萩城

萩城
所在地 〒758-0057 山口県萩市堀内1−1
公式サイト http://hagishi.com/search/detail.php?d=100049

萩城完全ガイド:毛利輝元が築いた日本百名城の歴史と見どころを徹底解説

山口県萩市に位置する萩城は、日本の歴史において重要な役割を果たした城郭です。関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元が、広島城から移封されて築いたこの城は、江戸時代から幕末、そして明治維新へと続く激動の時代を見守ってきました。現在は萩城跡指月公園として整備され、多くの観光客が訪れる山口県を代表する観光スポットとなっています。

本記事では、萩城の歴史、建築的特徴、現存する遺構、そして周辺の見どころまで、萩城の魅力を余すことなく解説します。

萩城の歴史:毛利氏の栄光と苦難

関ヶ原の戦いと毛利氏の移封

萩城の歴史は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いから始まります。西軍の総大将として戦った毛利輝元は、徳川家康率いる東軍に敗北し、安芸・備後など8ヶ国112万石の領地から、周防国・長門国の2ヶ国36万石へと大幅に減封されました。

毛利輝元は、それまでの居城であった広島城を失い、新たな本拠地を築く必要に迫られました。当初は山口を候補地としましたが、最終的に日本海に面した萩の地を選び、慶長9年(1604年)に築城を開始しました。

築城の経緯と完成

萩城の築城は、指月山とその山麓を利用した大規模なものでした。毛利輝元は慶長9年12月に未完成のまま入城し、その後も工事は続けられました。正式な完工は慶長13年(1608年)とされています。

築城にあたっては、広島城の経験が活かされつつも、幕府への配慮と実戦への備えという相反する要求を満たす必要がありました。その結果、平時の政庁機能を持つ山麓部と、有事の際の詰城となる山頂部を組み合わせた独特の構造が生まれました。

江戸時代の萩城と毛利氏

萩城は江戸時代を通じて長州藩(萩藩)の本拠地として機能しました。毛利氏は外様大名として幕府から警戒されながらも、藩政改革や教育の充実に力を注ぎました。特に藩校明倫館の設立は、後の幕末維新期に活躍する多くの人材を輩出する基盤となりました。

江戸時代中期以降、萩城の軍事的重要性は相対的に低下しましたが、毛利氏の居城として、また長州藩の政治的中心として機能し続けました。

幕末から明治維新へ

幕末期、長州藩は尊王攘夷運動の中心地となり、萩城周辺は激動の時代を迎えます。吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)など、明治維新を推進した多くの志士たちが萩の城下町で育ちました。

慶応3年(1867年)、藩庁が山口に移されると、萩城の政治的役割は終わりを告げます。そして明治7年(1874年)、廃城令により萩城の建造物はすべて解体されました。天守をはじめとする建物は失われましたが、石垣や堀などの遺構は現在まで残されています。

萩城の構造と建築的特徴

指月山を利用した独特の縄張り

萩城の最大の特徴は、標高143メートルの指月山を利用した独特の縄張りにあります。山麓部には本丸、二の丸、三の丸が配置され、山頂部には「詰丸」または「山城御城」と呼ばれる山城が築かれました。

この構造は、平時には山麓部の御殿で政務を執り、有事の際には山頂の詰城に立てこもるという、戦国時代の山城の発想を江戸時代に持ち込んだものです。そのため、萩城は平山城ではなく、「平城と山城の複合体」として分類されることもあります。

三角州に築かれた城

萩城が立地するのは、松本川と橋本川に挟まれた三角州の先端部です。三方を海と川に囲まれた天然の要害であり、防御に適した地形でした。この点は、毛利輝元の旧居城である広島城と共通しています。

三角州全体が城下町として整備され、武家屋敷、町人町、寺社が計画的に配置されました。この城下町の多くが現在も残されており、2015年には「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界遺産に登録されています。

