桑名城

所在地 〒511-0032 三重県桑名市吉之丸5−1
公式サイト http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/24,11219,234,410,html

桑名城:徳川四天王・本多忠勝が築いた水城の歴史と見どころを完全解説

桑名城(くわなじょう)は、三重県桑名市に位置する水城で、揖斐川に臨む東海道五十三次の要衝として、日本の歴史において重要な役割を果たしてきました。徳川四天王の一人である本多忠勝が大規模な改修を行い、その扇状の形状から「扇城(おうぎじょう)」とも呼ばれています。現在は九華公園として整備され、桜の名所としても市民に親しまれています。

桑名城の歴史:中世から近世へ

桑名城の起源と中世

桑名城の歴史は古く、文治2年(1186年)に桑名三郎行綱がこの地を支配したことに始まります。当時の桑名は、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川が伊勢湾に注ぐ河口に位置し、水運の要衝として重要な地域でした。

戦国時代には「北勢四十八家」と呼ばれる土豪が勢力を持ち、桑名の地には「桑名三城」と呼ばれる代表的な3つの城が存在していました。この時代の桑名は、伊勢国と尾張国を結ぶ交通の要所として、戦略的な重要性を増していきます。

織田信長の伊勢侵攻と滝川一益

天正2年(1574年)、織田信長の伊勢侵攻により、桑名は信長配下の滝川一益の所領となりました。滝川一益は信長の重臣として知られ、桑名城を拠点に伊勢国の支配を固めました。この時期、桑名城は戦国時代の城郭としての機能を持ち、地域支配の拠点として重要な役割を果たしていました。

本多忠勝による大改修

桑名城の歴史において最も重要な転機となったのが、慶長6年(1601年)の本多忠勝の入封です。関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、徳川四天王の一人である本多忠勝を桑名10万石に封じました。

本多忠勝は入封直後から揖斐川沿いに城郭の建造を開始し、10年の歳月をかけて慶長15年(1610年)に巨大な桑名城を完成させました。忠勝による改修は、単なる軍事施設としての城ではなく、東海道の要衝を守る近世城郭としての機能を備えた、壮大な規模の城郭でした。

松平氏の時代と桑名藩

本多氏が姫路城に移封された後、桑名城は代々松平氏が桑名藩主を務めることとなりました。松平氏の治世下で、桑名は城下町として発展し、東海道五十三次の宿場町「桑名宿」として繁栄しました。

元禄年間には、桑名藩の統治体制が確立し、城下町も整備されました。桑名城は江戸時代を通じて、東海道の重要な拠点として機能し続けました。

明治維新と城の解体

明治維新後、桑名城は明治政府の廃城令により解体されることとなりました。天守をはじめとする多くの建造物が焼失または取り壊され、現在は石垣と堀の一部が残るのみとなっています。城の遺構の多くは失われましたが、一部の城門は市内の寺院に移築され、現在も当時の面影を伝えています。

桑名城の特徴と構造:水城としての独自性

扇城と呼ばれた独特の形状

桑名城は、城の三方が揖斐川に囲まれている形状が扇のように見えたことから、通称「扇城」と呼ばれていました。この独特の形状は、水運を活用した防御システムと、城下町の発展を両立させる巧みな設計によるものでした。

揖斐川の河口近くに位置する桑名城は、水城としての特徴を最大限に活かした構造となっており、三方を川に囲まれることで天然の堀としての機能を持っていました。この地形的な優位性は、敵の攻撃を防ぐだけでなく、水運による物資の輸送にも大きな利点をもたらしました。

本丸・二之丸・三之丸の配置

桑名城は本丸、二之丸、三之丸から構成される梯郭式の城郭でした。本丸には天守が建てられ、藩主の居館である本丸御殿が配置されていました。二之丸には重臣の屋敷や政務を行う施設が置かれ、三之丸には家臣の屋敷が並んでいました。

現在の九華公園は、本丸及び二之丸跡を利用して整備されており、約7.2ヘクタールの広さがあります。園内には当時の石垣や堀が残されており、往時の城郭の規模を偲ぶことができます。

