戸崎城(茨城県かすみがうら市)

戸崎城(茨城県かすみがうら市)
所在地 〒300-0136 茨城県かすみがうら市戸崎1495

戸崎城(茨城県かすみがうら市)の歴史と見どころ完全ガイド

茨城県かすみがうら市に所在する戸崎城(とざきじょう)は、中世から近世初期にかけて常陸国南部の要衝として機能した平山城です。霞ヶ浦に注ぐ川尻川を臨む台地上に築かれたこの城は、小田氏の勢力圏から佐竹氏の支配下へと移り変わった戦国時代の歴史を今に伝えています。本記事では、戸崎城の築城から廃城に至るまでの歴史、現存する遺構の詳細、そして訪問時の見どころやアクセス情報まで、城郭ファンや歴史愛好家に役立つ情報を網羅的に解説します。

戸崎城の概要と立地

戸崎城は茨城県かすみがうら市戸崎に位置し、霞ヶ浦西岸の台地突端部に築かれた城郭です。現在の大崎前原から戸崎の宿までの範囲が城域と考えられており、川尻川を天然の堀として利用した地形を活かした縄張りが特徴です。

城の形式は掻上げ城(かきあげじろ)と呼ばれる土塁と堀による構造で、石垣を用いない中世城郭の典型例として貴重な遺構を残しています。標高は約30メートル前後で、台地上からは霞ヶ浦や周辺の平野部を見渡すことができ、軍事的要衝としての立地条件を備えていました。

城域の範囲と曲輪構成

戸崎城の城域は広範囲に及び、以下のような曲輪で構成されていたと考えられています:

  • 本丸: 川尻川を臨む台地突端部に位置し、現在は市指定史跡として保護されています
  • 二の丸: 本丸の南側に空堀を挟んで配置され、現在は畑地として利用されています
  • 中城: 二の丸のさらに南側に展開していた曲輪
  • 外城(丸外): 最も外側の防御ラインを形成していた曲輪

これらの地名は現在も地元で使われており、かつての城郭の広がりを示す貴重な地名遺産となっています。

戸崎城の歴史

築城と戸崎氏の時代

戸崎城は小田氏の家臣である戸崎氏によって築かれたと伝えられています。小田氏は常陸国南部を本拠とした名族で、鎌倉時代から戦国時代にかけて筑波山南麓の小田城(現つくば市)を中心に勢力を誇りました。戸崎氏はその家臣団の一翼を担い、霞ヶ浦西岸地域の支配拠点として戸崎城を経営していたと考えられます。

築城時期については明確な記録が残されていませんが、戦国時代中期の16世紀前半から中頃にかけてと推定されています。小田氏が常陸南部で勢力を拡大していた時期に、霞ヶ浦の水運を押さえる戦略的拠点として整備されたものと思われます。

天正元年(1573年)の落城

戦国時代後期、常陸国では佐竹氏が急速に勢力を拡大していました。佐竹氏は常陸北部の太田城(現常陸太田市)を本拠とし、南下政策を推進して小田氏と激しく対立していました。

天正元年(1573年)8月、佐竹氏の軍勢が戸崎城を攻撃し、城は落城しました。この時期は小田氏が佐竹氏や北条氏との抗争で劣勢に立たされていた時期にあたり、戸崎城の陥落は小田氏勢力圏の縮小を象徴する出来事でした。

落城後の戸崎城は佐竹氏の支配下に入り、常陸南部における佐竹氏の拠点の一つとして機能することになります。

佐竹氏時代と飯塚氏の城主就任

佐竹氏による支配が確立した後、戸崎城には佐竹氏の家臣が配置されました。文禄4年(1595年)以降または慶長年間(1596-1615年)には、飯塚兵部少輔(いいづかひょうぶしょうゆう)が城主として在城していたことが記録されています。

