長篠城

所在地 〒441-1634 愛知県新城市長篠市場22ー1
公式サイト http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/6,8420,118,664,html

長篠城の歴史と見どころ完全ガイド|戦国の激戦地を徹底解説

長篠城とは

長篠城(ながしのじょう)は、愛知県新城市長篠に位置する戦国時代の平城です。別名を扇城、末広城とも呼ばれるこの城は、豊川と宇連川の合流点に築かれた天然の要害として知られています。特に天正3年(1575年)の長篠の戦いに先立つ攻防戦で歴史に名を刻み、現在は国指定史跡として保存されています。

長篠城の最大の特徴は、その立地にあります。二つの河川に挟まれた標高約60メートルの段丘上に位置し、川の合流点を背にして扇のように展開する縄張りは、当時の築城技術の粋を集めたものでした。この地形的優位性が、後に武田軍の猛攻に耐える要因となります。

日本100名城の一つに選定されており、戦国時代の城郭遺構を今に伝える貴重な史跡として、多くの歴史愛好家や観光客が訪れています。

長篠城の歴史・沿革

築城と初期の歴史

長篠城の築城時期については諸説ありますが、永正5年(1508年)頃に菅沼元成によって築かれたとする説が有力です。菅沼氏は奥三河の土豪として勢力を持っており、この地域の要衝である長篠に城を構えることで、三河国と信濃国を結ぶ交通の要所を押さえました。

長篠菅沼氏は、今川氏の勢力下にあった時期もありましたが、戦国時代の複雑な勢力関係の中で、今川氏、武田氏、徳川氏の間で揺れ動く立場にありました。永禄年間(1558-1570年)には、今川氏の衰退とともに徳川家康の影響下に入るようになります。

武田信玄の侵攻と城主の変遷

元亀2年(1571年)、武田信玄の三河侵攻が本格化すると、長篠城は武田氏の攻撃を受けました。当時の城主であった菅沼正貞は武田軍に降伏し、城は武田氏の支配下に入ります。この時期、長篠城は武田氏の三河侵攻の拠点として機能しました。

天正元年(1573年)、武田信玄の死後、徳川家康は失地回復を図り、奥平貞昌(信昌)に命じて長篠城を奪還させました。奥平氏は徳川氏の重臣として、この重要拠点の守備を任されることになります。この城主交代が、後の長篠城籠城戦の布石となりました。

長篠城籠城戦

天正3年(1575年)5月、武田勝頼は15,000の大軍を率いて長篠城を包囲しました。城を守るのは奥平貞昌以下わずか500名程度の兵力でしたが、二つの河川に守られた堅固な地形を活かし、武田軍の猛攻に耐え続けました。

籠城戦は極めて過酷なもので、城内では食糧が尽き、兵士たちは飢餓と戦いながら抵抗を続けました。この間、鳥居強右衛門が岡崎城の徳川家康に援軍を要請するため、敵中突破を敢行したエピソードは特に有名です。強右衛門は使命を果たしましたが、帰路で武田軍に捕らえられ、城兵に降伏を呼びかけるよう強要されました。しかし彼は逆に「援軍が来るから持ちこたえよ」と叫び、磔刑に処されました。この勇気ある行動は城兵の士気を大いに高めました。

長篠の戦いと城のその後

籠城戦の最中、徳川家康と織田信長の連合軍38,000が救援に駆けつけ、設楽原(したらがはら)で武田軍と対峙しました。天正3年5月21日、織田・徳川連合軍は馬防柵と鉄砲の三段撃ちという革新的な戦術で武田軍を撃破します。これが日本史上著名な「長篠の戦い」です。

この戦いにより武田氏の勢力は大きく後退し、長篠城は徳川領として確保されました。その後、城は奥平氏が引き続き守り、徳川氏の三河統治における重要な支城として機能し続けました。

天正18年(1590年)、徳川家康が関東に移封されると、長篠城には豊臣系の武将が入城しました。関ヶ原の戦い後は再び徳川系の城となりましたが、江戸時代に入ると戦略的重要性が低下し、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となりました。

長篠城の構造と縄張り

地形を活かした築城

長篠城の最大の特徴は、豊川と宇連川という二つの河川の合流点に築かれた立地です。城の東側と南側を川が流れ、天然の堀として機能していました。この地形により、城は三方を水に囲まれた難攻不落の要塞となっていました。