天守と櫓の構造

桑名城の天守は、本多忠勝による改修の際に建造されたと考えられています。詳細な構造については記録が少ないものの、近世城郭にふさわしい威容を誇っていたことが伝えられています。

櫓については、蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)が特に有名で、平成15年(2003年)に外観復元されました。この復元は、国土交通省水門統合管理所を建造する際に、かつての蟠龍櫓跡に建てることとなったため実現したものです。現在の蟠龍櫓は、桑名城のシンボルとして市民に親しまれています。

石垣と堀の技術

桑名城の石垣は、本多忠勝による改修の際に築かれたもので、当時の最新技術が用いられていました。揖斐川沿いに築かれた石垣は、水害にも耐えうる堅固な構造となっており、現在も一部が良好な状態で残されています。

堀については、揖斐川の水を引き込んだ水堀が主体で、城の防御機能を高めるとともに、城下町への水の供給にも役立っていました。この水利システムは、桑名城が水城として高度に発展していたことを示す重要な遺構です。

桑名城の見どころ:九華公園と史跡めぐり

九華公園:桜とつつじの名所

現在、桑名城跡は九華公園として整備され、市民の憩いの場となっています。園内には約450本の桜が植えられており、毎年4月には「さくらまつり」が開催されます。桜の開花時期には多くの花見客が訪れ、城跡を彩る桜の美しさを楽しんでいます。

5月には「つつじまつり」が行われ、約4,000株のつつじが園内を鮮やかに彩ります。九華公園は四季折々の自然が楽しめる公園として、桑名市民だけでなく観光客にも人気のスポットとなっています。

蟠龍櫓:外観復元された象徴

平成15年(2003年)に外観復元された蟠龍櫓は、桑名城の往時の姿を偲ばせる重要な建造物です。白壁と黒い瓦のコントラストが美しく、揖斐川沿いに建つ姿は桑名城のシンボルとなっています。

蟠龍櫓は国土交通省の水門統合管理所として実際に使用されており、内部の見学はできませんが、外観からその威容を楽しむことができます。特に桜の季節には、桜と蟠龍櫓のコラボレーションが絶景を作り出します。

石垣と堀:往時を偲ぶ遺構

九華公園内には、桑名城の石垣と堀が良好な状態で残されています。本丸周辺の石垣は、本多忠勝の時代に築かれたもので、400年以上の歴史を持つ貴重な遺構です。

堀については、揖斐川から水を引き込んだ水堀の一部が残されており、水城としての桑名城の特徴を現代に伝えています。石垣と堀を巡りながら、往時の城郭の規模と構造を想像することができます。

三之丸の城壁

九華公園の外、市内には三之丸の城壁が一部残されています。この城壁は、桑名城の外郭を形成していたもので、城下町の範囲を示す重要な遺構です。住宅街の中に突如として現れる石垣は、かつてこの地が城郭都市であったことを物語っています。

了順寺の山門:移築された城門

桑名市内にある了順寺の山門は、桑名城の城門を移築したものと伝えられています。明治維新後の廃城令により解体された桑名城の建造物の中で、寺院に移築されることで現代まで残された貴重な遺構です。

この山門は、桑名城の城門としての構造を残しており、当時の建築技術を知る上で重要な資料となっています。了順寺を訪れることで、九華公園では見ることのできない桑名城の建造物を実際に見ることができます。

東海道五十三次と七里の渡し

桑名宿:東海道の要衝

桑名城の北辺には、東海道五十三次の宿場町である桑名宿が置かれていました。桑名宿は東海道の42番目の宿場で、伊勢国への入口として多くの旅人で賑わいました。

城下町として発展した桑名宿には、本陣、脇本陣、旅籠が立ち並び、東海道を行き交う大名行列や商人、旅人たちの重要な休息地となっていました。桑名城の城下町としての繁栄は、東海道五十三次の要衝という地理的条件と密接に結びついていました。

