古宮城:武田信玄が築いた土の城の最高傑作|続日本100名城の見どころと歴史
古宮城(ふるみやじょうあと)は、愛知県新城市作手清岳に位置する戦国時代の平山城です。武田信玄による三河侵攻の拠点として築かれ、名将・馬場信春が縄張設計を担当したことで知られています。現在も土塁や竪堀などの遺構が良好に残り、「土の城の到達点」とも称される貴重な史跡として、2017年(平成29年)4月6日に続日本100名城(150番)に選定されました。
古宮城の歴史
築城の背景と武田信玄の三河侵攻
古宮城が築かれた背景には、武田信玄の東海地方への勢力拡大戦略がありました。元亀元年(1570年)、武田信玄の侵攻によって作手地域を治めていた国人領主の奥平氏は、それまでの徳川方から武田方へと帰属を変更します。
元亀2年から3年(1571年~1572年)頃、武田信玄は三河国への侵攻拠点として古宮城の築城を命じました。その縄張り設計を担当したのが、築城の名手として名高い馬場信春(馬場美濃守信春)です。馬場信春は武田二十四将の一人として知られ、数々の城郭設計に携わった武田氏随一の築城技術者でした。
奥平氏の離反と古宮城の役割
元亀3年(1572年)、この地を治めていた国人領主の奥平定能は武田信玄から本領安堵などの書状を賜りました。しかし、元亀4年(1573年)に武田信玄が病没すると、情勢は大きく変化します。
奥平定能・定昌親子は徳川家康に内通し、武田方からの離反を決意しました。天正元年(1573年)、奥平親子が居城の作手・亀山城を退去して滝山城(後の長篠城)に入ると、武田軍はそこに押し寄せます。
武田方は亀山城の監視と作手地域の支配を維持するため、亀山城の向かいの山に塞ノ神城(さいのかみじょう)、文珠山城(もんじゅやまじょう)を築き、その中核拠点として古宮城を位置づけました。古宮城には城将として小幡又兵衛、甘利左右衛門、大熊備前守らが駐屯したと伝えられています。
天正3年の攻略と廃城
天正3年(1575年)5月の長篠・設楽原の戦いにおいて、武田勝頼率いる武田軍は織田・徳川連合軍に大敗を喫します。この戦いの後、徳川軍は作手地域の武田方の城を次々と攻略し、古宮城も徳川軍によって落城しました。
その後、古宮城は廃城となり、実質的な使用期間はわずか数年という短命な城でした。しかし、この短い期間にもかかわらず、武田氏の築城技術を今に伝える貴重な遺構として、現在まで良好な状態で保存されています。
古宮城の立地と地理的特徴
作手盆地における戦略的位置
古宮城は三河国北東部の山間地にある作手盆地の中央部に立地しています。城のすぐ西には作手盆地を南北に縦貫する作手街道が走り、また城の南側には作手街道から分岐した街道が東に伸びて山を越え、伊那街道に接続するなど、山間部の交通の要衝といえる位置にあります。
作手盆地は標高約500メートルの高原盆地で、周囲を山々に囲まれた天然の要害です。この盆地の中央部に位置する宮山と呼ばれる比高約20メートルの小山全体を城郭として利用したのが古宮城です。
天然の要害としての地形
古宮城が築かれた小丘陵は、西側以外の三方が湿地帯に囲まれており、天然の要害となっていました。この湿地帯は敵の接近を困難にし、城の防御力を大きく高める役割を果たしていました。
平野にぽつんと位置する独立した小丘陵をまるごと城として築いているため、丘全体が要塞化されています。この地形を最大限に活用した縄張りは、馬場信春の卓越した築城技術を示すものといえます。
古宮城の縄張りと構造
全体構造と主要部分
古宮城の構造は、巨大な堀切で小丘陵を東西に二分し、東側に土塁を巡らせた主郭を配置しています。西側には丸い曲輪が伴う構造となっており、こうした高度に発達した縄張りは戦国時代後半の築城技術を示しています。
主郭は城の中心部分で、周囲を高い土塁で囲んでいます。この土塁は現在も良好に残っており、当時の姿をよく伝えています。主郭の東側には複数の曲輪が階段状に配置され、防御を固めています。
