相馬中村城

所在地 〒976-0042 福島県相馬市中村北町
公式サイト https://www.city.soma.fukushima.jp/digital/nakamura_jouseki/4399.html

相馬中村城完全ガイド|歴史・構造・見どころから観光情報まで徹底解説

福島県相馬市の中心部に位置する相馬中村城は、別名「馬陵城(ばりょうじょう)」として知られる歴史ある城郭です。慶長16年(1611年)に相馬利胤が小高城から移り、明治初年まで約260年にわたって相馬氏歴代の居城として藩政の中心を担いました。現在は馬陵公園として整備され、県指定史跡として多くの歴史愛好家や観光客が訪れる名所となっています。

相馬中村城とは

相馬中村城は、福島県相馬市中村および西山に位置する平山城です。陸奥国宇多郡中村に築かれたことから「中村城」と呼ばれますが、他の同名城郭と区別するため「相馬中村城」または「陸奥中村城」の名称が用いられます。

城は天神山と呼ばれた自然丘陵の東端を利用して築かれており、東西約600メートル、南北約650メートルの規模を誇ります。浜通地方における相馬氏の本拠地として、江戸時代を通じて中村藩の藩庁が置かれた重要な拠点でした。

相馬中村城の歴史

古代から中世初期まで

相馬中村城の起源については諸説ありますが、最も古い伝承では平安時代初期の800年頃、坂上田村麻呂が奥州鎮撫のために築城したとされています。ただし、この伝承については史料的裏付けが乏しく、伝説的要素が強いと考えられています。

確実な記録としては、南北朝時代から戦国時代初期にかけて、この地を支配していた中村氏が館を構えていたことが知られています。中村朝高によって築かれた館がその始まりとされ、中村氏は代々この地を居城としていました。

相馬氏の時代

戦国時代に入ると、相馬氏がこの地域の支配権を獲得します。相馬氏は千葉氏の一族で、鎌倉時代に陸奥国行方郡(現在の福島県南相馬市)に入部した相馬氏の末裔です。相馬氏は当初、小高城(現在の南相馬市小高区)を本拠地としていました。

戦国時代を通じて、相馬氏は伊達氏との激しい抗争を繰り広げます。特に伊達政宗の時代には、領土をめぐる攻防が激化しました。相馬氏は豊臣秀吉の奥州仕置によって所領を安堵され、戦国大名として存続することに成功します。

近世城郭への改修と中村藩の成立

慶長16年(1611年)、相馬利胤は小高城から本拠を移し、中村城を近世城郭として大規模に改修しました。この築城により、相馬中村城は相馬氏の新たな居城となり、以後260年間にわたって藩政の中心地として機能することになります。

江戸時代に入ると、相馬氏は外様大名として中村藩6万石を治めました。城には本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸、岡田館などの曲輪が配置され、堀や空堀をめぐらせた堅固な構造となっていました。また、本丸には相馬氏の守護神である妙見菩薩を祀った妙見曲輪が設けられ、精神的支柱としての役割も果たしていました。

天守の建設と焼失

中村城には当初、三重の天守が建てられていました。しかし、寛文7年(1667年)に落雷により天守は焼失してしまいます。その後、天守は再建されることなく、城は天守を持たない形で幕末まで存続しました。

天守焼失後も、城の防御機能や行政機能は維持され、相馬氏は藩主として明治維新まで統治を続けました。

幕末から明治へ

慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発すると、中村藩は当初奥羽越列藩同盟に加わりました。しかし、戦局の推移を見て新政府側に寝返ったため、同盟軍の攻撃を受けることになります。城は激しい戦闘の舞台となり、一時的に落城の危機に瀕しましたが、最終的には新政府軍の支援を受けて守り切ることができました。

明治維新後、廃藩置県により中村藩は廃止され、城も明治初年に廃城となりました。城の建造物の多くは取り壊されましたが、石垣や土塁、堀などの遺構は現在まで残されています。

相馬中村城の構造

縄張りと曲輪配置

相馬中村城は、天神山と呼ばれた丘陵地を巧みに利用した平山城です。城郭全体の規模は東西約600メートル、南北約650メートルに及び、浜通地方では最大級の城郭でした。

城の中心となる本丸は最も標高の高い位置に配置され、その周囲を二ノ丸、三ノ丸が取り囲む梯郭式の縄張りとなっていました。本丸の北側には妙見曲輪が設けられ、相馬氏の守護神である妙見菩薩を祀る妙見社(現在の相馬中村神社)が置かれていました。