七里の渡し:海路の起点

桑名城の北側には「七里の渡し」と呼ばれる渡船場がありました。これは東海道で唯一の海路で、桑名宿から伊勢湾を渡って熱田宿(現在の名古屋市)まで約7里(約28キロメートル)の距離を船で移動するルートでした。

七里の渡しは、東海道を旅する人々にとって重要な交通手段であり、桑名城はこの渡船場を管理・警備する役割も担っていました。現在、七里の渡し跡には記念碑が建てられており、当時の交通の要衝としての桑名の重要性を伝えています。

桑名の寺町と城下町文化

寺町の形成

桑名城の城下町には、多くの寺院が集中する寺町が形成されていました。これは城郭都市における典型的な都市計画で、寺院を配置することで防御拠点としての機能も持たせていました。

桑名の寺町には、浄泉坊をはじめとする多くの寺院が現在も残されており、城下町の歴史と文化を今に伝えています。これらの寺院を巡ることで、桑名城下町の往時の姿を偲ぶことができます。

城下町の構造と町割り

桑名城の城下町は、本多忠勝による城郭改修と同時に計画的に整備されました。城を中心に武家屋敷、町人町、寺町が配置され、東海道に沿って宿場町が発展しました。

この町割りは現在の桑名市街地の基礎となっており、旧東海道沿いには往時の面影を残す街並みが部分的に保存されています。城下町としての桑名の歴史は、現代の都市構造にも影響を与え続けています。

桑名城周辺の観光スポット

桑名市博物館:歴史を学ぶ

桑名市博物館は、桑名城や桑名藩の歴史、桑名の文化を学ぶことができる施設です。桑名城に関する資料や、桑名藩主であった松平氏に関する展示が充実しており、城跡を訪れる前後に立ち寄ることで、より深く桑名城の歴史を理解することができます。

博物館では、桑名城の古絵図や城下町の様子を描いた資料、桑名藩の歴史に関する文書などが展示されており、桑名城ファンにとっては必見のスポットです。

六華苑:明治の洋館

桑名城から徒歩圏内にある六華苑は、明治時代に建てられた洋館と日本庭園が調和した美しい施設です。桑名の実業家である諸戸清六の邸宅として建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

桑名城の歴史とは時代が異なりますが、桑名の近代史を知る上で重要なスポットであり、城跡巡りと合わせて訪れることで、桑名の歴史の奥深さを実感することができます。

七里の渡し跡

東海道五十三次の海路として知られる七里の渡し跡は、桑名城の歴史と密接に関連する史跡です。現在は記念碑と常夜燈が建てられており、往時の賑わいを偲ぶことができます。

揖斐川沿いに位置するこの場所からは、桑名城の蟠龍櫓を眺めることもでき、城と宿場町、渡船場の位置関係を実感することができます。

桑名城周辺グルメ・名物料理

はまぐり料理:桑名の名物

桑名といえば、はまぐり料理が有名です。「その手は桑名の焼き蛤」という江戸時代の洒落にも登場するほど、桑名のはまぐりは古くから知られていました。桑名城周辺には、伝統的なはまぐり料理を提供する店が多数あります。

はまぐりの焼き物、しゃぶしゃぶ、お吸い物など、様々な調理法で楽しむことができ、桑名城見学の後の食事として最適です。

安永餅:桑名の銘菓

安永餅は、桑名を代表する銘菓で、東海道を旅する人々への土産物として江戸時代から親しまれてきました。餅に餡を包んで焼いたシンプルな菓子ですが、その素朴な味わいは多くの人々に愛されています。

桑名城周辺には安永餅を販売する店があり、城跡見学の際のお土産として人気があります。

アクセス・駐車場・営業時間

電車でのアクセス

桑名城跡(九華公園)へは、JR・近鉄桑名駅から徒歩約15分でアクセスできます。桑名駅は東海道本線、関西本線、近鉄名古屋線が乗り入れる主要駅で、名古屋方面からも三重県内からもアクセスが便利です。