飯塚氏は佐竹氏の有力家臣で、戸崎城を拠点として周辺地域の統治にあたりました。この時期の戸崎城は、佐竹氏が常陸国を統一的に支配する体制の中で、霞ヶ浦西岸地域の行政・軍事拠点として機能していたと考えられます。

慶長7年(1602年)の廃城

慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦い後の論功行賞により、佐竹氏は豊臣恩顧の大名として徳川家康から常陸54万石から出羽秋田20万石への国替え(転封)を命じられました。この佐竹氏の秋田移封に伴い、飯塚兵部少輔も秋田へ移り、戸崎城は廃城となりました。

廃城後の戸崎城は軍事施設としての機能を失い、城域の多くは農地へと転用されていきました。しかし、本丸跡を中心とする主要部分は地形的特徴を残し、現在まで城跡としての面影を伝えています。

戸崎城の構造と縄張り

掻上げ城としての特徴

戸崎城は典型的な掻上げ城の構造を持っています。掻上げ城とは、堀を掘った際の土を盛り上げて土塁を築く工法で造られた城のことで、石垣を用いない中世城郭に多く見られる形式です。

戸崎城では以下のような構造的特徴が確認できます:

  • 土塁: 曲輪の周囲を囲む土の防壁で、高さは2〜3メートル程度と推定されます
  • 空堀: 曲輪を区画する防御施設で、本丸と二の丸の間には明瞭な空堀の痕跡が残されています
  • 台地地形の活用: 川尻川に面した台地突端という自然地形を最大限に活用した配置

これらの構造は、戦国時代の関東地方に広く見られる城郭形式であり、同時代の他の中小城郭と比較研究する上でも貴重な事例となっています。

本丸跡の現状

戸崎城本丸跡は、かすみがうら市の指定史跡として保護されています。川尻川を臨む台地の突端部に位置し、現在も当時の地形的特徴をよく残しています。

本丸跡は比較的平坦な台地上にあり、周囲には土塁の痕跡が部分的に確認できます。また、本丸の南側には空堀の跡が明瞭に残されており、二の丸との境界を示しています。この空堀は深さ約3〜4メートル、幅約5〜6メートル程度の規模があったと推定され、曲輪間の防御機能を果たしていました。

二の丸・中城・外城の配置

本丸の南側に配置された二の丸は、現在は畑地として利用されていますが、平坦な地形から曲輪としての機能を読み取ることができます。二の丸の規模は本丸とほぼ同等かやや広く、居住空間や兵站施設が置かれていたと考えられます。

二の丸のさらに南側には中城と呼ばれる曲輪があり、その外側に外城(丸外)が配置されていました。これらの曲輪は同心円状ではなく、台地の地形に沿って連郭式に配置されていたと推測されます。

現在も「中城」「丸外」といった地名が残されており、かつての城郭構造を示す重要な手がかりとなっています。地元の古老の間では、これらの地名とともに城に関する伝承が語り継がれてきました。

戸崎城の見どころ

本丸跡と土塁・空堀の遺構

戸崎城を訪れる際の最大の見どころは、やはり本丸跡とその周辺に残る土塁・空堀の遺構です。市指定史跡として保護されている本丸跡は、台地突端という立地条件を体感できる場所であり、当時の城郭設計の工夫を理解する上で貴重なポイントです。

特に本丸と二の丸を区切る空堀は、現在も明瞭に確認できる遺構として重要です。堀底を歩くことで、中世城郭の防御構造を実感することができます。また、土塁の痕跡も部分的に残されており、往時の城郭景観を想像する手がかりとなっています。

川尻川と霞ヶ浦の眺望

本丸跡からは川尻川霞ヶ浦を望むことができます。城が築かれた台地突端という地形的特徴を活かし、水運の要衝を押さえる戦略的位置にあったことが実感できるでしょう。

霞ヶ浦は中世から近世にかけて重要な水運路であり、物資輸送や軍事的移動に利用されていました。戸崎城はこの水運を監視・統制する機能も持っていたと考えられ、眺望はその軍事的意義を理解する上で重要な要素です。