虎口と桝形の構造
古宮城の最大の見どころの一つが、精巧に設計された虎口(城の出入口)です。主郭の虎口は両袖に土塁を設ける桝形となっており、敵の侵入を防ぐ工夫が随所に見られます。
桝形虎口は、敵を狭い空間に誘い込んで三方から攻撃できる構造で、戦国時代後期の城郭に見られる高度な防御技術です。古宮城の虎口は、おそらく当時のままの姿を残しているとされ、静かな空間に古の兵士達の息遣いが聴こえてきそうな臨場感があります。
馬出しと防御施設
古宮城には馬出し(うまだし)と呼ばれる防御施設も設けられています。馬出しは虎口の前面に設けられた小さな曲輪で、城からの出撃や虎口の防御を強化する役割を果たしました。
この馬出しも良好に遺構が残っており、武田氏の築城術における防御思想を理解できる貴重な遺構となっています。馬出しと虎口を組み合わせた防御システムは、武田流築城術の特徴の一つです。
土塁と竪堀の配置
古宮城の防御の要となっているのが、城全体を取り囲む土塁と竪堀です。土塁は主郭を中心に各曲輪を囲むように配置され、現在も高さ数メートルの土塁が良好に残っています。
竪堀(たてぼり)は斜面に沿って垂直方向に掘られた堀で、敵の横移動を阻止し、攻撃ルートを限定する役割を果たします。古宮城では複数の竪堀が確認でき、これらが有機的に配置されることで、丘全体の防御力を高めています。
曲輪の配置と機能
古宮城には主郭を中心に複数の曲輪が配置されています。主郭の東側には二の曲輪、三の曲輪などが階段状に配置され、西側には丸馬出しを伴う曲輪が設けられています。
これらの曲輪は単に防御のためだけでなく、兵士の駐屯や物資の保管など、実用的な機能も考慮して配置されていたと考えられます。各曲輪は土塁で区切られ、独立した防御単位として機能する設計となっています。
武田流築城術の特徴
馬場信春の築城技術
古宮城の縄張り設計を担当した馬場信春は、武田氏随一の築城の名手として知られています。信春が設計した城は、実戦的な防御機能と効率的な空間利用を両立させた、高度な技術の結晶といえます。
馬場信春の築城術の特徴は、地形を最大限に活用しながら、土塁、堀、虎口、馬出しなどの防御施設を有機的に配置する点にあります。古宮城はその代表例として、武田流築城術を学ぶ上で欠かせない遺構となっています。
土の城としての完成度
古宮城は石垣を用いない「土の城」として築かれています。戦国時代後期には石垣を用いた城郭も登場していましたが、武田氏の領国では伝統的な土の城が主流でした。
土塁と堀を組み合わせた防御システムは、石垣に比べて工期が短く、地元の人材と資材で築城できるという利点がありました。古宮城は「土の城の到達点」とも称され、石垣を使わずに高度な防御力を実現した戦国時代の築城技術の粋を示しています。
武田氏城郭との比較
武田氏が築いた城郭は、甲斐国内だけでなく、信濃、駿河、三河など各地に残されています。古宮城はその中でも、武田氏の勢力圏の東端に位置する前線基地として築かれた点で特徴的です。
他の武田氏城郭と比較すると、古宮城は比較的小規模ながら、防御施設が高密度に配置されています。これは前線基地として、少数の兵力で効率的に防御する必要があったためと考えられます。
古宮城の遺構と現状
現存する主要遺構
古宮城の遺構は、築城から450年以上が経過した現在も良好に保存されています。主な遺構としては以下のものが挙げられます:
- 主郭の土塁:主郭を囲む高さ数メートルの土塁が、ほぼ全周にわたって残っています
- 虎口と桝形:主郭の入口部分の精巧な構造が当時のまま残存
- 馬出し:虎口前面の防御施設が明瞭に確認できます
- 堀切:城域を東西に分断する大規模な堀切
- 竪堀:斜面に沿って掘られた複数の竪堀
- 各曲輪:主郭周辺の複数の曲輪の配置が明瞭