本丸の構造

本丸は城の中枢部として、藩主の居館や政庁が置かれた場所です。三重の天守が建てられていましたが、前述の通り寛文7年に焼失し、その後は再建されませんでした。

本丸の周囲には高い石垣が築かれ、防御を固めていました。現在でも本丸周辺には当時の石垣が良好な状態で残されており、近世城郭としての威容を今に伝えています。

妙見曲輪と相馬中村神社

妙見曲輪は相馬氏の信仰の中心となった重要な空間です。相馬氏は代々妙見菩薩を守護神として崇敬しており、城内に妙見社を設けることで精神的支柱としていました。

現在、この場所には相馬中村神社が鎮座しており、毎年7月に開催される相馬野馬追の出陣式が行われる聖地となっています。相馬野馬追は国の重要無形民俗文化財に指定されている伝統行事で、相馬氏の武家文化を今に伝える貴重な祭礼です。

二ノ丸・三ノ丸

本丸の外側には二ノ丸と三ノ丸が配置されていました。二ノ丸には重臣の屋敷や藩の重要施設が置かれ、三ノ丸には下級武士の屋敷や町人地が広がっていました。

これらの曲輪は堀や空堀によって区画され、敵の侵入を防ぐ構造となっていました。現在でも一部の堀や土塁が残されており、当時の防御システムを理解することができます。

岡田館

城郭の一角には岡田館と呼ばれる施設がありました。これは藩の重要な出先機関や特定の役職者の居館として使用されていたと考えられています。

大手門と城門

城への正式な入口である大手門は、城の威厳を示す重要な構造物でした。現在、建物自体は失われていますが、大手門跡の石垣や土塁が残されており、往時の規模を偲ぶことができます。

城内には複数の城門が設けられており、それぞれが厳重な警備体制のもとで管理されていました。

石垣と土塁

相馬中村城の防御の要となったのが石垣と土塁です。本丸周辺を中心に、切り込みハギや打ち込みハギといった技法で積まれた石垣が現存しており、江戸時代初期の石垣技術を知る上で貴重な遺構となっています。

土塁も城内の各所に残されており、特に曲輪の境界部分では高さのある土塁が防御線を形成していました。

堀の配置

城の防御システムとして、水堀と空堀が巧みに配置されていました。丘陵地という地形を活かし、自然の高低差を利用した堀の配置が特徴的です。

現在も一部の堀は水をたたえており、当時の姿を留めています。特に本丸と二ノ丸の間の堀は規模が大きく、城の防御力の高さを物語っています。

現在の相馬中村城跡(馬陵公園)

県指定史跡としての保存

相馬中村城跡は福島県の指定史跡として保護されており、馬陵公園として整備されています。公園内には城郭遺構が良好に保存されており、石垣、土塁、堀などを実際に見学することができます。

主な見どころ

本丸跡
現在は広場として整備されており、かつて天守や御殿があった場所を実感することができます。本丸からは相馬市街地を一望でき、城が街を見下ろす立地に築かれたことが理解できます。

石垣
本丸周辺を中心に、江戸時代初期の石垣が良好な状態で残されています。石垣の積み方や使用されている石材を観察することで、当時の築城技術を学ぶことができます。

土塁
城内各所に残る土塁は、城の防御ラインを示す重要な遺構です。特に曲輪の境界部分では、高さのある土塁が明瞭に残されています。


本丸と二ノ丸の間には深い堀が残されており、一部は水堀として水をたたえています。堀の規模から、城の防御力の高さを実感できます。

相馬中村神社
妙見曲輪跡に鎮座する相馬中村神社は、相馬氏の守護神を祀る神社として現在も信仰を集めています。相馬野馬追の出陣式が行われる聖地として、地域の人々に親しまれています。

大手門跡
大手門の建物は失われていますが、石垣や土塁から門の位置や規模を知ることができます。案内板も設置されており、理解を深めることができます。

桜の名所として

馬陵公園は桜の名所としても知られており、春には約400本のソメイヨシノが咲き誇ります。城郭遺構と桜のコントラストは美しく、多くの花見客で賑わいます。

相馬野馬追との関係

相馬中村城は、国の重要無形民俗文化財である相馬野馬追と深い関係があります。相馬野馬追は毎年7月に開催される伝統行事で、相馬氏が平将門の子孫を称し、将門が下総国で野馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練を行ったという故事に由来するとされています。