城が築かれた段丘は比高約20メートルで、川面からの高低差が防御力をさらに高めていました。唯一の弱点である西側(陸続き)には、人工的な堀と土塁が設けられ、防御を固めていました。

本丸と二の丸の配置

長篠城の縄張りは、本丸を中心に二の丸、三の丸が配置される典型的な梯郭式の構造でした。本丸は城の最も奥、川の合流点に近い位置に置かれ、城主の居館や重要施設が配置されていました。

二の丸は本丸の西側に位置し、より広い面積を持っていました。ここには家臣の屋敷や兵舎などが建ち並んでいたと考えられています。現在の長篠城址史跡保存館がある場所も、かつての二の丸の一部です。

三の丸はさらに西側に広がり、城下町との接点となっていました。大手門はこの三の丸に設けられ、城への主要な出入口となっていました。

防御施設の特徴

長篠城の防御施設で特筆すべきは、土塁と空堀の配置です。西側の陸続き部分には、幅約10メートル、深さ約5メートルの空堀が掘られ、その内側には高さ約3メートルの土塁が築かれていました。

また、城内には「野牛郭」と呼ばれる出丸が設けられており、城の防御範囲を広げる役割を果たしていました。この野牛郭は現在も地形として確認でき、当時の縄張りの工夫を知ることができます。

扇城・末広城という別名の由来となった扇形の縄張りは、川の合流点を要として、西に向かって広がる形状をしていました。この形状により、限られた兵力でも効率的に防御できる設計となっていました。

長篠城の遺構

現存する土塁と堀

長篠城跡では、現在も当時の土塁や空堀の一部が良好な状態で残されています。特に本丸と二の丸を区切る土塁は、高さ約2メートル程度が現存し、当時の城郭構造を実感できる貴重な遺構です。

西側の大手門跡付近には、深い空堀の跡が明瞭に残っており、堀底を歩くこともできます。この堀は薬研堀(やげんぼり)と呼ばれるV字型の断面を持ち、敵の侵入を阻む効果的な防御施設でした。

土塁の上には現在、遊歩道が整備されており、城跡全体を見渡すことができます。土塁の上から見下ろすと、城の立地や縄張りの妙を実感できるでしょう。

川の合流点と断崖

豊川と宇連川の合流点は、長篠城の最大の見どころの一つです。本丸の背後に広がるこの合流点は、城の天然の防御線として機能していました。現在も川岸は急峻な断崖となっており、ここから城を攻めることがいかに困難であったかを物語っています。

川岸の断崖は高さ約10メートルから15メートルに及び、籠城戦の際にも武田軍はこの方面からの攻撃を断念せざるを得ませんでした。川の流れは現在も変わらず、戦国時代の景観を今に伝えています。

鳥居強右衛門磔死の碑

城跡の南側、豊川の対岸には、鳥居強右衛門が磔刑に処された場所を示す石碑が建てられています。この碑は明治時代に地元有志によって建立されたもので、強右衛門の忠義を称えています。

碑の周辺は「強右衛門の碑公園」として整備されており、城跡から眺めることができます。籠城戦の際、城内からこの場所で磔にされた強右衛門を見た城兵たちの心情を想像すると、歴史の重みを感じることができるでしょう。

牛渕橋と城の眺望

豊川に架かる牛渕橋からは、長篠城跡の全景を眺めることができます。この橋は長篠城へのアクセスルートでもあり、橋の上から見る城跡は、二つの川に挟まれた要害の地形を最もよく理解できるポイントです。

特に本丸跡の断崖と川の合流点を一望できるこの場所は、写真撮影のスポットとしても人気があります。春には桜、秋には紅葉が城跡を彩り、四季折々の美しい景観を楽しむことができます。

長篠城址史跡保存館

展示内容

長篠城址史跡保存館は、城跡の二の丸跡に建てられた資料館で、長篠城と長篠の戦いに関する貴重な史料を展示しています。館内には、籠城戦や長篠の戦いを描いた絵図、武具、古文書などが展示され、戦国時代の歴史を詳しく学ぶことができます。

