萩原諏訪城(岐阜県)

萩原諏訪城(岐阜県)
所在地 〒509-2202 岐阜県下呂市萩原町萩原
公式サイト https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/siseki/suwajyou.html

萩原諏訪城(岐阜県)完全ガイド|金森氏の支城から旅館へと変遷した平城の歴史と見どころ

岐阜県下呂市萩原町萩原に位置する萩原諏訪城(はぎわらすわじょう)は、飛騨国を治めた金森氏が築いた平城です。諏訪神社の跡地に建てられたこの城は、一国一城令後も「金森旅館」として存続した異色の歴史を持ち、現在は岐阜県指定史跡として保存されています。本記事では、萩原諏訪城の歴史、構造、見どころ、アクセス情報まで詳しく解説します。

萩原諏訪城の歴史

金森長近による飛騨平定と築城の背景

天正13年(1585年)、越前国大野城主であった金森長近は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の命を受けて飛騨国へ侵攻しました。当時の飛騨を支配していた三木自綱を破り、飛騨全域を平定した金森長近は、秀吉から飛騨国を与えられることとなります。

金森長近は飛騨統治の拠点として高山城を本城と定め、飛騨国内の要所に支城を配置する戦略を採用しました。その支城の一つが萩原諏訪城であり、もう一つの主要支城として増島城が築かれています。この二つの支城は、飛騨国の南北を固める重要な役割を担っていました。

佐藤秀方による築城と初期の歴史

天正14年(1586年)、金森長近は姉婿(一説には義兄弟)である佐藤秀方に命じて萩原諏訪城を築かせました。佐藤秀方は美濃国上有知(現在の岐阜県美濃市)の領主でもあり、金森氏の信頼厚い武将でした。

萩原諏訪城の築城にあたっては、古来より諏訪神社の社地であった場所が選ばれました。このため、諏訪神社は上村(現在の下呂市萩原町上村)に遷座され、その跡地に城が建設されることになります。また、この地域にあった桜洞城は廃城とされ、萩原諏訪城がこの地域の中心的な軍事拠点となりました。

佐藤秀方は初代城代として萩原諏訪城に入り、この地域の統治を任されました。城は飛騨川の左岸、JR高山本線飛騨萩原駅の西方約300メートルの位置に築かれた平城で、交通の要衝を押さえる戦略的な立地でした。

一国一城令と「金森旅館」への転用

元和元年(1615年)、江戸幕府は大坂夏の陣の後に一国一城令を発令しました。この法令により、各大名は一国につき一つの城のみを保有することが義務付けられ、多くの支城が破却されることになります。

通常であれば萩原諏訪城も廃城となるはずでしたが、金森氏はこの城の立地的重要性を認識していました。萩原は高山と江戸を結ぶ街道上の要所であり、交通の拠点として機能していたのです。

そこで金森氏が採った策が、城を「金森旅館」と名称変更して存続させるという巧妙な方法でした。形式上は城ではなく旅館として届け出ることで、一国一城令に抵触することなく、実質的には城としての機能を維持し続けたのです。この決断により、萩原諏訪城は城としての役割を終えた後も、約77年間にわたって旅館として存続することになります。

金森氏の転封と諏訪神社の復帰

元禄5年(1692年)、飛騨国を治めていた金森氏は出羽国上山(現在の山形県上山市)へ転封されることになりました。この転封は、金森氏の内紛や幕府との関係悪化が原因とされています。

金森氏の転封に伴い、飛騨国は幕府の直轄地(天領)となりました。金森旅館も破却され、約100年ぶりに諏訪神社が元の場所である本丸跡に戻ってくることになります。こうして、諏訪神社の社地から城へ、そして旅館を経て再び神社の境内へという、特異な歴史の変遷を遂げたのです。

萩原諏訪城の構造

平城としての特徴

萩原諏訪城は飛騨川の左岸に築かれた平城です。平城とは平地に築かれた城のことで、山城や丘城と異なり、自然の地形を利用した防御力は低い反面、政治・経済の中心地としての機能を重視した城郭形式です。

戦国時代後期に出現した平城の構造を良く残しており、石垣、堀、土塁などの防御施設が配置されていました。城の規模は比較的小規模ながら、支城としての機能を十分に果たせる構造となっていました。

増島城との類似性

萩原諏訪城は、同じく金森氏の支城である増島城と双璧をなす存在とされ、城の作りにも類似点が多く見られます。両城とも平城であり、飛騨川沿いの交通の要衝に配置されているという共通点があります。