地名に残る城郭の記憶

戸崎城の特徴的な見どころの一つは、現在も残る城郭関連地名です。「二の丸」「中城」「丸外」「外城」といった地名が今も使われており、地域住民の生活の中に城の記憶が息づいています。

これらの地名を手がかりに城域を歩くことで、広大な城郭の全体像を把握することができます。地名探訪は、単なる遺構見学にとどまらない、地域の歴史文化を体験する機会となるでしょう。

周辺の歴史的環境

かすみがうら市には戸崎城以外にも中世城郭の遺跡が点在しており、周辺地域の城郭ネットワークを理解する上で興味深い環境が整っています。志筑城、柏崎城など、同時代の城跡を併せて訪問することで、常陸南部における戦国時代の勢力図をより立体的に理解することができます。

また、霞ヶ浦周辺は古くから人々の生活の場であり、古墳時代から近世に至る多様な歴史遺産が残されています。戸崎城の訪問を起点として、地域全体の歴史探訪を楽しむことができるでしょう。

アクセスと訪問情報

所在地

茨城県かすみがうら市戸崎

戸崎城本丸跡は、かすみがうら市戸崎地区の台地突端部に位置しています。市指定史跡として保護されていますが、周辺は住宅地や農地となっており、訪問の際は地元の方々の生活に配慮が必要です。

車でのアクセス

  • 常磐自動車道 千代田石岡ICから約15分
  • 常磐自動車道 土浦北ICから約20分

駐車場については専用の施設はありませんので、近隣の公共施設や観光施設の駐車場を利用し、徒歩で訪問することをお勧めします。路上駐車は地元住民の迷惑となりますので避けてください。

公共交通機関でのアクセス

  • JR常磐線 神立駅からバスで約20分、「戸崎」バス停下車、徒歩約10分
  • JR常磐線 土浦駅からバスで約30分、「戸崎」バス停下車、徒歩約10分

バスの本数は限られていますので、事前に時刻表を確認することをお勧めします。

訪問時の注意点

  • 本丸跡は市指定史跡ですが、周辺は私有地が多いため、立入りには注意が必要です
  • 遺構の保護のため、土塁や空堀を傷つけないよう配慮してください
  • 農地が多い地域ですので、農作業の妨げにならないよう注意しましょう
  • 案内板や説明板は限られていますので、事前に資料を確認してから訪問することをお勧めします
  • 夏季は草木が茂り遺構が見づらくなることがあります。春や秋の訪問が比較的見学しやすいでしょう

周辺の観光施設

かすみがうら市には以下のような観光施設があり、戸崎城訪問と併せて楽しむことができます:

  • かすみがうら市歴史博物館: 市内の歴史や文化を紹介する施設で、戸崎城に関する資料も展示されています
  • 霞ヶ浦総合公園: 霞ヶ浦を望む公園で、水辺の散策や自然観察が楽しめます
  • 観光果樹園: かすみがうら市は梨、ぶどう、栗、柿、イチゴなどの果樹栽培が盛んで、季節ごとに果物狩りが楽しめます
  • 雪入山: 市西部にある山で、ハイキングや自然観察に適しています

戸崎城の歴史的意義

常陸南部における小田氏と佐竹氏の抗争

戸崎城の歴史は、戦国時代における常陸南部の勢力抗争を象徴しています。小田氏と佐竹氏という二大勢力の対立の中で、戸崎城は支配者を変えながらも地域の要衝として機能し続けました。

小田氏は鎌倉時代以来の名族でしたが、戦国時代には佐竹氏の南下政策、北条氏の北上政策に挟まれて苦境に立たされました。天正元年(1573年)の戸崎城落城は、小田氏の勢力衰退を示す重要な出来事の一つでした。