特に注目すべきは、長篠城籠城戦を描いた屏風絵の複製です。この絵には、武田軍に包囲された城の様子や、鳥居強右衛門の活躍が詳細に描かれており、当時の状況を視覚的に理解することができます。

また、発掘調査で出土した陶磁器や鉄砲の弾、矢じりなどの実物も展示されており、城での生活や戦闘の実態を知る手がかりとなっています。

火縄銃の展示

長篠の戦いといえば、織田・徳川連合軍による鉄砲の三段撃ちが有名です。保存館には当時使用されていた火縄銃のレプリカが展示されており、その構造や使用方法を学ぶことができます。

定期的に開催される火縄銃の実演では、実際に火薬を使った発砲を見学できることもあり、戦国時代の鉄砲戦術を体感できる貴重な機会となっています。

開館情報

長篠城址史跡保存館の開館時間は午前9時から午後5時まで(最終入館は午後4時30分)です。休館日は火曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始です。入館料は大人220円、小中学生100円と手頃な価格設定となっています。

館内には学芸員が常駐しており、長篠城や長篠の戦いについて詳しい解説を聞くこともできます。団体での訪問の場合は、事前に連絡すれば専門的なガイドを依頼することも可能です。

アクセスと現地情報

電車でのアクセス

長篠城へ電車で訪れる場合、JR飯田線の長篠城駅が最寄り駅となります。駅名に「城」の文字が入っている通り、城跡への観光を意識した駅です。長篠城駅から城跡までは徒歩約8分、距離にして約500メートルと非常にアクセスしやすい立地です。

長篠城駅は無人駅ですが、駅舎内には長篠城や長篠の戦いに関する簡単な案内パネルが設置されています。駅から城跡への道のりには案内標識が整備されており、迷うことなく到着できるでしょう。

JR飯田線は本数が少ないため、訪問前に時刻表を確認しておくことをお勧めします。豊橋駅から長篠城駅までは約40分、名古屋方面からは豊橋駅で乗り換えとなります。

車でのアクセス

車で訪れる場合、新東名高速道路の新城ICが便利です。ICから国道151号線を北上し、約15分(約10キロメートル)で長篠城跡に到着します。また、中央自動車道を利用する場合は、園原ICから国道151号線を南下して約40分です。

長篠城址史跡保存館には無料の駐車場が完備されており、普通車約30台を収容できます。観光シーズンや週末は混雑することもありますが、通常は余裕を持って駐車できます。大型バスでの来訪も可能で、事前連絡により駐車スペースを確保してもらえます。

カーナビゲーションで訪れる場合は、「長篠城址史跡保存館」(愛知県新城市長篠字市場22-1)を目的地に設定すると確実です。

周辺の観光スポット

長篠城を訪れたら、ぜひ周辺の関連史跡も巡ってみましょう。最も重要なのは、長篠の戦いの主戦場となった設楽原(したらがはら)です。長篠城から車で約10分の場所にあり、設楽原歴史資料館では馬防柵のレプリカや鉄砲隊の陣形を再現した展示を見ることができます。

医王寺には武田軍の戦死者を弔った墓があり、長篠の戦いの激戦を物語る史跡として知られています。また、新城市内には長篠の戦いに関連する史跡が点在しており、「長篠・設楽原の戦い史跡めぐり」として整備されています。

自然を楽しみたい方には、鳳来寺山や湯谷温泉もお勧めです。鳳来寺山は紅葉の名所として知られ、1,425段の石段を登る参拝は良い運動になります。湯谷温泉は宇連川沿いに湧く温泉地で、城跡巡りの疲れを癒すのに最適です。

見学のポイント

長篠城跡の見学には、1時間から2時間程度を見込むとよいでしょう。まず長篠城址史跡保存館で予備知識を得てから、実際の城跡を巡ると理解が深まります。

城跡は基本的に野外ですので、歩きやすい靴と服装で訪れることをお勧めします。特に土塁や堀跡を歩く場合、雨の後は足元が滑りやすくなるため注意が必要です。夏場は日差しが強いため、帽子や日焼け止め、飲み物を持参しましょう。