本丸と天守の構造

本丸には、慶長期の様式を持つ5層5階の天守が建てられていました。天守の高さは約14.4メートルで、望楼型の構造を持っていたとされています。天守の他に、本丸御殿、多聞櫓、矢倉などが配置されていました。

現在、天守は失われていますが、天守台の石垣は良好な状態で残されています。近年では、VR(仮想現実)技術を使って、スマートフォンやタブレット端末で在りし日の天守の姿を再現するサービスも提供されており、往時の壮大な姿を想像することができます。

石垣の特徴と技術

萩城の石垣は、慶長期の築城技術を示す貴重な遺構です。本丸周辺の石垣は、野面積みから打込接ぎへと移行する過渡期の技術が見られ、城郭建築史上も重要な資料となっています。

特に注目すべきは、城内に残る石切り場の跡です。ここでは、石垣用の石材を切り出した痕跡が明瞭に残されており、当時の石材加工技術を知ることができます。また、刻印が施された石も多数残されており、普請に参加した大名家や石工集団を特定する手がかりとなっています。

詰丸(山頂の山城)

指月山山頂の詰丸は、本格的な山城として機能するように設計されていました。山頂には石垣で囲まれた曲輪が設けられ、井戸も掘られていました。平時には使用されませんでしたが、万が一の際には藩主以下が立てこもる最終拠点として位置づけられていました。

山頂までは登山道が整備されており、現在でも登ることができます。山頂からは萩の城下町や日本海を一望でき、この地が天然の要害であったことを実感できます。登山には片道約20〜30分程度かかります。

萩城跡指月公園の見どころ

天守台跡

萩城跡を訪れたら、まず天守台跡を見学しましょう。高さ約14.4メートルの5層天守が建っていた石垣が良好な状態で残されています。天守台に登ると、本丸跡や日本海の景色を眺めることができます。

前述のVR再現サービスを利用すれば、かつての天守の姿を現地で体験できます。QRコードが設置されているので、スマートフォンで読み取って利用しましょう。

本丸門跡と石垣

本丸への入口であった本丸門跡には、立派な石垣が残されています。門の礎石も残されており、かつての門の規模を想像することができます。周辺の石垣は、当時の築城技術の高さを示す見事なものです。

志都岐山神社

本丸跡には、毛利家の祖先を祀る志都岐山神社が建っています。明治時代に創建された神社で、毛利元就をはじめとする毛利家の歴代当主が祀られています。静謐な雰囲気の中、参拝することができます。

花江茶亭

本丸の一角には、花江茶亭と呼ばれる茶室が残されています。これは13代藩主毛利敬親が安政3年(1856年)に建てたもので、萩城に現存する数少ない建造物の一つです。数寄屋造りの優美な建物で、当時の大名の文化的生活を偲ぶことができます。

内堀と土塀

本丸を囲む内堀は、現在も水を湛えており、往時の姿をよく残しています。堀沿いには土塀の一部も復元されており、城郭の雰囲気を感じることができます。

二の丸跡

本丸の外側には二の丸が配置されていました。現在は公園として整備されており、桜の名所としても知られています。春には約600本のソメイヨシノが咲き誇り、多くの花見客で賑わいます。

石切り場跡

公園内には、石垣用の石材を切り出した石切り場の跡が残されています。矢穴(石を割るための穴)の痕跡が明瞭に残されており、当時の石材加工技術を間近に観察できる貴重な遺構です。城郭ファンにとっては必見のスポットです。

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

公園の外、すぐ近くには旧厚狭毛利家萩屋敷長屋が残されています。江戸時代の武家屋敷建築を示す重要な遺構で、国の重要文化財に指定されています。長屋は約51.5メートルの長大な建物で、当時の武家屋敷の規模を示しています。

萩城下町の見どころ

萩城を訪れたら、周辺の城下町も合わせて散策することをお勧めします。萩の城下町は江戸時代の町割りがそのまま残されており、「萩城下町」として世界遺産に登録されています。

