:

  • 宇佐八幡宮付近から登るルート
  • 登山口から山頂まで約45~60分
  • やや急な箇所もありますが、歴史的な雰囲気を感じられるルート

往復で約2~3時間を見込むと良いでしょう。山頂での散策や景色を楽しむ時間を含めると、3~4時間程度の余裕を持った計画をお勧めします。

訪問時の注意点

  • 服装: 山城への登山となるため、歩きやすい靴と動きやすい服装が必須です
  • 季節: 春から秋がお勧めですが、夏場は虫除け対策を忘れずに
  • 水分: 特に夏場は十分な水分を持参してください
  • 天候: 雨天時は足元が滑りやすくなるため、天気の良い日を選びましょう
  • 時間: 日没前には下山できるよう、時間に余裕を持って登城してください
  • 遺構保護: 石垣などの遺構には触れないよう注意してください

周辺の観光スポット

近江神宮

宇佐山城の登山口にある近江神宮は、天智天皇を祀る神社で、「ちはやふる」の舞台としても知られています。競技かるたの聖地として全国から参拝者が訪れます。

宇佐八幡宮

宇佐山の中腹にある神社で、宇佐山城の名前の由来となった場所です。静かな雰囲気の中、歴史を感じることができます。

坂本城跡

明智光秀が宇佐山城の後に築いた坂本城の跡地は、宇佐山城から車で約10分の距離にあります。琵琶湖畔に石垣の一部が残されており、セットで訪れると光秀の足跡をたどることができます。

延暦寺

比叡山延暦寺は宇佐山城と対峙した歴史的関係にあります。車で約30分の距離にあり、世界遺産にも登録されている名刹です。

宇佐山城の歴史的意義

織田信長の近江支配の拠点

宇佐山城は、織田信長が近江国を支配するために築いた最初の本格的な城郭でした。浅井・朝倉連合軍の南進を防ぎ、京都への往来を確保するという戦略的目的を持って築かれたこの城は、信長の天下統一への道のりにおいて重要な役割を果たしました。

わずか3年余りの短命な城でしたが、森可成の奮戦により連合軍の京都侵攻を阻止し、信長に反撃の時間を与えたことは、その後の織田政権の発展に大きく寄与しました。

石垣城郭の先駆け

宇佐山城は、織田信長が安土城を築く以前に近江で最初に石垣を用いた城郭として、日本の城郭史において重要な位置を占めています。

それまでの山城は主に土塁や切岸で防御していましたが、宇佐山城では石垣が採用されました。これは短期間での築城という制約の中で、より強固な防御を実現しようとした森可成と織田信長の築城思想を示しています。

この宇佐山城での石垣築城の経験は、後の安土城、そして豊臣秀吉の大坂城や伏見城へと繋がる石垣城郭の発展の礎となったと考えられています。

森可成の忠義と武勇

宇佐山城の歴史を語る上で、森可成の存在は欠かせません。圧倒的な兵力差にもかかわらず、主君信長のために命を賭して戦った可成の忠義と武勇は、戦国武将の鑑として後世まで語り継がれています。

可成の息子である森長可、森蘭丸も織田家に仕え、特に蘭丸は本能寺の変で信長とともに討死しました。森家は三代にわたって織田家に忠誠を尽くした名家として知られています。

明智光秀との関わり

宇佐山城は明智光秀が城主を務めた城としても重要です。光秀はここを拠点として比叡山焼き討ちに参加し、その後坂本城を築いて近江支配の中心人物となっていきます。

光秀の出世の足がかりとなった宇佐山城は、本能寺の変へと繋がる光秀の人生においても重要な位置を占めています。

まとめ

宇佐山城は、織田信長の命により森可成が1570年に築いた山城で、琵琶湖と京都を結ぶ交通の要衝に位置していました。安土城以前に近江で最初に石垣を用いた貴重な城郭として、日本の城郭史において重要な意義を持っています。

森可成が浅井・朝倉連合軍との戦いで討死した「宇佐山城の戦い」は、織田信長の天下統一への道のりにおける重要な戦いでした。その後、明智光秀が城主となり、坂本城の築城とともにその役割を終えましたが、わずか3年余りの間に濃密な歴史を刻んだ城です。

現在も山頂には石垣の一部が残り、琵琶湖を一望できる絶景スポットとして、歴史ファンや登山愛好家に親しまれています。近江神宮からのアクセスも良好で、織田信長や森可成、明智光秀の足跡をたどる歴史散策に最適な場所といえるでしょう。

滋賀県を訪れる際には、ぜひ宇佐山城跡に登り、戦国時代の息吹と琵琶湖の美しい景色を体感してみてください。

地図

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