増島城は飛騨国の北部を固める役割を担い、萩原諏訪城は南部を固める役割を担っていました。この二つの支城により、金森氏は飛騨国全域を効率的に統治する体制を構築していたのです。

現存する遺構

現在の萩原諏訪城跡には、以下のような遺構が残されています:

矢倉跡の石塁:城の防御施設であった矢倉(櫓)の跡に石塁が残っています。石塁は石を積み上げて作られた防御壁で、当時の築城技術を知る貴重な遺構です。

堀の石垣:城を囲んでいた堀の石垣が一部残存しています。堀は敵の侵入を防ぐための重要な防御施設であり、その石垣は当時の姿を今に伝えています。

土居(土塁):土を盛り上げて作られた防御壁である土居が確認できます。土居は石垣よりも古い形式の防御施設ですが、平城においても重要な役割を果たしていました。

石の階段:城内の移動に使用されていたと思われる石の階段が残っています。

これらの遺構は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけての平城の構造を理解する上で貴重な文化財として評価されており、昭和41年(1966年)に「諏訪城跡」の史跡名で岐阜県指定史跡となりました。

萩原諏訪城の見どころ

諏訪神社と城跡の融合

現在、萩原諏訪城の本丸跡には諏訪神社が鎮座しています。神社の境内を歩きながら、かつての城の遺構を探索できるという、他の城跡にはない独特の雰囲気を楽しむことができます。

諏訪神社は地域の信仰の中心として今も大切にされており、参拝と城跡散策を同時に楽しめる貴重な場所です。神社の祭礼時には地域の人々が集まり、歴史ある場所としての賑わいを見せます。

市街地に残る城跡の風情

萩原諏訪城跡は下呂市萩原町の市街地に位置しており、住宅地の中に突如として現れる石垣や土塁が、かつてこの地に城が存在した歴史を物語っています。

都市化が進んだ現代においても、これだけの遺構が残されていることは貴重であり、地域の歴史を身近に感じられる場所として親しまれています。市街地散策の際に気軽に立ち寄れるアクセスの良さも魅力の一つです。

飛騨川と城跡の景観

萩原諏訪城は飛騨川の左岸に位置しており、川との関係性も見どころの一つです。飛騨川は飛騨地方を流れる主要河川であり、古来より交通路としても重要な役割を果たしてきました。

城跡から飛騨川方面を眺めると、なぜこの場所に城が築かれたのか、その戦略的意義を実感することができます。川を利用した物資輸送や軍事的な防御ラインとしての機能を想像しながら散策すると、より深く歴史を理解できるでしょう。

石垣と土塁の観察

城跡に残る石垣や土塁は、当時の築城技術を知る貴重な資料です。特に矢倉跡の石塁や堀の石垣は、金森氏時代の技術水準を示しています。

石の積み方や大きさ、配置などを観察することで、どのように防御力を高めていたのか、また限られた資源でいかに効率的に城を築いたのかを理解することができます。城郭ファンや歴史愛好家にとっては、細部まで観察する価値のある遺構です。

周辺の関連スポット

桜洞城跡

萩原諏訪城の築城に伴って廃城となった桜洞城の跡も、周辺に残されています。桜洞城は萩原諏訪城以前にこの地域の中心的な城郭であり、両者を比較することで、金森氏による飛騨統治の変遷を理解することができます。

増島城跡

萩原諏訪城と双璧をなす金森氏の支城である増島城跡も、飛騨地方を訪れる際にはぜひ訪問したい場所です。飛騨市古川町に位置する増島城跡は、萩原諏訪城と同様に平城の構造を残しており、両城を訪れることで金森氏の城郭政策をより深く理解できます。

高山城跡

金森長近が本城とした高山城跡は、現在は城山公園として整備されています。高山市街地を見下ろす丘陵に位置し、飛騨統治の中心地としての重要性を実感できる場所です。萩原諏訪城と合わせて訪問することで、金森氏の飛騨支配の全体像を把握できるでしょう。

下呂温泉

萩原諏訪城のある下呂市は、日本三名泉の一つに数えられる下呂温泉で有名です。城跡散策と合わせて温泉を楽しむことで、歴史探訪と癒しの旅を満喫できます。下呂温泉街からも比較的近い距離にあるため、観光ルートに組み込みやすい立地です。

アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR高山本線利用

  • JR高山本線「飛騨萩原駅」下車、徒歩約5分
  • 駅から西方約300メートルの距離にあり、非常にアクセスしやすい立地です
  • 名古屋方面からは特急「ワイドビューひだ」が便利です
  • 高山方面からも同じく特急または普通列車でアクセス可能です

自動車でのアクセス

中央自動車道経由

  • 中央自動車道「中津川IC」から国道257号・41号経由で約60分

東海北陸自動車道経由

  • 東海北陸自動車道「郡上八幡IC」から国道256号・41号経由で約50分

駐車場

  • 諏訪神社周辺に若干の駐車スペースがありますが、市街地のため限られています
  • 飛騨萩原駅周辺の公共駐車場を利用することをおすすめします

住所・所在地

岐阜県下呂市萩原町萩原(諏訪神社境内)

訪問ガイド

見学時間の目安

萩原諏訪城跡の散策には30分から1時間程度を見込むと良いでしょう。諏訪神社への参拝を含め、ゆっくりと遺構を観察しながら歩くことをおすすめします。

見学の際の注意点

  • 諏訪神社の境内であるため、参拝者への配慮を忘れずに
  • 石垣や土塁などの遺構は貴重な文化財です。登ったり傷つけたりしないよう注意しましょう
  • 市街地に位置するため、周辺住民の生活に配慮した行動を心がけてください
  • 雨天時は石段や石垣周辺が滑りやすくなるため、足元に注意が必要です

撮影について

城跡の撮影は基本的に自由ですが、諏訪神社の祭礼時や参拝者がいる場合は配慮が必要です。また、周辺住宅のプライバシーにも十分注意しましょう。

おすすめの訪問時期

萩原諏訪城跡は通年訪問可能ですが、特におすすめの時期は以下の通りです:

  • 春(4月〜5月):桜の季節には周辺が美しく彩られます
  • 秋(10月〜11月):紅葉の時期には飛騨の山々が色づき、景観が素晴らしい
  • 諏訪神社の祭礼時:地域の伝統行事を見学できる貴重な機会です

萩原諏訪城の歴史的価値

平城研究における重要性

萩原諏訪城は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけての平城の構造を良く残している貴重な事例です。この時期の平城は、戦闘機能よりも政治・経済の中心地としての機能を重視する傾向があり、萩原諏訪城もその特徴を示しています。

城郭研究の観点からは、山城から平城への移行期の様相を示す重要な史跡として評価されています。

一国一城令の例外事例

一国一城令が発令された後も「金森旅館」として存続したという事例は、全国的に見ても非常に珍しいものです。この事実は、江戸幕府の政策が必ずしも画一的ではなく、地域の実情や大名の交渉によって柔軟に運用されていたことを示す好例となっています。

地域史における意義

萩原諏訪城は、金森氏による飛騨統治の歴史を語る上で欠かせない存在です。高山城を中心とした支城ネットワークの一翼を担い、飛騨国南部の統治拠点として機能していました。

また、諏訪神社との関係性も地域の歴史を理解する上で重要です。神社の社地が城に転用され、再び神社に戻るという変遷は、戦国時代から江戸時代への移行期における宗教と政治の関係を示す事例として興味深いものです。

まとめ

萩原諏訪城は、岐阜県下呂市萩原町に残る金森氏の支城跡です。天正14年(1586年)に佐藤秀方によって築かれ、一国一城令後も金森旅館として存続した異色の歴史を持ちます。元禄5年(1692年)の金森氏転封後は破却され、諏訪神社が本丸跡に復帰しました。

現在も矢倉跡の石塁、堀の石垣、土居、石の階段などの遺構が残り、戦国時代後期の平城の構造を今に伝える貴重な史跡として、岐阜県指定史跡に指定されています。

JR飛騨萩原駅から徒歩約5分という抜群のアクセスの良さも魅力で、下呂温泉観光と合わせて訪れることができます。諏訪神社の境内という特殊な環境の中で、飛騨の歴史と文化を身近に感じられる萩原諏訪城跡は、歴史愛好家だけでなく、一般の観光客にもおすすめできる魅力的なスポットです。

飛騨地方を訪れる際には、ぜひ萩原諏訪城跡に足を運び、金森氏の飛騨統治の歴史と、城から旅館へという独特の変遷を辿った城跡の雰囲気を体感してみてください。

地図

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