一方、佐竹氏は戦国時代後期に常陸国をほぼ統一する大勢力に成長しました。戸崎城の獲得は、霞ヶ浦西岸地域の支配を確立する上で重要な意味を持っていたと考えられます。

霞ヶ浦水運の要衝

戸崎城のもう一つの重要な意義は、霞ヶ浦水運の要衝としての役割です。霞ヶ浦は中世から近世にかけて、常陸国南部と利根川水系を結ぶ重要な水運路でした。

川尻川河口に近い戸崎城は、この水運を監視・統制する機能を持っていたと考えられます。物資の輸送、軍事的移動、商業活動など、多様な水上交通を掌握することは、領主にとって経済的・軍事的に大きな意味を持っていました。

中世城郭研究における価値

戸崎城は、関東地方の中世城郭研究において貴重な事例を提供しています。掻上げ城としての典型的な構造、台地地形を活かした縄張り、土塁と空堀による防御システムなど、戦国時代の中小城郭の特徴をよく示しています。

また、小田氏から佐竹氏への支配者交代、そして廃城に至る過程は、戦国時代から近世初期への移行期における城郭の運命を示す好例です。関ヶ原の戦い後の大名配置の変更が地方の城郭に与えた影響を理解する上でも、戸崎城の歴史は示唆に富んでいます。

かすみがうら市と戸崎城の保存活動

市指定史跡としての保護

戸崎城本丸跡はかすみがうら市指定史跡として法的保護を受けています。市教育委員会を中心に、遺構の保存と調査が継続的に行われており、地域の貴重な歴史遺産として位置づけられています。

市では定期的な草刈りや環境整備を実施し、遺構が自然に埋没したり損壊したりしないよう管理しています。また、開発行為が計画される際には、遺跡の保護を優先する措置が取られています。

地域住民による伝承の継承

戸崎城の歴史は、地域住民によって語り継がれてきました。地名の保存、口承による伝承、地域の歴史学習など、様々な形で城の記憶が継承されています。

地元の郷土史研究会や歴史愛好家グループによる調査・研究活動も行われており、文献史料と現地調査を組み合わせた総合的な研究が進められています。これらの活動は、専門的な学術研究と地域の歴史意識を結びつける重要な役割を果たしています。

今後の課題と展望

戸崎城の保存と活用については、いくつかの課題も存在します。遺構の多くが私有地内にあるため、調査や整備に制約があること、案内板や説明板が不足していること、アクセスの便が必ずしも良くないことなどが挙げられます。

今後は、地権者の理解と協力を得ながら、段階的な整備を進めることが期待されます。また、デジタル技術を活用した情報発信、周辺の観光資源と連携した活用策の検討なども重要でしょう。

戸崎城は、地域の歴史を伝える貴重な文化遺産であるとともに、観光資源としての潜在力も持っています。適切な保存と活用のバランスを取りながら、次世代へと継承していくことが求められています。

まとめ

茨城県かすみがうら市の戸崎城は、小田氏家臣戸崎氏によって築かれ、天正元年(1573年)に佐竹氏に攻略され、慶長7年(1602年)の佐竹氏秋田転封により廃城となった中世城郭です。

川尻川を臨む台地突端という地形を活かした縄張り、土塁と空堀による掻上げ城としての構造、そして本丸・二の丸・中城・外城という多重の曲輪配置が特徴です。現在も本丸跡を中心に遺構が残されており、市指定史跡として保護されています。

戸崎城の歴史は、戦国時代の常陸南部における小田氏と佐竹氏の抗争、霞ヶ浦水運の重要性、そして関ヶ原の戦い後の大名配置変更が地方城郭に与えた影響を示す貴重な事例です。

城郭ファンや歴史愛好家にとって、戸崎城は中世城郭の構造を学び、戦国時代の地域史を理解する上で訪れる価値のある史跡といえるでしょう。かすみがうら市の豊かな自然と歴史文化を楽しみながら、戸崎城の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

地図

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