これらの遺構は、樹木の伐採や下草刈りなどの整備が行われており、見学しやすい状態に保たれています。
新城市指定史跡としての保護
古宮城跡は新城市指定史跡として保護されています。指定年月日は昭和46年(1971年)8月10日で、以来、市による保存管理が行われてきました。
史跡指定により、遺構の破壊や改変が制限され、戦国時代の姿を今に伝える貴重な文化財として保護されています。新城市は定期的に遺構の整備や調査を実施し、適切な保存管理に努めています。
続日本100名城への選定
2017年(平成29年)4月6日、古宮城は続日本100名城の150番に選定されました。続日本100名城は、公益財団法人日本城郭協会が選定した、日本100名城に次ぐ重要な城郭のリストです。
この選定により、古宮城の歴史的・文化財的価値が全国的に認知され、城郭ファンや歴史愛好家の注目を集めるようになりました。続日本100名城のスタンプは、作手歴史民俗資料館で押印できます。
古宮城の見どころ
主郭周辺の土塁
古宮城を訪れたら、まず主郭を囲む土塁の高さと規模に注目してください。主郭の土塁は高さ3~4メートルほどあり、ほぼ全周にわたって良好に残っています。
土塁の上を歩くこともでき、そこから主郭内部や周辺の曲輪を見渡すことができます。土塁の構造や配置から、防御者の視点で城の設計思想を理解することができます。
精巧な虎口の構造
主郭への入口である虎口は、古宮城の最大の見どころです。両袖に土塁を設けた桝形虎口の構造は、当時のままの姿を留めていると考えられ、戦国時代の築城技術を直接体感できる貴重な遺構です。
虎口の狭い通路を通ると、敵兵がここを通過する際にどれほど危険にさらされたかを実感できます。両側の土塁の上から攻撃を受ける構造は、まさに「殺し間」と呼ぶにふさわしいものです。
馬出しと防御ライン
虎口の前面に設けられた馬出しも必見です。馬出しは小さな曲輪状の構造で、虎口への攻撃を防ぎ、また城からの出撃の拠点となる施設です。
馬出しと虎口を組み合わせた防御ラインは、武田流築城術の特徴的な要素で、古宮城ではその構造を明瞭に観察できます。馬出しの周囲を巡る土塁や堀の配置にも注目してください。
竪堀群の配置
城の斜面には複数の竪堀が掘られています。竪堀は斜面に沿って垂直方向に掘られた堀で、敵の横移動を阻止する役割を果たします。
古宮城の竪堀は、整備により見学しやすくなっており、その深さと長さを実感できます。複数の竪堀が並行して配置される様子は、計算された防御システムの一部であることを示しています。
堀切による区画
城域を東西に分断する大規模な堀切も見どころの一つです。堀切は尾根を断ち切るように掘られた堀で、敵の侵入を阻止し、城域を明確に区画する役割を果たします。
古宮城の堀切は深さ数メートルあり、その規模の大きさに驚かされます。堀切の底から土塁の上を見上げると、この防御施設の威力を実感できます。
アクセスと見学情報
所在地
古宮城跡は愛知県新城市作手清岳字宮山に位置しています。作手地域は新城市の北部、標高約500メートルの高原盆地に位置し、自然豊かな環境に恵まれています。
交通アクセス
車でのアクセス
- 新東名高速道路「新城IC」から約30分
- 東名高速道路「豊川IC」から国道151号経由で約50分
- 駐車場:白鳥神社の駐車場を利用可能(無料)
公共交通機関でのアクセス
- JR飯田線「本長篠駅」からバスまたはタクシーで約30分
- 公共交通機関でのアクセスは便利とは言えないため、車での訪問が推奨されます
入城口と見学ルート
古宮城の入城口は、南麓の白鳥神社が起点となります。白鳥神社の境内から城跡への登城路が整備されており、案内板も設置されています。
登城路は比較的緩やかで、主郭まで徒歩約5~10分程度です。城跡内には見学路が整備されており、主要な遺構を巡ることができます。所要時間は30分~1時間程度を見込んでください。