駅から九華公園までは、旧東海道を歩くルートがおすすめで、途中には城下町の面影を残す街並みや史跡を見ることができます。

車でのアクセスと駐車場

車でのアクセスは、東名阪自動車道「桑名IC」から約15分、伊勢湾岸自動車道「湾岸桑名IC」から約20分です。九華公園には専用の駐車場があり、約100台が駐車可能です。

桜まつりやつつじまつりの期間中は混雑が予想されるため、公共交通機関の利用がおすすめです。

九華公園の営業時間と入園料

九華公園は年中無休で、入園料は無料です。開園時間は特に設定されておらず、自由に散策することができます。ただし、夜間は照明が限られているため、日中の訪問がおすすめです。

桑名市物産観光案内所は、桑名駅近くにあり、桑名城や桑名市内の観光情報を入手できます。また、城郭めぐりのスタンプラリーの押印もこちらで可能です。

地図と所在地

桑名城跡(九華公園)

  • 所在地:三重県桑名市吉之丸5-1
  • 電話:0594-21-9932(桑名市観光課)

九華公園は桑名市街の東端、揖斐川に面した位置にあります。周辺には桑名市博物館、七里の渡し跡、寺町などの史跡が点在しており、徒歩で巡ることができます。

桑名城の撮影スポット・絶景ポイント

蟠龍櫓と桜のコラボレーション

桑名城の最も人気のある撮影スポットは、春の桜と蟠龍櫓の組み合わせです。九華公園内の本丸周辺から蟠龍櫓を撮影すると、桜の花と白壁の櫓が美しく調和した写真を撮ることができます。

特に早朝や夕方の柔らかい光の中での撮影がおすすめで、多くの写真愛好家が訪れます。

揖斐川沿いからの眺望

揖斐川沿いの堤防から蟠龍櫓を眺めるアングルも人気があります。川面に映る櫓の姿や、水城としての桑名城の立地を実感できる構図が撮影できます。

石垣と堀の風景

九華公園内の石垣と堀は、城郭写真の定番スポットです。特に本丸周辺の石垣は保存状態が良く、往時の城郭の威容を感じさせる迫力ある写真が撮影できます。

桑名城:城ファンの知見と記録

城郭研究における桑名城の位置づけ

桑名城は、水城としての特徴、東海道の要衝という立地、本多忠勝という著名な武将による築城という点で、城郭研究において重要な位置を占めています。特に水利を活用した城郭構造は、日本の城郭史において興味深い事例として研究されています。

桑名城研究委員会の活動

桑名市では、桑名城研究委員会が組織され、桑名城の歴史や構造について調査研究が行われています。平成30年度には調査報告書が発行され、桑名城に関する最新の研究成果がまとめられました。

こうした研究活動により、桑名城の歴史的価値が再評価され、保存と活用に向けた取り組みが進められています。

復元整備への期待

現在、蟠龍櫓が外観復元されているものの、天守や本丸御殿などの主要建造物は復元されていません。しかし、城ファンや地域住民の間では、さらなる復元整備への期待が高まっています。

桑名城の復元については、歴史的資料の収集や発掘調査など、長期的な取り組みが必要とされていますが、将来的には往時の姿を再現した桑名城が見られる日が来るかもしれません。

まとめ:桑名城の魅力と今後の展望

桑名城は、徳川四天王の本多忠勝が築いた水城として、日本の城郭史において重要な位置を占めています。東海道五十三次の要衝という立地、揖斐川を活用した水城としての構造、扇城という独特の形状など、多くの魅力を持つ城郭です。

現在は九華公園として整備され、桜やつつじの名所として市民に親しまれていますが、石垣や堀、外観復元された蟠龍櫓など、往時の姿を偲ばせる遺構も残されています。周辺には七里の渡し跡や寺町など、城下町の歴史を伝える史跡も多く、歴史散策のスポットとして最適です。

桑名城の歴史を学び、遺構を巡り、城下町の文化に触れることで、日本の歴史における桑名という地域の重要性を実感することができます。名古屋や三重県内からのアクセスも良好なため、ぜひ一度訪れて、桑名城の魅力を体感してみてください。

Google マップで開く

近隣の城郭