祭りの初日には相馬中村神社で出陣式が行われ、甲冑に身を包んだ騎馬武者たちが城跡から出陣します。この光景は、かつて相馬氏の武士たちが城から出陣した往時を彷彿とさせ、歴史ロマンを感じさせる瞬間です。

相馬野馬追は3日間にわたって開催され、甲冑競馬や神旗争奪戦などの勇壮な行事が繰り広げられます。相馬中村城跡を訪れる際は、この祭りの時期に合わせることで、より深く相馬氏の武家文化に触れることができます。

アクセスと観光情報

所在地

福島県相馬市中村北町

アクセス方法

電車でのアクセス
JR常磐線相馬駅から徒歩約15分。駅から城跡まではほぼ平坦な道のりで、街並みを楽しみながら歩くことができます。

車でのアクセス
常磐自動車道相馬ICから約10分。馬陵公園には駐車場が整備されており、無料で利用できます。

見学情報

開園時間
馬陵公園は常時開放されており、自由に見学できます。

入場料
無料

所要時間
じっくり見学する場合は1時間から1時間半程度を見込むとよいでしょう。石垣や堀などの遺構を丁寧に観察し、本丸からの眺望を楽しむことをおすすめします。

見学の際の注意点

  • 城跡は自然地形を利用しているため、一部に傾斜や段差があります。歩きやすい靴での訪問をおすすめします。
  • 石垣に登ったり、立入禁止区域に入ることは避けてください。
  • 春の桜シーズンや相馬野馬追の時期は混雑が予想されます。

周辺の観光スポット

相馬市歴史資料収蔵館
相馬氏や中村藩の歴史に関する資料が展示されており、城の歴史をより深く理解できます。

相馬光陽パークゴルフ場
城跡の近くにあるレクリエーション施設で、家族連れでも楽しめます。

松川浦
相馬市の海岸部に位置する景勝地で、海産物も楽しめます。

相馬中村城の文化財的価値

相馬中村城は福島県指定史跡として、以下の点で高い文化財的価値を持っています。

歴史的価値

相馬氏が260年にわたって居城とし、浜通地方の政治・経済・文化の中心として機能した歴史的意義は大きいです。戦国時代から江戸時代、そして明治維新へと続く日本史の転換期を、この城とともに歩んだ相馬氏の歴史は、地域史研究において重要な位置を占めています。

考古学的価値

江戸時代初期の近世城郭の構造を良好に残す遺構として、考古学的にも貴重です。特に石垣の積み方や縄張りの配置は、当時の築城技術を研究する上で重要な資料となっています。

文化的価値

相馬野馬追という無形文化財と密接に結びついた城跡として、有形・無形の文化遺産が一体となった文化的景観を形成しています。この点は他の城跡にはない独自の価値といえます。

東日本大震災からの復興

平成23年(2011年)の東日本大震災では、相馬市も大きな被害を受けました。相馬中村城跡も石垣の一部が崩落するなどの被害がありましたが、復旧工事が行われ、現在は震災前の姿を取り戻しています。

相馬野馬追も震災の年は縮小開催となりましたが、翌年からは規模を拡大し、復興のシンボルとして継続されています。城跡と祭りは、地域の人々にとって復興への希望と誇りの象徴となっています。

まとめ

相馬中村城は、相馬氏260年の歴史を刻んだ福島県浜通地方を代表する城郭です。慶長16年(1611年)の築城から明治初年の廃城まで、藩政の中心として機能し続けました。

現在は馬陵公園として整備され、石垣、土塁、堀などの遺構を見学できます。特に本丸周辺の石垣は見応えがあり、江戸時代初期の築城技術を実感できます。また、相馬中村神社が鎮座する妙見曲輪は、相馬野馬追の出陣地として現在も重要な役割を果たしています。

桜の名所としても知られ、春には多くの花見客で賑わいます。相馬野馬追の時期に訪れれば、甲冑姿の騎馬武者が出陣する勇壮な光景を目にすることができ、相馬氏の武家文化を体感できます。

JR相馬駅から徒歩圏内というアクセスの良さも魅力で、福島県を訪れる際にはぜひ立ち寄りたい歴史スポットです。城郭遺構を巡りながら、相馬氏の歴史と文化に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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