見学の注意点
- 服装:歩きやすい靴と動きやすい服装を推奨します。特に雨天後は足元が滑りやすいので注意が必要です
- 季節:夏季は虫除け対策を、冬季は防寒対策をお忘れなく
- 時間:日没前には下山できるよう、時間に余裕を持って訪問してください
- マナー:史跡を大切に保護するため、遺構を傷つけたり、ゴミを残したりしないようお願いします
続日本100名城スタンプ
続日本100名城のスタンプは、作手歴史民俗資料館に設置されています。資料館では古宮城に関する展示や資料も見ることができ、訪問前に立ち寄ることで理解が深まります。
作手歴史民俗資料館
- 開館時間:午前9時~午後5時
- 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
- 入館料:無料
- 所在地:新城市作手高里字縄手上35番地
周辺の見どころ
亀山城跡
古宮城から約2キロメートルの距離にある亀山城跡は、奥平氏の居城でした。古宮城と密接な関係にあり、合わせて訪問することで、この地域の戦国史をより深く理解できます。
長篠城跡
天正3年(1575年)の長篠の戦いの舞台となった長篠城跡も、新城市内にあります。日本100名城に選定されており、長篠城址史跡保存館では詳細な展示を見ることができます。
設楽原歴史資料館
長篠・設楽原の戦いに関する資料を展示する資料館です。火縄銃の実演なども行われており、戦国時代の合戦について学ぶことができます。
古宮城の文化財的価値
武田氏築城術の研究資料
古宮城は、武田氏の築城術を研究する上で極めて重要な遺構です。石垣を用いない土の城として、土塁、堀、虎口などの防御施設が良好に残っており、戦国時代の築城技術を具体的に理解できる貴重な資料となっています。
城郭研究者や考古学者にとって、古宮城は武田流築城術の特徴を示す典型例として、高い学術的価値を持っています。特に馬場信春の縄張り設計の特徴を示す遺構として、全国的にも注目されています。
地域の歴史を伝える遺産
古宮城は、作手地域の戦国時代の歴史を今に伝える重要な文化遺産です。武田信玄と徳川家康の抗争、奥平氏の動向など、この地域が戦国時代に果たした役割を具体的に示す遺構として、地域の歴史教育や観光振興に貢献しています。
新城市では古宮城を地域の重要な文化財として位置づけ、保存管理と活用に取り組んでいます。定期的な整備や案内板の設置により、訪問者が遺構を理解しやすい環境づくりが進められています。
土の城の保存モデル
石垣を持つ城郭に比べて、土の城は風化や浸食により遺構が失われやすいという課題があります。古宮城は適切な保存管理により、築城から450年以上が経過した現在も良好な状態を保っており、土の城の保存モデルとしても重要です。
樹木の管理、排水対策、見学路の整備など、遺構を保護しながら見学環境を整える取り組みは、他の土の城の保存管理にも参考となる事例です。
まとめ
古宮城は、武田信玄が三河侵攻の拠点として築き、名将・馬場信春が縄張り設計を担当した戦国時代の平山城です。わずか数年という短い使用期間でしたが、「土の城の到達点」と称される精巧な縄張りと良好な遺構の保存状態により、続日本100名城に選定されるなど、高い文化財的価値を持っています。
主郭を囲む土塁、精巧な桝形虎口、馬出し、竪堀など、武田流築城術の特徴を示す遺構が明瞭に残り、戦国時代の築城技術を体感できる貴重な史跡です。愛知県新城市の作手地域を訪れた際は、ぜひ古宮城跡に足を運び、450年前の武田氏の築城技術に触れてみてください。
白鳥神社から始まる登城路は整備されており、比較的容易に見学できます。続日本100名城のスタンプは作手歴史民俗資料館で入手でき、資料館では古宮城に関する詳しい展示も見ることができます。戦国時代の歴史と築城技術に興味のある方にとって、古宮城は必見の史跡といえるでしょう。