城跡からは豊川と宇連川の合流点を眺めることができ、特に本丸跡からの眺望は必見です。また、牛渕橋から城跡全体を眺めるのも忘れずに。写真撮影には午前中の光が城跡を美しく照らすのでお勧めです。

長篠城と日本100名城

長篠城は、財団法人日本城郭協会が選定した「日本100名城」の第46番に選ばれています。この選定は、城の歴史的重要性、遺構の保存状態、文化財としての価値などを総合的に評価したものです。

100名城スタンプは長篠城址史跡保存館に設置されており、開館時間中に押印することができます。スタンプには長篠城の縄張り図がデザインされており、100名城巡りをしている方にとっては重要なポイントとなっています。

長篠城が100名城に選ばれた理由は、単に城郭としての価値だけでなく、長篠の戦いという日本史上重要な合戦との関連性にあります。戦国時代の戦術の転換点となった戦いの舞台として、歴史的意義は非常に高いと評価されています。

長篠城の文化財指定

長篠城跡は、昭和4年(1929年)12月17日に国の史跡に指定されました。指定範囲は本丸、二の丸、三の丸を含む約3.6ヘクタールで、城の主要部分がほぼ完全に保護されています。

国史跡としての指定により、城跡の現状変更には文化庁長官の許可が必要となり、開発から保護されています。これにより、戦国時代の城郭遺構が良好な状態で保存され、後世に伝えられることになりました。

新城市は史跡の保存と活用に積極的に取り組んでおり、定期的な草刈りや遊歩道の整備、案内板の設置などを行っています。また、発掘調査も継続的に実施されており、新たな発見が期待されています。

長篠城を訪れる際の注意点

長篠城跡は屋外の史跡であり、24時間見学自由となっていますが、夜間の訪問は足元が見えにくく危険です。明るい時間帯の見学をお勧めします。

城跡内には急な斜面や段差があるため、小さなお子様連れの場合は特に注意が必要です。また、川沿いの断崖部分には柵が設置されていない場所もあるため、転落しないよう十分気をつけてください。

城跡は貴重な文化財ですので、土塁や石垣を傷つけたり、植物を採取したりする行為は厳禁です。ゴミは必ず持ち帰り、史跡の保全にご協力ください。

ペットを連れての見学も可能ですが、他の見学者の迷惑にならないよう、リードは必ず使用し、糞の始末は確実に行いましょう。

長篠城の四季

長篠城跡は四季折々の表情を見せてくれる場所でもあります。

春(3月下旬〜4月上旬)には、城跡周辺の桜が満開となり、花見スポットとしても人気です。特に本丸跡の桜は見事で、戦国の史跡と桜のコントラストが美しい景観を作り出します。

夏(6月〜8月)は新緑が鮮やかで、豊川と宇連川の清流が涼を感じさせてくれます。ただし、日差しが強く気温も高いため、熱中症対策は必須です。

秋(10月下旬〜11月中旬)は紅葉の季節です。城跡を囲む木々が赤や黄色に色づき、最も美しい季節といえるでしょう。特に川沿いの紅葉は見応えがあります。

冬(12月〜2月)は訪問者が少なく、静かに史跡を巡ることができます。空気が澄んでいるため、城跡からの眺望も良好です。雪が降ることは稀ですが、寒さ対策は必要です。

まとめ

長篠城は、戦国時代の激動を今に伝える貴重な史跡です。豊川と宇連川の合流点という天然の要害に築かれた城は、武田軍の猛攻に耐え、日本史を変える長篠の戦いのきっかけとなりました。

現在も残る土塁や堀、そして川の合流点の景観は、当時の城の姿を想像させてくれます。長篠城址史跡保存館での学習と合わせて城跡を巡れば、戦国時代の歴史をより深く理解することができるでしょう。

JR飯田線長篠城駅から徒歩圏内というアクセスの良さも魅力です。日本100名城の一つとして、また長篠の戦いの舞台として、歴史愛好家はもちろん、一般の観光客にもお勧めできる史跡です。

愛知県新城市を訪れた際は、ぜひ長篠城跡に足を運び、戦国時代の息吹を感じてみてください。鳥居強右衛門の忠義、奥平氏の奮闘、そして歴史の転換点となった戦いの舞台を実際に歩くことで、教科書では味わえない歴史の臨場感を体験できることでしょう。

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