菊屋家住宅

萩藩の御用商人であった菊屋家の住宅は、江戸時代初期の上級商家の様式を残す貴重な建築です。国の重要文化財に指定されており、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が公開されています。約2,000坪の敷地に、江戸時代初期(400年以上前)の建物が現存しています。

高杉晋作旧宅

幕末の志士、高杉晋作が生まれ育った家が残されています。木造瓦葺きの武家屋敷で、高杉晋作に関する資料も展示されています。幕末維新の歴史に興味がある方には必見のスポットです。

木戸孝允旧宅

明治維新の三傑の一人、木戸孝允(桂小五郎)の生家も公開されています。誕生の間や幼少期に過ごした部屋などを見学できます。

萩博物館

萩の歴史や文化を総合的に学べる博物館です。萩城や毛利氏の歴史、幕末維新期の資料、萩焼などが展示されています。萩城を訪れる前に立ち寄ると、より深い理解が得られるでしょう。

松下村塾

吉田松陰が主宰した私塾で、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋など、明治維新を推進した多くの人材を輩出しました。木造瓦葺き平屋建ての小さな建物ですが、日本の近代化に与えた影響は計り知れません。世界遺産の構成資産の一つです。

萩城の基本情報とアクセス

基本情報

名称: 萩城跡指月公園
住所: 山口県萩市堀内1-1
開園時間:

  • 4月〜10月:8:00〜18:30
  • 11月〜2月:8:30〜16:30
  • 3月:8:30〜18:00

休園日: 無休
入園料:

  • 大人:220円
  • 小中学生:100円

※旧厚狭毛利家萩屋敷長屋との共通券あり

駐車場: 無料駐車場あり(約50台)
問い合わせ: 萩市観光協会 TEL 0838-25-1750

アクセス方法

電車でのアクセス:

  • JR山陰本線「東萩駅」から徒歩約20分
  • 東萩駅から萩循環まぁーるバス(西回り)で「萩城跡・指月公園入口」下車すぐ

車でのアクセス:

  • 中国自動車道「美祢東JCT」経由、小郡萩道路「絵堂IC」から約20分
  • 中国自動車道「山口JCT」経由、山口・萩有料道路「萩IC」から約10分

レンタサイクル:
萩市内では複数の場所でレンタサイクルを利用できます。城下町の散策には自転車が便利で、小回りが利き効率的に観光できます。

萩城を楽しむためのポイント

訪問に適した季節

春(3月下旬〜4月上旬):
桜の季節は萩城跡指月公園が最も華やぐ時期です。約600本のソメイヨシノが咲き誇り、夜間はライトアップも実施されます。天守台跡と桜のコラボレーションは見事です。

夏(7月〜8月):
緑豊かな季節で、指月山の登山にも適しています。ただし、日差しが強いので熱中症対策が必要です。

秋(11月):
紅葉の季節で、指月山の木々が色づきます。気候も穏やかで散策に最適です。

冬(12月〜2月):
観光客が少なく、静かに城跡を巡ることができます。ただし、日本海側特有の強い風が吹くことがあるので、防寒対策が必要です。

所要時間の目安

  • 萩城跡指月公園のみ:1〜1.5時間
  • 指月山山頂への登山を含む:2〜2.5時間
  • 周辺の城下町散策を含む:半日〜1日

おすすめの見学コース

2時間コース:

  1. 萩城跡指月公園入口→本丸門跡→天守台跡(30分)
  2. 志都岐山神社→花江茶亭→石切り場跡(30分)
  3. 二の丸跡散策→旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(30分)
  4. 菊屋家住宅(30分)

半日コース:
上記に加えて、高杉晋作旧宅、木戸孝允旧宅、松下村塾などを巡る

写真撮影のポイント

  • 天守台跡:石垣と日本海を背景にした構図がおすすめ
  • 本丸門跡:立派な石垣を正面から撮影
  • 桜の季節:天守台跡と桜のコラボレーション
  • 指月山山頂:萩の城下町と日本海を一望する景色
  • 夕暮れ時:日本海に沈む夕日と城跡のシルエット

萩城と日本百名城スタンプ

萩城は「日本百名城」の第75番に選定されています。百名城スタンプは以下の場所で押すことができます。

スタンプ設置場所:

  • 萩城跡本丸入口料金所
  • 萩市観光協会「旅のサロンなび萩」(JR東萩駅前)

百名城巡りをしている方は、訪問の記念にスタンプを押しましょう。スタンプ帳を持参するか、現地で購入することもできます。

萩城周辺のグルメ情報

萩を訪れたら、地元のグルメも楽しみましょう。日本海に面した萩は、新鮮な海の幸が豊富です。

萩の郷土料理

萩の瀬つきあじ:
萩沖で獲れる瀬つきあじは、脂がのって絶品です。刺身や塩焼きでいただきましょう。

萩のけんさきいか:
透明感のある美しい姿と甘みが特徴です。活き造りが人気です。

萩の真ふぐ:
萩は下関に次ぐふぐの産地です。冬季には新鮮なふぐ料理を楽しめます。

夏みかん製品:
萩は夏みかんの産地としても有名です。夏みかんを使ったマーマレードやゼリーはお土産にも最適です。

おすすめの食事処

城下町周辺には、古民家を改装した飲食店や老舗の料理店が点在しています。萩の食材を使った郷土料理を提供する店が多く、観光と合わせて楽しめます。

萩の宿泊施設

萩城周辺には、様々なタイプの宿泊施設があります。

温泉旅館

萩市内には萩温泉郷があり、日本海を望む温泉旅館が複数あります。新鮮な海の幸を使った会席料理と温泉を楽しめます。

ビジネスホテル

東萩駅周辺には、リーズナブルなビジネスホテルがあります。観光の拠点として便利です。

古民家宿泊施設

近年、城下町の古民家を改装した宿泊施設も増えています。歴史的な雰囲気の中で宿泊できる貴重な体験ができます。

萩城を訪れる際の注意点

服装と持ち物

  • 歩きやすい靴:城跡内は石畳や砂利道が多いため、スニーカーなどの歩きやすい靴がおすすめです。指月山に登る場合は特に重要です。
  • 日焼け対策:夏季は日差しが強いので、帽子や日焼け止めを用意しましょう。
  • 飲み物:特に夏季は熱中症対策として、飲み物を持参しましょう。
  • 雨具:日本海側特有の急な天候変化に備えて、折りたたみ傘があると安心です。

指月山登山の注意点

指月山山頂の詰丸跡を訪れる場合は、以下の点に注意してください。

  • 登山道は整備されていますが、急な坂道もあります
  • 所要時間は片道20〜30分程度です
  • 夏季は虫除けスプレーがあると便利です
  • 雨天時や雨上がりは滑りやすいので注意が必要です

まとめ:萩城の魅力を存分に味わう

萩城は、関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元が、慶長9年(1604年)から築城を開始し、慶長13年(1608年)に完成させた日本百名城の一つです。指月山を利用した独特の縄張り、平城と山城を組み合わせた構造、そして実戦を想定した設計は、毛利氏の反骨心と戦略的思考を反映しています。

明治7年(1874年)に建造物は解体されましたが、現存する石垣、堀、天守台などの遺構は、当時の壮大な姿を今に伝えています。また、城下町は江戸時代の町割りがそのまま残され、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として登録されています。

萩城を訪れることは、単に城跡を見学するだけでなく、毛利氏の歴史、幕末維新の息吹、そして日本の近代化の原点に触れる体験となります。春の桜、夏の緑、秋の紅葉、冬の静寂と、四季折々の表情を見せる萩城跡指月公園で、日本の歴史と文化を存分に味わってください。

山口県を訪れる際は、ぜひ萩城とその城下町を訪問し、日本の歴史の重要な一ページを体感してください。

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